峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

どう頑張る

2007年10月27日 | 暮らし
亀田興毅がひとりぼっちも80分謝罪し通す(日刊スポーツ) - goo ニュース

亀田興毅選手の記者会見の様子を見て、改めて強く感じたことが2つあった。
1つは、子供は容易に変わり得るけれども大人、それも男は、それが極めて難しいということだ。
もう1つは、頑張ればそれで良しというわけではなく、頑張る方向が重要なのだということだ。
しばしば「それでも(私なりに・彼なりに・彼らなりに)頑張っているんだから」ということばを聞くが、それが誤った方向だとすれば、これほど厄介【やっかい】なことはない。戦争の歴史がそれを証明しているし、昨今【さっこん】の私たちの国の政官財のリーダーの有り様も然【しか】りだろう。

が、子供も男も意識下では、よりよく変わりたいと念じ、正しい方向を求めている。
それだけにリーダーの責任は重い。
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来週へ向けて

2007年10月15日 | 夫婦
朝一番、公民館の窓を開放しに行く。いつものように神棚の榊【さかき】の水を換える。榊も新しいものに換える。可燃物をゴミステーションに持っていく。昨日使用した布巾【ふきん】・雑巾【ぞうきん】を表に干す。

その後、祝賀会で余った品物を引き取ってもらうべく井手ストアーに行き、その足で福祉保健課へ回り、紅白幕を返す。ついでに町長に昨日のお礼をと思い2階に上る。副町長などに挨拶しつつ総務課に向かう。大瀬さんがいたので町長がいるか尋ねると、きょうは長崎出張とのこと。さらに、アライグマの処理のお礼を述べに収納対策室に川内野さんを訪ねる。ペットだったアライグマがけっこうな数、野生化しているとのことなど少し雑談して役場を後にする。

帰りに野村さんの所によると、まぁまぁまぁと椅子【いす】を勧められる。しばらく店の奥であれこれ雑談し、町内会の分と私の分のビールの支払いを済ませ帰途へ。

夕方、磯本君来訪。主催者に提出する大綱引きのメンバー表を預かる。磯本君が仕事ということで、夕方6時から開かれた大綱引きの監督会議に出席する。
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西町町内会敬老祝賀会

2007年10月14日 | 町内会長
朝7時半、正午からの敬老祝賀会開催の案内を有線放送で行う。
8時半、祝賀会に出す料理を作るために女性陣が集まって来られる。総勢20人位になる。中には75歳以上の方も数名おられる。
当然だが、町内会で行う行事・活動には全く強制力はない。出て来ないからといって村八分のようなことも私たちの町内会には全くない。すべて、個々の主体的な考え・行動に基づき行われている。いわば善意の集まりである。だからこそ、このような行事・活動の意義は大きい。

形として「氏子総代」を引き受けていただいている松本さんが早くお見えになられ何か手伝うことはないかと言っていただく。10時から副会長と2人で会場の設営をやろうと打ち合わせているので10時に来ていただくようお願いする。
いったん帰宅し、小冊子の印刷をするため町の公民館まで出かける。表紙・目次・プログラム・出席者一覧・歌詞等7ページ分と別に「もみじ」「赤とんぼ」「故郷の空」など数曲の唱歌の歌詞をそれぞれ50部ずつ印刷。
公民館の管理人さんも敬老祝賀会については一家言【いっかげん】お持ちで、しばし彼の話を傾聴【けいちょう】することとなった。

さて、そこそこに管理人さんとの話を切り上げ、集会所に戻ると、すでに副会長が会場の設営に入ってくれていた。松本さんも駆けつけてくれ、会計の谷添さんも手伝ってくれていたので、私は印刷物をホッチキスで留める製本作業に専念する。すぐに谷添えさんが手伝ってくれた。調理も懸命の作業だ。その間に、お祝いの日本酒とビールが続々と届けられる。
製本作業が終わり調理場をのぞくと、みなさんが声を掛け合いながら、力を合わせ調理に取り組んでおられる。なんともいい光景だ。

すでに時計は11時を回っている。ウクレレを取りに、いったん家に戻る。今年もバンドを組んで何かご披露しようと思っていたが、くるみさんにいい返事をもらえなかったので、1人でハワイアンのスタンダードナンバー「小さな竹の橋で」を歌うことにした。
ギターもウクレレも中学生の頃から手にしているが、このところすっかりご無沙汰である。かつて一時期、図書館で絵本の「読み聞かせ」をする前、ウクレレを手に「鉄腕アトム」を歌っていたのも懐かしい思い出となった。

今回は、趣向を凝らしてハワイアンに相応【ふさわ】しい格好【かっこう】をしてみなさんに喜んでいただこうと思い立っていたのだが、用意をしていなかったのがいけなかった。あるだろうと思っていた所にアロハシャツがない。それではここかと探すが見つけられない。時刻は11時半を回った。ご高齢者が集まって来られる頃だ。女房どのに頼むしかない。
料理作りも追い込みに入っているところだったが、女房どのを呼び出し、探してもらう。さすがは女房どのだ。思ったアロハは見つからなかったが、すぐに別のを引っ張り出してきてくれた。白いズボンもようやく見つけ、アイロンをかけてもらっているうちにTシャツからワイシャツに着替え、ネクタイを締め、集会所に駆けつける。途中、辻さんに呼び止められた。やはり、ご主人の体調が思わしくなく、残念だが出席を見合わせるとのこと。ご祝儀をいただく。

集会所に着くと町長と町議会議長がちょうど到着したところだった。挨拶をして座席への誘導を副会長にお願いする。女房どのもすぐに戻ってきた。受付を頼む。玄関先でご高齢者のみなさんをお迎えしていたら、渡辺さんが、そっとご祝儀袋を渡され、これは披露【ひろう】しないで料理を作られたみなさん方の慰労会にでも使ってくださいとおっしゃる。その他、数名の方にご祝儀をいただく。本当に、みなさんの善意が嬉しい。このような行事・活動を行うことにより、それが発露【はつろ】されるのを感じる。現代社会は、哀しいことに逆に人間の心に潜む悪意を発露させるような風潮【ふうちょう】にある。それを商業主義的マスコミが先導している。

正午ギリギリに配膳【はいぜん】が終わる。朝から料理を作っていただいたみなさんも着座され、副会長の司会で今年度の「西町町内会敬老祝賀会」が始まった。まず、町内会長挨拶。こんな時代だからこそ、一人ひとりの善意が集まって出来る祝賀会の意義深さをお話させていただく。続いて来賓【らいひん】である関町長と川副町議会議長のお2人に祝辞をいただく。引き続き、平島さんの祝舞「松の緑に」、さらに松口さん・藤本さん・天神林さん・高木さんによる合吟【ごうぎん】「故郷」、この後、元町内会長の下利さんに音頭を取っていただき乾杯と続き、ご馳走をいただきながらの歓談に入る。

町長・議長の話し相手になりながらも、ご高齢者やお世話いただいたみなさんの席にうかがい、お祝い・お礼を述べながらお祝いの酒を勧めて回る。ビールを取りに台所に走る。
やがて、みなさんお酒が少し回ってきたころ余興【よきょう】が始まる。先ずは、78歳になられる中村さんの踊り「長崎物語」、続いて91歳になられる伊藤さんの唱歌だ。事前に伺っていたのと異なるのを1曲、興に乗られ、もう1曲「お池の噴水」を手振りをつけて歌われた。伊藤さんが小学1年生のときに習った歌だそうだ。みなが感動した。

町長・議長に広場の必要性を訴えているところへ、そろそろ出番だと副会長から促【うなが】される。和室でアロハシャツに着替え、ウクレレを抱えて登場、「小さな竹の橋で」をみなさんに楽しんでいただく。
「小さな竹の橋で」
Words by Archie Fletcher/Music by Al Sherman/門田ゆたか 日本語訳
小さな橋よ 竹の橋の下 
川の水に 流れてゆく
あの日の夢も 楽しい思い出も
川の水に 流れてゆく 

長い年も月も 水面を彩り
やがては消えてゆく 赤いバラの花びら

小さな橋よ 竹の橋の下
恋も夢も 流れてゆく

その後は、参加者全員で唱歌と懐かしい歌のメドレーだ。先ずは山口さんのリードで鉄道に関する話から始まり「鉄道唱歌」を合唱、みんなが歌える歌があるというのは嬉しいものだ。山口さんが遠慮されて2,3曲で幕を閉じようとなさったのを私が引き継いで、結局プリントした10曲すべてをみんなで歌いきった。
中でも「もみじ」は、みなさんに2組に分かれてもらい輪唱した。これが素晴らしい出来で、互いに大きな拍手をし合う。音楽って、やっぱり、いいな。
その後、興に乗られた下利さんがカラオケに合わせて当て振りで踊られるというおまけまでつき、会場は最後まで大いに盛り上がった。

やがて閉会。ご高齢者をお見送りした後、全員で後片付けを行う。そうして、最後の最後、みなさんを送り出した後、空になったビール瓶・酒ビン、食材などの入っていた空箱をつぶし、まとめて倉庫に入れる。生ゴミを片付けると3袋にもなった。月曜まで保管しておかなければならない。最後の最後、台所の床に雑巾【ぞうきん】をかけ、ようやく終了。時計の針は午後4時を回っている。

帰宅してすぐ2階に登ると、小佐々から来ている中3の子供たち2人が学習に励んでいた。すぐに提出されているプリントをチェックし、間違っているところを説明し、質問に答える。午後1時くらいに来ていたという子供たちは、そうやって6時まで熱心に学習に励み、迎えにきていただいた親御さんの車に乗り帰って行った。親御さんには片道、車で30分もかかるところを送り迎えしていただいている。有難いことである。

その後、6時半から体育部長の磯本君と来週日曜日の大綱引き大会に出場するメンバーを集めに町内会を回る。今回は、その日都合の悪い方が多い。出場選手が25人、そのうち女性5名をそろえなければならない。なかなか厳しい。
一回りし終えたのが8時、きょうはけっこう早かったね等と言い合いながら、この後のことを打ち合わせ、帰途に着いた。

帰宅したのが午後8時半、くたくたになった体を浴室に運びシャワーをあびる。焼酎のロックが五臓六腑【ごぞうろっぷ】に染み渡り、生きている喜びを実感する。長い1日が終わった。
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力を合わせて

2007年10月13日 | 町内会長
午前8時半、敬老祝賀会に向けての料理の下ごしらえを午後4時から行う旨、有線放送で案内をかける。
集会所のすべての窓を開放。神棚の榊【さかき】の水を取り替え、今日1日の町内会の無事を願い二礼二拍手一礼。晴れた日の日課となった。
集会所の前の道路にタヌキのような動物の死体が転がっていた。えらく丸々と太っていて毛並みが艶々【つやつや】している。後で聞くとアライグマとのこと、けっこういるそうだ。役場は休みだが電話をかけると川内野さんが出て、すぐ職員に連絡しますからということだったが、午後には処理されていた。痕【あと】を水で流す。
9時から正午まで補習。
地域デイで、食事の献立からたててもらっている食事作りのボランティアの中心的存在である中島さんから、たった今お母さんが亡くなったと電話が入る。もうすぐ102歳になろうとしておられたお母様であった。
山田(仮名)さんが、集会所に行ったが誰も居なかった。祝賀会は今日ではなかったかと来訪される。山田さん、最近、このように日にちを間違えたり、同じことを何度も尋ねられたりといったことが多くなった。
下川さん、お身内の方の病状が芳【かんば】しくなく、明日出席できなくなったとの断りを言われるためにわざわざ来訪される。
8班長・福田さん来訪。関山さんがどうしても祝賀会に出たいと言われるので、社協(社会福祉協議会)にその旨伝え、当日、ヘルパーさんに車椅子で連れて来ていただくようにしたからとの報告。

昼食後、午後1時から4時まで再び補習。子供たちの学習をみながら祝賀会の小冊子の作成にかかる。
午後4時、集会所には毎月の地域デイサービスでボランティアで食事作りをやっていただいているみなさんを中心に有志の女性のみなさんが集まってこられる。女房どのも張り切って参加だ。
町議会からお祝いの酒が届く。お隣の平島さんが花材と、祝賀会だからとご自分の朱色【しゅいろ】の花器を持参され、見事な生花を完成された。花材の分は町内会で持つからと申し上げるが、自分のお祝いとさせてほしいと言われるのでお気持ちを尊重した。
体育部長の磯本君から、明日夕方6時半から綱引きのメンバー集めに回るとのメールが入る。同行するからと折り返しメールする。
中島さんがいないので、松口さんと横川さんに場を仕切ってもらうようお願いし、料理の下ごしらえに入る。6時過ぎ、ほぼ準備を終える。明朝、8時半集合を確認し、この日はこれまで。有線放送で、祝賀会と朝8時半からの料理作りの案内をする。

帰宅し、祝賀会の小冊子作りの作業を進める。
午後8時、中島さんのお母さんのお通夜に佐世保の飛鳥会館まで出かける。帰宅したのが9時過ぎ、食事をした後、再び祝賀会の小冊子作りにかかる。深夜12時半過ぎ、ようやく完成。
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急がなければ

2007年10月12日 | 町内会長
祝賀会で舞踊を披露【ひろう】いただく平島さんと中村さんのお宅に出向き演目を伺い、唱歌メドレーをリードしてくださる山口さんのところに内容の確認に伺った。

午後、地域デイサービスの材料費を支払いに井手ストアーに行き、その足で役場の福祉保健課に出向き、紅白の幕を借りた。
福祉保健課に行くと、先の移動で新たに福祉保健課長になった浜野さんがいつものように話しかけてきてくれた。積極的にコミュニケーションを図ろうとする彼の気持ちが伝わってくる。この日も、今年度、町内会長会で議論してきている敬老祝賀式の在り方について意見を交わし、現時点で行政がどのように考えているのかを聞いた。現行の町主催の敬老祝賀式を継続するのか、それとも町内会に任せるのか、とりあえず12月の会で来年度のことを決めることになる。
一通り話が済んだ後、西町は、いろいろとやっているそうですねと彼が言うから、何故、いろいろやっているか、そこから私の話が再び始まり、例のごとく長くなった。何事も丁寧【ていねい】にやろうと思えば時間がかかるものだ。しかし、あえてそこを大切にしたい。

帰宅して、芳の浦ストアーに出向き、祝賀会当日の正午直前、冷えたビールを1ケース頼むも、後から土曜日は県酒販が休みでビンのビールがないとのこと。それではと近隣の町内会の民生児童委員仲間の野村商店さんに日本酒2本と併せてお願いした。
物を買うとき、公私とも少しでも安いところでと考えてきたが、最近その考えを捨てた。経済に重きを置くばかり、私たちは大切なものを失ってきているようだとの反省からである。

夕方、4時半から6時30分まで小学生5・6年生の授業。わずか3人だが、一瞬たりとも気が抜けない。こちらの気持ちの在りようが子供1人ひとりの学習の構えに見事に反映される。授業が終わるとガクッとくるほどだ。いつも思うことだが
、多様な子供たちを一時に30人も40人も見なくてはならない学校の教師は大変だ。

夜の授業が始まる前に、町内会の副会長に電話をかけ、日曜日の敬老祝賀会のことでざっと打ち合わせをする。

夜の中学生の授業、3年生は学校で3回目の進路調査が行われているところ、子供たちはさまざまであるが、その子なりに自身の将来に思いをはせていることには違いはない。

午後10時を過ぎて、ようやくこの日の仕事が全部終了。女房どのがご馳走を食卓に載せてくれる。夏場はビール、その後もずっと暑かったので焼酎のロックを続けていたが、さすがにここ数日、夜は冷気を感じるようになった。そこで、熱燗【あつかん】をいただくことにした。女房どのが買い置きしてくれていたのは、女房どのの親戚がやっている平戸・福田酒造の山田錦100%吟醸【ぎんじょう】古酒「福鶴」超特選とラベルにはある。最近、物品の内容表示がまったく当てにならないことがようやく周知されることとなった。だが、少なくとも親戚の物は信じるしかない。
徳利【とっくり】2本いただき、横になりテレビを見ていたら、そのまま朝まで寝入ってしまっていた。最近、居間が寝床だ。居間の床は、フローリングにカーペットを敷いてあるだけなのだが、その固さもまったく気にならなくなってしまった。ちなみに、女房どのとくるみさんは低反発マットの敷布団で寝ている。
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くるみさんの意外な特技

2007年10月09日 | 父親と子
昨日は「小浦おくんち」のおくだりのお供で三柱神社からお旅所まで3時間弱歩きました。いやぁ、暑かった。
小浦のお旅所に着き神事が終わったら「なおらい」です。おくだりの通る町内会の会長、氏子総代、町会議員さん、宮司さんらで互いの労をねぎらいました。その後は、いつものメンバーで2次会です。町内会の運営について、町政について、いつものように熱く語り合いました。

「小浦おくんち」は小さな町の「おくんち」ですが、ささやかながら夜まで賑【にぎ】わいます。
お昼過ぎから子供相撲が行われ、夜になると宮司さんらによって平戸神楽【ひらどかぐら】が舞われ、地元の方の民謡や舞踊が披露【ひろう】され、子供たちによるラムネの早飲み競争なども行われているようです。

私は、誘われるがままにあちらこちらで飲んでいるだけなので、実のところ外の賑わいはよく分からないのですが、くるみさんはここ数年、その賑わいを楽しみに友達と出かけているようです。昨日も夜の9時に女房どのが迎えに行ったようです。普段、そんなに遅く帰ってくることはありません。「おくんち」の時だけです。くるみさんにとって「おくんち」は特別な日です。

きょう塾に来た小学生たちが、くるみさんがラムネの早飲み競争で勝って、大きな商品をもらっていたと教えてくれました。そういえば、今朝、目を覚ますと「賞」の字ののし紙の貼【は】ってある紙袋が食卓に載っていました。
きょう午後7時前、学校から帰って来たくるみさんにそのことを話すと「昨年に続き、2連覇さ!」と得意気に語っていました。
くるみさんの意外な特技、知りませんでした。
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人生の最期をどう生きる

2007年10月08日 | 町内会長
同じ町内会に住む石川常夫さんが急逝【きゅうせい】されました。85歳でした。前日までお元気でコンビニや図書館等に歩いて通っておられました。
石川さんは、その日、朝食を済ました後、新聞に目を通しておられたそうです。その後、同居しておられた妹さんがお向かいのお友達のところに出かけ、帰った来たときには石川さんは、畳の上で眠るように横になっておられたそうです。あっという間に逝【い】ってしまわれました。

お通夜の席で曹洞宗【そうとうしゅう】のお上人【しょうにん】様から、石川さんとの思い出を通し「縁【えん】」について、また「知足【ちそく】」についてのご説法【せっぽう】がありました。

ご自宅でのお通夜・ご葬儀・告別式でした。はるか静岡や京都からご親族が駆けつけられました。また、同じ班を中心として町内会の人たちも石川さんのお見送りに集まられました。
ほとんどの方が石川さんのように逝きたいとおっしゃられました。
最期をどう終えるか、難しい問題です。

ようやく、来週の日曜日に行う敬老祝賀会の下準備が整いました。
きょうは、地元の神社の「おくんち」です。心配された雨も上がり、絶好のおくんち日和になりました。これから例大祭に出かけます。正午からは「おくだり」です。きょうは夜中まで「おくんち」漬です。
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心通わせて

2007年10月06日 | 暮らし
ある方に下駄【げた】をいただきました。写真の立派な桐【きり】の下駄です。

よく、いろんな方に、いろんなものをいただきます。私には権限も権力もな~んにもないのだから、いただく物は贈られる方のお気持ちだと思い、いつだって有難くいただくことにしています。
温かい気持ちをいただくのは嬉しいことだから、私も旅行などに出かけるとお土産をたくさん求めることにしています。

あ~した天気になぁ~れ!
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力を合わせて

2007年10月04日 | 町内会長
9月30日・日曜日、私の暮らす佐々町では町民運動会が開催されました。
私たちの町内会は、数十年ぶりに町内会対抗リレー競技に出場できることになり、ついては応援旗を作ることを思い立っていました。けれども、なかなかその暇を見つけられず、とうとう前日になり布地屋さんに走ることとなりました。
その夜、女房どのに裁断、ミシンがけをしてもらった生地【きじ】に、くるみさんと私でデザインしたものをマーカーで仕上げていきました。
応援旗3本と横断幕1枚を作ったのですが、最後の最後、旗を棒に取り付け完成させたときには深夜の2時半を過ぎていました。

運動会前日夕方、当日の昼食の炊き出しの準備に女性のみなさんにお集まりいただきました。
その日は米をとぎ、炊飯器3台をセットし、集会所で炊けない分は女房どのが我が家で炊くことにし、おかずは当日の早朝から作り始めるよう話し合いが行われました。

そして運動会当日です。午前7時半から副会長はじめ数名の男性が力を合わせてテント張りを行いました。
女性陣もそうですが、一声おかけするだけで快くご協力いただける方が何人もいらっしゃいます。夏祭りや運動会など、行事や活動は多くの方が力を合わせなければ行えるものではありません。

リレー競技に念願の出場を果たすことができた私たちの町内会でしたが、結果は残念ながら予選敗退となってしまいました。しかし、子供たちからご高齢者まで一体となり精一杯の応援ができたことで、私たちの町内会に暮らす者同士の絆【きずな】はいっそう強くなりました。

応援旗、子供たちが一生懸命に打ち振ってくれましたよ。
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