峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

壊れていくもの

2009年06月30日 | 暮らし
鳩山代表への偽装献金90人・2100万円…責任認め陳謝(読売新聞) - goo ニュース

自身の政治理念実現のチャンス到来とばかり、機敏な行動に出た東国原さんに対し「宮崎県の宣伝マンとしての活躍は大変すばらしいものがあったが、果たして国会議員にふさわしいかどうかはコメントする状況ではない」と民主党の鳩山代表が冷ややかに語ったことを先に書いた。

その言葉を取り上げた際、民主党も自民党と変わりはしないというのがよく分かる発言だと指摘したが、まさかそれがすぐに証明されることになろうとは思いもしなかった。
このようなデタラメなことをやっている鳩山由紀夫さんという方は、果たして「国会議員にふさわしい」のだろうか。

メディアに出ている評論家やコメンテーターは、依然として東国原さんに対して「品がない」「思い上がっている」「元お笑いタレント」「自分を高く売ろうとしている」「経験が足りない」「結局、国会議員になりたいんだろう」等々と、どこまで蔑【さげす】めば気がすむのだろうというほどだ。

しかし、それがどうした。
確かに、鳩山代表は一見、品がありそうで、謙虚そうだ。元大学助教授だし、経験豊富で、おじいちゃんの代から一族国会議員だ。
しかし、その非の打ち所のないような人の資金管理団体、その名も「友愛政経懇話会」が、すでに死亡した人や実際に寄付をしていない人を「寄付者」と偽って記載していた。

麻生首相や鳩山代表のおじいちゃん始め、今の多くの国会議員のみなさんの親兄弟一族は、官僚・資本家とつるみ、国民を欺【あざむ】き、そして利用し、国の政治をご自分たちだけが利益を得るための都合のよい仕組みに実に見事につくり上げてきた。

企業献金問題で味噌をつけた小沢代表代行だったが、あとを受け継いだ鳩山代表は個人献金で躓【つまず】いた。同じ穴の狢【むじな】だったということか。やはり、2人は自民党の出だ。

自民党・民主党同様、私たちの国の大都市から小さな町まで、組織という組織に既得権益を持った古い人たちが居座り続けているが、そこを突き崩さないと、百年経っても庶民の暮らしはよくならない。
その思いで東国原さんは動いたと思うのだが、ここは彼を信じたい。なぜなら、彼は「元お笑いタレント」だからだ。

私は政治家よりも、お笑いタレントが信用できる。
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命が輝くとき

2009年06月29日 | 学校教育
〔長崎県のすべての公立学校では、平成21年5月から7月の間のいずれかの1週間を「長崎っ子の心を見つめる」教育週間として、教育活動を公開し、保護者や地域のみなさんと子どもたちとの交流を行います。ぜひお近くの学校にお出かけいただき、「心豊かな長崎っ子」を育んでいただければ幸いです。〕

これは、長崎県教育委員会のHPに掲載されている「『長崎っ子の心を見つめる』教育週間」についての案内文章だ。文字図【もじづら】だけ読んでいると、どんな素晴しい教育が行われているのだろうかとワクワクするほどだ。

女房どのの勤める学校でもその「教育週間」とやらが始まった。
今夜は、担当の地区の懇談会に出席してきたらしい。帰宅は午後9時頃だった。

シャワーを浴びた後、遅くなったからと食事もとらず、すぐに持ち帰った仕事にとりかかっていたが、まもなく突っ伏した。
こちらは、ブログを記し始めたところだったが、見過ごせずマッサージを施【ほどこ】した。

近年、地域で子供を守ろうとする動きが高まっている。子供の登下校に付き添う保護者や地域の高齢者たち。危険な所をチェックし、監視の目を光らせる。
隣町では小学校の下校時間になると、広報無線でその旨の案内がなされる。
子供たちにとって、まさに受難の時代だ。

あれは、私が小学生の3,4年生の頃のことだ。1人での帰り道、途中でお腹が痛くなった。便意を催し、家までもちそうにない。そこで繁みに飛び込み用を足した。もちろんポケットティッシュなどというシャレた物などなかった時代だ。手近にあった葉っぱで拭いた。

スッキリした私は、通学路に戻り何事もなかったかのような顔をして再び家路に着いた。
図々しくなった今だからこそ、こんな話も公表できるが、3,4年生の少年にとっては命と引き換えにしてでも守らなければならない恥ずかしい事柄だった。

また、中学の3年生の頃、やはり学校からの帰り道、当時、思いを寄せていた女の子の後ろをずっとついて帰ったことがあった。淡い恋心なんて、恥ずかしさの塊みたいなものだ。

死んでしまうと思うような危険な目にも何度かあった。いずれのことも友だちならまだしも、大人になんて知られたくなかった。
あの頃、親や大人は適度に子供をほったらかしておいてくれた。そのおかげで「心豊か」に育ったかどうかは疑問だが、誇りだけは失わずに生きてこれた。

本来、子供は子供たち同士の遊びの中から社会性を身に付け、だれにも干渉されず一人きりの世界に浸ることで自己を確立させ得る。
そのことを考えるとき、むしろ親や大人の目は邪魔になる。
子供というのは、親の目の届かないところでさまざまな経験を積み重ね成長していくものなのだ。悪いことも、危険なことも彼ら自身の命が乗り越えていくものなのだ。
そして、そのときしか彼らの命がキラキラと輝くことはない。そのことを私たち大人は心に留め置きたい。

学校が良い子を演出し、子供が良い子を演技し、みんなが萎縮し、くたびれ果ててしまうような「教育週間」って、いったい何だ。

16,5-17,8
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父の日のプレゼント

2009年06月28日 | 父親と子
研二くん・絵理子さんの結婚披露宴が行われた日から今日でちょうど1年、2人だけでなく2人の家族にとっても今日は記念の日だ。

ちょうど1週間前の先週日曜日は、私たちの町の町長・町議選の投票日だったが、同時に「父の日」でもあった。

昼間、研二くんと女房どのから父の日のプレゼントが届いてるよと女房どのからメールが入っていた。
夜、いったん帰宅した時、楽しみにしていた荷を解くと上下のジャージが出てきた。「これを着て、ウォーキングに励んでください」とのメッセージが添えられてあった。

さっそく身に付け、女房どのに記念写真を撮ってもらった。それが上の写真である。

我ながら、いかにも嬉しそうだ。
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煙草の煙

2009年06月27日 | 暮らし
ご縁のある方が叙勲の栄に浴され、今夜、その記念祝賀会が開かれ、出席してきた。瑞宝双光章という勲章らしい。

100人ほどの方がお祝いに駆けつけておられたが、あちらこちらの関係でお世話になった、また、なっている方のお顔があり、2時間ほどの歓談を楽しんだ。

ただし、会場内は喫煙が許されているようで、それが気になった。
旧知の間柄の2人が私を挟んでプカプカやるのには閉口した。
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善意の発露を求めて

2009年06月26日 | 町内会長
きょうは、町内会のご高齢者のための月に1度の「地域デイサービス」の日だった。
いつものように朝8時半に集会所を開け、準備を整えることからその日が始まった。

時計の針が9時を回る頃からボランティアのみなさんが集まって来られる。
田中さんが季節の花をたくさん抱えて見えた。田中さんは、毎回、ご自身で育てておられる花を惜しげもなく持参される。

木下さんからはたくさんのジャガイモとサヤエンドウをいただいた。木下さんご夫婦はお2人とも会社勤めのかたわら農作物を作り、町内2ヵ所のスーパーに出荷しておられる。その一部を時々、町内会の行事・活動にあわせて提供していただいている。

みなさんの善意が寄せられてこその自治活動だ。私の役割の1つは、そんなふうにみなさんの善意が発露しやすいような雰囲気・環境を醸【かも】し出すことだと心得ている。

昼食に、ボランティアのみなさんの心のこもったご馳走をいただいた後は、町の社会福祉協議会から出向いてこられたヘルパーさんの出番だ。お2人の進行で軽い運動をしたり、折り紙でアジサイを作ったりした後、カラオケタイムとなる。

私たちの町内会のご高齢者のみなさんは控え目で、1度マイクを握ったら離さないなどという方はいらっしゃらない。そんなわけで、勢い私にお鉢が回ってくる。

ヘルパーさんが何も言わず私にマイクを差し出すと、五木ひろしさんの「長良川艶歌」のイントロが流れ出してきた。
断っておくが、別に私がこの歌を好んで歌っているわけではない。ヘルパーさんの好みなのだろうが、この方は決まってこれを私に歌わせようとする。
それでも決して嫌いじゃないから、気持ちよく歌ってしまうのがいいのか悪いのか。

それでまた、この方は褒め上手なのである。私が歌い終わると、しきりに「上手~!」を連発し「佐々町中のデイサービスを回るけど、峰野さんの歌の上手さは1番か2番ね」と持ち上げる。もう、何度も聞いた。
ただ、佐々のデイサービスの中で、しかも1番じゃなく、1番か2番というのが微妙に引っかかる。

しかし、もう1曲歌ってというアンコールに、なんだかんだいってこちらも調子に乗り「じゃあ、『I love you』、尾崎豊の」な~んて、その気になっちゃったりして。
あ~ぁ、どうだろう、この軽薄さ。もう情けない。

そうやって、みなさんと午後3時近くまで楽しく過ごした。

後片付けして帰宅した後は、午後7時からの定例班長会に備え、レジュメ作りに励んだ。
ゆっくりする間もなく、すぐに午後7時だ。
塾生が来ているので班長会を早く終わらせたいのだが、なかなかそうもいかない。いろいろ語り合うべきことがある。
塾生には、8時頃まで自習をしておくよう教室に張り紙をしてきたが、結局、班長会を終えたのは8時半近くだった。

大急ぎで後片付けし、戸締りをし、下駄をカランコロン鳴らして我が家へと急いだ。
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関耕二町長が去る日

2009年06月25日 | 町内会長
現町長の任期が今日までということで、町内会連合会長・副会長の3人で労を謝するため役場に町長を訪ねた。

町長は1期4年を務め上げられた。もちろん、2期目を目指しておられたが、健康面で不安があり、引退を決意された。

実は、4月に行われた合併協議会設置の賛否を問う住民投票の直後に次の町長選には立候補しない旨お聞きし、後継について意見を求められていた。

その後、後継候補者が決まるまで紆余曲折【うよきょくせつ】あったが、結局、彼を支えてきた副町長に落ち着き、選挙の結果、副町長が当選を果たした。

自分の政策が継続して実行されることで心安らかなのだろう、この日の町長の表情は、ことの外、穏やかだった。

町内会で行事・活動を行う際には、町長に欠かさず招待状を差し上げた。町長はそれに応え、必ず出席してくださった。
敬老祝賀会では、町内会のご高齢者のみなさんと共に唱歌を歌われ、「もちつき祭り」では町内会の青壮年のみなさんに混じって杵【きね】をふるわれた。

大いに議論もさせていただいた。
町長は、すぐに激昂【げっこう】するとの評判があった。実際、そんな場に居合わせたこともあったが、それはそれなりの理由があった。決して、闇雲に当り散らすような人ではなかった。

あるとき、町長と合併問題について議論していて、話の流れのなかで「卑怯【ひきょう】ですよ」と申し上げたことがあった。しかし、彼は激昂するどころか、それならばと、あたためておられた構想をお聞かせいただきさえした。

いろいろある。しかし、今は「有り難うございました」しかない。

61,4-16,9
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チャンス到来

2009年06月24日 | 暮らし
東国原氏への要請「党決定でない」=「こけにされた」の声も-自民(時事通信) - goo ニュース

いったいどうしたというのだ。よってたかっての東国原さんバッシングは。

自民党のみなさんの見当違い・ズレは、お話にならないとしても、伝えられた民主党幹部の発言もひどい。
「宮崎県の宣伝マンとしての活躍は大変すばらしいものがあったが、果たして国会議員にふさわしいかどうかはコメントする状況ではない」
鳩山代表は、こう語っている。暗に東国原さんを小馬鹿にしているとしかとれない言葉だ。
「自民党の値打ちがそれだけ下がったということ。古賀さんもなめられたものだ」とは、岡田幹事長の言葉。やはり、東国原さんを不当に見くびっている。

民主党も、自民党と変わりはしないというのがよく分かる大幹部2人の発言ではある。

マスメディアも悪意に満ちた表現で叩いている。
キャスター・解説者・コメンテーターのほとんどが「分を知れ」「のぼせ上がっている」「元お笑いタレントが」等々と、口をそろえて非難している。ついこの前まで、あんなに持ち上げていたというのに。

私は、きょうの午後の東国原さんの記者会見を聞き、共感を覚えた。
新しい風を吹かせてほしい。
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終わりの始まり

2009年06月23日 | 暮らし
自民、東国原氏に衆院選出馬要請 「総裁候補に」と逆提示(共同通信) - goo ニュース

東国原さんは、沈みかけている船に本気で乗ろうというのだろうか。
「自民党に変わってもらいたいから」と彼は立候補の条件提示の理由を語っている。

東国原さんの逆提示についてコメントを求められた自民党の古い代議士たちは、一様に気色【けしき】ばんでいた。
しかし、沈みかけた船を持ち直したいのならば、三顧【さんこ】の礼を尽くしてでも東国原さんを総裁にするぐらいの覚悟が必要だろう。
変革は、いつだって外からの働きかけによってなされてきた。

自民党に、必ずしもその可能性がないわけではないように思う。それは民主党幹部の、その動きを牽制【けんせい】するかのような反応ぶりに表れている。まったく、古賀さんのしたたかさには舌を巻く。彼のような政治家たちが戦後の日本をつくってきたのだ。

しかし、国民は自民党丸が持ち直すのを決して望んではいない。
政府・自民党に対する国民の鬱積【うっせき】した感情は、どこかに爆発のための化学反応を求めている。
もし、自民党という政党が国民にとって真に必要なものならば、一度、木端微塵【こっぱみじん】になったところから再生するほかない。

今が一番悪いのだから、もう少ししたらだんだん良くなる。終わりが始まっている。
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民意は佐々町独自の自治

2009年06月22日 | 暮らし
昨夜、立会人の仕事を終えて帰宅した後、そそくさと夕食をとり、選挙速報を聞きに、よく意見交換させていただいている町議候補の選挙事務所を訪ねた。

午後8時45分から開票が始まっていた。最初の速報は午後10時、すぐに開票所で開票作業を固唾【かたず】を呑んで見守っている支持者からケータイに報告が入る。
事務所には20名ほどの支持者が集っていたが、候補者の当選はみなさん確信している。候補者も含め、みなが気になっているのは町長選の行方だった。

やがて10時、町長選・町議選とも、この時間までの開票では同数だ。
先の住民投票では合併反対がわずか76票上回るという結果だっただけに、単独派候補の優勢が言われていたが、僅差も考えられないことはなかった。

ああだ、こうだと話しているうちに10時半になった。2回目の速報が入る。町長選・町議選共に票に差が出始めた。
町長選は単独派候補がわずかにリードしている。その数字を見て、みなさん喧々諤々【けんけんがくがく】、次第に興奮の度合いが高まる。

そして11時、町長選・町議選共に最終的な速報が伝えられた。
それは、だれもの予想をはるかに上回るもので「当面単独」を主張した前の副町長の圧勝だった。2千票強もの大差がついていた。
町議候補者も危なげなく当選を果たした。

その後、喜びに湧く事務所に初当選を決めたばかりの新町長となる古庄さんが後援者と共に挨拶に見えた。
彼の助役から副町長時代、町内会長として議論を交わし、大変な理解もいただいている。
町長選の争点となった合併問題に関しても、ほぼ同じ立場だ。みなさんに混じり、私も祝福の握手を交わした。彼の目は感激で潤んでいた。

古庄さんが去った後も、当選した町議を囲んで話は尽きない様子だった。時計を見ると、とうに午前0時を回っている。私はお先に失礼することにした。
町議にその旨伝えると、彼は「あの話、すぐに始めましょう」と、それまでの当選の喜びに緩んだ顔から、きりっとした表情になって言った。
間抜けなことに、私はピンとこず「どの話ですかね?」と返したが、かねがね話し合っていた、議員と町内会長が同じ研修を受けたり、議論しあう場を設けようという話だった。
分かりましたと応え、固く握手して彼の事務所を後にした。

今回の選挙の結果、私たちの進むべき道はハッキリした。きょうからは、佐々町単独の自治を町民みんなで考え、実践していかなければならない。
私たちは覚悟を新たにする必要があるのだ。たとえ、これまで佐世保市との合併を訴えてきた人たちも同様だ。それが民主主義だ。

新しく町長になる古庄さんは「新生佐々を創る」「住民の声を尊重し、県北一のまちづくりを進める」と公約した。その心意気やよしだ。決して忘れることなく、トップリーダーとしての役割をきちんと果たしていただくよう求めていきたい。

61,3-16,5
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長い1日

2009年06月21日 | 町内会長
きょう、私たちの町の町長選・町議選が行われた。
私は、第3投票所の立会を務めることになっており、午前6時40分には投票所に着いていた。

開場が午前7時、それから延々13時間パイプ椅子に座り通しだった。閉場が午後8時、それから投票管理者と共に投票箱を開票場へと送致。事務手続きを経て帰宅したのが8時半頃だった。

投票立会の役割を担うと、中学・高校生の頃の授業時間を想い出す。いっこうに時間が経たず、いつも時計ばかり見ていた。
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