峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

だから面白い

2015年11月30日 | 佐々町町内会連合会長

私の暮らす町内会に隣接する国道沿いの花壇を当町内会で管理し始めて10年以上になる。その中心を副会長が担ってくれている。春から秋に向けて咲く花と、冬の寒さに耐えて咲く花とを年に2度植え替える。

昨日、冬の花の苗を植えた。今年の春の植え替え時に子供会の協力を得ることができた。今回もと、事前に子供会の会長である森山さんと連絡を取り、副会長と森山さんの都合に合わせてこの日に決めた。森山さんの熱心なお世話で子供会から大人5名・子供9名の参加を得ることができた。

私の方は当日、江迎中学校体育館で午前9時から開催された江迎警察署管内の防犯協会連合会主催の少年剣道大会に連合会会長の代わりに出席しなければならず、後を副会長と森山さんに委ねて午前8時20分に家を出た。

大会には県北全域から小中学校の少年・少女剣士達が大勢集まっていた。来賓も県議・市議・警察署長他、佐世保市役所の各支所長等たくさん見えていた。防犯協会連合会からは私の他に江迎町と鹿町町の理事2名が出席した。
ところがだ、開会式が終わるや否や1人帰り、2人帰りと午前中にみなさんお帰りになられてしまった。防犯協会連合会のお2人も用事があるからとそそくさと帰られた。

何とか大会というようなのは大体こんなものだ。そもそも、この大会の名は「防犯少年剣道大会」となっているが、防犯協会連合会が助成金を出していることによるものだろう。防犯協会の役員会・総会で、いつから、どのような経緯で防犯協会がこの大会に助成金を出すようになったのか何度か質したが、事務局・古参の役員から明確な回答を未だ得らていない。

とにかく、名ばかりとは言えど主催は防犯協会連合会であり、会長の依頼を受け助成金を届けた身としては途中で帰るわけにはいかず、冷え込む体育館で1人ぽつんと子供たちの気迫こもった戦いを見守っていた。

正午までに個人戦が終了したところで関係者の方が弁当を手に寄って来られ、どうなさいますかと言われるので、この席でいただいていいんですかと答えると、よければ暖かい部屋で審判の方と一緒にどうぞとおっしゃる。どうやら、昼までで帰るのだろうと思われたらしい。
その部屋に通され弁当をいただき始めたところへ佐々町から子供たちを引率し、また審判も務めている役場勤務の上野さんがやってきた。彼は、長年佐々の子供たちの剣道の指導にあたっている。有紀さんとくるみさんは、中学生時代に剣道部に所属していたが、彼のお世話になった。あれこれ話しながら昼食を共にした。

昼食を終え、再びいくつもの空席の中央に1人座ろうとすると、端の方の席で実質の大会運営をしておられる剣道関係者の方から、こちらに来られませんかと声をかけていただいた。促されるまま隣に座らせていただき名刺交換を行う。声をかけてくださった方は審判長を務めておられた。

何時頃まで居るのか問われたので、最後まで居るつもりだと答えると、ちょっと嬉しそうに、ならば表彰状・優勝旗等を子供たちに渡してもらえないかとおっしゃる。分かりましたと応え、それから彼と話しながら団体戦を見届けた。
色々伺う中で、特に驚くになんと彼は剣道八段の練達の士だった。八段は剣道では最高位だそうで、毎年3千人から4千人が受審し、合格するのが0,6%程の超難関の審査らしい。県北では彼が初めての八段取得者ということだった。そういうわけで、思いがけず面白い話が聞けた。

結局、全日程が済んだのが午後3時過ぎだった。貴重な日曜日をとも思うが、そのような凄い人に出会え、彼らを従えて表彰状や優勝旗を授与する栄誉に浴することができたのも役得だと喜ぼう。

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気付き

2015年11月29日 | 暮らし

今朝、和室から戻って来た女房どのが和室がニンニク臭くなっていると言う。行ってみると、それ程でもないが確かに匂う。

ニンニクの熟成方法とは至極簡単で、生のニンニクを電気釜の中に入れて保温状態で10日間ほどそのままにしておくのだそうだ。ただ、最初の5日間位はニンニク臭が漂うので電気釜は屋外に設置する方が好いとあったので和室の前の軒下に置いていた。ところが、和室の窓の換気口は「開」にしていたままだった。。ちょうどその真下に電気釜を設置していたのだった。

実際に行ってみて、気付くことがある。

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黒ニンニク

2015年11月28日 | 暮らし

先日、ローカルテレビの情報番組で大村の喫茶店が紹介されていた。その中で取り上げられた「発酵黒ニンニク」というものに興味を持った。

20代の頃、風邪をひくとお世話になっていた浅田のおじいちゃんがニンニクを一片焼いてくれ、これを食べれば一発で良くなるよと勧めてくれた。それからこの方、ニンニクは体に良いものだと思っているが、何せあの匂いである。それが、その黒ニンニクは匂いがせず旨いというのだ。

2,3日後、女房どのが町内の産直所「皿山」に、かの店の黒ニンニクが置いてあったと求めてきてくれた。1個380円也、決して安くはない。
薄茶色の表皮を剥くと、羊羹のようなしっとりとした質感である。確かに黒い。口に入れると柔らかな歯ごたえだ。酸味を感じるが、旨味と相俟って全然いける。

ネットで「黒ニンニク」を探すと、簡単に電気釜で作れるとある。すぐさまネットを利用して電気釜を注文すると、2日ほどで届いた。
次に、生のニンニクだ。女房どのに頼んだのだが数軒当たっても置いていないという。調べてみると、ニンニクの収穫期は6~7月で、店頭に並ぶ時期をとうに過ぎているようだ。

ところが、帰省していたくるみさんの牡蠣を食べたいというリクエストに応えるために求め探し当てた店に、なんとニンニクも置いてあった。それでも全部で7,8個だっただろうか。店員に尋ねるとこれですべてだという。もちろんみんな購入した。1個360円だったか。発酵黒ニンニクと違いない値段だ。それでも自分で作る楽しみは大きい。

ようやっと、今日、仕込むことができた。10日ほどかけて熟成するのを待つ。

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町内会で行うデイサービス

2015年11月27日 | 民生児童委員

今日は、町内会のご高齢者を集会所にお招きして、温かい食事を召し上がっていただく地域デイサービスの日だった。
昨日からめっきり寒くなった。昨夜はみぞれまじりの雨が降っていたが、今朝冷え込んだ。こんな日に、ご高齢者の皆さん方に集会所まで足を運んでいただくのは申し訳ない気もする。

午前8時過ぎ、集会所に向かう。有線放送でデイサービスの案内をし、準備に取り掛かる。
倉庫の奥で眠っていたストーブを引っ張り出してくる。集会所は台所にもエアコンを付けているのだが、料理を作っていただくボランティアの方々からの要望でこの日だけ対流式の円筒形のストーブを使用している。お湯を沸かしたり、鍋をかけたりするのに便利なようだ。
急に寒くなったので灯油を準備していなかった。女房どのの愛車を借りてガソリンスタンドまで走る。

そうこうしているうちに注文していた食材が届き、ボランティアのみなさん方が集まって来られた。1週間分の色々な苦情・要望等をお聞きする。
午前11時半を過ぎると、お1人お2人と今度はご高齢者のみなさんがやって来られる。
正午を過ぎても、いつものようにお1人来ていらっしゃらない。走ってお迎えに伺う。放送があったことも覚えていらっしゃらない。包括支援センターと連携を取りながら見守っている方だ。

今日のお昼のメニューは、ロールキャベツを中心に野菜のかき揚げ、大根と人参の和え物、加えて柿とミカンが添えられてある。挨拶の際に、先だって江迎警察署で行われた交通死亡事故にかかる緊急対策会議についてお話しさせていただき、交通事故に遭わないよう注意する旨お願いした。

1時間ほどかけておしゃべりをしながらゆっくりと昼食を召し上がっていただく。
午後1時になるとボランティアの方々が後片付けにはいられ、それが終わるとボランティアのみなさんは帰宅される。
一方、ご高齢者のみなさんは、社会福祉協議会から来ていただいている訪問介護員の指導で、秋から冬にちなんだ歌を歌ったり、「脳トレ」に励んだりして午後3時まで集会所で過ごしていただき、お帰りになられる。

それから、私は掃除機をかけ、ゴミ出しをして帰途につく。
これも月1回、14年続けてきている。そろそろ次の方にバトンを渡す頃だがなかなか難しい。

 

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空気を読む

2015年11月26日 | 町内会長

午前中、小浦地区の水をつかさどる神様をお祭りする龍神祭に出席した。
2,3日前までは暖かいくらいの陽気だったが、今日は一転して冷え込んだ。小浦の海岸に祀られている龍神様の祠の前で執り行われた祭式の間中、寒風が舞っていた。
龍神祭は毎年11月26日に行われているが、この日は決まって寒い。

午後からは町の公民館運営審議会に出席した。
今年度、初めての会合で委嘱状をいただいたが、その日付は平成27年4月1日とあった。
そもそも形式的なものだからと敢えて目くじらを立てるほどのこともないのかもしれないが、それなりに機能するよう改善していく必要はあるだろう、と毎回その旨提言しているが、空気を読みたくない私は、常に孤立無援状態である。ちなみに委員報酬が出ている。

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当てにしない

2015年11月25日 | 佐々町町内会連合会長

11月19日午後7時10分頃、江迎町長坂の国道で、83歳の高齢女性が25歳の女性の運転する軽乗用車にはねられ死亡した。その3日後の22日午後3時17分頃、吉井町大渡の県道の交差点で、68歳の男性が運転する軽乗用車と33歳男性が運転する大型バイクが衝突し、2人共亡くなられた。

江迎警察署管内で、わずか4日間のうちに交通事故による死者3名という異常事態を受け、昨日午後3時から江迎警察署にて江迎地区交通安全協会・江迎地区交通安全母の会・地域交通安全活動推進委員、さらに佐々町町内会連絡協議会、小佐々地区・吉井地区・世知原地区・鹿町地区・江迎地区の各町内連合会、そして佐々町役場、佐世保市役所の江迎・吉井・世知原・鹿町・小佐々の各支所の代表者が集まり、緊急の「交通事故抑止対策会議」が開かれた。

先ず、江迎警察署長・交通課長らから県内の交通事故概要説明、江迎署の交通死亡事故概要説明が行われた。
交通死亡事故について特徴的なことがいくつかあった。先ず、原因別では「わき見運転」「ぼんやり運転」など安全運転義務を怠ったことにより事故を引き起こしてしまったというのが全体の62,5%を占めている。
また、高齢者の死者が65,0%にも上り、その40人中の26人の方が夜間に事故に遭っている。さらに、歩いていて車にはねられた方の多くが自宅からの距離が50mから100m以内という非常に近い所で事故に遭っている。また、道路横断中に車にはねられた方の半数以上が運転者から見て、右から左へ道路を横切っている途中に事故に遭っているというのも特徴的だ。さらに死亡者すべて反射材無着用だった。

概要説明を受けた後、今後の取り組みについて協議した。
警察の方からは、レッド走行(パトカーがサイレンを鳴らさず、赤色灯だけを点けて走行すること)、街頭監視活動・交通取締りの強化、交通速報の配布などに取り組んでいく旨話があった。
市役所各市所長からは、防災無線で注意喚起したり、来庁者へ直接声をかけるなどして交通事故防止の啓発に努める旨の話があった。
また、地区連合会長からは、事故発生場所を始めとして横断歩道や信号機の増設を求める等、高齢者を守るための施策を望む声があがった。

私は、来る12月10日に開く佐々町町内会長連絡協議会の席上、各町内会長のみなさんに今回の交通死亡事故に関する状況を説明・報告すると共に、各町内会で毎月1度から2度・3度と開かれている「地域デイサービス」で高齢者の方々に注意を促すことを徹底するよう依頼すること。また、各町内会の各種会合でも交通事故防止の啓発に努めていただくよう依頼する旨、先ず発言した。

協議が進むにつれ違和感を覚えてきた。
ある方が、横断歩道を渡らなければいけないとは分かっているが、急いでいる時など「悪いと思いつつ」横断歩道でない所を渡ってしまうというような意味合いのことをお話になられたことにより、その違和感が何だったのかがはっきりした。

何故、横断歩道を渡るのか?当然だが、自分の命を守るためである。交通ルールを守るのは自分の命を守るためなのだが、私たちは、どこか思い違いをしてはいないだろうか。先の「悪いと思いつつ」というのは誰に悪いと思うのだろう。
数年前、知人が夜間、横断歩道を渡っていて車にはねられた。彼は、今も意識が戻らないまま病院のベッドに横たわっている。

車を運転していて横断歩道で止まった際、ほとんどの人が車の方など一切見ないで道路を渡る。私は、それをいつも不思議に思っている。もし、信号無視の車がそこに突っ込んで来たら彼はひとたまりもないだろう。

交通事故の悲惨さは被害者だけのものではない。
冒頭の死亡事故被害者の高齢女性の未来は理不尽にも奪われてしまった。遺族の悲しみの深さも計り知れない。しかし、同時に車で人をはね、その命を奪ってしまった25歳の女性の未来も奪われてしまうほどの大きな痛手を受けた。

人は、交通事故の加害者になっても被害者になってもならない。横断歩道も信号機も、必ずしも私たちを守ってくれるとは限らない。私たちの命は、私たち自ら守るしかない。東北大震災以降、このことは広く伝えられている。
しかし、交通事故に関しては、私たちはどこか思い違いをしているかのように思えてならない。自分の身を亡ぼす飲酒運転が未だ後を絶たないのは、その証左ではないだろうか。

自分の命は自分で守る。そういうメッセージを送る必要があるのではないだろうか、と次に発言した。

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新嘗祭

2015年11月24日 | 町内会長

昨日・11月23日は勤労感謝の日、かつての新嘗祭の日、地元の三柱神社で行われた祭典に出席した。

新嘗祭は、いわゆる収穫祭である。収穫祭とは改めて記すまでもなく、その年の農作物の収穫に感謝するお祭りで、世界中で行われているようだ。私たちの国でも宮中、あるいは神社だけでなく農作物の直売所等々、広く行われている。
このように、ひとくちに収穫祭といっても、それこそ宮中祭祀から商業的な色合いの濃いものまで、また形も様々のようだ。

その中にあって、各地の神社で行われる新嘗祭は、コミュニティーの収穫のお祭りとして古くから続いてきた。
台風の来襲・日照り・雨が降らない等々の人知の及ばないものを超えて得られる五穀豊穣に対し、私たちは自ずと頭を垂らす。私たちの命を繋ぐ農作物の収穫に対する庶民の素直な感謝の表れがお祭りとして脈々として受け継がれてきているのだ。

町内会毎に新米が奉納された神殿では、各町内会の各種代表の皆さんを前にして、宮司により収穫に感謝する祝詞が唱えられ神楽が舞われた。

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喜びと共に

2015年11月23日 | 家族

日曜日は、家族4人でゆっくり過ごした。
過去の新聞の切り抜きから、有紀さん・くるみさんそれぞれに関係する記事を取り上げ、それについて意見を交換したり、2人の保育園児から中学生までの通信表を読み返してみたり、有紀さんの披露宴についての話をしたり、くるみさんの最近の研究の様子を聞いたり、昨夜、私が酔っ払って和也くんに電話したことについてとかとりとめもなく話は続いた。

夕食に牡蠣を食べたいとくるみさんが言ったことから昼下がりに4人で買い物に行くことにした。
最初は、映画を観ているくるみさんとブログの更新をしている私を残し、女房どのと有紀さんの2人で近くのいつもの魚屋さんに出かけた。ところが、しばらくして、牡蠣を置いていなかったので佐世保まで行ってくるからといったん帰って来た。ならば、ドライブがてら4人で出かけよう。もう、この4人の組み合わせで出かけることはないだろうからなどと映画を観ていたくるみさんを脅迫して4人で出かけた。

実際、絵理子さんには家族が増え、来年には有紀さんの家族も増える。もちろん、家族が増えるのは嬉しいことだ。だが、若干、感傷的な気分でもある。

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ボジョレー・ヌーボーに酔いしれて

2015年11月22日 | 家族

有紀さんとくるみさんが帰って来た。目的は、行き付けの「ミナミ田園 清旬の郷」で開かれるボジョレー・ヌーボーを楽しむ会への参加だ。

有紀さん・くるみさん共に現在、福岡に住んでいる。仕事のため来れない夫の和也くんを残し、有紀さんが車でくるみさんを迎えに行き、昨日の午後2時頃一緒に帰って来た。

和也くんと有紀さんは、結婚式・披露宴を待たず入籍を済ませた。有紀さんのお腹の中にはすでに赤ちゃんが宿っている。

ワイン会の前に「ゆうじろう」のお湯に浸かろうと午後3時過ぎに我が家を女房どのの愛車ミト イモラで発った。私と同名の温泉「ゆうじろう」は、私と女房どのの最もお気に入りの温泉の1つである。
その「ゆうじろう」と「清旬の郷」は隣接している。我が家から高速道を利用して40分ほどで目的地だ。
1時間ほど温泉を楽しんだ後、休憩室であれこれ話しているうちに開場の時刻5時半、馴染みの店の方に促され受付に向かうと案の定、今回も一番乗りだった。

我が家の3人の子供たちは、みな酒をたしなむ。中でも有紀さんは酒豪の域か。特にワイン好きだ。ところが、現在、前述の通りで禁酒中の身、今回はノンアルコールのスパークリングワインで我慢するしかなかった。もちろん端からそのつもりで来ている。女房どのはいつものようにウーロン茶をいただいた。2人は美味しい料理と雰囲気を楽しみ、くるみさんと私は、それに加えてボジョレー・ヌーボーを楽しませていただいた。

有紀さん・くるみさんの得た情報では、今年のボジョレー・ヌーボーは当たり年だった2009年以来の上出来だそうで、そのせいか、それとも久し振りに愛する子供たちの顔を見ることができたからかハイピッチで私のグラスは空いた。
結局、会の修了時刻21時まで3時間半に渡り、ボージョレ・ヌーボーと美味しい料理とおしゃべりを楽しませていただいた。酔っ払ってしまわないわけがない。

 

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他者の力が私を動かす

2015年11月21日 | 暮らし

おかげさまで地域で分以上の役割をさせていただくようになって10年以上が経った。
たまにだが、こんな私にでもねぎらいや感謝の言葉をかけていただくことがある。そんな時、私の体のどこか深いところから勇気とか希望とかがジワリと湧いてくるのをハッキリと感じることができる。
そのような方々に支えられここまで仕事を続けてこられた。

私も、そんな力を持つ言葉を他者に与えられる存在でありたい。

2003年に以前のウェブサイト「峰野宅」を立ち上げ、並行してこのブログを始めた。
地域での役割が次第に増え、会議やお付き合いが増えるにつれ、更新がおろそかになってきた。
それでも、思わぬ所で思わぬ方からたまに、ブログ見てますよと声をかけていただくことがある。こんなブログにどんな意味があるのだろうかと時に思うこともあるが、そう声をかけていただくことで、あるいはアクセスの数に励まされ、ここまで続けてこられた。

声をかけていただく方に、またブログを訪問して下さる方に力をいただき、久し振りに、ほんとうにひさしぶりに1週間、続けて更新できた。

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