いろんなことが上手くいってない。停滞している。鬱屈【うっくつ】している。
とにかく、このままではいけない。なんとかしなければならない。
私に何が出来るだろう。一所懸命それを考えている。
先々週の土曜日、天子が我が家に来るというので、くるみさんと有紀さんもそれにあわせて帰って来た。久しぶりに家族7人がそろい賑やかな夜を過ごした。
天使は、みんなに囲まれて嬉しそうなのだが、「おいで」と腕を伸ばして抱きあげようとすると。顔を背【そむ】け、絵理子さんにしがみつく。それでも強引に抱っこすると声をあげて泣く。ちゃんとお母さん、あるいはお父さんとそれ以外の人とを認識できているのだ。「人見知り」は子供の成長の証だ。大いに喜ぼう。
くるみさんは、土曜日の夜に帰省し、日曜日の朝方、寮に戻っていった。高いレベルでの競り合いとなる医学科受験に向け、このところ真摯【しんし】に取り組むようになってきているようだ。
くるみさんが佐世保駅から大村に向かった後、研二くんが佐世保駅から福岡空港へと向かった。福岡空港から中国に向けて飛び立つのだ。中国出張の後はインドへの出張が控えているという。活躍の場が広がっているようで頼もしい。
この日「町民大清掃の日」で、私は早朝から町内会のみなさんと共に清掃に努めていたので、2人を直接見送ることは出来なかった。
翌月曜日の午前中、今度は有紀さんが佐世保バスセンターから福岡へ戻って行った。有紀さんは1週間の教育実習を終え、学校の教師もいいなと思ったという。これから、有紀さんの命は有紀さんにどんなことを求めるのだろう。興味深く見守っていこう。
有紀さんを送って、天使と絵理子さんと私の3人でバスセンターまで行った。
若者たちが自らに与えられた役割を求め、はつらつとして生きているさまを見るのは気持ちがいい。
結局、雨のため世界文化遺産である厳島神社を含め、周辺の散策をあきらめざるを得なかった。
降り続く雨により高速道が全面通行禁止になっているらしい。
当初、佐々到着予定は夕方7時20分だった。だが、誰かの「明日の仕事に間に合えばいいさ」との言葉にみんな腹を括【くく】った様子で、特別な日を楽しもうという空気になった。
宮島口から一般道を通り、広島造幣局に向かった。
造幣局の見学を終えた後、岩国の錦帯橋【きんたいきょう】を目指した。そこで昼食をとることにしていたが案の定大渋滞で正午を過ぎ、1時を過ぎてもまだ着かない。ついには、空腹に耐え切れなくなり、お土産に求めていた「もみじまんじゅう」の袋の封を切る者も表れる。
2時間遅れの昼食はひときわ美味かった。
錦帯橋を何度か訪れているが、そこにいつもの晴れがましいような表情はなく、まるでおびえきった子猫のようであった。
いつもは橋の下には河原が川幅の三分の二ほど広がっていて、そこに観光バスや一般の車がとめられているのだが、この日ばかりは川幅一杯を濁流が占めていた。
錦帯橋を午後3時半に発った。
国道2号線のくねくねした山道をバスは走る。
途中、忽然【こつぜん】と表れた異様な光景に目を奪われた。とにかく気味が悪いほどの外観の異様さなのだ。しかし、瞬時にして遠い記憶がよみがえった。「いろり山賊」という食事処だ。
40年近く前、訪れたことがある。「山賊むすび」というとてつもない大きなむすびが出てきたのをかすかに覚えている。
「いろり山賊」を始め、高速道を通れないことで、本当に久しぶりに2号線沿道の懐かしい風景を目にすることができた。何が幸いで、何が災【わざわ】いか分かったもんじゃない。
昼過ぎから雨は上がっていた。辺りが暗くなった頃、ようやく小月インターから高速に乗ることができた。関門海峡を渡ると九州自動車道だ。
車中で、お土産の「もみじまんじゅう」を分けて食べたり、コンビニで求めた夜食のおにぎりを分け合ったりしているうちに自然と連帯感が強まったような気がした。
佐々町に着いたのは日付が変わろうとする頃だった。