felizmundo's website

月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

岩澤さんの「不耕起栽培+冬期湛水」の「究極の田んぼ」に学ぶ

2022-03-20 09:26:17 | 日記

   以前、「たまには月でもみませんか」というバーを東京で開いていた高坂さんという男性が、バーで出すお米を千葉県で作り始めたのをきっかけに農業の世界に入り、千葉県の匝瑳で(素人でも週末参加で米作りができるプロジェクト)を立ち上げたと聞いて、凄く興味が湧き遊びに行ったことがある。「匝瑳プロジェクト

      

     写真をクリックしてもらうと、様子がのぞけるが、たくさんの人達が週末に月に1~2回のペースで小さな田んぼの一区画を借りて米作りをする。集まる日には、自分の田の仕事だけでなく、みんなで使う農道の草取りや、食事をしたりするスペースの整備なども共同でして、昼食は共同で作ったものに、それぞれが持ち寄ったものも加わり和やかでともて楽しい雰囲気が溢れていた。

     居心地がよくて楽しくて、ついに移住して来た人まで50人を超えたと聞く。

     自然に溢れ、私が行った時も、緑が美しく、生ぬるい田に足をいれると子どもに戻ってワクワクした。蛙がいたり、人からも生物からも、植物からも命を感じる空間だった。残念ながら、家からあまりに遠くてレギュラーで参加は難しいと断念したが、もう少し近ければ絶対参加していたと思う。

     最近になって、図書館で偶然に岩澤信夫・著「究極の田んぼ」という本が目に飛び込んできて読んだ。月が時々このように「偶然」を装って、私に必要なものに出会わせてくれる。おかげで、目を見開かれたように、いろいろな話が結びついて、日本の農業のことが見えるようになった。

     高坂さんが説明してくれた、匝瑳プロジェクトの「不耕起栽培+冬期湛水」田んぼ。それが、岩澤さんの「究極の田んぼ」の中にでてくる藤崎さんから教えてもらったことも分かった。

     都市に住みながら、匝瑳プロジェクトに参加して米作りができるのは、<自然豊かなのに手間もかからず週末で農業ができる>岩澤さんの「不耕起栽培+冬期湛水」によったのだということが、本を読んで手に取るように分かった。自然の力を借りて、「耕さず」「水を冬も落とさない」栽培法! これぞ、自然のもつマジックな力!

    米作りは農家の人が腰をまげ、草取りに汗をかいた時代が長かったのではないかと思う。だから、<農作業は大変!>というイメージが強いと思うが、今は違うのだ。1970年代後半には、田起こし・田植えからイネの刈り取り・米の乾燥までを全部機械で行う機械化が進むことで一変。 一般の慣行農法においても、農業は大変なお仕事ではなくなっていたのだ。 下の表でわかるように、それ故、農業を専業にする農家が3分の1を占めていた1960年から、グラフは右下がり。家族だけで機械や農薬、除草剤で省力化して農業を行い、さらに他の仕事をする兼業農家が圧倒的に多くなっていたのだ。

    あまり、農業に興味がなく、真剣にかえりみたことがなかったが、確かに思い出してみると、昔の田は案山子もいて賑やかで、スズメや鳥や人もよく見た気がするが、今、田が広がる風景に人影をみることはほとんどない。

     

     

     高齢化の波もあり、農家はどんどん減って、現在は企業が乗り出したりするケースもあるようだが、機械が入れない棚田とか、山間の田んぼとかは、収益が上がらず、軒並み耕作放棄地となっているようだ。1985から2010年の間に耕作放棄地は急激に増大して、何と埼玉県の面積と同じになっているそうだ。

     そんな日本の農業。機械化・化学肥料などの導入は、実は農家が機械購入や農薬会社への支払いが負担となり、本当に農家を潤せたのかは疑わしい気もする。さらに、田んぼは、生き物のいない「死んだ田」となり、生産者にも消費者にも健康によいとは思えない薬漬けの農業になっていたと言えそうだ。そんな田んぼに市民も米作りを楽しもうと参加できるだろうか? トラクターやコンバインなど運転できない市民は入る余地がない。そもそも、生き物がいない田んぼでは、市民が行ったところで、楽しみもなにもなく、自然に触れることもできない。

     耕作放棄地でも、畑については近所でも市民農園にしている所が結構どこでも見つかりそうだが、「市民田んぼ」は生まれるはずがなかったのだ。そんな中で、日本の農業の「死んだ田んぼ」が広がる風景と「耕作放棄された田んぼ」の存在。都市に住む人間の自然や土から隔絶した不健康な人々の生活ぶりをみて、<「誰でも簡単に作れ、しかも楽しんで環境にもやさしい米作り」はできないか>と考えたのが岩澤さんだったのだ。

     岩澤さんは成田市の農家の生まれで、工夫が好きな勉強家だったようで、実はスイカの早期栽培で大成功を収めて収入を倍増した経験をもっていた。米作りを始めたのは70年代末から。「耕す」ことは自然にはない「環境を破壊する行為」と気づき、外国で「不耕起」で収穫を倍増している例や、日本で福岡さんが行っていた「不耕起」栽培から学びながら、「誰にでもできる不耕起栽培で米を作る研究」を始めた。

     1年に1回の収穫の米。そう簡単には成果を確認できず、20年以上の月日を要したそうで、成果が結実したのは1990年代になってから。

     耕さないことで、残されたワラが田の水に溶けてイトミミズなど土壌生物が育ち、やがてその排泄物が厚いトロトロ層をなす。それが稲の肥料となり、雑草の発芽を抑え、「肥料や農薬不要、除草いらずの命溢れる田んぼ」を実現した。

     5・5葉まで育てた『成苗』を寒い時期に植える。耕さない土は硬いが、根を張ろうと野生の力を発揮した稲が、逞しく育った。機械に都合のよい「稚苗植え」する「慣行農法」の稲が1993年の大冷害で被害を受ける中、「不耕起栽培」の稲は強さを実証し全国にその名を知らしめたという。

     さらに、1994年には、宮城県田尻市でのマガンを呼び込む観光事業に参加。「冬も田に水を残す=冬期湛水」を導入して成功し、生態系豊かな田がマガンの餌場になり、「蕪栗沼と周辺の田」として、ラムサール条約締結地となった。この栽培法は、機械を使えない耕作放棄地に使えることから、耕作放棄地の再生を促すことができ、機械を買う費用もいらない。農薬や除草剤などの費用もいらず、有害な薬品による危険も伴わない。市民が週末に作業をするだけでも大丈夫な、安心な米作りができるのだ。

     また、機械で耕され地中に埋められたワラは、米作り中の湛水時にメタンガスを発生するのに対し、「不耕起栽培」では発生を抑えて温暖化対策にもなることも分かった。

     耕さず農薬を使わない「命溢れる米作り」。メダカや蛙、鳥たちもやってくる田んぼは、子どもも含めて家族で米作りを楽しめ米作りを可能にしてくれたのだ。この市民も参加できる新しい農業環境保全型農業、しかも自然の力で出費や労力を省き環境にもいい「究極の田んぼ」が耕作放棄地の再生にもなることからか、2008年に岩澤さんは、吉川英治文化賞を受賞している。

     藤崎農場を見て、メダカがたくさんいる田んぼに驚いて岩澤さんの門を叩き、この「不耕起栽培+冬期潅水」の農法を学んだ鳥井さんという今後継者として岩澤さんの始めた自然耕塾の講師をしている方のブログがある。「農を語る」というそのブログを読むと、農業は自然が相手なので、地域で土や気候も違ってくるので、本に書いてあるようにはいかず、試行錯誤の連続ではあるようだが、楽しく命溢れる岩澤さんの農業を楽しむ人達の姿がたくさん見られる。

     この栽培法は、大豆にも活かされ、ネットで「不耕起」と検索すれば、全国で広がっていることが分かる。思い出したが、匝瑳プロジェクトでも大豆を作っていた。<自給率の低い日本が、もし外国からの食料輸入が途絶えても生き残るには主食の米と、タンパク質の大豆を育てることを基本とすべし>というのが岩澤さんの教えなので、高坂さんも大豆も作っていた。自然耕塾という鳥井さんの不耕起栽培の講座も、だから米と大豆のコースがある。

     自然の力を引き出し、機械化や化学薬品を排除し、人々が自然と共生していく農業を見つけ出した岩澤さんの活動を、日本の多くの人に知ってもらい、誇りに思ってほしいと思った。バケツでも米作りを薦めたりもしていたので、まずは、米について知って、いつか自分で食べる米くらいは、どこかで作ってみたいと思う。「究極の田んぼ」(岩澤信夫:著)とても読みやすい本で面白いので、是非読んで見てほしい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨上がりの朝に月がゆっくり沈んでいく姿を楽しめた

2022-03-20 08:13:58 | 惑星・天体ニュース

   雨が降っていて月に出会えなかった夜が明けて、未明に目が覚めました。月が呼んでいるようでした。窓から外を見ると、「やっと見に出てきたんだね。おはよう。もう少しで建物に隠れちゃうところだったよ」とお月様が丸い顔で笑っていました。

   「おはよう。朝にお月様に出会えると元気がもらえる。ありがとう!」

   

    お月様は、よく見るともう欠け始めた姿でした。しばらくすると、1回確かに屋上から建物の後ろに隠れましたが、時間が経つと建物の横から再登場してくれ、今度は電線に近づきながらどんどん地平に降りていく月を楽しむことができました。

        

    梅の花もすっかり開いて、今日は天気も上々。よい1日になるのでしょうか。

    最近は戦争、大きな地震と気分が塞ぐようなことが多いですが、1日1日を大切に生きていくしか方法はありませんね。そして、自分が退場する日まで、誰かのために喜ばれることを積み重ねていきたい。惚けないで、どこまで生きて行けるのか、お月様、どうかうまくいくように見守っていて下さい。

    

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする