峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

町の未来

2010年07月21日 | 町内会長
昨日午後3時に町内会連合会の会長・副会長3人連れ立って役場を訪れ、2時間ほど町長・副町長と意見交換した。

いろんなことが上手くいってない。停滞している。鬱屈【うっくつ】している。

とにかく、このままではいけない。なんとかしなければならない。

私に何が出来るだろう。一所懸命それを考えている。
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どこへ行く

2010年07月20日 | 保護司
保護司宅に放火 容疑の中3逮捕 茨城(産経新聞) - goo ニュース

恐れていたことが現実のものとなった。

「最近の若い子の気持ちがさっぱり分からん」
あるとき、七十代の間もなく退任を迎えようとする保護司さんが吐き捨てるようにこう言ったたのを印象深く覚えている。
無理からぬことだ。
市井【しせい】に生きるごく普通の人が保護司を務めている。保護司になるに際し「教育学」や「心理学」を学ぶ義務はない。カウンセリングマインドを問われることだってない。研修はあるものの、それは事務的なものに終始している。

時代の流れと共に、保護観察の在り方、保護観察官・保護司の在り方を考え直すべきだった。それを捨て置いたことで、保護観察官や保護司の多くが対象者と信頼関係を築けなくなっていった。
研修の席で、対象者が約束の日にちに来てくれない。何か強制力を持たせてほしいという声が保護司たちの中からあがるのを何度か聞いた。

2005年、保護観察中の男性が重大な事件を引き起こしたのを契機に、更生保護・保護観察の在り方が社会問題となり、2007年に更生保護法ができた。
それは、確かに何か強制力を持たせてほしいと願う保護司の声に応えるものだった。そして、保護司が自身の担当する保護観察の対象者から自宅に火を放たれた。

なんという不幸だ。保護司も少年も、どちらも救われない。
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夏の朝

2010年07月18日 | 夫婦
朝から真っ青な空が広がっている。
からっとした空気が肌に心地よい。
シャワーのようにセミの鳴き声が降っている。

「こんな感じだったね、夏って」
朝食の準備をしている女房どのがつぶやく。

夏の朝の爽やかさに誘われ表で朝食をとった。
時期を失していたサツキの剪定【せんてい】を、日が高く昇らないうちにやってしまおう。
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「いない いない ばあ」を読もうね

2010年07月17日 | 父親と子
今月の13日で天使が生まれて8ヶ月が経った。
こちらに来た当初、女房どのや私に抱っこされるのを嫌がっていた。しかし、2日経ち、3日経ちするうちに次第に慣れてきて、「おいで!」と手を差し伸べると自ら身体を預けてくれるようになった。また、こちらがおどけた仕草をしてみせたりすると声を立てて笑ってくれるようにまでなった。

天使のお母さんである絵理子さんとそうしたように、天使とも繰り返し絵本を楽しんだ。
「いない いない ばあ」「しろくまちゃんのほっとけーき」「こぐまちゃんのみずあそび」などなど、どれも絵理子さんと遊んだおなじみの絵本だ。
「おすわり」をする天使と向かい合い、絵本を読み出すと、天使は、たとえば「いないいないばあ」の「にゃあにゃ」や「くまちゃん」に触ろうと手を伸ばす。「しろくまちゃんのほっとけーき」では出来立てのホットケーキに私が手を伸ばし口に運ぶ真似をすると、天使もホットケーキを取ろうと手を伸ばす。

傍に我が子の愛らしい様子に微笑む絵理子さんがいて、正面に一生懸命絵本に手を伸ばす天使がいる。
28年前、私の正面には目の前の天使と同じ年頃の絵理子さんがいて、やはり「にゃあにゃ」に手を伸ばし、出来立ての「ホットケーキ」に手を伸ばしていた。
あの幼かった絵理子さんは成長し、やがて結婚し、そして赤ちゃんを産んだ。その赤ちゃんが今、私の正面で瞳をキラキラ輝かせて絵本の世界に浸っている。

私の正面に「おすわり」して、絵本を楽しんでいる相手は代わったけれど、私はそのままだ。だが実際は、あれから28年が経過したのだから、やはり私はずいぶんと変わった。鏡をのぞけば頭髪は少なくなり、顔のしわも増えた。
けれども、天使を前にしている私は私が見えない。幼子と絵本を楽しむ気持ちは、今も、あの時となんら変わることはない。あのときのままの私が、母親になった絵理子さんを傍に、絵理子さんの娘と絵本を楽しんでいる。なんだか不思議な気分だ。

天使は、絵理子さんのお腹にいる頃から絵本を楽しんできている。私の天使への最初のプレゼントも絵本だった。
これからも彼女の成長に合わせ、絵本のプレゼントを続けようと考えている。きっと、天使も母親の絵理子さんのように本を友だちにすることのできる人に成長するだろう。それは私の密かな楽しみであり喜びだ。

絵理子さんは15日、28回目の誕生日を迎えた。親知らずの抜歯後の痛みは、もう大丈夫かい。
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命が輝くとき

2010年07月16日 | 家族

先々週の土曜日、天子が我が家に来るというので、くるみさんと有紀さんもそれにあわせて帰って来た。久しぶりに家族7人がそろい賑やかな夜を過ごした。

天使は、みんなに囲まれて嬉しそうなのだが、「おいで」と腕を伸ばして抱きあげようとすると。顔を背【そむ】け、絵理子さんにしがみつく。それでも強引に抱っこすると声をあげて泣く。ちゃんとお母さん、あるいはお父さんとそれ以外の人とを認識できているのだ。「人見知り」は子供の成長の証だ。大いに喜ぼう。

くるみさんは、土曜日の夜に帰省し、日曜日の朝方、寮に戻っていった。高いレベルでの競り合いとなる医学科受験に向け、このところ真摯【しんし】に取り組むようになってきているようだ。

くるみさんが佐世保駅から大村に向かった後、研二くんが佐世保駅から福岡空港へと向かった。福岡空港から中国に向けて飛び立つのだ。中国出張の後はインドへの出張が控えているという。活躍の場が広がっているようで頼もしい。
この日「町民大清掃の日」で、私は早朝から町内会のみなさんと共に清掃に努めていたので、2人を直接見送ることは出来なかった。

翌月曜日の午前中、今度は有紀さんが佐世保バスセンターから福岡へ戻って行った。有紀さんは1週間の教育実習を終え、学校の教師もいいなと思ったという。これから、有紀さんの命は有紀さんにどんなことを求めるのだろう。興味深く見守っていこう。
有紀さんを送って、天使と絵理子さんと私の3人でバスセンターまで行った。

若者たちが自らに与えられた役割を求め、はつらつとして生きているさまを見るのは気持ちがいい。

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何が幸いで何が災いか 

2010年07月15日 | 民生児童委員

結局、雨のため世界文化遺産である厳島神社を含め、周辺の散策をあきらめざるを得なかった。

降り続く雨により高速道が全面通行禁止になっているらしい。
当初、佐々到着予定は夕方7時20分だった。だが、誰かの「明日の仕事に間に合えばいいさ」との言葉にみんな腹を括【くく】った様子で、特別な日を楽しもうという空気になった。

宮島口から一般道を通り、広島造幣局に向かった。
造幣局の見学を終えた後、岩国の錦帯橋【きんたいきょう】を目指した。そこで昼食をとることにしていたが案の定大渋滞で正午を過ぎ、1時を過ぎてもまだ着かない。ついには、空腹に耐え切れなくなり、お土産に求めていた「もみじまんじゅう」の袋の封を切る者も表れる。

2時間遅れの昼食はひときわ美味かった。
錦帯橋を何度か訪れているが、そこにいつもの晴れがましいような表情はなく、まるでおびえきった子猫のようであった。
いつもは橋の下には河原が川幅の三分の二ほど広がっていて、そこに観光バスや一般の車がとめられているのだが、この日ばかりは川幅一杯を濁流が占めていた。

錦帯橋を午後3時半に発った。
国道2号線のくねくねした山道をバスは走る。
途中、忽然【こつぜん】と表れた異様な光景に目を奪われた。とにかく気味が悪いほどの外観の異様さなのだ。しかし、瞬時にして遠い記憶がよみがえった。「いろり山賊」という食事処だ。
40年近く前、訪れたことがある。「山賊むすび」というとてつもない大きなむすびが出てきたのをかすかに覚えている。

「いろり山賊」を始め、高速道を通れないことで、本当に久しぶりに2号線沿道の懐かしい風景を目にすることができた。何が幸いで、何が災【わざわ】いか分かったもんじゃない。

昼過ぎから雨は上がっていた。辺りが暗くなった頃、ようやく小月インターから高速に乗ることができた。関門海峡を渡ると九州自動車道だ。
車中で、お土産の「もみじまんじゅう」を分けて食べたり、コンビニで求めた夜食のおにぎりを分け合ったりしているうちに自然と連帯感が強まったような気がした。

佐々町に着いたのは日付が変わろうとする頃だった。

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雨の研修旅行

2010年07月14日 | 民生児童委員
町民生児童委員協議会の研修旅行に参加している。
今日は広島県の宮島で朝を迎えた。宿泊先のホテルのPCからこれを記している。

昨日の朝、佐々町を発つときすでに雨は降り出していたが、中国自動車道では雨のため一部通行止めの区間があった。
今日も朝から雨だ。先ほど女房どのに電話したら佐々町も降っているとのことだった。厳島神社が雨に泣いている。

山口県和気町の民生児童委員協議会のみなさんと活発な意見交換を行うことができた。とても有意義な1日だった。今夕、佐々町に戻る。
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失政の付けを誰が払う

2010年07月12日 | 町内会長
民主党が大敗した。
とにかく、自分たちの思い通りに法案を成立させようとする与党と何にせよ反対する野党、そこには丁寧な説明もなければ有意義な議論も存在しない。私たちの国の政治はいつだって国民不在だ。
今回の参院選の結果、国会のいっそうの混乱は必至となった。その付けはすべて国民に回ってくる。

 それにしても、ミスリードにより消費税率が上がるのは仕方がないと思い込んでしまっている国民のなんと多いことよ。そこに自民党も民主党もつけ入った。消費税率引上げ反対を唱えた社民党と国民新党が沈み、「消費税率引上げ翼賛会」が形成されようとしている。
なんてことはない、与野党一致団結して自分たちの失政の付けを国民に払わせようとのたくらみが成功しつつある。

日曜日、朝7時から夜8時まで投票所の立会いを務めた。
最近では期日前投票の制度が浸透し、その制度を利用する人の割合が増えていると聞く。我が家でも女房どのと絵理子さん・研二くんが期日前投票を行った。投票所を夜8時まで開けておく必要はないように思う。

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束の間の夢

2010年07月10日 | 家族
研二くんが海外出張している間、天使が絵理子さんと共に我が家へやって来ていた。
ちょうど1週間いて、きょうの昼過ぎ家族3人で帰って行った。

なんだか不思議な夢のようなあっと言う間の1週間だった。
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