23日ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会内でオンライン演説した後、山東昭子参院議長が、会場であいさつした。
「(ゼレンスキー氏が)先頭に立ち、貴国の人々が命をもかえりみず祖国のために戦っている姿を拝見し、その勇気に感動している。一日も早く貴国の平和と安定を取り戻すため、私たち国会議員も全力を尽くす」と述べた。山東氏はウクライナ国旗にならい、黄色のスーツに青のインナー姿で登壇。ゼレンスキー氏に「わが国とウクライナは常に心はひとつ」などと語りかけた(産経ココから)。
ゾッとした。というのも、長期政権になってからの自民党は、「(自分の)命をかえりみず祖国のために戦う」というのが大好きで、国のために命を捨てた特攻隊を賛美するのはもちろんのこと、東日本大震災で、防災無線で地域に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲になった遠藤未希さんのことを自民党の集会で賞賛し、翌2012年には道徳の教材に「天使の声」と題して、使命感や社会へ貢献する心を教える物語として掲載された。これに似たことは、他にもある。
安倍元首相:横浜市緑区の踏切で、倒れていた男性を助けようとして、40歳の女性会社員が亡くなった。男性はケガを負ったものの、命に別状はなく救助された。女性の勇気ある行動への賞賛の声が高まる中、政府は女性に人命救助に尽力した人に与えられる紅綬褒章を授与し、安倍晋三首相が家族に書状を贈ることを決めた。(ココから転載)*香山リカさんの記事も是非読んで下さい!
「命」を賭して特に「国のために」死ぬことを賞賛すること。これは「命」を大切にすることと矛盾しないのか。
ウクライナの侵略者に対する自衛戦の犠牲と、ロシアのように他国を無謀にも侵略した場合のロシア兵や、過去の日本の特攻隊の兵士の死とは違うだろう。侵略戦争は正当化されるべきではないし、遠藤さんにしても、横浜の踏切の例でも、賞賛するよりも、他人を救おうとして亡くなってしまったことは悲劇である、悼むべきことだと私は思う。賞賛して山東さんのように「勇気に感動する」のと、私の感情は違う。どうして、そんな戦争をしかけたのか、ロシアを非難する気持ちと、命をかけて戦わざるを得ない状況の一刻も早い解決を願う。
遠藤さんにしても、遠隔で放送ができるようにしていれば、亡くならないですんだのではないかと悼む気持ちが深い。横浜市の踏切も警報装置が不十分な危険な踏切にも、悲劇と思う。しっかり対策をとって、2度とこのようなことが起きないように学ぶ姿勢こそが重要で、「自己犠牲を賞賛」はちょっと違うと感じる。
ロシア兵もニュースによれば自分たちの任務を認識して出兵したものでなかったり、日本の特攻隊も時代の流れの中で戦争に巻き込まれた犠牲者と言えても、どちらも賞賛する気持ちにはなれない。
多くの人は、ウクライナのニュースをみて、「命」が奪われることへの痛みに胸が潰れる気持ちになっていると思う。だから、私と同様の「違和感」を感じたのではないか。実は、、ココの動画を見ると、自民党の長期政権を支えてきた人々の多くの発言は、どうも違和感いっぱいな発言、山東さんのような「命を賭すことを賞賛する」もの言いが非常に多いことが、たくさん出てくるのに気づくだろう。
長勢元法相、稲田元防衛相:ココの動画の最初から長勢元法相が、<戦後民主主義の「基本的人権」「国民主権」を軽視し、憲法は米国から押しつけられたもので、戦中の「国家主義」に戻さないといけない>と、ハッキリ言っていることに驚かされるはずだ。さらには、稲田元防衛大臣が、「国を守るためには血を流す覚悟をもってしなくてはいけない」と演説しているのも異様な感じで、その時代錯誤な思考に、(時代を間違ってしまっているのでは?)とあなたはびっくりするはずだ。 「個人主義」に対する反感。「家庭」を大切にといういい方、「教育勅語」や「八紘一宇」の言葉まで平気で国会や記者会見に飛び出す自民党の人々。小さな「違和感」の源泉を、しっかり彼らの集会の様子から捉えてみないといけない。その全体像を知っておかなければ、危ない!と認識することになるだろう。
* 長期政権の大臣や要職に就いた人々が勢揃いの創生「日本」東京研修会第3回(H24.5.10) で話されていたこと、ココなら全部見られた。長いがこちらは、そのまま集会そのものを先ほどリンクしたものと違いノーカットで、作為的な字幕もなく見られる。
長期政権の国民を馬鹿にして国会でいい加減な答弁に明け暮れて好き勝手に動かして目指しているのは、時代錯誤の<天皇を元首とした「美しい国」>なのだ。大戦は、資源もなく貧しい日本にとって、やむを得ない戦争だった。だから侵略戦争ではないなどとも言い続けている。
自民党の文科大臣たちの「教育勅語を是認する」発言が続いていることも、絶対に忘れてはならない!
「まさか!」と思う方は、自民党の憲法改正草案で確かめてみましょう(クリックすると、オリジナルで確認できます)。
「天皇を戴く国家」とか、「天皇は、日本国の元首であり」とあるのに驚きませんか? もちろん、「象徴」の言葉は残してありますが・・・。「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」。 ??? 大戦は、「大災害」だったのですか? 下に、長期政権が改正したがっている日本国憲法の前文の同様の記述部分があるので、比較してみましょう。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
今の「日本国憲法」では、戦争の惨禍が「政府の行為」だったこと。だから、主権を国民にすることで、平和な国を築こうとする宣言となっています。あなたは、自民党のこの改正案を読んだことがありますか?是非、下の前文と天皇の項目だけでも、読んで見て下さい。
*日本国民は戦争に巻き込まれただけで、戦争責任はないのか。ウクライナ侵略に、プーチン支持を続けるロシア国民に今回の戦争の責任はないのか。それについて考える必要はもちろんあります。今、軍備拡張をする長期政権をあなたがもし支持してきたとして、将来何か日本が他国に敵基地攻撃能力をつけて侵略したりすることがあった時に責任がないかどうかも。
わたしは、現在の日本国憲法の前文の方が好きです。天皇を元首とする偏狭な「国家主義」や「愛国心」を押しつけられたりする改正案より、国際社会に名誉ある地位を築こうとする日本、持続可能な世界全体の平和を希求しようとする現在の「日本国憲法」の前文の方が、今のSDGsの明るい未来への希望にも繋がると、思いませんか??? あなたは、どちらが、平和を愛する人の立場で書かれていると思いますか?
自民党が「天皇を元首とした時代に回帰しようとしている党」になっていること。「自民党」と名のりながらも「自由」も「民主主義」もない方向へ向かっていること。表で平和を守るとか、民主主義とか言っているけれど、裏では「個人主義」を批判し、「基本的人権」などを無視しするいい方に拍手していること。でも、実際に本性を隠しきれずに、国会でも「八紘一宇」「教育勅語」などを平然と口にし、こんな時代に逆行する憲法改正案を公表していること。多くの人に見て認識して「他の党より、よさそう」などと考えて大丈夫なのか考えてほしい。このような政権を支持する危険に気づいてほしい。
今、ウクライナへのロシアの侵略をみて、「ロシアの嘘のプロパガンダ」の恐ろしさを知ったと思う。それを他山の石として、かつて日本も嘘のニュースを長し続け、今のロシアのように他国を侵略したことを忘れないでほしい。知らなかったら、学んでほしい。
アメリカも、民主主義国家でありながら、ベトナム戦争やアフガン戦争ではどうだったのか・・・なども学び直して、<戦争について自分たちはウクライナを支援し、戦争反対する>と考えるだけでなく、日本は本当に大丈夫なのか。今の日本の長期政権はどんな政権なのかというのをしっかり<自分の国を振り返ってみる>ことが大事だとここでしっかり伝えたい。