一昨日の話の続きです。
女房どのによると、昨年のクリスマス前のある日「サンタクロースが誰か、分かってるよ」とくるみさんが切り出したそうです。
くるみさんは、幼い頃からサンタクロースに大変興味を示してきました。あのサンタクロースへの質問状は、小学2・3年生のころに書かれたものだと思いますが、その前後2・3年、同じような質問状が枕元に置いてあったものです。
また、訪れてきてくれるサンタに会うため、今夜は眠らないんだと目をらんらんと光らせているクリスマスイブの夜も何度かありました。
子供たちの学年が上がるにつれ、サンタも次第に注意深く事を運ばなければならなくなりました。
深夜0時を過ぎて車のトランクからプレゼントを運び出したり、音を立てないよう忍び足で子供たちの枕元に近づいたりと、思えば、サンタさんには親子してずいぶん楽しませてもらったものです。
一昨日、こんなのが出てきたよと、帰宅したくるみさんにあの質問状を見せると、あのクリスマスイブの夜のように瞳を輝かせながら「思いっきり、お父さんの字じゃない!なんで、私、気づかなかったとやろ?」と、そこには大人になったくるみさんの笑顔がありました。
しかし、私はあえてそれを認めませんでした。それでもサンタクロースは、いるのですから。
ただ、その時、私には気になっていたことがありました。メモ紙の裏面の答えの「さあ どうかな」の文字の書体が表面のそれと異なっていたのです。
くるみさんが裏返したメモ紙のその文字を改めて見たとき「『さあ どうかな』は、お母さんの字だよね」という言葉が口をついて出たのでした。
もちろん、すぐにくるみさんにつっこまれました。
それでもサンタクロースはいるのです。
くるみさんは、自分にプレゼントを運んでくれるサンタクロースを見たことはありません。
だからといってサンタクロースがいないわけではありません。
サンタクロースの話をするとき、私はいつもバージニアちゃんの手紙に対するニューヨーク・サン紙の社説を思い出します。
「バージニア、そうですとも、サンタクロースはいるのです。愛や、思いやりや、ひたむきな心というものがあるように、サンタクロースも存在しているのです」
目に見えないことこそ大切にする必要があることを、私は子供たちに伝えてきました。
我が家の次女の有紀さんは「信頼」という言葉を大切にしているようです。中学生の頃からその言葉をノートの裏表紙など、いろいろなところに記しているのを見てきました。
その有紀さんの誕生日が今月の5日でした。17歳になりました。
帰省した際は中学時代からの友人らと集まり、近くのファミレスでおしゃべりに興じているようです。前回は、高校を辞めた友人2人しか来ていなかったそうです。高校に通っている友人らは部活に勉強にと忙しく来られなかったといいます。
家にいるときは、もっぱら本に親しんでいます。女房どのが求めてくる本を片っ端から読んでいます。ずっと若い作家のものを読んでいるようでしたが、先日、ドストエフスキーの『罪と罰』を買ってきてとリクエストしていました。何か思うことがあったのでしょう。
再び、ニューヨーク・サン紙の社説から一部を引用します。
「赤ちゃんのガラガラをこわせば、どうして中から音が出るのか調べてみることはできるでしょう。でも、目に見えない世界をおおっているベール、これは世の中の一番の力持ちの、そのまた一番の力持ちが、みんなで力を合わせても引き裂くことはできません。このカーテンを引き開けて、天上の美と、そのかなたにある栄光を目にすることができるのは、信じる心、想像力、詩、愛、ロマンスだけなのです。これらは形あるものなのでしょうか。バージニア、これらほど真実で変わらぬものは、この世にはありません」
女房どのによると、昨年のクリスマス前のある日「サンタクロースが誰か、分かってるよ」とくるみさんが切り出したそうです。
くるみさんは、幼い頃からサンタクロースに大変興味を示してきました。あのサンタクロースへの質問状は、小学2・3年生のころに書かれたものだと思いますが、その前後2・3年、同じような質問状が枕元に置いてあったものです。
また、訪れてきてくれるサンタに会うため、今夜は眠らないんだと目をらんらんと光らせているクリスマスイブの夜も何度かありました。
子供たちの学年が上がるにつれ、サンタも次第に注意深く事を運ばなければならなくなりました。
深夜0時を過ぎて車のトランクからプレゼントを運び出したり、音を立てないよう忍び足で子供たちの枕元に近づいたりと、思えば、サンタさんには親子してずいぶん楽しませてもらったものです。
一昨日、こんなのが出てきたよと、帰宅したくるみさんにあの質問状を見せると、あのクリスマスイブの夜のように瞳を輝かせながら「思いっきり、お父さんの字じゃない!なんで、私、気づかなかったとやろ?」と、そこには大人になったくるみさんの笑顔がありました。
しかし、私はあえてそれを認めませんでした。それでもサンタクロースは、いるのですから。
ただ、その時、私には気になっていたことがありました。メモ紙の裏面の答えの「さあ どうかな」の文字の書体が表面のそれと異なっていたのです。
くるみさんが裏返したメモ紙のその文字を改めて見たとき「『さあ どうかな』は、お母さんの字だよね」という言葉が口をついて出たのでした。
もちろん、すぐにくるみさんにつっこまれました。
それでもサンタクロースはいるのです。
くるみさんは、自分にプレゼントを運んでくれるサンタクロースを見たことはありません。
だからといってサンタクロースがいないわけではありません。
サンタクロースの話をするとき、私はいつもバージニアちゃんの手紙に対するニューヨーク・サン紙の社説を思い出します。
「バージニア、そうですとも、サンタクロースはいるのです。愛や、思いやりや、ひたむきな心というものがあるように、サンタクロースも存在しているのです」
目に見えないことこそ大切にする必要があることを、私は子供たちに伝えてきました。
我が家の次女の有紀さんは「信頼」という言葉を大切にしているようです。中学生の頃からその言葉をノートの裏表紙など、いろいろなところに記しているのを見てきました。
その有紀さんの誕生日が今月の5日でした。17歳になりました。
帰省した際は中学時代からの友人らと集まり、近くのファミレスでおしゃべりに興じているようです。前回は、高校を辞めた友人2人しか来ていなかったそうです。高校に通っている友人らは部活に勉強にと忙しく来られなかったといいます。
家にいるときは、もっぱら本に親しんでいます。女房どのが求めてくる本を片っ端から読んでいます。ずっと若い作家のものを読んでいるようでしたが、先日、ドストエフスキーの『罪と罰』を買ってきてとリクエストしていました。何か思うことがあったのでしょう。
再び、ニューヨーク・サン紙の社説から一部を引用します。
「赤ちゃんのガラガラをこわせば、どうして中から音が出るのか調べてみることはできるでしょう。でも、目に見えない世界をおおっているベール、これは世の中の一番の力持ちの、そのまた一番の力持ちが、みんなで力を合わせても引き裂くことはできません。このカーテンを引き開けて、天上の美と、そのかなたにある栄光を目にすることができるのは、信じる心、想像力、詩、愛、ロマンスだけなのです。これらは形あるものなのでしょうか。バージニア、これらほど真実で変わらぬものは、この世にはありません」