今日、図書館でふと惹かれて、和田誠さんの「みんな猫である」を借りてきて見た。本と言っても、最後の「初出」とある3ページ以外、見事に字や説明がないので、本を「見る」が正しい。
でも、絵が語る。そう、世の中で、和田誠さんの絵はなぜか「あっ、和田さんの絵だ!」と分かり、そしてスッと心に入ってきたように思う。
不思議だ。そして、改めてこのように纏めて和田さんの絵を見てみると、いろいろな描き方もあるのに、やはり和田さんなのだ。
ユーモラスなイメージがあったが、そうでない絵も結構あった。文春の表紙はよく見ていたが、特に猫で記憶に残っているのはなかったが、1977年5月から2017年7月に2000号を迎えるまで、和田さんが40年表紙の絵を飾っていたと知ると、全部見たくなって、今度はその完全版があると知り見てみたいな~と思えた。
この和田さんの絵が見たくなる気持ちはどこから来るのか。なぜなのか。
その魅力をさぐりたくなって、ちょっと調べたら、婦人公論jpのネットのココに、ひみつが書かれていた!
和田さんの妻の平野レミさんと、ご夫妻と中のよい阿川佐和子、清水ミチコの3人が和田さんを偲んだ対談が、前編・後編へと公表されていて、レミさんが「和田さんが亡くなってわかったのは、あんまり完璧な夫と結婚しないほうがいいってことかな。だってさ、イヤなところないと諦められないもん」と言っているのを見て「あっ!」と思った。和田さんは、ほんとに人間がどうしようもなく素敵なひとだったんだ。
和田さんがどんな素敵な人だったか、ココを読んでみるのもよいだろう。でも、やはり読まなくてもきっと絵の中に、じ~んとその人間としての魅力がにじみ出ているから、和田さんの絵をみたくなったのだと思った。
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