峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

我らが清峰高校準決勝進出

2009年03月31日 | スポーツ
昨日は、春のセンバツ甲子園大会で我らが清峰高校が準決勝進出をかけて戦う日、試合開始時刻を、くるみさんに尋ねると午後1時半からだという。

ガ~ン!な、なんと、町の社会福祉協議会の評議員会の始まる時刻と重なっているではないか。
おそらく、試合時間も会議の時間も1時間半前後だろう。思いっ切り、かぶってる。ガ~ン!!

1時間ずれれば、まぁまぁ、試合が見られるのだが…。
高野連を動かすのは、ちょっと難しい。
ならば町の社協に、とすぐさま電話を入れた。

なにせ社協は、玄関前に先の名古屋国際女子マラソンで優勝した佐々町出身の藤永佳子さんを祝うデッカイ垂れ幕と並べ、清峰高校の甲子園出場を祝す、これまたデッカイ垂れ幕を吊ってるんだから。

おえらい方に談判しようと思ったが、会議中だという。
お急ぎでしょうかと問われた。
お急ぎだが、会議中に取り次いでもらうのは、さすがに気が引けた。
まぁ、しょうがないかとあきらめて電話を切ると、折り返しすぐさま電話をいただいた。
「会議は、予定通りの時間だそうです」

午後1時半前に社協に着く。評議員のみささんと、ひとしきりその話。
評議員会は予定通りに午後1時半に始まる。いざ会議が始まれば、簡単にしゃんしゃんという訳にはいかない。
この日は事業計画書案・一般会計予算書案・公益事業会計予算書案についての重要な審議だ。

席上、私は、介護予防事業についてと、先の幼稚園・小中学校の卒業式の様子を紹介しながら、子育て支援に関しての二点、特に社会福祉協議会が単なる一社会福祉事業所ではなく、地域福祉の重要な担い手として立場を定めたところからの事業の推進を強く要望した。

午後3時過ぎ、会議終了。
早速、社協のテレビがつけられる。7回の裏、清峰高校がちょうど4点目を上げたところだった。

急いで帰宅すると、くるみさんがケータイ片手に余裕で応援していた。
幸いにも、前の試合まで貧打に悩んでいた打線が8回裏に爆発するのを見ることができた。
9回表は、エース今村くんを休ませるという余裕のある試合展開で、結局、この日は8対2、順調に準決勝へと駒を進めた。

この日「ラッキーボーイ」が枕詞【まくらことば】のようになった嶋崎くんは、3打数2安打、2打点・1得点と大暴れ、パンチ力のあるところも見せてくれた。

その夜の塾、当然、話題は清峰高校野球部の甲子園での活躍ぶりだった。
佐々中野球部の島崎くんの後輩たちから、彼の中学生の頃の話が出たり、清峰高校野球部のハードな練習の様子、吉田監督の意外な素顔などの話が出て、大いに盛り上がったのは言うまでもない。
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命きらめく春 

2009年03月30日 | 暮らし
朝から雲ひとつなく晴れ上がっている。

2階の部屋のカーテンを開けるために階段を上がると、南側の窓から小浦自然公園の桜の花が目に飛び込んできた。
朝食をとった後、洗濯物を干すために裏庭に出ると、我が家の桜の花が迎えてくれた。
パソコンに向かうと、その先の北側の窓からは、芳の浦公園の桜並木の花が目に入ってきた。

町内の幼稚園・小中学校の卒業式の頃にほころび始めた桜の蕾が満開の頃を迎えようとしている。
もうすぐ卯月【うづき】、新しい年度が再び始まる。

今週末、土曜日は戦没者の英霊をお慰めする招魂祭、三柱神社の美しい桜の花が、英霊の御霊【みたま】を迎えてくれることだろう。
日曜日は、新小学1年生の健やかな成長を願う芳の浦神社の例大祭、可愛らしい子供たちを公園の桜の花が迎えてくれる。

来週には、幼稚園・小中学校の入学式が順に行われる。校庭の桜の花も、きっと新入生を待っていてくれることだろう。

耳を澄ますと、自然の命の鼓動が聞こえてくる。
春は、生きる喜びと希望に満ち溢れている。
万物、生きとし生ける物、そうあってほしい。いや、そうでなければならない。
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遅れてきた棋士

2009年03月29日 | 将棋
25日・26日、山形県天童市で行われた将棋の王将戦七番勝負の最終局、佐世保市出身の我らが深浦康市王位は残念ながら羽生王将に敗れた。
深浦さんは、先の王位戦七番勝負で、抜群の実績を誇り、だれもが認める将棋界第一人者の羽生四冠の挑戦を見事に退け、今回は逆に羽生四冠の持つ王将位に初めて挑んでいた。
第5局が終わった時点で深浦さんの3勝2敗、二冠に手が届きかけた。しかし、そこは相手が羽生四冠、とうとう最後の1勝をたぐり寄せることができなかった。

深浦さんにとって、昨年末は3度目の順位戦A級陥落、そして今回のタイトル挑戦失敗と、傍目【はため】には落ち込んでいると思われても不思議でない状況にある。
ところが、深浦さんは王将戦最終局に敗れたあとのインタビューで「3勝目をあげた後も、まだまだと思っていました。普段、あまり指さない戦法にもチャレンジできたのが収穫。敗戦も前向きにとらえたいと思います」と語っている。

深浦さんは昭和47年生まれで現在37歳、羽生さんが昭和45年生まれで現在38歳、ほぼ同じ年だ。
だが、深浦さんが同世代の佐藤棋王、森内九段、藤井九段、丸山九段、郷田九段らのいわゆる「羽生世代」の1人に数えられることはない。
それは、十代の頃から目覚しい活躍をし、20代前半からタイトル戦やA級順位戦といった華やかな舞台の中心にいた「羽生世代」の棋士たちに比べ、明らかにその歩みが遅かったからだ。

羽生さんが初めてタイトルを獲得したのが19歳、深浦さんは35歳で初のタイトルを手にした。羽生さんのタイトル戦登場が94回で、タイトル獲得が72期、深浦さんは4回登場し、2期獲得している。
羽生さんの数字は別格としても、上記した彼ら6人のすべてが、これまでタイトルを3期以上獲得し、そのうち3人は永世称号を名乗る権利を得ている。

だが、深浦さんは、ここにきて、そのようなスーパースターたちの後姿をはっきりととらえるところまで追いつき、並びかけようとするところまできたのだ。その思いが、先の言葉に表れているように思われる。

深浦さんを応援する彼の故郷に住む者の思いも同じである。
今、大きな舞台で戦う棋士・深浦康市を見守り、興奮・感動を存分に味わうことのできる喜びをかみしめている。
棋士・深浦康市の本当の戦いは、これから始まろうとしている。
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20009春の選抜 清峰高校ベスト8へ

2009年03月28日 | 家族
高校に合格した子供たちは、合格者登校日にそれぞれの進学先の学校から課題を与えられる。
私の塾では、ほとんどの塾生が3月いっぱいまで出てきて、その課題に取り組んだり、塾で出す課題に取り組む。

春の高校野球・甲子園大会に九州チャンピョンとして出場している我らが清峰高校、その先発出場メンバーの1人・8番2塁手が地元佐々中出身の嶋崎幸平くんだ。
その嶋崎くんの弟が昨夜、高校の課題の数学で分からないところがあるからと塾に来た。

進学校に進む弟は課題をたくさん抱えている。初戦の甲子園から帰った後、毎日、塾に来ている。
この夜も、車で親戚・家族そろって翌朝の清峰高校の2回戦の応援に出かけるということで、その分、熱心に課題に取り組んだ。

午後9時過ぎ、嶋崎くんの父親から出発する時間になったので出して欲しい旨の電話が入った。佐々町から甲子園まで車で12時間くらいかかるという。
きょうの清峰高校対福知山成美戦は第1試合で、試合開始時刻が午前9時だ。直行してぎりぎり間に合うかどうかの時刻だった。
しっかり応援するように!お父さんによろしく!こちらでも一生懸命応援しているからと弟を送り出した。

一夜明けて、きょう。
女房どの、くるみさん、そして私の3人は午前9時の試合開始をテレビの前で、今や遅しと待ち構えていた。

間もなく、試合が始まった。
1回、2回とじりじりするような投手戦が続く。

やがて5回の表、4回裏の無死2塁のピンチを切り抜けた清峰高校にチャンスがめぐってくる。
無死で、この回の先頭打者が左翼手の頭上を越える2塁打を放ち、次打者が手堅く送りバンドを決め、一死3塁。
ここで登場したのが嶋崎くん。彼は、1回戦では試合を決める3点目をたたき出している。

島崎くんに対し、相手投手がコントロールを乱し、カウントは1ストライク3ボール。島崎くんの表情や仕草から落ち着いた様子が見てとれる。
果たして、ストライクをとるため甘く入ってきた5球目を1塁線へ鮮やかなスクイズが決まった。
その後の打席でもヒットを打った島崎くん、今大会のラッキーボーイ的存在だ。

今大会屈指の好投手と評価の高い今村くんは、ランナーを出しながらも要所をおさえる巧みなピッチングで8安打を打たれながらも相手打線をピシャリ完封、結局、島崎くんのスクイズで得た1点を守りきった清峰高校が勝利を飾り、見事ベスト8へ勝ち上がった。

女房どのは試合の途中、職場へ赴任してくる新しい教頭の引越しの手伝いに出かけたが、ずっと声援を送っていたくるみさんと私は、ゲームセットの瞬間、拍手で彼らと共に勝利を喜んだ。

何せ、清峰高校は佐々町にある学校だ。
くるみさんの中学時代の友だちや先輩がたくさんいる。彼女らを通して面識のある選手もいるようで、日頃から裏話もあれこれ聞いている。
だれそれ君が、だれそれちゃんとジョイフルで会っていたというような裏話を塾生たちから聞くこともある。
試合と共に、そんなことのあれこれも話ながら、小さな町の公立高校の快勝に、しばし酔った。
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持った人と 持たない人

2009年03月27日 | 暮らし
午前中、ある土地を所有しておられる方が訪ねてこられた。初めてお会いする人だった。
その方が所有しておられる土地のことについて、私にお尋ねがあってこられたようだった。
よく要領を得ないまま、名前を名乗られることもなく、その土地のことについて一方的に語り始められた。端【はな】から敵対的で、言いたいことだけ仰り、聞きたいことだけ聞かれ、そそくさとお帰りになられた。

大切な1日が、朝のスタートからつまずくこととなった。久しぶりに味わう嫌な気分だった。胸の深いところが苦かった。気の毒に思えた。

夜、久しぶりに田中君が顔を出してくれた。田中君は高校を卒業後、アルバイトをしながら夢を追いかけている。

田中君と話していて、私の心が次第に癒【いや】されていくのをはっきりと自覚できた。

田中君は何も持っていない。土地どころか、お金も持っていない。そんな田中君に、私は救われた。
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定額給付金

2009年03月27日 | 民生児童委員
きょうは、月に1度の町内会のご高齢者のための地域デイサービスの日だった。
1ヶ月なんて、アッという間だ。

2日前「定額給付金申請案内 在中」という封書が送られてきた。
封を切ると、ひと目ややこしそうな書類が入っている。

案の定「定額給付金申請手続きの留意事項」という書類だけでA4の紙に4ページもある。
これじゃあ、ご高齢者は分からない。真っ先、そう思った。
役場の担当者は、すべてのご高齢者が理解できるとでも思っているのだろうか。

ご高齢者からのご相談があるだろうなと思っていたが、きょうの地域デイサービスでみなさんからご相談をいただいた。
結局、ご説明しても分からないという、お一人暮らしの数人の方が書類を持ってくるので書いてくださいということでご了解を得た。

お上は、後期高齢者医療制度の保険料のように、有無を言わさず、どんどん引き落とすくせに、出すものはややこしい手続きを踏んで申請しなければ出さない。

町内会のご高齢者は一様に怒っておられた。
厳しい社会を生き長らえてこられたご高齢者が、安心して老後を過ごせないような国に未来はない。
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春の昼下がり

2009年03月26日 | 父親と子

ほどなく4月、我が家の裏庭の桜の花が満開を迎えようとしている。

午前中、町内会公民館運営費等の各種補助金を教育委員会まで受け取りに出かけたが、車窓から町のあちらこちら、雲ひとつない青空に淡いピンクの桜の花がよく映っているのが見えた。
果樹畑には濃いピンクの桃の花が咲き、前庭には燃えるような真っ赤なツツジの花も咲き出している。

高校入試が済み、国公立の後期試験の発表も終わった。年度末の行事や、煩雑【はんざつ】な仕事もすべて終わった。
やがて再び、新しい年度が始まり、歩を進めなければならない。だからこそ、今しばらくは、このなんともいえない、いい心持を存分に感じていよう。

短い春休みに入っているくるみさんが、居間のコタツで寝転び文庫本を読んでいる。
愛する娘がのんびりくつろいでいる。ただそれだけで嬉しい。

「何、読んでるの?」私が尋ねる。
「村上春樹」と、くるみさん。
「ノルウェイの森、読んだ?」
「いやぁ。持ってると?」
「あるよ。上・下巻」
「読みたかったとさぁ~!」

書棚から取り出してきた「ノルウェイの森」をパラパラと繰ると、「平成元年1月15日 絵理子と共に」と記してあった。
今年が平成21年だから絵理子さんが6歳の時だ。一緒に書店に立ち寄り、求めたのだろう。

のんびり、春の昼下がり、ゆたかな時間が流れている。
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アマ女王

2009年03月25日 | 将棋
くるみさんは中学の3年間、毎年8月の4日・5日に山形県天童市で開催される全国中学生選抜将棋選手権大会に出場してきた。

くるみさんは小学2年生の春に、小学5年生だった姉の有紀さんと共に、現日本将棋連盟佐世保支部長で将棋教室「秀楽」を主宰する松山秀樹先生に将棋の手ほどきを受けた。
それから1年も経たない翌年の2月に開かれた小学生将棋名人戦県大会に出場し、並み居る上級生の男の子たちを押しのけ優勝をかっさらってしまった。
こうして、県代表として出場した小学生将棋名人戦西日本大会で大阪に行ったのを皮切りに、各地で開かれる将棋大会に家族で出かけた。振り返ると楽しい想い出ばかりだ。

ただ終始、くるみさんも有紀さんも、将棋に対して特別な思いを抱くことはなかった。
もちろん、嫌がることはなかったが、かといって特に面白いとか楽しいといった風でもなかった。週1回土曜日の将棋教室に私と一緒に通い、与えられた詰め将棋を淡々と解き、案内のあった大会に参加した。ただ、それだけのことだった。

それでも、無欲の勝利というか、2人とも県代表の座がかかる一戦にはめっぽう強かった。おかげで、女房どの共々、あちらこちらに連れて行ってもらった。
全国大会に行っても、中学生になっても、松山先生に最初に教わった「棒銀」という唯一の戦法で果敢に戦っていたのを懐かしく想い出す。

将棋を通して、いろんな方との出会いがあった。その道を極めんとするプロ棋士のみなさんとも親しく接していただく貴重な機会を数々得た。それらは、私たち家族の大切な宝物となっている。
将棋に出会えたことを本当に幸せに思う。

時が流れ、子供たちが成長し、自我が確立されると、2人は自然と将棋から離れていった。
結局、2人とも将棋にのめりこむことはなかった。

有紀さんが高校1年生の時だった。高文祭の全国大会で好成績を挙げ、そのことで高校竜王戦の女子枠に推薦されたが、それを受けるかどうか決断を迫られたのを機に将棋を卒業した。同時に、中学生になったくるみさんも将棋からまったく離れた。
そこまで、そこそこの結果を残し、周囲の期待もあった。が、それは見事なほど、実にあっさりとしたものだった。

しかし、くるみさんの中学選抜だけは、松山先生にご案内をいただくたび毎、有紀さんもこれだけは出たのだからと説得した。なんてことはない、ひとえに私の楽しみのために付き合ってもらったようなものだった。
くるみさんは中学の3年間、他の大会に参加するどころか、駒に触ることもなかったが、中学選抜の全国大会にだけは出場してくれた。
そんなことで参加した全国大会、私が大いに楽しんだのはもちろんだが、くるみさんもそれなりに楽しんだようだった。

各県代表として全国から集まった選手たちは、選手たち同士で同じ宿に2泊するということもあって、それなりの絆【きずな】ができる。年賀状やメールでその友情は育まれているようだ。

その中の1人に東京の小野ゆかりさんがいる。その小野さんが20日に行われたアマチュア女王戦で優勝し、第14代アマ女王になった。
そのニュースを聞いて、関連のページを開いてみて驚いた。なんと、やはり同級生である大阪の室谷由紀ちゃんが13代のアマ女王に就いていた。そして、2人とも決勝戦で現女流アマ名人の笠井友貴さんを降して優勝しているのだ。さらに驚くことに小野さんは12代のアマ女王でもあった。
くるみさんの友だちには、すごい人たちがいる。

小野ゆかりさん、室谷由紀ちゃんの益々の活躍を楽しみにしていよう。
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桜の咲く頃に

2009年03月24日 | 夫婦
きょうが終了式で、帰省するくるみさんを寮まで迎えに、午後1時に家を発った。ちょうどWBCが佳境に入った頃で、車のテレビに見入った。じゃなくて、聞き入った。

寮に着くとほぼ同時に「侍ジャパン」が勝利したと、くるみさんのケータイに友人から報告が入った。
帰路1時間半ほど我が家に着くまで、野球と日本人についての考察を始め、その他、私の話が止まることがなかった。どこをどう通ったか、よく覚えていないほど、久しぶりに会うくるみさんに夢中でしゃべっていた。

夜、塾にS君が甲子園のお土産を持って現れた。金曜日からお兄ちゃんの応援に行っていたという。S君のお土産のせんべいを皆で食べながら、彼の兄ちゃんの甲子園での活躍の話で塾は盛り上がった。

10時頃、OBの来訪があった。昨夜も別のOBの来訪があった。
彼らが私を訪ねて来るとき、良い時ばかりではない。迷っているときもある。悩んでいるときもある。また、失意の時もある。

若者よ、それが人生というものさ。
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高校野球に沸く 我が町

2009年03月23日 | スポーツ
きょうはWBCの日本の準決勝、対アメリカ戦と、甲子園の清峰高校の初戦とが重なり悩ましかったが、どちらも危うげない試合展開で、余裕を持ってチャンネルを切り替え、切り替えしながらゲームを楽しんだ。ひとりで。

特にWBC、2点差に追いつかれた8回裏の日本の攻撃には興奮した。
先ず、2死3塁から川選手のショートゴロを、信じられないことに名手ジーター選手が悪送球。俊足、川選手の足が、さすがの名手を惑わせたのか。ランナーが帰り、これで7対4。

ここで、イチロー選手が打席に入る。イチロー選手、ここまで4打数無安打。
イチロー選手への2球目に川選手は果敢に盗塁を決め、2死2塁。
3球目、膝元へのカーブをイチロー選手がハーフスイング。これを球審はストライクのコール。この判定に、イチロー選手は球審に対し不満を口にしているようだった。
そして追い込まれた後の5球目、ハーフスイングしたボールと同じような明らかなボール球のカーブを、彼独特のフォームでライト横に打ち返し川選手を帰した。
イチロー選手が打った瞬間、私は拍手を送っていた。ひとりで。

午後、役場の福祉保健課に出向いたついでに総務課を訪ねた。総務課には、ついこの前、志望校への合格を果たしたS君の父親がいる。町内会連合会関係その他でいつもお世話になっている。
そのS君の兄が、甲子園のきょうの試合で先発出場、見事なタイムリー安打で3点目をたたき出した。先ずは、彼に祝福の声をかけ、次に用件を切り出した。
「小さな身体で、よう頑張ったです」お父さんは静かに感激していた。
S君家の春は、まことにおめでたい。

用を済ませた帰りしな、副町長の席に立ち寄った。話題は、もちろん甲子園のこと、第一声は「疲れた~。昨日の夜、10時に帰ってきたよ」だった。
日曜日の試合に備え、彼は応援に出かけた。しかし、試合は雨で順延。行って帰ってきただけのことになってしまったのだ。

私の町・佐々では、ここ当分、甲子園での清峰高校の戦いぶりを語るのが挨拶代わりとなる。
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