峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

次に目指すものは

2006年06月30日 | 町内会長
「峰野宅」掲示板の続きです。
町内会費、回覧板、奉仕作業、出不足金など、しがらみの多い地方的な暮らしか、そこから針は反対方向に大きく振れ、一切のしがらみを断ち切り、隣に誰が住んでいるのかも分からないというような都市型の暮らしか、現在の私たちの暮らしは、そのどちらかを余儀【よぎ】なくされているような気がします。
私たちは、やがて心豊かに生きられる。やがて幸福に生きられるはずだと何となく思ってきました。思わされてきました。ところが、今日のこの閉塞【へいそく】感はどうでしょう。連日、報道される子殺し・親殺し・仲間殺しはどうでしょう。出生率の低下を併せて思うに、私たちは動物学的には滅亡への道をたどり始めているのかもしれません。ありとあらゆることが私たちの暮らしに暗い影を落としています。だれもが、こんなはずじゃなかったと途方にくれています。

さすがのノー天気な私でも、私利私欲に走るだけの変わらない官僚の体質、政治家、既得権益【きとくけんえき】にしがみつく、ほんの一握りの者たちに牛耳【ぎゅうじ】られている東大を頂点とする受験教育制度、それにのっかった社会のシステムと商業主義。さらには、それらに翻弄【ほんろう】され続ける地方自治、地域社会、家庭、小中高校。搾取【さくしゅ】されるばかりはごめんだと御上の目を盗んで、着服・横領・脱税に奔走【ほんそう】し「自分さえよければ…」と刹那【せつな】の快楽に興【きょう】じる私たち。何より、そのような大人たちの犠牲者となり病んでしまっている子供たちを目の前にするとき、絶望感に打ちひしがれそうです。

そこで、私は自らに問いかます。「お前は、どうする」
私は、新しい次なる革命を目指さなければなりません。それは、私自身からの解放を目指す、私の内なる革命です。
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新聞社よ お前もかい

2006年06月29日 | 学校教育
長崎新聞の社会面に「記者の目」という欄【らん】があります。
一昨日、27日は佐世保支社の山口栄治さんという方の「手を上げた先生の胸の痛み」という文章でした。以下のような内容です。

山口さんは高校生の頃、何かにつけよく殴られたそうです。でも「先生の言う通りだな」と思ったそうです。
山口さんは「先生の体罰をマスコミが取り上げることがある。だが、なぜ手を上げるに至ったのか、その原因は詳しく報じられていない。私の場合、自分に落ち度があると感じていた。だから、恨んだり、親に泣きついたりすることはなかった」そうです。
また「保身を考え、見て見ぬふりをしている教師は社会的には問題のない先生。本人やクラス、チームのことを真剣に考えた結果、手を上げてしまった先生は“問題教師”のレッテルを張られる。だから、絶対に我慢するよう指導するしかない」と、県内の公立学校のある校長の話を紹介しておられます。
そして「行き過ぎた体罰は当然許されない。だが、真剣に子どもと向き合う日々で、手を上げてでも伝えなくてはならないこともあるのではないか。その時、一番胸を痛めているのは先生かもしれない」と結んでおられます。

27日の朝、私はこの記事を読んで愕然【がくぜん】としました。問題解決には暴力が一番だと考えておられる方々の、世間でしばしば耳にする、もっともらしい話です。しかし、それを新聞記者の署名記事に見つけるとは思いもしませんでした。
山口さんは、体罰をした先生がなぜ手を上げるに至ったのか、その原因が詳しく報じられていないとお嘆【なげ】きのようです。つまり、生徒の方に落ち度があったならば、殴られても仕方がないと考えておられるようです。
さらに、真剣に子どもと向き合う日々で、手を上げてでも伝えなくてはならないこともあるのではないかとも記しておられます。
山口さんは学校教育法体罰そのものがいけないとされていることをご存じないのでしょうか。

社会の公器と言われる新聞、読者からの投稿を選別し掲載する権力を持つ新聞、その新聞が道理に適【かな】わない記事を堂々と載【の】せています。

ちなみに、当日の朝、長崎新聞社・佐世保支社に電話を入れました。山口さんは不在でしたが、折り返しすぐ電話をいただきました。
電話では、上に述べたことの他に、体罰により体が傷つき、心が傷つく子供たちがいることを知っていただきたい。また、傷つく子供たちがいるのであれば、学校教育に体罰が相応しくないことをご理解いただきたいとお話しました。さらに、不幸の悲劇のキーワードが暴力であることも。だから、どんな暴力もみとめてはいけないことも。
山口さんは「貴重なご意見を有難うございました」と言われました。
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小さな頭が一杯だ

2006年06月27日 | 暮らし
きょうも朝からいろいろと考えさせられることがありました。ここに記すには、少し整理する時間が必要です。
今、夕食をとっています。また、書きます。
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手間隙【てまひま】を惜【お】しまない

2006年06月26日 | 町内会長
きょうは午後7時から2時間弱、2ヶ月に1度の班長会を開きました。そのための簡単なレジュメを作るのに半日費【つい】やしました。

明日から佐々中の期末テストです。土曜・日曜は朝9時から夕方5時まで教室に張り付いていました。

班長会ではいろんなことを話し合いました。採り上げたいことがいくつかありますが、10時過ぎにシャワーを浴び、ビールをいただき、今、パソコンに向かっています。あぁ、上のまぶたが重たく、意識がもうろうとしています。これ以上は無理です。今夜はこれで失礼します。
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自分を育てる

2006年06月25日 | 父親と子
有紀さんたちの学年が卒業した後、しばらく塾生に短歌作りを促していませんでしたが、先月から再び塾生に勧めています。
有紀さんと同じ学年で、小佐々から3年間通って来てくれていた嶋崎くんという男の子が、高校2年になった今、短歌を作り始めているというのを、彼のお母さんから伺ったことが刺激となりました。

くるみさんが昨日作った短歌2つです。
   ・テスト前首長くしてチャイム待ついつもと違う友との下校
いつも部活動を終えて帰宅の途に就【つ】くくるみさんですが、テスト前になると部活動がいっせいに停止になります。そのおかげで、日頃一緒に帰れない友だちと帰れるというのです。何が楽しいといって、友だちとの交わりが一番のようです。

   ・やわらかな葉の上にのるカタツムリ見て思い出す去年の私
ちょうど去年の今頃、くるみさんは、とても苦しい日々を過ごしていました。そういえば、あの学校も中高一貫校でした。時々、辞めてよかったねと話すことがあります。少なくとも、友だちは佐々中の子供たちの方が付き合いやすいようです。

1週間ほど前になるでしょうか、その中高一貫校の教頭先生が生徒募集のポスター等をお持ちになられました。お出でになりにくかったと思いますが、少子化で生徒数が激減する中、私立の学校は生徒を確保するのに必死なのでしょう。

私は塾生にしばしばこう言います。「中学生になったならば、あなたを方を育てるのは親でも教師でもない。あなた方を育てるのは、あなた方自身なんです」と。
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私たちは とんでもない過ちを犯している

2006年06月24日 | 学校教育
子育て、妻任せの家庭が8割超…家庭動向調査で判明 (読売新聞) - goo ニュース
私たちは、もっと話し合うことが必要です。語り合うことが必要です。手間隙【てまひま】をかけ、語り合う場をつくる必要があります。金儲【かねもう】けなどに現【うつつ】を抜かしている暇などないのです。そのことで、たとえば立場が異なっていようと互いをよく理解しあうことができるようになり、つまらない誤解をしなくてすむようになり、暴力を振るわなくてすむようになるはずです。

村上ファンドの村上容疑者が逮捕直前の記者会見で「金儲けは悪いことですか?」と記者に問いかけたとき、居合わせた記者はだれもそれに答えることができませんでした。彼のあの問いかけに窮【きゅう】するところに私たちの社会の混迷がみてとれます。
私たちは、だれもがどこかで村上容疑者的な在り方を肯定しています。そして、それを村上容疑者もよく承知しているのです。「みなさんが私を嫌いになったのは、むちゃくちゃ儲けたからでしょう」という言葉にそれが表れています。検察も私たちも、そう思っているのです。つまり「出る杭【くい】は打たれる」くらいにしか捉【とら】えていないのです。したがって、村上容疑者は悪いことをしたという思いなど微塵【みじん】も無いはずです。それは「聞いちゃったと言われれば聞いちゃった」「違法かどうかは解釈の問題」という言葉によく表れています。ホリエモンも同様でした。

ホリエモンも村上容疑者も、私立の有名中高一貫校から東大というコースをたどっています。
国によって農業が切り捨てられ、大資本によって地方の隅々までの商店が立ち行かなくなってしまいました。家業を継ぐことができなくなった大多数の若者も、いきおいサラリーマンを目指すことになります。サラリーマンになるならば「きつい・汚い・危険な仕事はいやだ。働く時間が短くて、少しでも給料が高くて、福利厚生が十分整っている会社に入りたい」そう思うのは人情でしょう。
しかし、それが本音なのだからと多少の後ろめたさを覆【おお】い隠し、「きれいごとを言うな」と、大多数がなりふり構わず、学歴社会の頂点である東大を目指すようになってしまったところに今日のさまざまな問題の根っこが間違いなく1本あります。
「まじめ」がねじれてしまっているように、「本音」と「建前」もねじれてしまっています。「あの人は建前ばかり言う」「本音で話そう」などと使われます。これは建前を言うのは駄目で、本音を言うのがいいんだという社会通念によるものです。しかし、それは本当でしょうか。堂々と建前を述べる勇気を私は失いたくありません。

それはさておき、たしかに、いわゆるいい大学に合格するためのシステムとして中高一貫は適【かな】っています。広く知られている通り、あの東大の合格者数の上位をずらり私立の中高一貫校が占めるようになったのは20年ほど前ころからでしょうか。少なくとも、大学受験に関して、中高一貫のシステムの優位性が明確になったことで、国もなりふり構わず、総合選抜・学区制を棄【す】て、私立のシステムを真似【まね】して数年前から各県の主要な地方都市に中高一貫校を作り始めました。長崎県にも2校でき、その1つが佐世保市にあります。
そのことで、佐世保市民は、かつて経験することのなかった中学受験戦争の洗礼【せんれい】を受けることになりました。大久保小学校の事件にこの受験戦争の影は落ちていなかったのでしょうか。大変気になるところです。

家事も育児も妻に押し付け、地域での役割も果たすことができないほどの今の私たち夫・父親の働き方は問われなければなりません。なぜなら、自分だけの幸福、自分の家族だけの幸福、自分の会社の従業員だけの幸福などというのはありえないことなのですから。
産まれてきた人間の成長を間近で興味深く見守ることが出来ない。あるいは、かけがえのない人の成長に添【そ】うことが出来ない。あるいは、支えを必要とする人の要求に応えられない。それらを打ち棄【す】ててまでして儲【もう】けるために働かなければならないのであるとすれば、金儲けは悪いことに違いありません。

以上の文章は、6月12日に途中まで記し、ワードに保存していたものです。
タイミングを失し、そのまま日の目を見ない文章がほとんどなのですが、このたびの奈良の高1・16歳の少年による家族3人の放火殺人容疑の事件で、逮捕された少年の思いが伝えられるにつけ、上記の文章を思い出しました。
村上容疑者・ホリエモンの問題と今回の事件は直接結びつくものではありませんが、問題の根っこにあるのは同じです。キーワードは「暴力」・「不信」・「お金」です。

有名私立中高一貫校は東大と国公立大学医学部に何人合格させたかがすべてと言っても過言ではありません。入学者全員に東大合格を目指せと檄【げき】を飛ばす学校もあるほどです。
そのレールに上手く乗ったように見えた子も、乗りそこなった子も大きな罪を犯すことになってしまいました。
ホリエモンもホリエモンの父親も哀れです。奈良の16歳の少年も、少年の父親も哀れです。誰も浮かばれません。

私たちは、私たちの社会は大きな過ちを犯しています。
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ノンビリ ゆっくりと

2006年06月23日 | 夫婦
きょうは月に1度の地域デイサービスでした。
地域デイサービスというのは、これまで山あり谷ありの人生を歩んでこられた町内会のご高齢者の皆さまにお集まりいただき、ボランティアの方々の手による温かいお昼ごはんを食べていただきながら、お仲間とゆっくり半日を過ごしていただこうというものです。

梅雨たけなわのきょう、朝から大雨でした。
ようやく掲示板への書き込みが済んだ深夜3時過ぎ、女房どのが居間に起き出してきました。ワールドカップ・サッカー、ブラジル対日本戦を見るというのです。
しばらくして、くるみさんも2階から降りてきました。昨夜、早く教室を出たなと思っていたら、この日に備えるためだったようです。



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私は こうする

2006年06月22日 | 町内会長
来週日曜日、『ごみのない美しい佐々町づくり』をスローガンに全町内会・全町民挙げての町民大清掃が実施されます。
それに関する書類を書き上げ役場を訪ねました。書類を福祉保険課に提出した後、2階に上がり建設課にまわりました。私たちの町内会で維持・管理している国道沿いの花壇の花の植え替えについて担当の橋本さんと打ち合わせをするためです。
こちらの都合で、植え替えの日にちを二転三転させて橋本さんにはご迷惑をおかけしましたが、最終的に7月1日に苗の準備をしていただくことになりました。

建設課の向かいが広報課のブースになっています。かねてより、広報課の中道さんに町内会の人たちが花壇の手入れをしているところを取材させてほしいと依頼を受けていました。
そのことを思い出し、中道さんに7月1日に花を植えますからと伝えると何時から始めるか聞かれました。時間までは決めておらず、後日連絡しますと言うと、ブログに書くのだろう。ブログを見るからと言われました。

以前、町内会長会旅行の折、私たちの町内会には人の知らないところで町内会のために尽くしておられる方がいらっしゃるという話をしたことがありました。
すると、そんないい話こそ広報誌に採り上げるべきだという声が上がり、広報誌を担当しておられる中道さんが話を聞きに来られたことがありました。その際、いろいろお話しする中でブログの話をしていたのでした。

たまに、「俺は、何のためにわざわざ時間を割いてブログなんて書いてるんだろう」と思うことがあります。好きでやっているのに、ふとそんなことを思ったりします。人間という生き物はやっかいです。
しかし、こんなことがあると心の中のもやも、たちどころに解消です。いい加減なものです。

役場を出た後、近くのナフコまで足を延ばしました。地域デイサービスで料理を作っていただくボランティアのみなさんが、台所で休憩なさるのにイスがないということを聞いていました。明日の地域デイサービスでは、お皿を洗った後、しばしゆっくりと休んでいただこうと丸イスを求めました。
ついでに、町民大清掃の際に各戸に配る軍手120組も購入しました。
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町内会日帰りバス旅行

2006年06月21日 | 町内会長
きょう、町内会のみなさんと共に「伊万里温泉・白磁の湯」まで出かけてきました。
今年初めて取り組んだ町内会の日帰り旅行です。お天気が心配されましたが、きょう1日もってくれました。

午前9時半、迎のバスで西町を出発しました。10時20分、伊万里の秘窯の里・大川内山到着です。
大川内山は、その昔、佐賀鍋島藩御用窯として栄えた所、現在30数軒の窯元がその伝統を受け継いでいます。1時間ほどかけて窯元を訪ねました。みなさん、各々お土産を求めておられました。私も風鈴【ふうりん】と根付を求めました。

11時半頃伊万里温泉到着、早速ひと汗流しました。12時半から昼食です。豪華に会席膳です。お風呂上りのビールはいつだって最高です
用意していただいた大部屋で食事をゆっくりとっていただき、おしゃべりをしたり、お土産を求められたり、ゴロンと横になられたりと、みなさんくつろいでおられる様子でした。

そうして、命の洗濯をしていただいた後、午後2時半伊万里温泉を出発、午後3時半頃、無事に佐々町に帰ってくることが出来ました。

きょうまで、計画から下見、回覧を回した後の参加者の集計、伊万里温泉との打ち合わせ・参加者の最終確認、その他の連絡調整と追われてきました。申し込みを締め切った後も、前日の参加取り消しが2件ありました。ふう~

きょうは添乗員さんの気持ちがよく分かりました。帰宅して1時間ほどは疲れが出て、横になっていました。

でも、みなさんに喜んでいただいたので1時間横になれば、もう何ともありません。
また、みなさんに喜んでいただけることをやりたいと、フツフツと闘志が湧いてきています。
きょう、早速思いついたことがあります。「敬老祝賀会」です。町主催の形式的なものでなく、町内会のご高齢者を町内会のみんなで心を尽くしてお祝いをするのです。
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おふくろさん

2006年06月20日 | 家族
佐々町は梅雨の中休みでこのところ晴天が続きました。
きょうは思い立って午前中、草刈りをすることにしました。
いつものように、お隣の平島さん宅のお庭からです。お隣との境界、奥の方はブロック1段の高さです。いつものように、断りもなしに裏庭から入って行き作業をはじめました。
いつものように、しばらくすると平島さんが挨拶に出てこられます。いつものように言葉を交わし、どんどん作業を進めます。なにせ、平島さん宅の和風庭園は広いのです。
ようやく一段落ついたとき、役場の広報無線がお昼を知らせました。タップリ2時間かかりました。

結局、午後は他の用事をしなければならず、我が家の庭は後日ということになりました。
もう1軒、90歳を過ぎるご高齢者のお宅の庭が気になっています。

平島さん宅の庭の草を刈りながら、おふくろさんの家に顔を出していないのを思っていました。おふくろさんは、我が家から車で20分ほどの距離の隣町に住んでいるのですが、もう1年ほど行ってないでしょうか。おふくろさんの顔もずいぶん見ていません。
時々、電話をして元気でねと言っています。おふくろさんは80歳を過ぎましたが、まだまだ元気です。へたな心配をするとご機嫌斜めになるほどです。

だから、私のような者の力でも必要とされる方のお役に立ちたい。そう思っています。おふくろさんも、それを喜んでくれています。
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