峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

1歩だけ前に進もう

2007年11月29日 | 暮らし
ア~ア、やらなければならないことをたくさん抱えているのに、朝から竜王戦を見てしまった。

一昨日だったかテレビ「プロフェッショナル」を見た。その中で、建築家・隈研吾さんの話に惹かれた。隈さんが目指す建築は負ける建築だという。建物が自己主張するのではなく、周囲にとけ込み、環境に負けることを目指すというのだ。
また、隈さんは土地や建築素材や予算などさまざまな制約を創造の源ととらえるという。制約があるからこそ考え、工夫を凝らすのだと。

忙しい、時間がないとぼやく私。
番組のテーマ曲「Progress」を歌うスガシカオさんの乾いた歌声と「制約は宝だ」という隈さんの言葉が心に響いた。

 作詞・作曲: スガ シカオ 
ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた
誰かを許せたり 大切な人を守れたり
いまだ何一つ サマになっていやしない
相変わらず あの日のダメな ぼく

ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは“ジブン”っていうらしい

世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ・・・
“あと一歩だけ、前に 進もう”

ヨシッ、きょうも1歩だけ前に進もう。
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私たちを惑【まど】わせたものって何だろう

2007年11月28日 | 町内会長
月曜日、竜神祭に出かけた。
祭事の行われる小浦海岸まで散歩がてらに歩いて行くのに程よい距離だが、今週は研二君のご両親の来訪を控え、我が家は「美化強調週間」に入っている。出かける前に前日からの流れで片付けたいことがあった。それをすませてから歩いていって間に合うかななどと考えながら庭先で作業しているところへ、同じく竜神祭へ出席される東町の中野会長が差し掛かられた。
後から追いつきますなどと言葉を交わし作業を続けたが、どうにも歩いていっては間に合わない計算となり、結局、タクシーを予約した。

いろいろなお世話役をさせていただくようになりタクシーを呼ぶ機会が増えた。祭事や会合の後、酒席が用意されている場合が多々あるからだ。タクシーを頼む場合、当初は何時何分に西町の峰野までお願いしますと告げた後、場所の説明が必要だったが、最近は前半部分だけで通るようになった。それほどタクシーを利用する頻度【ひんど】が高いということだ。もっとも、町内会長会と民児協で酒席がある場合は佐々南の藤田くんがわざわざ迎えに来てくれる。彼は会議の行われる場所に車を置き、翌日取りに行くのを常としている。持つべきものは友人だ。

竜神様は小浦海岸の一角に祭られてあるが、小道の傍【かたわ】ら、吹きさらしの小さな石像だ。その舗装もされていない小道にビニールシートを敷き、座布団が並べられてあるだけの所に小浦4町内会に西町・東町・芳の浦町内会を加えた7つの町内会長と氏子総代、船主代表、JA所長、小浦郵便局長、さらに町長・議長と地元町議2名がそろい、三柱神社の宮司【ぐうじ】さまにより、しめやかに祭事が執り行われた。
古くから小浦地区は干拓の歴史を持っているという。その干拓地にある「アリアケジャパン」は税収や雇用【こよう】の面で町に大きな恩恵をもたらしている。

自身が神道の流れの中にあるということが大きいのだろうが、私は祭事が好きだ。その場に身を置くと、自然と私たちの祖先のことが偲【しの】ばれる。太古【たいこ】から脈々と続いてきた私たち日本人の暮らしを思う。私たちの祖先は、決して今日の日本人の在り方を求めてきたのではなかったはずだ。
殊【こと】に、この竜神祭は鄙【ひな】びてて良い。かつての私たちの祖先の素朴で純な魂を思う。
祝詞【のりと】をあげる宮司さまの枯れた声と幻想的な横笛の音色が初冬の曇り空の中に吸い込まれていった。
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楽しみ方の向き

2007年11月27日 | 暮らし
最近、再びEMボカシによる生ゴミの肥料化に取り組んでいる。
きっかけは、いわゆるゴミをリサイクルさせるため、その分別・出し方を徹底して考えるようになるにつれ、リサイクル用ゴミとして出せない生ゴミをそのまま可燃物として出すことについての抵抗感が次第に大きくなってきたことによるものだ。

ゴミ箱にぽいと捨て去ることに比べ、生ゴミを肥料に変えるためには何倍もの手間隙【てまひま】がかかる。
塵芥【じんかい】処理場でのリサイクルのための処理作業を目の当たりにすれば、プラスティック製の容器包装はきれいに洗った後、乾燥させて出そうと思わざるを得ない。やはり手間隙がかかる。

人間が生きていくということは、実に面倒くさいものだと思う。しかし、その面倒くさいことの中にも楽しみや喜びはある。いや、むしろ、そういう楽しみ方や喜び方の方に、より深さを感じる。
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侃々諤々【かんかんがくがく】の日々

2007年11月24日 | 町内会長
23日は第4金曜日で地域デイサービスの日、朝8時半に公民館を開け、会場の設営を行う。
このところめっきり寒くなってきた。きょうの会の昼食を作ってくださるボランティアのみなさんを暖かくして迎えるため、倉庫の奥から灯油ストーブを引っ張り出して来て、厨房【ちゅうぼう】に据【す】え点火する。

この日は勤労感謝の日、もと新嘗祭【にいなめさい】の日だ。地域デイの準備を万端【ばんたん】整え、ボランティアのみなさんと来月の日程、12月・1月の行事等について話し合った後、11時からの三柱神社での祭事に間に合うよう、女房どのに車で送ってもらう。

小1時間ほどの祭事の後、社務所での直会【なおらい】。いつものように各町内会長・各町内会氏子総代、その他、議員さん等と酒を酌み交わしながら、町のさまざまな問題について語り合う。
その後、いつものメンバーで小浦に戻り「良寛」へ。「良寛」で飲んでいるうち、どういう話の流れだったか神田の町内会長の所へ行こうということになり、タクシーを走らせる。神田に着き、先ずは彼が経営しているソバ屋で手打ちソバに舌鼓【したつづみ】を打つ。その後、ソバ屋から電話を入れ、ソバ屋から目と鼻の先にある会長の自宅へ3人で向かう。

しばし、4人で侃々諤々。再び小浦に戻る頃には日が落ちていた。
3人して地域の先輩の福田さん方を訪れる。先客がおられ、1杯やっておられるところへ合流し、ここでも侃々諤々。
1人がダウンしたのを潮に、歩いて10分ほどの道のりを酔い覚ましにと歩いて帰宅。
あ~あ、この日もよく飲み、よく喋【しゃべ】った。

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楽しく力を合わせよう

2007年11月20日 | 町内会長
土曜日午後4時から、私たちの町内会で管理を引き受けている国道沿い花壇で春から冬への花の苗の植え付け作業を行った。
この日、期末テスト前で午後は4時まで補習の時間を設けていた。ただ、遠方から来ている2組の姉妹が時間を勘違いしていて、親御さんが迎えに来るのに30分はかかるので5時まで自習をしておくよう言い残し、大急ぎで花壇に駆けつけた。

なにやかやで4時を少し過ぎて花壇に向かうと、副会長を始め10名前後のみなさんがすでに作業に取り掛かっておられた。子供たちもたくさん来ており、ホッとして、後を副会長に頼み、その足で社会福祉協議会に行くことができた。
用事を済ませ、大急ぎで戻って来たときには、パンジーなどの花の苗がきれいに植え付けられていた。

今回、花の終わった株を抜く作業から、植え付け前の耕作作業まで、すべて副会長が自主的にやってくれた。事前の打ち合わせも副会長と私だけ、単純にやれるものがやるという気持ちだけだ。
植え付け作業の案内は前日の夕方と、当日作業の1時間ほど前に有線放送で行っただけ。この日、作業に出てこられた方々はみなさん自主的に参加されたものだ。
そうでなければ、楽しくない。楽しくなければ、行事や活動自体にどんな意義も見つけられないだろうし、続かないだろうとも思う。

町内会長職をお引き受けしてから毎年、新しい活動を1つずつ増やしてきた。ほとんど思いつきだが、私自【みずか】らが楽しむつもりで提案してきたものばかりだ。「ほら、楽しいでしょうという感じだ

そういえば、10月の定例班長会で会長職を来年度もというみなさんのご意向を受け、引き続きお引き受けすることにした。来年度4期目を迎えることになるが、町内会の皆さんのご支持がある限り、こちらの都合・気持ちだけで簡単に辞めることはできない。
その席で、副会長も来年度引き続きやってくれると言ってくれたのが嬉しかった。
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呼び名が変わった日

2007年11月17日 | 家族
先週の日曜から月曜にかけての1泊2日の町内会長会研修旅行から帰ってきたばかりと思っていたら、もう週末である。
今週末は土曜・日曜と朝から夜まで補習授業だ。その合間を縫い、回覧・配布物を各班長さんに届け、地域デイサービスの案内にご高齢者宅を回る。きょうは午後4時から国道沿い花壇で冬の花の苗の植え付け作業もある。副会長、頼りにしてます。

ちょうど3ヶ月前の8月17日、「梅田さん」が「研二くん」になった。その日、北九州市から車でやってきた2人だったが、研二くんが絵理子さんとの結婚の許可を申し出てくれたのだった。もちろん、2人の決心に心から「おめでとう」だ。

昔から「娘さんが結婚されるときは大変でしょうね」というようなことをしばしば言われてきたが、そのつど喜び以外ないといちいちこちらの気持ちを説明してきた。このたび、実際、ことに直面し、その思いに違いがなかったことを、いや、それ以上の感動的な喜びがあったことを今、確認している。

よくテレビで、女の子を子供に持つ男性タレント等が「娘に近寄る男は許さない」とか「結婚を申し込みにきたら殴ってやる」とか話しているのを見かけるが、彼らは子供を自分の所有物くらいにしか思っていないのだろう。誰も反論することなく、むしろ微笑ましい雰囲気さえ漂っているのを見るにつけ、それを愛情あるが故の思いと捉【とら】えるのがどうやら世間の常識と感じる。

こちらの了承を得た後、研二くんのご両親がご挨拶に来られるという手はずになっており、両家の合意が得られた後、2人は一緒に住むという。今年から共に北九州市で暮らし始めたわけだが、そのけじめはつけているようだ。

ということで、両家の顔合わせを当初、私の誕生日である9月22日と翌日の23日の土日にと計画を進めたのだったのだが、私の大ポカですべて御破算【ごはさん】にしてしまった。23日が町民運動会の日であることをスケジュール帳に記していなかったのである。

その後、ほとんど私の事情で日程の調整がつかず、いったん10月の27日・28日に決まるも、今度は研二くんの研修が入り、お流れ、11月も第1週は研二くんの研修、第2週は私の町内会長会研修旅行、今週は絵理子さんの職場の大学祭に私の補習授業・町内会で管理する花壇の花の苗の植え付け作業という始末である。

そうして、ようやく決まったのが12月の第1週の土曜・日曜だ。ここを逃すと招福もちつき祭り、町内会大掃除と続き、いつになるか分からない。2日は深浦王位の祝賀会が行われる日だがやむを得ない。秀楽先生にその旨メールを送ったら、今度は名人になった時ですねと返事があった。単なるジョークではない、あるいは単なる夢でもない雰囲気が今の深浦王位にはある。

とにかく、やらなければならないことだらけで頭の中はいっぱいで、心静まらない日々は続く。
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みぃーちゃんと女房どの

2007年11月10日 | 夫婦
「目覚ましが鳴ったら、みぃーちゃんが私の肩をトントンとたたいたとよ」と朝、女房どのが嬉しそうに話してくれた。
とにかく女房どのは、みぃーちゃんに目が無い。「猫かわいがり」という言葉がある。辞書を引くと「猫をかわいがるような甘やかした愛し方」とあるが、いかにもそのままである。

ところで、何故「犬」ではなく「『猫』かわいがり」なのだろうか。猫と犬、愛玩【あいがん】動物としての歴史を繙【ひもと】いてみるのも面白そうだ。
犬は、最近でこそ室内で飼われるようにもなったが、私が子供のころなどは大概【たいがい】表で飼われていた。それは、昔の犬が今ほど小さくなかったことと関係なくもないだろう。犬は、大きさからしてそれほど可愛くはなかったのである。もっとも、かつての庶民の家屋は今ほど大きくはなかったのだが。
それに、かつては番犬や狩猟犬として、現在では盲導犬や災害時の救助犬などとして、犬は人間社会の中にあって重要な役割を果たしてきた。
要するに、彼らは単に人間に可愛がられるだけの存在ではなかったのだ。どちらかといえば、古くから友人のような、あるいはパートナーのような存在であったといえるだろう。
こう考えてみると、何故「『猫』かわいがり」なのか合点【がてん】がいくのだが、本当のところはどうなのだろう。
いずれにしろ、猫と犬は長い間、人間とともに暮らしてきた。

辞書で「猫かわいがり」を引いたついでに「猫」のつく言葉の解説を読んでいて「猫なで声」の理解が十分でなかったことを知った。辞書には「猫をなでるように、当たりをやわらかく発する声。相手をなつかせようとするときの声。一説に、猫が人になでられたときに出す声とも。」とある。私は「一説」の方だけの理解にとどまっていた。新たな発見であった。しばしばこのようなことがある。言葉も人生も実に面白い。

今夏、みぃーちゃんの帰宅時間は次第に遅くなり、やがて午前様が当たり前となった。明け方の3時・4時頃、今帰ったぞ。開けろとばかり玄関のアルミのドアをガタガタと鳴らされるのには閉口【へいこう】した。
しかし、いくらみぃーちゃんが背伸びをしてみたところでドアの取っ手にまでは届かないはずなのに、どのようにしてドアを揺すっているのだろう。一度その現場を押さえたいと思っているのだが、なにせ未明の頃のことだけに難しい。

みぃーちゃんのそのような行動に対し、未熟な私はついつい腹立たしくなるのだが、女房どのは違う。彼の要求をすべて受け入れるのである。自身がどんなに疲れているであろう時も。それも、さも嬉しそうにである。みぃーちゃんも、それがちゃんと分かっている。
私には、そんな女房どのが仏様のように思える。やはり女房どのにはかなわない。

佐々中・小佐々中とも期末テスト前で、きょうは午前・午後を通して補習を行った。夜もある。入試を控え、3年生の表情が変わってきた。
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