夕方まで遊んだ糸葉さんは、もう1日泊まりたいと軽口をたたきつつ、お母さんの運転する車のチャイルドシートに収まり、お父さんが待っている彼女のわが家へと帰って行った。
絵理子さんの次女である結理さんが昨日、5歳の誕生日を迎えた。
彼女の2人の叔母さんと従妹、そして、おばあちゃんとおじいちゃんから結理さんの誕生日を祝福する動画やメッセージが家族のラインで届けられた。
結理さんは、いつもニコニコ、茶目っ気たっぷりの可愛い人だ。会う度「おじいちゃん!」と両手を広げ、私に抱っこをせがんでくれる。私は、それに応じ、「どれどれ、どれくらい重くなったかな」と結理さんをきつく抱きしめる。
無条件に人を愛することの出来る仕合せを思う。
昨日から、有紀さんが糸葉さんと共に静養のために帰省している。
昨夜は、女房どのと私と糸葉さんとで川の字になって寝た。午前4時前から東の空が明るくなる頃まで、糸葉さんがむずからないよう抱っこしていた。
有紀さんも、赤ちゃんがなるべくむずかることのないよう、なるべく泣かせないようしているようで、だから疲れる。赤ちゃんの母親にはサポートが必要だ。
赤ちゃんは泣くのが仕事とか言われるが、それは親の方便だろう。お腹がすいたり、ウンチやおしっこをして気持ちが悪かったり、蒸し暑くて寝苦しかったりするとき、赤ちゃんは泣いてそれらを訴える。親は、それにちゃんと応えてやらなければならない。
我が家の子供たちが幼かった頃、それはもう長く泣かせないよう気を付けた。
今日は、幸いなことに日中の予定が入っていなかったので、朝から夕方までずっと糸葉さんと一緒に過ごした。
夕方、お風呂も一緒に入った。
なんと幸せな1日。
昨日は、私と女房どのにとって天使のような存在である上の孫娘の卒園の日だった。
天使の家族は昨春、一大新興住宅地を形成しつつある地に新居を構えた。それに伴い天使たちは転園することになった。その転園先も昨年4月に開園したばかりの保育園で、昨日、その保育園にとっては記念すべき第1回目の卒園式を迎えていた。園長始め職員のみなさんにとって力が入らないわけわけがない。式次第には22もの項目が並び、様々な趣向が凝らされた涙涙の卒園式だった。
孫娘の晴れの姿に涙ぐむ娘を微笑ましく思いつつ、二十数年前の彼女の卒園式での様子を思い浮かべていた。
天使たちの家族の車に同乗すると、車内のモニターには必ず「リサとガスパール」のアニメが映し出される。それぞれのチャイルドシートに座った2人の天使は、もう画面に釘付けだ。
♫リサとガスパール〜♪ 流れてくるメロディーを聴いているうちに私まで覚えてしまった。
昨日、町の郵便局に寄ると、なんとその「リサとガスパール」のグッズが並んでいるではないか。早速、マルチケース2つと便箋を求めた。マルチケースは、もちろん2人へのプレゼント。便箋は私が使う。
天使たちとのコミュニケーションには、電話やスカイプ、ラインをもっぱら利用している。が、郵便もいいなと考えた。幸い、お姉ちゃん天使は文字を読めるようになっている。
これをきっかけに週に1度くらいの頻度で手紙を書こう。
11日、天使たちの通う保育園で「敬老会」が催され、女房どのと共に参加した。
午前9時半からおよそ2時間に渡り、ゼロ歳児から年長児までの各クラスの子供たちが順に、おじいちゃん・おばあちゃんたちのためにこれまで練習してきたという歌や踊りを披露してくれた。
最後に年中・年長の子供たちがそれぞれのおじいちゃん・おばあちゃんの傍に行き、身体を触れ合って遊ぶという演出があった。お姉ちゃん天使も、女房どのと楽しく遊んでくれた。私は、ずっとその様をビデオに収めていた。
夜、天使たちの家族と夕食をともにした後、しばらく同じ時間を過ごしたのだが、そこでお姉ちゃん天使の私たちに対する様子に大きな変化が見られた。
それまでであれば、天使たちは、私たちと楽しく遊んだりおしゃべりしたりするものの、お父さんやお母さんにまとわりつくようなスキンシップを私たちに求めることは決してなかった。
それがである。その夜、一緒にビデオを見ているとき、お姉ちゃん天使が私の膝の上に乗ってきたのだ。それは、いつもそうしているかのようなきわめて自然な動きだった。やがて、それを真似て妹天使も身体を寄せてきてくれた。
人は、他者との関わりの中で心が表れ、育っていくものなのだろう。
13日の午前中、女房どのと私、それに絵理子さん家族4人で墓参りをした。その後、父と母の家を訪ねた。現在、父母の家は、近くに住む弟が管理してくれている。
お姉さん天使が船に乗りたいというので、その足で「九十九島パールシーリゾート」へと向かった。
昨年、お姉さん天使は、1人でおばあちゃんとおじいちゃんの家に遊びに来た。その際、天使は、「パールシーリゾート」で九十九島を遊覧する「パールクィーン」という名の船におばあちゃん、おじいちゃんと共に乗った。
驚くことに、天使は、その船体が白色で、船の上で「おにぎりせんべい」を食べたことまで覚えていた。
今年、お姉さん天使は、おばあちゃん、おじいちゃんに加え、お母さん、お父さん、妹と一緒に「おにぎりせんべい」を頬張った。
先の土曜日、天使たちの顔を見に女房どのと福岡へ出かけた。
その前に、午前中、学校に出かけていた有紀さんと落ち合い、昼食を共にし、お茶を飲み、あれこれ話した。
その後、3人で天使たちの所へと向かった。
妹天使の結理ちゃんが4ヶ月になった。久し振りに赤ちゃんを胸に抱いた。
私たちの子供らがまだ赤ちゃんだった頃、私はよく娘を胸に抱いた。赤ん坊を抱っこして散歩に出かけ、赤ん坊を抱っこして晩酌をした。
それは、限りないようで限りある愛しい黄金の日々。生命の輝きそのものを包み込む営みだった。
一昨昨日、お姉ちゃん天使の彩理ちゃんが3歳の誕生日を迎えた。可愛い盛りだ。
孫は、責任がないから可愛いと人は言う。
彩理ちゃんと私たち夫婦の3人だけで過ごした真夏の3日間、あの時ほど彩理ちゃんが可愛く思えたことはない。両親から離れ、私たち夫婦を頼りにするほかない天使が愛おしかった。その天使を守らなければならない責任感が彩理ちゃんへの思いの強さにつながった。あの時から彩理ちゃんは、私たち夫婦にとって特別な存在になった。
無責任はつまらない。責任を持つことで思いは深まる。