峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

その町に暮らす者の息づかい

2008年11月27日 | 町内会長
昨日は小浦地区の「竜神祭」にお招きをいただき出かけてきた。
「竜神祭」は元々漁師さんたちが執り行なっていたお祭りで230年前からの歴史があるという。
かつてはにぎやかなお祭りだったそうだが、現在では町長・議長、それに近隣の町内会長を招くだけで、小浦地区4町内会の氏子総代と町内会長などごくごく限られた方々が輪番で取り仕切っておられる。
祠【ほこら】のある海岸で厳かに神祭が執り行なわれた後、今年の締め元である四ツ井樋町内会集会所に移動し、直会【なおらい】が始まった。

その後、例によって2次会、3次会、4次会、最後にラーメンを食べて帰宅したのが午後10時過ぎ、神祭が始まったのが午前11時だったから約半日、延々飲み、語り合った。
この日の話も主に町政について、ことに合併問題についてだ。最後のラーメン屋さんでは、店を営まれるご夫婦が熱心に私たちの議論に耳を傾けておられた。
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顕彰式典

2008年11月25日 | 保護司
昨日の午後、絵理子さん・研二くん宅を出発し、先ず、くるみさんを寮へ送るため九州自動車道から長崎自動車道を通り、一路大村へ。
くるみさんと別れた後は、いつもの道を通って女房どのと2人佐々の我が家へと向かった。
帰宅したのが夜の8時頃だっただろうか。女房どのが玄関のドアを開けると、1人【一匹】留守番をしていたみぃちゃんは待ちかねたように出かけて行った。

きょうは、長崎市民会館文化ホールで開かれた県の更生保護関係者の顕彰式典に出席するため午前9時に佐々を出発し、午後7時過ぎに帰宅した。
顕彰を受けるために半日費やすのもどうかと思うが、往き帰りのバスの中で、普段お話しする機会のない先輩保護司のみなさんとの交流はそれなりに有意義だった。

顕彰なんて気を付けろ!
それにしても、あ~、しんど。
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福岡にて

2008年11月24日 | 家族
金曜日の夜から福岡に来ている。土曜日からくるみさんも合流した。
金曜・土曜は有紀さんのところに泊まり、日曜は研二くん・絵理子さん夫婦のところで世話になった。

土曜日は福岡教育大学の大学祭を堪能し、日曜日は同大学合気道部の演武会を楽しんだ。

今日・月曜は雨の祭日となった。今、みんなは遅い朝食をとっている。
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私たちの暮らし

2008年11月21日 | 町内会長
先週、金曜日のお昼に女房どのから「午前中の授業公開が終わり、午後の実践報告会で話します。長い1日です。明日からご飯作ります」とメールが入った。

女房どのは研究授業を控え、しばらくその準備に専念していた。
午前7時に家を出るのは変わらないが、いつもの帰宅時刻の午後6時頃を過ぎても、まだ学校で仕事をしていますとメールが入っていた。帰宅後もずっとパソコンに向かっていた。
そんなわけで1週間ほど夕食に店の弁当が続いていた。

先週、私の方は昼間、日曜日に開催した町内会の文化祭の準備に奔走【ほんそう】し、夜は期末テスト前の塾生と共に熱く燃えていた。

文化祭会場設営のための器材や展示作品を搬入する土曜日に少し雨が降ったが、当日の日曜日はからりと晴れ上がった。
いつものようにこの日も早朝からばたばたしていたが、開場の時刻直前、作業着を着替えるため自宅に戻っているところへ「町長と議長が来とらすよ」と副会長が呼びに来てくれた。

町内会で何かを催す際には必ず町長と議長にお声をかけるようにしている。町長に町内会の活動をつぶさにご覧いただきたいのと、町内会のみなさんに町の動きや町長のお考えを直に町長からお聞きいただきたいとの思いからだ。

ざっくばらんな席で時々、町長が「おいは西町に呼ばれて行かんかったことはなか【私は西町に招かれて行かなかったことはない】」とおっしゃる。実際、欠かさずお越しいただいている。
この日、議長とご一緒に町内3ヵ所を回られるとのことだったが、展示作品をご覧いただいた後、お茶とお菓子を召し上がっていただきながら、このような活動の意義などについてお時間の許される限り、意見を交換させていただいた。

昼になり、副会長や班長さんたちと昼食をとっているところへお隣の東町の町内会長がお見えになった。
お供して会場を回ったが、展示作品をご覧になり盛んに感心しておられた。前回の当町内会の文化祭をご覧になり、ご自分の町内会でもとみなさんに働きかけたのだが実現できそうにないと残念がっておられた。
佐々町内には32の町内会がある。町内会独自で運動会を行っているところは3,4ヵ所あるが、文化祭を行っているところは私たちの町内会の他に知らない。

そういえば、昨日、福祉保健課に出向いた際、課長から私たちの町内会の敬老祝賀会の取り組みについて、今度の町内会長会で話してもらえないかと声をかけられた。

今、私たちの町は佐世保市との合併問題で揺れている。
つまりは、私たちの暮らしを私たち自身がどう考えるのかが問われている。私たちは主体的に考え、行動する必要がある。
       
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変化

2008年11月12日 | 暮らし
ジャーナリズムの良心・筑紫哲也さんが逝【い】った。

アメリカでは大統領選が終わり、アメリカの新しい歴史が始まろうとしている。

日本では、漫画を読まなきゃ時代が分からないと、居酒屋で学生相手に総理大臣が説き、自衛隊のトップが日本の侵略行為を誰はばかることなく堂々と正当化し、政府与党は、国民の貴重な税金を使い「給付金」という名の空前絶後の選挙買収をやろうとしている。
そんなこんなのおかげで、自民党政治とおさらばできることがほとんど確定的となった。

世界が、日本がめまぐるしく変化している。

私の暮らす佐々町は、佐世保市との合併か、それとも単独でいくのかで揺れている。
4日南部体育館、5日北部体育館、9日文化会館と町は合併問題に関する住民説明会を3回開いた。
私は、9日・日曜日午後6時から文化会館開かれた説明会に出かけた。
町長の説明に野次や怒号が飛び交う。私は必死に失望と戦っていた。

翌月曜日、昨夜の説明会について親しい町内会長さんや財政課長と意見交換する。

火曜日午前9時半、町内会の女性用トイレ改修に先立ち、総務課担当職員と施行業者と現場で会い打ち合わせを行う。
帰宅すると町内会連合会長から電話が入り、12月4日に開く町内会長会について相談したいということで、もう1人の副会長宅で落ち合うことに。
結局、話し合いは昼まで続いた。話は合併問題に終始した。

昼食後、役場から届けられている県民手帳を注文した方に届ける。また、きょう集会所で開かれた囲碁クラブの活動助成金を世話役の方に届ける。さらに、地域デイサービスのボランティア費用をメンバーの中心の方に届ける。
いいウォーキングだ。

午後3時に保護観察中の神田さんが来訪予定だったが姿を見せなかった。

午後4時半から6時まで小学生の授業。

午後7時から10時まで中学生の授業。
現在、定員を満たしている。授業中の3時間、気を抜く暇がない。前日、せっかく入会希望の電話をいただいたがお断りせざるを得なかった。この十数年来、生徒募集の広告をしたことがない。しかし、塾生の兄弟姉妹を続いてよこしてくださったり、ご紹介をいただいたりしている。有難いことだ。

教室に入って間もなく、親しくさせていただいている町内会長さんから電話が入る。仲間と飲んでいるとのことで、仕事が終わったら出かけて来いとのお誘いだった。
午後10時、女房どのに車で送ってもらう。
女房どのも今週金曜日の研究授業を控え、帰宅は午後7時過ぎの毎日。帰宅後もずっとパソコンに向かっている。

会合は当然、合併問題についての意見交換。帰宅は午前2時半になった。女房どのの身体を気遣い歩いて帰った。

私の立場は佐々町単独運営だ。その時がきたら堂々と行動するつもりでいる。

今日は集会所で囲碁クラブの例会が行われるため朝8時半に集会所に出向いた。

昨日に続き、抜けるような青空だ。洗濯物がよく乾く。
あれこれしているうちにすぐお昼。
昼食をとり、ゆっくるする間もなく午後1時半からの民生児童委員会の定例会に出かけた。午後3時半終了。来月は定例会の後が忘年会だ。日中、家で動いているときはまだTシャツに短パンだが、もう、そんな季節になっている。

定例会の後、このところ気になっていた来年用の日記帳を求めるため相浦の本屋へと走った。

本屋から帰宅して後、家中の窓を開放し大急ぎで掃除機をかける。2階の教室の窓は朝から開放したままだったが室温は19度あった。

そうして再び午後7時からの授業を始めた。

これは、授業が終わった後の午後10時を過ぎてから記している。
こうして記した通り、このところ心身共に余裕のない毎日を過ごしている。しばらく、ここに記さない日が続いたが、あるとき「まぁ、いいか」と授業が終わった後、すぐに晩酌【ばんしゃく】をいただいた。と、それがとても楽だというのが分かった。
思えば、穴をあけないようにとピンと張り詰めた気持ちでいたのだろう。その張り詰めた糸が切れてふわふわ漂う心地よさをしばらく楽しんでいた。
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裕理ちゃん、裕理子さん!

2008年11月03日 | 家族
今日11月3日は裕理子さんの20回目の誕生日だった。
裕理子さんは、私たち家族の心の中で生きている。

今日は3連休の最後の日だったが、中3の模試を塾内で実施した。そのため、昼に寮に戻るくるみさんを女房どのが1人で車で送って行った。

また明日から日常が始まる。
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家族

2008年11月02日 | 家族
土曜日の午後、帰省するくるみさんを女房どのと2人で大村まで迎えに行った。
この日もドライブ日和。往復3時間の大村湾沿いの道路を愛車で快適に走った。

過日、女房どのと2人で訪れた佐里温泉、食事をしている時、今度、一緒に行こうねとくるみさんにメールしていた。

そこで今日、毎月第1日曜日の町内会清掃を終えて後、家族3人で出かけた。
先ず最初に訪れたのが「見返りの滝」。ようやくカエデの紅葉が始まっていた。
          
次に訪れたのが、前回行けなかった「蕨野【わらびの】の棚田」。
「見返りの滝」が日本の滝百選に入っているということだったが、こちらも「日本の棚田百選」に認定されているとのこと。八幡岳の裾野【すその】におよそ1,050枚と言われる数の棚田が広がる様は壮観だった。

「見返りの滝」から「蕨野の棚田」まで約10km、佐里温泉からどちらも約10kmくらいの位置にある。

棚田を見た後、石仏群を見に行く予定にしていたが、すでに午後1時近くになっていた。そこで石仏群は次回のお楽しみにということにして佐里温泉・登栄荘へ。

着いて、すぐに温泉に直行。小1時間ほどお湯を楽しんだ。この時間に男性が利用できるのは露天風呂まで入れて2ヶ所。女性は、なんと4ヵ所利用できる。

風呂からあがった後の待ち合わせ場所はパン工房の前、早めに出たつもりだったが2人はすでに好みのパンを購入して私を待っていた。

その足で、レストラン「花のれん」へ。「旬菜料理」とある。
前回は献立の中から「秋桜【コスモス】」という料理をいただいた。
今回、前回できないと断られた「山葡萄【やまぶどう】」というコースを頼んでみたところ出来るとのこと、3人共それを注文した。
先ず出てきたのが「前菜」。そして「お造り。次に「マツタケの土瓶蒸し」が出てきた。マツタケの香りが贅沢【ぜいたく】な気分をくすぐる。その後「はとし」という揚げ物「甘鯛【あまだい】のサラダ焼き」「伊万里牛ステーキ」、最後にご飯と味噌汁だ。写真は「お造り」だ。器は唐津焼だろうか。

テーブルの窓越しに登栄荘ご自慢のコスモス畑が広がっている。
家族連れや、友人同士、恋人同士だろうか、思い思いに散策を楽しんだり、土手に敷物を広げ弁当を食べたりしている。のどかな風景だ。

食後のデザートもたっぷり楽しみ、いざ帰途へ。今回は伊万里市から若木町へとつながるバイパスを利用したが、そのバイパス沿いのカエデの街路樹の紅葉や黄葉に目を奪われた。
写真は途中の農産物の直売所に寄った際に写したもの。



くるみさんの上の姉2人も、高校から寮生活を送った。長女の絵理子さんの時は有紀さんもくるみさんもまだ小学生だったから家族4人で寮まで迎えに行き、家族4人で寮まで送っていった。
往き帰りの道中、いろんなところに立ち寄り、いろんなことをして遊んだ。たくさんの思い出がある。

有紀さんの時は、絵理子さんが大学進学のため、すでに家を出ていた。くるみさんも中学生になり家族とは別の時間を過ごすことが増えた。私も公的な役割が増え、次第に忙しさが増してきていた。
そんなことから、女房どのが1人で送り迎えをすることが多かった。

そして、末娘のくるみさんである。
寮までの送り迎えも、いよいよくるみさんでおしまいとなる。そう思うと感慨深いものがある。
くるみさんは末っ子だけあって、上の姉2人より親と一緒にいる時間が長い。特に私は、くるみさんが生まれてからずっと一緒だ。保育園の送り迎えも私がした。自転車の乗り方から、キャッチボールに将棋まで、遊びも勉強も全部、私が手ほどきした。もちろん、絵理子さんも有紀さんもだが、まさに手塩にかけて育てた子共たちだ。可愛くて可愛くてしかたがない。くるみさんはいっそうだ。

くるみさんが高校を卒業するまで、くるみさんが帰省する際は女房どのと2人で迎えに出かけ、3人で精一杯楽しい時間を過ごしたいと思っている。
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教えられたとおりに

2008年11月01日 | 学校教育
清峰高校野球部の前監督が生徒に体罰を加えた事件について、県教委は前監督を文書訓告にしていたと今日の地元紙が伝えた。
体罰発覚後、前監督は解任され、その前の監督だった吉田さんが再び監督に就くというおかしな事態となっている。

そもそも、県内でもまったく名前の通っていなかった県立の高校野球部を短期間で全国レベルの強豪校にまで引き上げたあの吉田さんの突然の監督引退声明が不可思議だった。

今回の処分について県教委は「体罰の程度や過去の事例を勘案し、処分が経歴に記される懲戒処分ではなく、文書で指導する訓告が適当と判断した」としている。

橋下大阪府知事が府民との教育問題討論会で体罰容認ととれる旨の発言をしたが、世間にはそれを咎【とが】める空気はない。マスメディアさえもだ。驚くことに、むしろ彼の株は上がっているという。

街頭でインタビューに答えるおじさんたちは異口同音にやはり体罰を礼賛【らいさん】していた。
「殴られて良かった」などという趣味を私は持ち合わせていないので、その気持ちがまったく分からない。

ただ、人は教えられたように教えると聞く。とすれば、殴られて育った子供は長じて子供を殴る親・指導者になるということだ。

「さわやか野球」にしばし酔ったが、その酔いから醒めかけている。
私は、やはり少数派だ。
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