北京・冬季オリンピックが閉幕した。
とかく問題のあるオリンピックではあったが、それはさておき、冬季オリンピックならではの各種競技を堪能した。
そんなことで、朝から晩までアスリートたちの妙技に酔いしれ、女房どのと2人して、声援を送り、歓声を上げ、時に、ため息をついたりしていたのだが、その合間を縫い、精を出していたのが薪割りだ。
令和元年に現在住んでいる築75年の古民家を購入した。
購入の決め手は、先ずは古民家であったこと。 さらにはリノベーションされていてすぐにでも住むのが可能だったこと。 水洗トイレだったこと。 集落から程よい距離にあり、広大な庭・畑・雑木林が家屋と一体となって繋がっていたこと等々あるが、風呂を薪で沸かすという点もポイントが高かった。
今のキャンプブームが起こるずっと前から、焚火を趣味と公言するほど炎を眺めるのが好きだった。
小学5,6年生の頃に住んでいた借家が五右衛門風呂だった。当然、誰かが風呂を沸かさなければならなかったのだが、私は好んで、その火起こし役を買って出ていた。
新聞紙を丸めて焚口に詰め、その上に細い薪を置く。 そうしておいてマッチで新聞紙に火をつける。 細い薪が燃え出したら、少しずつ太めの薪をくべていく。 太い薪に火が着いた後に石炭を置く。 ここのタイミングが難しく、そう簡単に石炭は燃えてくれなかった。 何度も何度もやり直したものだ。
だからこそ、石炭に火が移り、ゴオッ~という音と共に勢いよく石炭が燃え出した時の喜びを昨日のように覚えている。
難しいから面白い。その後に火起こし以外のことでも幾度か経験してきたことだ。
母親と行った薪拾い。ぼた山での石炭拾いを懐かしく思い出す。
風呂を電気やガス式にリフォームすれば、伐採木を引き取りに行ったり、雑木林で枯れ木を拾い集めたり、薪割りをするような手間暇が省けるようになるが、それらのことを含め炎の揺らぎと合わせ、余計なこと一切を考えずにのほほんとしていられた幼い日の長閑な温もりを、知らず追いかけているのかもしれない。
やはり、私は今、少年の頃を生きている。