峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

「佐々町将棋同好会」発足

2010年03月28日 | 将棋
町の社会福祉協議会主催の囲碁・将棋大会が行われるたび、参加されたみなさんの中から将棋を指せる場所があったらいいのになぁという声が上がっていた。
なかなか実現しなかったが、今年、みなさんをまとめるための労をとられる方があらわれ、ついに「佐々町将棋同好会」が発足することとなった。

大会が終わった後、会の発足を目指して精力的に動いておられる方がいらっしゃるというのを耳にしていた。お声がかかれば協力を惜しまないつもりでいたところ、ある日、その方から相談があると電話をいただいた。電話の後、すぐにお仲間とお2人、連れ立ってわが家にお見えになられた。

すでに、会則の叩き台を作っておられ、それを基にみなさんで話し合いたいというご意向だった。それは、さぞかし皆さん喜ばれることでしょうとお2人の尽力にお礼を申し上げた。
ついては、案内を出すに際し、世話人として私の名前を出していいかというお申し出があった。連名にして出されるのだろう。それくらいはおやすい御用とばかりお引き受けした。

ところが、2,3日後に届いた案内の葉書を見て驚いた。差出人が「世話人 峰野裕二郎」となっている。連名ではなく、私の名だけなのだ。どうやら、うまくはめられたようである(冗談です)。

一昨夜、その会の初会合が行われた。13名の参加があった。何かとお世話になっている日本将棋連盟佐世保支部長の松山さんと支部会員の増本さんにもお越しいただいた。
いろいろな意見が出た中、いくつか取り決め、1時間ほどで散会とした。

結局、みなさんのご推挙で会の世話役をお引き受けすることになった。これまでの行きがかり上、また、将棋の神様にいい思いをさせていただいている以上、免れる訳にはいくまい。
とにかく、和を重んじ、みなさんに将棋を通して楽しく交流していただけるようなお手伝いができればと考えている。
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教職

2010年03月25日 | 夫婦
女房どのが6年間勤めた学校を、この春、後にすることになった。
昨日、離任式に臨んだとのこと、花束とプレゼントをたくさんいただき、彼女の車では運べそうもないというので受け取りに出向いた。

よく、夜に保護者の方から電話をいただいていた。女房どのの方から保護者の方に電話をかけている姿もしばしば目にした。
聞くともなしに聞こえてくるのは、子供たちのお母さんへの励ましの言葉だった。

教え子と保護者の方々からのメッセージが花束とプレゼントに挟まれてあった。
そこには感謝の言葉があふれていた。




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新たなる希望

2010年03月18日 | 夫婦
“新たなる希望”(ヌーヴェルエスポワール)と名づけられたワインを女房どのが求めてきてくれた。
ラベルには「私たちは考えました。人々が『新たなる希望』を見出せるような、そんなワインをつくりたい」とあり、続けて、世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた「島崎大」という醸造家が「いつでも誰もが気楽に楽しめる本格デイリーワイン」をコンセプトに造ったワインだとあった。

さっそく昨夜いただいた。
なるほど美味しかったし、確かに“新たなる希望”を感じることもできた。もっとも、ビールでも日本酒でも焼酎でもウィスキーでも、いただけばいつだって“新たなる希望”に酔っている私なのだが。

「この冬は雨が多い」、このところの寄り合いで挨拶代わりに交わされる言葉だ。
そのため草の伸びるのが早い。昨日、久しぶりの晴天に誘われて裏庭と集会所前の空き地の草刈に励んだ。

水仙の黄色い花が風に揺られ、お辞儀を繰り返し、パンジーの色とりどりの愛らしい花が微笑んでいる。
サンショウの葉の新芽が形を整え、モクレンや桜やハナミズキやヤマボウシやツツジの蕾が大きく膨らみ、出番を待っている。

春の足音が聞こえる。自然は新たなる希望に満ちあふれている。
絶望してはいけない。
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新しい人たち

2010年03月17日 | 父親と子
東京都の文京区長が育児休暇を取得すると表明し、話題になっている。
区長自らが子育てを楽しみ、子供にたっぷりと愛情を注いでやることが第一義ということだが、同時に組織のリーダーである区長自らが率先垂範することにより、男性職員の育児休暇取得のハードルを下げたいとの思いもあるという。

男性の育児休暇取得について、2006年3月の町内会長会で当時の町長に私たちの町役場の男性職員の育児休暇取得について質したことを「新しい風よ吹け」と題し記している。
そのとき町長は「強制的にでも取らせるようにしなければならない(育児休暇を)。取得率が上がるよう、すぐ研究させる」と答えられた。
しかし、その後、役場に新しい風が吹いたという話は聞いていない。

このところ「イクメン」という言葉をしばしば耳にする。育児に熱心な父親を指し「イケメン」に掛けてこう呼ぶらしい。最近、育児に関する父親向けの情報誌の売れ行きが好調だとかで、その筋によるネーミングなのだろうが、マスメディアが喜んで用いている。

それはともかく、4人の子供の育児を精一杯楽しませてもらった父親の1人としては、子育てを大切なものと考え、それを積極的に楽しもうとする若い父親が増えてきていると聞くと、感慨深いものがある。

ときどきコメントをよせていただいているけんじさんは、職場で先駆けて育児休暇を取られたと聞いている。
天使の父親である研二くんは、天使を抱っこしたまま彼自身が眠っていることがあった。疲れからうとうとしているのだが、それでも天使をしっかりと抱いたままなのだ。彼の我が子によせる愛情の深さと同時に、育児に主体的に関わっていこうとする気持ちが感じられ、微笑ましかった。

だれに踊らされるのではなく、本当に大切なことをきちんと大切にできる主体性を持っていたいと思うが、子育てほど、楽しく面白く、尊いものを私は他に知らない。
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暗くて遠い道

2010年03月16日 | 学校教育
先ごろ、県内の小中高校で起きた暴力行為等の実態調査の統計が報道された。県教委の児童生徒支援室という部署の発表とある。
それによると、県内の小中高校で児童・生徒が起こした暴力行為は487件で、07年度の約1.7倍となっている。
暴力行為の発生数は小学校16件、中学校357件、高校114件で、いずれも前年度より増加しているが、教師に対する暴力・生徒間での暴力・それ以外の人に対する暴力・器物損壊の4分類のうち、中学校での器物損壊は07年度の5倍にあたる127件を数え、際立って増えたとある。

器物損壊が相次いだという長崎市内の中学校長は「教師が叱ると、感情をコントロールできなくなり、ものに八つ当たりする生徒が増えたように感じる」と語っている。
また、長崎市校長会で生徒指導部長を務める校長は、特定の生徒が問題を繰り返すケースが少なくないとした上で「両親の不和や経済的な困窮など家庭環境に問題があり、学校でストレスを発散させているようだ」と語っている。

校長の言葉に「教師が叱ると」とあるが、それが「叱る」というようなレベルではなく、権力や力を持つ者の弱者に対する一方的な暴力だとすれば、その「被害者」である生徒は暴力でもって、さらに弱い者に向かうし、時に物に向かうだろう。子供の有り様は、大人の写し絵そのものだ。
また、それが「家庭環境に問題があり」人間性を喪失している子供たちであればなおさらのことだろう。

人間らしさを失ってしまった子供が、魂の自立していくのは容易なことではない。それに添う役割を、彼らの家庭・親に期待するのはあまりにも酷だ。
彼らも加害者であり被害者なのだ。

これらの子供たちは、どうやって失われた人間性を回復すればいいのだろう。
彼ら自身の中に潜み、彼ら自身がいまだ気付いていない、まぶしいほど光りうる力を引き出す手伝いをしてくれるところを、いったいどこに、だれに求めればいいのだろう。
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どこに行く

2010年03月11日 | 学校教育
長崎県西海市立中学校の30代の教諭が2年の男子生徒に体罰を加え、肋骨にひびが入るケガを負わせたと新聞・テレビが伝えた。

県教委・市教委によると、教諭は授業中、生徒に服装の乱れを注意したが生徒が素直に聞き入れなかったため、平手で顔を数回たたき、ひざで背中を数回けったという。
これは、体罰というより一方的な暴力であり、明らかな虐待だ。さらに驚くことに、校長は生徒の保護者に対し「ことを荒立てたくないので、打撲したことにしてほしい」と申し出ていた。

平成21年版青少年白書によると、全国の児童相談所や警察によせられる児童虐待に関する相談件数は増加の一途をたどり、児童虐待事件検挙件数もこの5年間で1.3倍となっている。20年度中、45人もの子供たちが虐待によって尊重されるべき生命を絶たれた。

児童虐待問題は依然として社会全体で早急に解決すべき重要な課題だと白書にはある。
まして長崎県では過去に少年によって引き起こされたいくつかの不幸な事件があり、どの県よりもそのことを重く受け止めなければならないはずだ。実際、子供の健やかな心を育むには、大人の在り方こそが重要だと県をあげて「ココロねっこ運動」だとか「長崎っ子の心を見つめる」教育週間といったものに取り組んでいる。
しかし、いっこうにこの種の事件が後を絶たない。家庭における親の児童虐待の件数は増え続け、学校における教諭の虐待もなくなることはない。

何故なのだろう。
他のさまざまな問題もそうだが、一向に明るい兆【きざ】しが見えてこない。それは、私たちの社会のリーダーが体裁だけをとりつくろっているからだろうか、それとも「一生懸命」のベクトルの向きがあらぬ方向だからなのだろうか。
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天使の笑顔

2010年03月10日 | 家族
午後から町の民生児童委員協議会の定例会に出席していたが、折しも季節はずれの雪が降り始め、会場の福祉センターを後にする3時半頃には激しさを増していた。

先週末、天使が顔を見せにやってきてくれていた。
天使は、もうすぐ4ヶ月になる。母親の絵理子さんと有紀さんの3人、元気な顔を見せてくれた。

実は、およそ1ヶ月前、こちらから女房どのと2人で天使のもとへ出かけていた。女房どの共々、天使に会いたくて会いたくて、その気持ちが高じて押しかけたのだった。

わずかな期間に天使はずいぶん成長していた。
人見知りが始まり、抱き上げると最初は泣いた。ちゃんとお母さんと、その他の人との違いを認識できるようになり、それを表現できるようになっているのだ。
目を合わせ、あやすとよく笑う。ご機嫌な時は、まだ言葉にならない声で語りかけてくれた。その声は心地よく、まさに天使の声だ。

まぶしいほど生命がキラキラと輝いている。
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ひなまつり

2010年03月04日 | 家族
昨日、3月3日は桃の節句・雛祭【ひなまつり】の日、我が家では裕理ちゃんと女房どのと私の3人で「雛あられ」ならぬ雛ケーキを供えて祭った。

有紀さん・くるみさん・そして研二くん・絵理子さん所の天使には、それぞれ雛祭カードを贈った。
カードといっても単なるカードではなく、開くと絵が立体的に飛び出してくるポップアップ絵本のような凝った代物【しろもの】だ。封筒から取り出すと、雛壇と人形が段飾りとなってあらわれる仕掛けになっている。女房どのが過日、求めていた。
それにメッセージを添え、雛祭の日に届くよう郵送していた。

くるみさんは県内に住んでいるので、彼女のもとには1日早く着いてしまったようだ。前日、女房どのに有り難うとメールが入った。
3日の午前中、絵理子さんから、可愛くて感激したと女房どのと私のそれぞれにメールが入った。春休み中の有紀さんは、ちょうどその日に湯布院への旅行から帰宅したばかりのところで、サプライズで嬉しかったと、やはりそれぞれにメールが入った。

昔から、このようにして親は子供の幸福と成長を祈ってきた。
ところが、近年、幼児虐待や子殺しが連日のように報道される。いったい私たちは、どこで何を、どう間違ってしまったのだろう。

結婚とは、夫婦とは、家族とは、子供を育てるとは、果たしてどういうことなのだろうか、雛祭を機にあらためて考えてみたい。
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今こそ つながろう

2010年03月02日 | 暮らし
数日前になるが、NHKテレビ『歴史秘話ヒストリア』「たった一人のあなたへ“蟹工船”小林多喜二のメッセージ」を見た。

目の前にある不条理や矛盾を放っておくことはできない。多喜二は、それを変えることができるものが文学と信じ創作に意欲を燃やした。
しかし、時あたかも日本が戦争への道をまっしぐらに突き進む中、厳しい弾圧を受けた多喜二は、わずか29歳という若さでその生命を断ち切られてしまう。

小林多喜二が命を賭【と】して伝えたかったもの、それは人間一人ひとりの尊厳と、つながりあうことの大切さであり、同時に、それを断ち切ろうとするものへの怒りだった。

昨年、その多喜二の代表作「蟹工船」がベストセラーになった。今年に入っても売れ続け、150万部を超えるロングセラーになっているという。このことは、いったい何を意味するのだろう。

バンクーバーオリンピック選手村入村式で、スケートボード・ハーフパイプ国母選手の彼流の制服の着こなしが物議をかもした。マスメディアはそれを面白がって届けた。ある番組で、道行く人たちにそのことを問うていた。それを聞いていて違和感を覚えた。国母選手と同世代の若者に限って厳しい意見を寄せていた。

また、佐世保市の今年の成人式で、多少やんちゃの過ぎた新成人数人の行動が広く取り上げられ、世間の顰蹙【ひんしゅく】を買うという出来事があった。その日その会場で佐世保市長は、ひと暴れして席に着いた彼らを厳しくたしなめた。ところが、その時やんちゃが過ぎた若者と同じ仲間の新成人から拍手が起きた。彼らは、式後のインタビューに、せっかくの成人式が台無しになったと異口同音に応えた。
同じ側に立つべき若者が同じ若者をたたく。

若者が孤立化している。いや、孤立化させられている。若者たちのつながりが何ものかによって断ち切られている。
彼らがケータイを手放せないのには訳がある。たえず、メールで相手が仲間であることを確認しておかずにはいられない。さもないと、孤立している現実に直面させられる。しかし、言葉で表すことができるのは思っていることのほんの一部にしか過ぎない。それを補うべく彼らは絵文字を駆使する。ほんの少しの行き違いが孤立している現実を浮かび上がらせることを彼らは恐れている。

孤立化させられているのは、なにも若者に限ったことではない。社会の、いたるところで人々が孤立化させられ、無気力化させられ、目の前にある不条理や矛盾に怒りの声さえあげられずにいる。ただ、ささくれ立った心が弱い者へ牙をむくだけだ。

多喜二が命を賭して伝えたかったもの、それは人間一人ひとりの尊厳と、つながりあうことの大切さであり、それを断ち切ろうとするものへの怒りだった。
その多喜二の本が時を経て今、再び売れているという。
希望は、ある。
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