峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

どっこい 巻かれないよ 2

2015年01月19日 | 町内会長

結局、5町が脱退してしまい(脱退させてしまい)佐々町単独で運営せざるをえなくなったクリーンセンターは、年間1億円ほどの赤字経営を余儀なくされているが、新たに施設の老朽化が問題となってきている。

また、7町で運営していた旧鹿町町にあるし尿処理施設についても、佐世保市との合併が進むにつれポロポロと脱退された。2010年に旧鹿町町と旧江迎町が佐世保市と合併する際、市の施設に2町分を処理する余力がないとの理由で新市となった佐世保市と佐々町とで一部事務組合を継続してきたが、佐世保市は今年の3月で老朽化を理由に旧鹿町町の施設を廃止する旨通告してきた。

3月以降どうするのか、待った無しのところにある。昨年12月16日佐々町議会定例会の一般質問を傍聴しに出かけた。行政と議会は議論を積み重ねてきたようだが、ここに至っても結論は出ていない。

(つづく)

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長いものに、どっこい巻かれないよ

2015年01月16日 | 町内会長

午後3時半から佐世保市役所13階大会議室で開かれた「子供を事故から守る協議会」の役員会に出席した。この会は、佐世保市の幼稚園・小中学校・PTA連合・警察署(佐世保・早岐・相浦・江迎・新上五島)・防犯協会・交通安全協会・青少年健全育成協議会・交通安全母の会連合会・少年補導員連絡協議会・青少年教育センター補導委員連絡協議会・交通安全防犯推進室・青少年教育センター・学校保健課・学校教育課・その他関係機関と、およそ佐世保市内の子供に関わるありとあらゆる組織からなるもののようだ。今回初めて出席して分かった。

では、佐々町の住民である私が何故このような佐世保市の会合に出席したかというと少々説明を要する。

佐々町が属する北松浦郡は、いわゆる平成の大合併が行われる前までは13の町村自治体で構成されていた。それが合併促進の号令の下、鷹島町と福島町が松浦市と合併、また、生月町と大島村と田平町が平戸市と合併、そして、吉井町・世知原町・宇久町・小佐々町・江迎町・鹿町町が佐世保市と合併してしまい、離島である小値賀町と佐々町のたった2町のみが生き残り単独の町政を続けている。

北松浦郡というくくりで手を携え、様々なことを共に創り上げ、活動し、暮らしてきた住民にとって、国や県からの号令により、そのつながりをバラバラにされた虚しさ、悔しさ、その喪失感は決して少なくない。

それは、決して情緒的なことに留まらず、現在、私たちの町が抱えるごみ処理施設と、し尿処理施設の問題に見られるよう超現実的・深刻なものがある。

これらは、元来、国と県による強引な合併施策がもたらした負の遺産に他ならない。かつて、ごみ処理も、し尿処理も一部事務組合(複数の地方公共団体が行政サービスの一部を共同で行うことを目的として設置する)という形で行われてきた。本来、ごみ処理施設・し尿処理施設・火葬場等は、少子化の問題を含め地方公共団体の枠を超えたところで考えられてしかるべき事柄なのだ。しかし、極めて残念なことにそれがそうなっていない。はっきり言えば、政争の具にされている。

ごみ処理施設でいえば複数の町でまかなっていくはずのものが合併を口実に佐世保に吸収された町は全て一部事務組合を抜けてしまった。それは、県の指導であり、佐世保市の思惑であろうことは疑いの余地がない。それほど国や県等権力を握っている組織がやることはえげつない。

(つづく)

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福岡へと

2015年01月15日 | 家族

くるみさんの4月からの新しい住まいを決めるために、女房どのと共に午前7時半過ぎに愛車アルファ159で自宅を発ち福岡へと向かった。
女房どのは、昨夜から子供たちに食べさせようと巻き寿司や唐揚げなどを作っていた。真に母親とは有り難いものである。
新幹線を利用するくるみさんとは博多駅筑紫口で待ち合わせることにしていた

午前9時過ぎに博多駅筑紫口到着。待ち合わせの時刻までには1時間以上ある。駅のすぐそばのホテルの駐車場に車をとめ、駅ビルの中のカフェでコーヒーでもということになった。

一息つくのにちょうど良い具合の時間を過ごし、待ち合わせの場所へと赴くと間もなくくるみさんがやって来た。

インターネットが広く行き渡ったことで部屋探しもずいぶんと様変わりした。あらかじめネットで部屋を調べ、目星を付けていたくるみさんは不動産屋にも連絡を取っていた。

不動産屋は天神隣の大名にあるDIGという店、店内は小ぢんまりとして洒落た感じで、今風のヘアスタイルで今風のファッションを身にまとい、左耳の耳たぶにはピアスの穴の跡がある若い男性が応接をしてくれた。名刺を見ると「課長」とあった。

色々と説明を聞き、最終的に3つのマンションを候補に絞り込み、実際に物件を見に行くことになった。

今回の部屋選びで、くるみさんが最も重要視していたのがオートロックのマンションタイプであり、かつ大学まで近いということだったが幸いにも3番目に訪ねた物件を気に入りお願いすることとなった。

これで、我が家の3人の子供たちは揃って福岡に住むことになる。

 

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新しい支援の在り方

2015年01月14日 | 民生児童委員

午前10時から町長室で町長との定例の意見交換会に臨んだ。出席者は町長の他、副町長と総務課課長補佐、また我々町内会長連絡協議会からは今村幹事と私であった。町政全般多岐にわたり、正午まで2時間みっちり意見交換させていただいた。いろいろある。

帰宅して昼食をとった後、午後1時半から福祉センターで開かれた佐々町民生児童委員協議会の定例会に出席した。いつものように住民福祉課課長及び課長代理・包括支援センター係長・社会福祉協議会会長及び事務局長の参加があった。

近年、社会の有り様が恐ろしいくらいの速さで変化している。そんな時代の大きなうねりの中で、社会にうまく適応できずとり残されていく人々がいる。なかんずく小泉政権の頃から言われ始めた経済格差は、ここにきて深刻の度合いを深めている。

国は、生活に困窮する国民に対し、その最低限度の生活を保障するために生活保護法を制定している。その受給者数は平成24年に過去最高を更新し、25年にはその数215万人にのぼり、それ以降も増加傾向を続けているという。
そこで政府は、生活保護受給者や生活困窮に至るリスクの高い層の増加を踏まえ、生活保護に至る前の自立支援策の強化を図るとともに生活保護から脱却した人が再び生活保護に頼ることがないようにすることが必要と、生活保護制度の見直し並びに生活困窮者対策の一体実施が不可欠との観点から新たに「生活困窮者自立支援法」を創った。今年4月からそれが施行される運びとなっている。これを決して「貧しき者」のためだけの施策ととらえてはならないと考える。彼らがいて、そして私たちがいる。

生活困窮者に対し、とりあえず当座をしのいでいただくために自治体がお金を貸し出す仕組みがある。各種の福祉資金である。その借り入れのため、行政あるいは社会福祉協議会の窓口に来られた方々に対し、一律の形式的な対応ではなく、端的に言えば彼らのそれからの人生に希望が見出せるような支援の仕方を、そして、それは決して彼らのためのみならず、そうでない人々のためにも、窓口に来られた方々に対し、さらにその背後に隠れている潜在的な社会的弱者に対し、有効な生活保護の在り方を含め、新たなコミュニケーション・新たな対応でもって彼らに向かい合うべきだと問題提起し、意見交換した。

フランスにおけるテロは決して対岸の火事ではない。

 

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学校給食

2015年01月13日 | 暮らし

午前11時半から口石小学校で開かれた佐々町行政経営改革委員会に出席した。きょうのテーマは町立小中学校における学校給食、現場のみなさんの声を直に聞くために委員と副町長及び企画財政課の職員のみなさんとで、町内に2校ある小学校のうちの1校を訪れたのだった。

小中3校それぞれの調理員3名のみなさん、中学校にいる学校栄養士の方、それに3校の校長のみなさんにも意見交換に参加いただいた。

先ずは、そろって給食をいただく。この日のメニューは、カレー・麦が混ざったご飯・牛乳それにデザートのフルーツ盛り合わせだった。カレーは普通のカレーに、アレルギーを持つ子供のために別に作られたカレーが添えられた。佐々町だけではなく、学校給食における食物アレルギー対応は自治体にとって今日的な重要課題となっている。

佐々町における学校給食に関する課題は大きく3点ある。1つは、各学校それぞれで給食を作るいわゆる自校方式がいいか、小中学校それに幼稚園の給食を一括して作るいわゆるセンター方式がいいかという問題であり、2つ目は直営か民営化するのかという問題であり、3つ目にそれに関連して働く人の雇用形態、すなわち正規雇用なのか非正規雇用なのかの問題だ。

現場の皆さん方の声は大変貴重なものであった。大きく財政的な問題が横たわっているが、他とのバランスをはかりながらも、真に大切なところに重きを置く施策をとっていただきたく提言を続けたい。

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久しぶりのラウンド

2015年01月12日 | ゴルフ

昨日の鏡開き・新年会は、本町内会の会長の交代すなわち任期の問題から本町が抱えている様々な問題、なかんずく喫緊の課題であるし尿処理施設とごみ処理施設について、さらには佐賀県知事選について、また安倍政権について、そして憂鬱なテロ問題まで話が及び、ひと段落ついたのは午後6時という長丁場になった。

その後、二次会へという話になった。私は、翌日ラウンドすることになっていて困ったのだが、お先に失礼というわけにもいかず一軒だけおつきあいし解放していただいた。

ということで、今日は「佐世保・平戸カントリークラブ」で伯父とそのお仲間お二人の計4人でラウンドした。結果は49・53の102、全くもって納得のいくプレーができなかった。

昨年「佐世保・平戸カントリークラブ」でオフィシャルハンディキャップ15を認定された。密かに今年、シングルプレーヤーを目指している。

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鏡開き

2015年01月11日 | 町内会長

正午から町内会の鏡開き及び新年会を行った。いつの頃からか恒例になった東京在住の藤本さんの参加もあって町内会の新しい年の最初の行事を楽しく催すことができた。

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いつものように

2015年01月09日 | 町内会長

5日は午前中の成人式に引き続き、正午からの町主催の新年祝賀会に出席した。成人式同様、毎年恒例の町の行事だ。

6日午前10時から、これまた恒例の消防出初式に出席。例年、屋外で、それも小雪が舞うような厳しい冷え込みのもと行われるのだが、今年はいくらか暖かく、あいにくの雨模様となり町の体育館で催された。それでも、お昼には天候も回復し、7分団揃っての佐々川での一斉放水は行われた。

その後、文化会館での祝賀会に出席し、さらに地元である小浦地区で催された第6分団の祝賀会に出席した。

再び新しい年が始まっている。

 

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思いのままに

2015年01月07日 | 私塾

5日、午前10時15分から町の文化会館で開催された成人式に出席した。

会場の入り口付近でかつての塾生のMくんに声をかけられた。熊大で学んでいるとのこと、中学生の頃と変わらず生き生きとした表情をしていた。

かつての塾生といえば、昨年末、Iくんが土産を手に訪ねてきてくれた。今年25歳になるという。教室に入るのはちょうど10年振りだと感慨深気だった。

彼は、いっときミュージシャンを目指していた。だが、その道は険しく、だからといって音楽からは離れ難く、その関係の仕事をしていたようだったが、東日本大震災が彼の人生観を変えた。一念発起し、上京して昼間働きながら夜に専門学校に通う生活を2年間続けた。現在、専門学校で学んだ建物の耐震構造の設計を仕事にしているという。

かれこれ2,3時間話をしただろうか。Iくんは晴々とした表情で帰っていった。中学時代、道に迷っていたIくんだったが、そこから10年の歳月を経て、今しっかりと進むべき道を見据え着実に歩を進めている。

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今年こそ

2015年01月02日 | 暮らし

明けましておめでとうございます。

振り返るまでもなく、昨年も結局は己の事のみ考えているような一年でした。今年こそ、もう少しマシな人間になりたいと決意を新たにしています。

あなたにとって良い一年となりますよう。

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