峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

家族

2008年04月30日 | 夫婦
有紀さんは、入学以来、授業と合気道の稽古にいそしんでいるようだ。数日前からコンビニでアルバイトも始めた。
昨日は心理の友達6人で昼食をとり、課題をこなすとメールにあった。ゴールデンウィークも友達と「博多どんたく」などに出かけたりして過ごすようで帰省の予定はない。

一方、くるみさんは、寮の生活が「メチャ楽しい」そうで、昨日はやはり友達と遊びにでかけたそうだ。ゴールデンウィークの5月2日には帰ってくる予定になっている。

絵理子さんと研二くんは、5月2日にこちらに来てくれる旨、昨夜、研二くんから電話があった。ただし、あちらこちらと顔を出さなければならない所があるようで翌3日には帰るという。売れっ子タレントみたいに過密スケジュールだねと笑い合った。
新婚ホヤホヤの2人、ゴールデンウィークは海外旅行でも楽しむのではないだろうかなどと女房どのと話していたところだった。研二くんが私たち夫婦のことを思いやってくれたのだろう。
絵理子さんと話せるのはもちろんだが、一晩だけでも研二くんと飲んで語れると思うだけでワクワクする。2日が待ち遠しい。

それぞれ新しい生活を謳歌【おうか】している3人の子供たちの様子を知るにつけ、親として「自立」を子供たちへの最高の贈り物と考え、彼女らが幼い頃から接してきた私には感慨もひとしおである。

1月に入り間もなくから始まったくるみさんと有紀さん2人の受験・卒業・引越し・入学、それに絵理子さんの結納・挙式、さらには年度末・年度初めの繁雑な事務処理・行事等々がようやく一段落ついた一昨昨日の日曜日、女房どのと2人きりで久しぶりにお墓参りに出かけた。

その日、好天に恵まれた。霊園で作業着に着替え、いつものようにお墓を水洗いした。きれいになったお墓の前に女房どのと並んで立ち、裕理子さん、父の敏彦さん、兄の博則さん、祖母の信子さん、そのほか先祖のみなさんに子供たちをこれまでお導き、お守りいただいたお礼を述べた。
その後、すぐそばの春日神社に立ち寄り、神さまにも同じようにお礼を述べた。

私と女房どのは、一つ大きな区切りをつけ、今新たに次の段落に入っていこうとしている。お楽しみはこれからだ。
おりしも明日5月1日は私と女房どのの結婚記念日である。

我が家の樹木が緑を濃くし始めている。すっかり初夏の装いだ。
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花に囲まれての披露宴

2008年04月26日 | 民生児童委員
昨日は毎月1度、第4金曜日に行っているご高齢者のための地域デイサービスの日だった。
いつもは町内会の集会所で開くのだが、毎年4月か5月の花の美しい時期には近くの花の名所に出かけることにしている。この日は近くの「佐世保花園」へ花見に出かけた。
参加者は16名、私の車と、いつもお手伝いいただいている女性の方2人の車、合わせて3台の車に分乗してちょうどだった。参加者が多いときは私が2往復することもある。
私の車は7人乗りだが、この日私の車に乗り込まれた6人のうち5人の方が杖をついておられた。私の車の乗降口の位置が高いということもあり、乗り降りされるだけでも大変だ。おひとりお一人、ゆっくりと乗降していただく。
そんな中、乗り降りの手伝いをさせていただく私と手をつなぐことができたと、しばらくその手を離さずに喜んでくださるお茶目な方もいらっしゃる。

先週、下見に訪れた際にはボタンとツツジが満開だった。みなさんにそうお伝えしていたが、前々日の激しい雨でその花びらは散り始めていた。それでも、青空の下、花を愛でながら、お仲間でいただく昼食にみなさんご満足の様子だった。

昼食時、22日に結婚式を挙げたばかりの絵理子さんの花嫁姿の写真ををみなさんにご覧いただいた。
ほとんどの方が、絵理子さんの子供の頃をご存知だ。みなさんに絵理子さんの子供の頃を語っていただき、美しい花嫁姿を語っていただいた。ありがたくも、いい披露宴をさせていただくことができた。
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次が始まっている

2008年04月21日 | 家族
有紀さんが合気道のサークルに入ったという。
入学式直後から「心理」の先輩にいろいろと助言をもらっているようで、その先輩2人に誘われたようだ。
合気道といえば、私の大学時代からの親友である増田くんと田中くんが合気道をやっていた。やはりなにか縁を感じる。

有紀さんは土曜・日曜と「心理」の友達と一緒だったようだが、夕方からパソコンを購入するため研二くんと絵理子さんと一緒だった。2人に選んでもらうためだ。何せ、3つの駅を挟んだだけの所に住んでいるので行き来が容易だ。先週末は有紀さんが泊まりに行っていた。

一方、くるみさんも、昨日は寮の先輩と遊びに出かけていたらしい。週末、寮の同級生は、みんな帰省しなかったようだ。
有紀さんも、くるみさんも新しい生活を満喫しているのがうかがわれる。

昨日は、町内会の「山野散策」だった。私はいろいろあって同行できなかったが、それでも昼食の弁当を山に届ける役目を務め、下界を眺めながら皆さんと一緒に食事をすることができた。

午後7時から、町内会長会の研修旅行について連合会の役員の集まりに出かけた。会長始め7名の出席で研修のテーマ選定、研修地の選定他、1時間ほどあれこれ話し合った。
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新たな役割

2008年04月14日 | 町内会長
順を追って記していこうと考えていたが、時の流れの速さがそれを許してくれない。有紀さんの入学式のことも、くるみさんの入学式のことも記せないまま4月も半ばになってしまった。

昨日は帰省していたくるみさんを大村まで送った。学校が楽しいという。特に寮が楽しいようだ。1年生から3年生までの寮生合わせても全部で19人、その全員が顔を合わせる「集い」の時間には、先輩後輩混じっていろんな話をするそうだ。
2・3年生にとっては3月までいた先輩である有紀さんの妹が新しい仲間になったということで、くるみさんは何かと先輩に声をかけてもらっているらしい。

土曜日は、午後から女房どのと江迎町の潜龍酒造の「酒蔵開き」に出かけた。ここ数年、毎年出かけている。
今年は県指定文化財「江迎本陣跡」が一般開放され、その歴史をしみじみと味わうことができた。
肝心の新酒の方、昨年は各種の生原酒をたっぷりと堪能したが、今回はあいにくと昨夜の酒が残っており、美味しくいただくことができなかったのが残念だった。

その金曜日は町内会長会だった。
新年度最初ということで町内会連合会役員の改選が行われた。最初に32ある町内会を北部・中部・南部に分け、代表2人を選出。その後その6人の互選により役を決めるということで始まったのだが、あれよあれよという間に副会長に就くことになってしまった。
佐々町内会連合会には60代・70代はおろか80代まで、そうそうたる先輩方がいらっしゃる。そんな中、私ごとき若輩にまさか声がかかるなどとは夢にも思っていなかった。驚き、戸惑ったが、これまでの連合会の会議や懇親会等での私の発言に対し、一定の評価をいただいたものと受け止めることにした。その責任を全うしたい。

会は午後1時半から始まり夕方5時15分くらいまで行われ、さまざまな審議・その他があった。
その後、5時半から懇親会が行われたが、会議の延長で侃々諤々【かんかんがくがく】。その後の2次会でも町長を交えて6・7人で侃々諤々。3次会で5人になり、ようやくカラオケが入るというようないつものパターン。
帰宅は小浦方面3人乗り合わせてタクシーで。家に着き、居間の時計を見ると午前1時半、この日は、くるみさんの帰省の日だ。先ずは女房どのに帰宅の報告、次いで2階に上がり、くるみさんに声をかける。2人とも、酔っ払いに快く言葉を返してくれた。
できた妻であり、子である。
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黄金の少年時代

2008年04月11日 | 暮らし
  寒月や女房と腕を組んでみる

俳優・小沢昭一さんの句だ。今朝、何気なくテレビを見ていたら小沢さんが出演していた。
最近は、すっかりラジオを聴かなくなったが、かつてのラジオ番組で今でも心に残っているものがいくつかある。
その一つが今は亡き城達也さんの『ジェットストリーム』、フランクプルセルオーケストラの『ミスターロンリー』のメロディーに乗せて城さんの甘く低いあのナレーションが流れてくる。
 遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を 音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。

こうして記していても、鮮明にあのメロディーと城さんの声が聴こえてくる。
そして、小沢さんの『小沢昭一的こころ』だ。やはり、口笛によるあの軽快な主題曲が今この瞬間にも流れてる。

小沢さんは、戦前の子供の頃を「黄金の少年時代」と呼び、戦後すぐの開放的な頃と共に、とてもいい時代があったと語っていた。
優れた脚本家であり、小説家・随筆家でもあった向田邦子さんが描く世界にも昭和初期から戦前にかけての「いい時代」の香りがそこはかとなく漂っている。

今の子供たちが大人になり、自らの子供の頃を振り返り「黄金の少年時代」と呼べるような社会でありたいと願う。
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心の病

2008年04月10日 | 学校教育
『心の病』 「国家公務員 長期病欠の63%」の見出しで人事院の調査がきょうの新聞に発表されていた。

それによると、2006年度に病気やけがで1ヶ月以上休んだ国家公務員は6,105人にのぼり、このうちの63%がうつ病などの「心の病」が原因だったという。
年代別で見ると、長期病欠者に占める心の病気の割合は20代で81%、30代が73%、40代が66%と若年層ほど高い傾向が顕著に表れている。

全体の職員数が年々減少しているため、長期病欠者の総数は年々減少しているが、逆に心の病に倒れる人たちの数・割合共に大幅に上昇している。それも前途ある若者にその傾向が強く表れているのに心を痛める。

教育社会学者の本田由紀さんは、学生時代を優等生として勉学に打ち込んだ。しかし、そこで得た知識が学校の外の社会では全く通用しないことに絶望する。その時、これまでの勉強が膨大な無意味なものでしかなかったことに気付く。
テレビ「爆笑問題のニッポンの教養」の中で、大田さんにあおられた本田さんはそう述懐した。

大切なものを犠牲にして打ち込んだ勉強が膨大な無意味なものだったことに気付いた者は、やっとの思いでつかんだ地位を利用して、その空虚な心の内を金や物で埋めることで精神のバランスを保とうとするのだろう。そして、それができないものは心の病に倒れるほかないのかもしれない。
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2008年04月10日 | 暮らし
首相、青筋立て小沢氏なじる「人事権の乱用だ」(朝日新聞) - goo ニュース

「誰と話せば信用できるのか、ぜひ教えていただきたい。かわいそうなくらい苦労しているんですよ」と党首討論で語気を強めた福田首相、「かわいそうなくらい苦労している」とは、ご自身のことを指しているのだろうか。

政治権力の最高の地位に就きながら、どんな展望をも私たち国民に向かって語ることができないどころか、あっけにとられるほどの無為無策ぶり、これが私たちの国の総理大臣の姿なのだ。
年金問題、後期高齢者医療制度問題、道路特定財源問題等、混迷の度合いは深まるばかりだ。そして、そのツケは国民の、それも最も弱いところに決まって回される。

首相が「かわいそうなくらい苦労する」のは当然だろう。その覚悟がなくて、どうして進んで総理大臣の座に就かれた。本当に、かわいそうなくらい苦労している多くの国民のことを彼ら政治権力者は分かってはいないし、おそらく分かろうともしていない。

3日前の我が家の裏庭のサクラです。昨日、今日の雨で今はもう散り始めています。
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白紙の手紙

2008年04月08日 | 学校教育
4月1日、くるみさんが入寮するのと入れ替わるように有紀さんが福岡から帰ってきた。入学に際し、麻疹【はしか】の予防接種が必要という。

翌2日、くるみさんは「ふれあい合宿」に出かけた。橘香館の恒例行事で新入生はこれで打ち解け、仲良くなる。

2日の午前中、中学校に出向いた。過日、中学校から封書が届いた。封を開けると、驚いたことに中には丁寧に四つ折された白紙が入っているだけだった。どのような用件だったのか、また、どのように間違えば、このようなことが起きるのか、担当された方に直接お会いしてお尋ねしたかった。

ちょうど職員会議の真っ最中のようだったが、教頭が出てこられた。最初に口頭でそのことを尋ねたが、どういうことでしょうかと聞き直された。もっともだ。誰が聞いても言いがかりを付けているとしか思えないような話だ。そこで、おもむろに送られてきた封筒と中身を示すと、さすがに慌てられ、恐縮され、職員室にとって返し、入学式の案内状をお持ちになられた。
どなたが作成されたのか尋ねると、みんなで手分けして作ったとのことだった。しかし、白紙と気付かず、どうしてそれをきちんと四つ折にでき、封筒に入れられたのか。過ちであったとすれば信じがたいミスだ。それだけ申し上げ、後は教頭に委【ゆだ】ねることにした。

どんな封書にも言葉と共に差し出す者の気持ちは込められる。それゆえ、受け取った者はそれを推し量る。したがって、それが白紙の手紙でも意味は生じる。

もろくて傷つきやすい多感な思春期の子供たちと接する教職員には、人一倍の想像力と繊細さが必要とされるはずだ。
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くるみさんの入寮の日

2008年04月07日 | 家族
絵理子さんの結納が済んだ翌々日、くるみさんの入寮日だった。
絵理子さん、有紀さんと上の2人ともが高校生から寮生活を送ってきた。入寮に際し、何をどう準備すればいいのか女房どのはすべて承知している。入寮の前日、1日だけで支度は整えられたようだった。

3月31日、女房どのが昼から休みを取って帰宅したところで、愛車デリカに荷物を載せ、大村へ向かった。
この日も大村湾は波穏やかだ。「春の海ひねもすのたりのたりかな」蕪村も、こんな海を見ていたのだろうか。

寮に着くと、顔なじみの寮母さんが迎えてくれた。橘寮は全室個室で、新3年生が7名、新2年生が8名、新1年生は4名の小さな女子寮だ。玄関を入ると正面のホワイトボードに「ようこそ橘寮へ」という歓迎の言葉と共にくるみさんの名前を始め新1年生4名の名前が記してあった。

橘寮の先輩になる有紀さんは、ここでかけがえのない友情を育んだ。くるみさんは、どんな3年間をここで過ごすことになるのだろう。
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想像力よ高く飛べ

2008年04月02日 | 暮らし
首相「ネーミングよくない」 後期高齢者→長寿に(朝日新聞) - goo ニュース

今夜、テレビのニュースで各地でご高齢者が立ち上がったのを知った。ネーミングの問題ではないが「後期高齢者」とはいかにも冷徹なネーミングだ。
かつて寺山修二は、どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろうと語ったが、想像力のない役人と政治家と資本家が幅を利かす私たちの社会の貧しさを憂う。

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