峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

はじける笑顔

2012年09月27日 | 民生児童委員

田中先輩が県連盟の理事なんてボランティアのようなものですよとおっしゃっていたが、そのような方々の情熱があって諏訪体育館には立派なリングが常設されている。そのおかげでボクシングに惹かれた若者たちがここで存分に汗を流すことができる。絵本の「読み聞かせ」グループなどもそうだが、それを愛する人たちの存在がスポーツや文化を支えている。

昨日は佐々中学校の授業参観日だった。佐々町民生児童委員協議会ではその日にあわせ学校長との意見交換会を行っている。
せかされる気分で午前中の仕事を済ませ、昼食をかっ込み、午後2時35分からの授業参観に駆けつけた。

この日、学年によっていつもとは異なった取り組みが行われるというのを事前に塾生に聞いていた。意見交換会が開かれるまで25分しかない。要領よく回らなければならない。先ず、中1が親子で陶器作りに取り組んでいる町民体育館を訪れた。

体育館に入ると、なるほど親子で仲良く土をこねていた。体育館の中を1周し、数人のお母さんと言葉を交わし町民体育館を後にした。次に中2の総合学習発表会が行われている中学校の体育館へと向かった。

中学校の体育館では4つの班に別れ、それぞれのグループが工夫を凝らし職場体験発表を行っていた。折りしもある班で塾生の1人が友人と組み、コント仕立てで発表を行っていた。しばらく見ていたが、そこそこ笑いをとっていた。その夜、塾にやってきた彼女は、ちょうど踊っているとき先生と目が合ってしまったと、ここでもみんなの笑いをとっていた。

子供たちの笑っている様子は何ものにも代えがたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクシングとチャンポンと敬愛する先輩方

2012年09月26日 | スポーツ

誕生日の翌日の日曜日、女房どのを誘い長崎市まで出かけた。
長崎市では9月30日から「市民体育・レクリエーション祭」が開かれており、この日は諏訪体育館ボクシング場でボクシング競技が行われることになっていた。

長崎県では2年後に国体が開催される。大学のボクシング部OB会の会長である斎藤先輩から、その手伝いをするようかねてよりお話をいただいていたのだが、私ごときの出る幕などないと思っていた。ところが、長崎市にお住まいの田中先輩のお骨折りがあり、このたび県アマチュアボクシング連盟の理事職に就くこととなった。愛するボクシングのため、できる限りのことをやらせていただくつもりである。

そんなことで、県のアマチュアボクシング関係者の方々に紹介するいい機会だから、試合観戦がてら出かけてこられませんかとの田中先輩のお誘いで、この日の長崎往きとなったのだった。

時間に少し余裕を持って自宅を発ったのだが、道路事情がよくなったおかげで思ったよりずいぶん早く試合会場に着いた。
早速、田中先輩によって関係者のみなさんにお引き合わせいただいたのだが、みなさん口々に「お若い」とおっしゃる。それもそのはず田中先輩始め、県連盟理事長・理事・各市の理事長・会長とかいったみなさんは私より一回り年長者でいらっしゃるのだ。
町内会長職なども同様だが、このような組織の運営を担っておられるのはほとんど高齢者の方々だ。サラリーマンでは務まらないから当然のなりゆきではある。私などまだまだ若造なのだ。

大会は高校生の試合が11試合行われた。鹿町工業や猶興館など県北からの参加もあり、女房どのはリングサイドの最前列で彼らに小声で声援を飛ばしていた。

大会終了後、チャンポンを食べに行きましょうと田中先輩に誘われて先輩の高校時代の同級生がやっておられるという長崎新地中華街の北門入り口傍の名店「会楽園」を訪れた。ここのチャンポンは絶品ですよとの田中先輩のお言葉通り、本当に美味しいチャンポンだった。

その他、大会会場すぐそばの「長崎歴史文化博物館」を訪ねたが、時間に限りがあり十分に見て回ることができなかった。
長崎県に住んでいながら県都・長崎市のことをほとんど知らない。高速道路を利用すれば片道1時間半ほどで行ける。また来ようねと女房どのと話し、田中先輩とお別れした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳を澄ますべきは

2012年09月25日 | 私塾

一昨昨日、62歳の誕生日を迎えた。
その日の午後、女房どのと連れ立って長崎大学大学院教育学研究科の准教授で臨床心理士の内野成美さんという方の「今を生きる子供たちの心に寄りそうために」と題した講演を町文化会館に聴きに出かけた。

女房どのと私は、それぞれの仕事で直面する悩める親と子供たちへの寄り添い方、支え方を折に触れ語り合う。その中でいつも思うことがある。それは、その人がその人らしく生きることの大切さだ。
それでは、その人がその人らしく生きるとはどういうことなのだろう。それは、己の命が己に何をさせたがっているのかを自身がよく知るところから始まると考える。

悩み深い子供ほど他者の「リアクション」ばかりを気にする傾向が見られる。ひいては他者の言葉が自身の言動の規範となる。それでは自分らしく在ることが難しい。
あえて言えば、親や先生や場合によっては友だちの言うことなんか聞かなくていいのだ。耳を澄ますべきは、より良く生きようとする自身の内から聞こえる言葉なのだ。孤独を恐れてはいけない。むしろ孤独を愛することを知らなければならない。

生きとし生けるものすべての命に意味があるはずだ。私たちは決して自身のためではなく、誰かのために他者のために生きている。それぞれが他者を喜ばす存在なのだ。そこに自身の生きる喜びがあり、学ぶ意義、生きる意味がある。だから「死んではいけない」のだ。昨夜も、塾生にそんなことを語った。

その夜の夕食を佐世保の「馨【かおり】」という店でいただいた。女房どのと2人、生きる喜びと生きる意味をかみしめながら。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私たちの大冒険

2012年09月04日 | 私と孫

先週の金曜日で私塾の夏期講習会が終了した。日中の厳しい暑さは依然として続いているものの、いつの間にか蝉時雨は止み、代わって虫の音が聞こえている。
翌土曜日、三柱神社の秋季例大祭「おくんち」の打ち合わせ会に出席した。またいくつかの新たな喜びに出会えた今年の夏が過ぎ去ろうとしている。

昨日、お姉ちゃん天使のさりちゃんから葉書が届いた。そこには、おじいちゃんとおばあちゃんとゆきちゃんとくーちゃんの顔が描かれてあった。さらに緑色のクーピーペンシルで何やら記してあった。さりちゃんのお母さんの注釈によると、おじいちゃんとさりちゃんはおうちでちゃんとお勉強していますと言いながらそれを書いていたという。

8月の夏真っ盛りの頃、3歳を前に、さりちゃんは1人でおじいちゃんとおばあちゃんの家に2泊もした。夜になりお母さんが恋しくなったさりちゃんは、教室で塾生に見守られながら私に抱っこされたまま眠りについたものだった。おそらくは、その時のことを思い出していたのだろう。

さりちゃんと女房どのと私は、この夏大冒険をした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする