峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

女房どの

2016年05月14日 | 夫婦

金曜日の午後、女房どのが帰って来た。

向こうにいる時の女房どのは、朝早く起きて和也くんの弁当を作ることから始まり、赤ちゃんの世話を焼き、掃除、洗濯をし、買い物に走り、昼食・夕食を作りと八面六臂の働きをして若い夫婦を支えている。母親とは実に有難い存在だ。

こちらに戻っても、朝食の用意から始まり、洗濯、掃除、買い物、昼食・夕食作り、その他と私を支えてくれている。妻とは実に有難い存在だ。

当たり前のようだが、これは決して当たり前のことではない。だから、感謝と敬意を込めて私は彼女のことを女房どのと記す。

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大切な人

2016年05月10日 | 夫婦

第一子が誕生したばかりの有紀さんと和也くん夫婦をサポートするため、当分の間、月曜から金曜まで女房どのが福岡まで出向くことになった。という訳で、昨日から私の平日の一人暮らしが始まっている。

実際そうなるまでは、全く問題ないと高を括っていたのだが、いざそうなってみて相当に応えている。
よく考えてみると無理もない。女房どのとは何十年もの間、暮らしを共にしてきた。妻であり、恋人であり、家族であり、戦友である。特に、3年前に彼女が早期退職してからというもの、いつも私の傍に居て3度3度の食事の世話から一切合切を面倒見てくれている。

戦争を経験して初めて平和の有難さがわかると言われるが、人は失ってみないことには本当に大切なものに気が付かないのかもしれない。

3番目の天使のおかげで、私にとっての大切な人の存在を痛切に思い知らされている。

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夫唱婦随

2016年04月06日 | 夫婦

一昨日から風邪の症状が出ていたので早目に病院に行くことを考えたのだが、このところ再び抗菌薬の使用量削減の話題がマスコミを賑わせていたのを思い出し、とりあえず自分の中にある免疫力に頼ることにした。

昨夜が最悪だった。喉が痛むし、体の節々も痛んだ。一晩寝て目覚めた今朝も、やはり気分はすぐれない。おまけに、女房どのまで頭が痛くて吐き気がするというではないか。午前中、小学校の入学式への出席が入っていたが、失礼することにした。

私は、いつものように朝食をとったが、女房どのは吐き気がするからと大好きなコーヒーも口にしなかった。朝食後、2人仲良くソファーに横になり、今日1日安静することにした。

午後2時過ぎ、遅めの昼食をとった後、少し楽になってくるのを感じた。女房どのも同様で、夕方、シャワーを浴びるとすっきりした。
これならば、明日の中学校の入学式には行けそうだ。

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深い恩に包まれて

2016年02月24日 | 夫婦

朝方、ここにちょっと書いてと女房どのがメッセージカードを差し出した。明日、和也くんの誕生日だよ。今日投函すれば、ちょうど明日届くからと言う。
カードの半分は、既に女房どののメッセージで埋められていた。
和也くんには申し訳ないけれど、娘の夫の、いや娘たちの誕生日さえ念頭にない毎日を過ごしていると言えばひんしゅくを買うだろうか。

女房どのは、日々の暮らしの中でそのような私が慮ることの出来ないところを、きちんと補ってくれる。特に、離れて暮らす子供たち、孫への配慮は隅々まで行き届いている。

過日、女房どのが2日間かけてあちらこちらへと車を走らせ、大量の食材をそろえ、料理していた。翌日、家族へのラインに
「絵里ちゃん、有紀ちゃん、くうちゃんにゆうパックを送りました。明日の午前中に配達されます。冷凍したお惣菜は、程よく解凍されているいることでしょう。楽しい週末を過ごしてね。」とあった。

それを知った私がその様子を知らせ、母親って有難いねと書き込むと、「ありがとう」「有難いです~。助かります」「ありがとう!明日も仕事になったので本当にありがたいです」とそれぞれ感謝の言葉が並んだ。

私も、母には海よりも深い恩をいただいた。感謝しても感謝しても感謝しきれないほどの有難い恩をいただいた。
そして今、女房どのの深い恩に包まれて私が在る。

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寒い夜は

2016年02月14日 | 夫婦

よく承知はしていないが、今日はバレンタインデー。いつものように、朝、女房どのからチョコレートをいただいた。感謝・感謝である。

さて、このところ、佐世保市の梅ヶ枝酒造で日本酒を求めることが多い。
創業江戸中期という歴史と伝統を感じさせるその店構えは、えも言われぬ趣があり、支払いを済ませ待つ間にお茶が出てくる等のもてなしの心を感じるところも良い。何より酒が美味い。また、希望のラベルを作ってもらえたりするのも良い。
写真は、昨年第68回全日本大学王座決定戦で母校が勝利し、25回目の栄冠を獲得したが、その祝勝会に送った日本酒のラベルに祝いの言葉を記してもらったものだ。

その梅ヶ枝酒造の蔵開きが昨日・今日の2日間行われた。
昨日は、町の囲碁・将棋大会が行われ、行けなかったので今日、出かけることにしていた。昨夜も、佐世保の日本酒バー「タイム」の、梅ヶ枝酒造の蔵開きツアーに頭から参加するか、それとも後半のお店で開かれる日本酒会に参加するか等々、女房どのと相談していた。
しかし、今日になり、いくら飲兵衛の私であっても、この雨模様の寒さの中、全くの下戸である女房どのを付き合わせるのはさすがに気が引け、取り止めることにした。

今日のような寒い夜は、ぬる燗に限る。女房どのが求めて来てくれた名酒・極上黒松剣菱に、女房どのの手料理をいただくことにしよう。

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湾岸道路を走る

2015年12月01日 | 夫婦

昨日は何も予定が入っていなかった。
溜まっているやらなければならないこともあれこれあるが、11月の三十日ということは行き付けの「花さんさん」のメニューが明日から変わるということだ。今月は未だ訪ねることができないでいた。
特に女房どのがお気に入りで、大村に住んでいれば毎日でもお昼を食べに行くのにというほどである。

そんなわけで予約の電話を入れ、午前11時半頃女房どのと自宅を発った。目的地まで1時間ほどのドライブだ。
昨日も好天で絶好のドライブ日和だった。コペンをオープンにして走りたいところだが、女房どのはお好きでない。アルファ159で中里インターから高速に乗り、大塔インターで降りてハウステンボスを右手に見ながら川棚に入ると、右手に海が見えてくる。さらに川棚の市街地を通り過ぎると大きく大村湾が開けてくる。大好きな景色だ。

有紀さん・くるみさんが高校時代を大村の橘香館で過ごしたことから6年に渡りこの湾岸道路を走ったが、「花さんさん」がオープンしてすぐに縁ができ、今またこうして時々、女房どのと穏やかな海原を眺めながら愛車を駆っている。

「花さんさん」は、先日、地元のテレビ局の情報番組でお店が紹介されたこともあり、いつにも増して客が多かった。いつもの部屋に通される。
趣のある古民家の漆喰の壁に気持ちが落ち着く。窓の外に目を転じれば、オーナーによって、よく手入れされた庭の先に穏やかな大村湾の海が南中をわずかに過ぎた太陽の光を受けてきらきらと広がっている。ゆったりとした気分で、しばし美味しい料理に舌鼓を打った。

「花さんさん」を出た後、過日、テレビで紹介されていた例の「黒ニンニク」を販売している店を訪ねてみることにした。
「花さんさん」からほんの5,6分の所にその店はあった。「甘辛cafe鄙HiNa」という変わった名の店で、目当ての黒ニンニクは、皿山直売所に出ている1個入り380円の他に、お買い得感をそそる3個入り1,050円も置いてあり、自家熟成のができるまでのつなぎにとそれを求めた。

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天国の酒場

2015年11月07日 | 夫婦

 3日・文化の日、佐世保カントリー倶楽部で開催された「SAZAオープンコンペ」に出場した。今年で3回目を迎える大会で、117名の参加で賑わった。

午前8時10分、町長と寺崎町議それに北村さんと同じ1組アウトからのスタート、御三方とはたまにラウンドする間柄、好天に恵まれ絶好のゴルフ日和の中、和気あいあいとプレーはできたもののショット・パット共に絶不調で52・57の109と叩いてしまいラウンド終了直後はさすがに気落ちした。
しかし、ゴルフを再び始めるきっかけを頂いた前の口石町内会長で私より10歳年長の荒木さんが37・36のグロス73と並み居る強者を抑え、見事にこの日のベスグロに輝かれ、同時にエージシュートを達成されたのを知り勇気を得た。あまり山に行く時間がないが、練習する時間は取れなくはない。

この日の競技はダブルペリア方式で、私はネット76の75位だったものの回転寿し「ミラクル青葉」さんの2千円の商品券を得ることができた。
このことを表彰式会場からラインで「家族」に送り、今夜食べに行く❓と添えると、女房どのからすかさず大きなVサインの絵文字が返ってきた。

帰宅して早速「ミラクル青葉」さんへ女房どのと出かけた。
このお店、将棋同好会の納涼会・忘年会、それにコンペ後の懇親会と年に数度お世話になっているのだが、女房どのは初めて、思えば、私たちが外で食事をとる場合、大村とか波佐見とか佐世保とか必ず佐々町以外の店となる。

私は酒飲みを自負しているが、女房どのは全くの下戸だ、握りと共に私は生ビール、さらには温燗をいただく。なにせ運転手付だから何の心配もなく飲める。
さて、そろそろ会計をという段になって、女房どのの方から「もう一軒」の声がかかり、私たち両方の親の故郷である平戸の出身の好青年が営むダイニングバー「HEAVEN'S TAVERN」に寄ろうということになった。ここは女房どのも知っている店だ。カウンターに2人並んで座り、私はサイドカーを、女房どのはウーロン茶とチーズの盛り合わせを注文、いつものようマスターとあれこれ話し、最後にジントニックでさっぱりと締め、店を後にした。

 

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東京へ その3

2015年06月19日 | 夫婦

錦糸町駅から後楽園ホールのある水道橋駅までは総武線で5つ目、すぐである。
10分ほどで水道橋駅に着く。ホームの階段を下り、改札口あたりに来ると駅員がハンドスピーカーで何やら懸命に訴えていた。耳を澄ますと、今夜はコンサートがあり、 帰りが混雑すると思われるので、帰りの切符を購入しておくよう案内しているのだ。

改札口を出て驚いた。駅構内から「東京ドームシティー」の方へ向かう道路いっぱい、若い女の子で溢れているではないか。それは、赤信号のため途中横断歩道で途切れるものの、延々、東京ドームシティーの中まで続いていた。

若い警備員に誰のコンサートなのか聞くと、ジャニーズの「ニュース」というグループのコンサートだと教えてくれた。なるほど。ジャニーズの人気ぶりを実感する。開演は午後6時だというのに4時半でこのファンの群れは凄いというほかない。

ドームへ向かう人波から離れ、途中で左へ折れると目指す「ボクシングの聖地」後楽園ホールの建物はすぐそこだ。 

後楽園ホールビルに入り、エレベーターで5階へ上がる。エレベーターを降りると、左手で母校の学生がチケットを扱っていた。OBであることを告げ、ノートに名前を記すとチケットを渡してくれた。
ホールへ入り右へ曲がり、突き当りを左へ進む。左へ折れてすぐの壁面に、ボクシングの歴代の世界チャンピョンの名前がベルトを奪取した年と共に金色のプレートに記してある。
「1952  白井義男」「1962  ファイティング原田」「1963  海老原博幸」・・・。そうそうたる名ボクサーの名前が燦然と輝いている。
その東通路を奥へ進んでいくと喚声が聞こえてきた。事前の案内には母校の試合開始時刻は午後5時頃とあったが、時計を見ると午後4時半を過ぎたばかりだ。前の試合が延びているのだろう。

 

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東京へ その2

2015年06月18日 | 夫婦

チェックインを済ませ、いったん部屋に入り荷物を置いた後、後楽園ホールへ向かうことにした。
女房どのが駅まで送ってくれるというので駅までの道を一緒に歩いた。ホテルから錦糸町駅までの2、3分の間に飲食店が数多く並んでいる。昼食をとっていなかったことから少し空腹を覚えてきている頃だった。時間が時間だっただけに夜の食事のことも考え、軽く麺類でもと女房どのと話しながら歩いているうち、いかにもといった雰囲気のラーメン屋を見つけ暖簾をくぐることにした。

空腹を満たし店を出て駅前の広場まで来ると、若いパフォーマーが数脚の椅子を組み合わせた上に倒立したり、空中高く放り上げた輪っかをロープで受け止めたりといった曲芸を披露していた。
このような場面に遭遇すると、よほど急ぎの用がない限り私の足は自然と止まる。この時も、数少ない観客の半円の輪に加わり彼のパフォーマンスを楽しんだ。

彼らのような路上パフォーマーに共通していて、それはやめておいた方がいいんじゃないかなと思うことが1つある。拍手の強要だ。彼らは、なんだかんだと言って拍手を求める。また、拍手の音が小さいと言っては、繰り返し強い拍手を要求する。そんなに求められなくともいい演技には自ずと手は打ち合わせられる。むしろ、強要されればされるほど高まった気分は急降下する。私が天の邪鬼なせいだからだろうか。
せっかくのパフォーマンスにも、やがていたたまれなくなり輪から離れた。

やがて、女房どのとは改札口で別れ、ひとりJR錦糸町駅から総武線の電車に乗った。

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東京へ

2015年06月16日 | 夫婦

大学時代、ボクシング部で大変お世話になった斎藤先輩が4年前にボクシング部OB会の会長になられたのを機に、年に1度のOB会総会に出席するようになった。

例年、母校の関東大学ボクシングリーグ戦3戦目の翌日に総会が組み込まれている。したがって、母校の応援のために後楽園ホールへ出向くところから上京のスケジュールが始まる。
先輩方と後楽園ホールにて合流し、学生諸君の健闘に拍手を送り、試合終了後は斎藤先輩と特に親しい皆さん方と共に行き付けの中華料理店でグラスを傾ける。
翌日は、午前中から東京在住の友人と会い、昼食をとる。その後、午後から開催されるOB会総会に出席し、懇親会・二次会と先輩方と過ごす。
そうして、翌日昼過ぎに羽田を発ち、夕方、佐々に戻って来る。これが毎年お定まりとなっていた。
昨年まで1人で上京していたのだが、女房どのが退職したことから今回初めて2人で出かけることにした。2日目の友人と会ってたところを女房どのとの東京見物に充てることにしたのだ。

13日土曜日午前7時20分、自宅からタクシーで「佐々バスターミナル」へ向かい、そこから7時49分発の高速バスで福岡空港へ向かう。
9時59分福岡空港着。その後、福岡空港発11時10分の全日空機で羽田へ飛ぶ。羽田到着12時50分。
空港からリムジンバスでホテルへ直行する。およそ1時間で「東武ホテルレバント東京」に到着。今回は東京の下町・浅草周辺を女房どのと散策する予定にして、宿を錦糸町にとった。
午後2時50分頃ホテル到着。ホテルの正面玄関からスカイツリーの異様な姿が迫って見える。

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