峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

若き竜王の試練

2008年10月31日 | 将棋
パリでの第1局を挑戦者の羽生名人が制した今期の竜王戦、昨日から第2局が始まっていた。
昨日・今日、BSでの朝の放送は見られたが囲碁の名人戦と重なり、放送時間はいつもの半分。やはり物足りない。
夕方の放送が見られなかったので、夜、教室に上がる前に竜王戦の中継サイトにつなぐと、なんと早々に勝負がついていた。結果は羽生名人の連勝。

このところの竜王のブログの文面や、テレビの画面に映る表情からして、渡辺竜王に今ひとつ覇気が感じられない。自信が揺らいでいるようにさえ思える。

昨年の竜王戦、あの佐藤棋王がどうやっても勝てそうにないほどに思えた強い竜王はどこに行った。

ガンバレ、渡辺竜王!
気持ちを立直し、大いなる自信と闘志をしっかり抱き、挑戦者を撥ね返してほしい。
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指導者の責任

2008年10月30日 | 学校教育
清峰高校野球部が九州地区の秋季大会で優勝した。
地元紙は、これで来季の春の選抜出場が確実になったと伝えているが、監督が生徒に暴力をふるった事件は問題にならないのだろうか。

事件は秋季大会中に明るみに出、監督は謹慎を余儀なくされた。大会途中から前監督の吉田監督が指揮を執ったそうだ。

手放しで喜ぶことができないでいる。

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秋の夜長に

2008年10月29日 | 夫婦
我が家の果樹園で育ったウベの一部は、女房どのの勤める小学校の1年生のクラスの子供たちのおなかに収まったそうだ。
ウベの命が、ウベを食べたいろんな人たちの命へとつながっていった。

一昨日、神棚の榊【さかき】の水を換えるため集会所へ出向いた。榊立【さかきたて】を神棚から台所へと移し、2本目の榊立の水を換えようとして榊をわしづかみにした瞬間だった。わしづかみした右手の親指の付け根に激痛が走った。
まさかそんなことは想像していなかったので、その瞬間は何かトゲでも刺さったのかと思った。榊から流しにポトッと落ちたものがあった。見ると、10cmくらいの体長のムカデが流しの底をサワサワとうごめいていた。

右手の親指は、今も腫【は】れている。

昨日、日が高いうちにコタツ布団を天日干しした。午後3時頃には取り込み、居間にセットした。夕方、帰宅した女房どのが喜んだ。

さっきまで、明日のクラス便りの準備だろうか、パソコンに向かっていた女房どのだったが、振り返ってみると温かなコタツで横になって眠っている。

今夜は、おでんだ。焼酎のロックでいただこう。日に日に秋が深まっていく。
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私の在りよう ②

2008年10月28日 | 家族
何故、私が前町内会長に「よく私みたいな者に声をかけられましたね。植杉さんでなければ、私みたいな者に声をかける人はいなかったはずです」と申し上げるのか。
それは、常に私が少数派だということを自覚しているからだ。物言えば唇寒し秋の風というような思いに陥【おちい】りかけていたのもそこからきている。

そもそも、自分の子供を「さん」付けで呼ぶなんておかしい、と先日あらためて母がつぶやいた。親でさえ私を「おかしい」つまり「みんなと異なる」、そう見ているのだ。

ちょうど1ヶ月ほど前、清峰高校野球部の監督が生徒を殴ったことが地元紙で大きく報じられた。その事件が報じられた後、町内会長連合会のみなさん7,8人と飲む機会があり、その話題になった。
私以外のみなさんは、少しくらい殴ったっていいじゃないか。少しくらい殴らなければ分からんのだと、いかに殴られてよかったかというご自身の経験をもとにとうとうとまくしたてられた。
体罰の話になると、決まってこれだ。それは大国が軍事介入したり、テロを起こしたりするのと同じ理屈だ。
このような席で、体罰はいけないと発言される人に未だお目にかかったことがない。
幼児・児童虐待ドメスティックバイオレンス・殺人事件・武力紛争・戦争がなくならないわけだ。

私が少数派なのは町内会の中にあっても変わらない。では何故、その少数派の私が町内会長をやっているのか。幸か不幸か、他にその役割を担おうという人がいなかっただけのことだ。謙遜【けんそん】でもなんでもない。
それでは何故、少数派を自覚している私が町内会長の役割りを引き受けたのか。それは、私の心の真ん中にある他者と創造的ないい関係を築いていきたいという思いのせいではなかったろうか。

少数派なのだから気の合う人とだけ付き合っていればいいものを、他者と創造的ないい関係を築き、何かを創りあげていきたいという思いが時折、頭をもたげる。人とは厄介【やっかい】なものだ。
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私の在りよう

2008年10月26日 | 家族
裏庭のハナミズキの紅葉が次第にその度を増している。それは、ヤマボウシもそうだが息を呑むほどの赤色に変化する。ハゼの紅葉も美しいが、その赤色とはまた異なる美しさがある。

このところ、和室の前の山茶花【さざんか】が次々と愛らしいピンクの蕾をほころばせている。
一方、果樹園の一角に古くから自生しているチャノキとおぼしき樹木も、いつの間にか素朴な花をそっと咲かせていた。
この写真はムカゴだ。この時期、いろんな樹木にヤマイモノつるが伸びてからまりムカゴをつけている。それを庭仕事しながら口に入れる。食感も味もヤマイモそのものだ。

今朝、回覧の部数が1部足りないとご連絡をいただいていた9班の班長さん宅へ、それをお届けした際、来月に催す町内会文化祭の話になった。
いろいろお話しているうち、これまで趣味で作ってこられたアートフラワーやトールペインティングの作品などを見せていただくことになり、出展していただくことになった。

7年前、民生児童委員の役割を担うようになったのを皮切りに、思いもかけず地域の中でたくさんのさまざまな人たちと関わる毎日を過ごすこととなった。
10年前、今の私の在りようをいったい誰が想像できただろう。当の私自身が驚くほどだ。

その頃の私は、物言えば唇寒しというような思いが次第に募ってきており、家族やほんの一部の気の合う者としか交わることは無かった。自覚的に極めて閉鎖的で内向きな志向にあった。

それでも、そんな私を変える契機になったのが、私のような者でも必要とされる役割があるのであれば、喜んでそれを担おうとする意識だった。今思えば、そこに働きかけてもらえるのを待っていたのかもしれない。
だから、私に民生児童委員をとお声をかけてくださった前町内会長の植杉さんには感謝している。何せ、それまで町内会でどんな役もしたことが無かった。町内会のことは全部、女房どのに任せていた。
植杉さんに「よく私みたいな者に声をかけられましたね。植杉さんでなければ、私みたいな者に声をかける人はいなかったはずです」とその後、何度となく話をしている。

しかし、本当に私が変わったのか。それは、私自身にも分からない。
ただ、どんなに忙しいときでも、身体が疲れているときでも、無性に庭仕事をしたくなるときがある。樹木や草花の中にたった一人、身を置くことで精神のバランスを保とうとする無意識が働いているのは感じる。
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実りの秋

2008年10月25日 | 家族
一雨降る毎に、朝夕の冷気が増してきているのが感じられる。次第に秋が深まっていく。

今日は女房どのが出勤、そこでこの際と外回りの仕事に精出すことにした。
曇り空で絶好の庭仕事日和だ。この日は、家の北側の小道に沿う石垣や生垣の手入れを集中的にやることにした。ここは普段、なかなか手入れが行き届かず、何年も手を入れていないところがある。伸びすぎた樹木を切り、石垣に張り付き伸びていた植物をはがし、種子から発芽して伸びていた雑木や草を刈払った。

写真手前左の石垣の上部左手が裏庭にあたる。写真中央上部にキウイが鈴なりに実をつけている。下が小道になっていて、そこに実が落ちるが、その道を通りかかるみなさんが拾っていかれる。先日も、この小道を通って散歩されている前の町内会長さんも「落ちているのは甘かですね」と言っておられた。
写真の右下、小道に沿ってベニカナメで生垣を作っているが、そのベニカナメにウベを這【は】わせている。こちらも鈴なりで、これがそのアップである。

3本ある柿の木は今年の冬に強く剪定をしたのであまり実が付いていない。写真は次郎柿

写真右下、奥の生垣の左手あたりまで我が家の果樹園。写真中央の石垣と椿の間からも行くことができる。
今年も柚子の木がたくさん実をつけている。これから黄色く色づいてくる。我が家ではお正月にかけて柚子風呂が続く。

朝、8時過ぎから作業を始めた。夢中になって時間を忘れたが、お腹が空いたので鎌【かま】や刈払い機や梯子【はしご】などを小道にそのままにして家に戻ると午後2時半を過ぎていた。
居間に入ると食卓の上に幕の内弁当が置いてある。女房どのがいったん戻って来てくれたのだ。
シャワーを浴びた後に早速いただく。缶ビールを2本飲み干した。

食後、作業の後片付けをし、来月の第3日曜日に開催する文化祭の案内状を散歩がてら芳の浦町内会長さんと東町町内会長さんに持参する。
その後、回覧・配布物を各班長さん宅へ、自宅に戻ると女房どのが帰宅していた。

きょうも、いい1日だった。今は心地よい疲労感に包まれている。
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お帰りなさい

2008年10月24日 | 父親と子
オーストラリアに出張していた絵理子さんが昨日、帰国した。

公務は充実し、プライベートも楽しく過ごしたとのことで「いい勉強になった」そうだ。
絵理子さんは、たいへん貴重な経験を積むことができた。

一方、今回は留守番役となった研二くん。外食していたのかと思いきや、自炊していたとのこと。

恐れ入りました。
そろそろ、飲みたくなったね。研二くん。
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2008年10月22日 | 我が家の猫・みぃーちゃん
飼い猫って、実に不思議な存在だと思う。

我が家のみぃちゃんは夜中、2・3箇所寝る場所を移動しているようだが、明け方には女房どのの布団の上にいる。そして午前5時頃、起き出して女房どのの頭の方に回り、小さい声を出して女房どのを起こす。

女房どのが洗面所から台所に移る頃には女房どのに付きまとい「ゴハ~ン」と朝食を催促する。
食後、天気のいい日は間もなく外出。雨が降っている日や前日によその猫とケンカして傷ついているときなどは、もう一眠りした後、外出となる。

日中は、ほとんど我が家の敷地内で過ごしている。季節によってチョウを捕ったり、セミを捕ったり、モグラを捕ったり、ヘビを捕ったり、トカゲを捕ったり、バッタを捕ったりして遊んでいる。まだ若いということもあるのだろう。1ヶ所にじっとしていることはない。時々遠征にも出かけている。

我が家の近くに他の猫が現れるとケンカになる。すさまじいケンカをやっているようで片足を引きずったり、血を流したりしている。去勢をしているのでガールフレンドを巡ってというよりテリトリー意識によるものだと思うのだが、飼い猫といえどもつらいところもあるもんだ。

昼食は3時半前後に表の決まったテーブルでとる。

お客さんがみえると、すぐに足元でじゃれる。郵便配達のおじさんにでも、黒猫ヤマトのおにいさんにでもだ。
近所のお母さんやおじいちゃんと一緒の幼い子が「ネコ、ネコ」と喜ぶと、みぃちゃんはごろんと幼子の足元で横になりサービスしている。
副会長が来たら必ず抱っこしてもらう。

たっぷり遊んだ後、帰宅は午後8時から9時頃。今日のような雨の日はお早いお帰りとなる。
帰宅すると女房どのに風呂場に連れて行かれ、全身を濡れタオルできれいに拭いてもらう。その後、夕食。食後は、すぐ2階の教室にやって来る。そして、だれかれかまわず塾生のひざの上に乗ってくつろいでいる。

これが不思議なのだが、私のひざの上に来たことなど1度もない。それどころか、文字通り猫かわいがりしている女房どののひざにも乗ったことがないのに初対面の塾生の所には平気で寄っていく。

夜10時、塾生が帰った後、教室の灯りを消し居間に下りると、しばらくして彼も居間に下りてくる。

みぃちゃんの1日をざっと記してみたが、こんなに自由気ままに人間と暮らしている動物は他にいないと思う。

飼い猫って、実に不思議な存在ではある。

写真は教室でのみぃちゃんです。
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故郷

2008年10月21日 | 家族
思い立ってお墓参りに出かけた。
ずっと気になっていたが、行けずにいた。
秋晴れの真っ青な空の下、バケツを2つ用意し、墓石を、てっぺんからジャブジャブと洗った。
スッキリした。
私の心もきれいに洗われたような清々しい気持ちになった。

その後、お隣の春日神社に参った。
私は、ここの境内【けいだい】のおおらかな風情が大好きだ。
広い境内に私ひとり。
心が浄化されていく。

その足で、春日神社の神道総代を務めている母のところに寄った。
これも食べなさい。あれも食べなさい。それを飲みなさい。
いつものようにあれこれ物を勧めながら、堰【せき】を切ったように母は話し始めた。
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力を合わせよう

2008年10月20日 | 町内会長
今日は班長会、町主催の敬老祝賀式参加・町内会対抗ソフトボール大会出場・町内会主催の敬老祝賀会開催・大綱引き大会出場について総括を行った。

いずれも、みんなで力を合わせ楽しいものにすることができた。その中でも、振り返ってみて感慨ひとしおなのが大綱引き大会出場だ。

我らが西町町内会の世帯数は約120。そのうち75歳以上ご高齢者の1人・2人暮らしの世帯数が約40。これが60歳以上となると当然ながら、その数はもっと増える。仮にその数を75歳以上と同数とすると、残りは40世帯。その中には大会当日に仕事やその他の理由で都合がつかない世帯が約10世帯。

ということは30世帯くらいの中から30名の選手登録をしたことになる。
つまり、町内会に住んでおられる方の中で、当日の綱引きに出場可能な方ほとんどのみなさんに「OK」の返事をいただいたことになる。
実際、この足で町内会をくまなく歩き、出場をお願いして回ったのだから、それは実感としてある。
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