峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私の在り方を問う

2019年06月27日 | 暮らし
2年程前、町内会長のOB会を立ち上げようと連合会の副会長を務めてくれていた高校時代の同級生・藤田くんと相談し、先ずは6人の賛同者を得て発起人会を開いた。

町内会長時代、連合会や公民館連絡協議会の席上、町づくりを行政や議会だけに任せ、ただただ文句を言うだけの存在から脱し、町民自らが主体的に町づくりに関わっていくことの意義を、ずいぶんと訴えてきたつもりでいた。
当然、この発起人会の席上でもそのことを訴え、会設立の趣旨にそれを盛り込むよう提案した。だが、残念ながら6人のみなさんから賛意をいただくことができなかった。ただの飲み会でいいではないかという訳である。一切の決め事も作らず、ただ世話役を藤田くんと私にやってほしいとのことだった。
その時は、みなさんがそう仰るなら単なる親睦会でもいいかと世話役を引き受け、後は酒を酌み交わし楽しい一夜を過ごしたのだった。

それからおよそ2年が過ぎた。
その間、一度もOB会を開くことはなかった。飲むためだけに会を開こうとする気力が湧いてこなかったのだ。
そんな中、発起人会に出席いただいた方の中のお1人からある日突然、電話をいただいた。
電話の内容は、佐世保市が中心となり推進していた西九州地域(佐世保市・平戸市・松浦市・西海市・伊万里市・東彼杵町・川棚町・波佐見町・小値賀町・新上五島町・有田町)の連携中枢都市圏形成に係る連携協約締結に関する議案を町議会が否決したことについてどう思うかというものだった。

しばらく電話で意見を交換すると、この件について有志と話し合いたいので至急会合を持ってくれるよう仰られた。
我が意を得たりの思いだった。早速、先の町内会長OB会の発起人のみなさんに声をかけ、寄っていただいた。

西九州地域の広域都市圏形成構想の連携に私たちの町だけが加わらないことの賛否についてはともかく、問題はこれほど重要な事柄が肝心の町民には何ら説明がなされず進められていたという点だ。
この件のみならず、町立図書館と町総合福祉センターに隣接する一等地の町有地が民間企業の社員寮として売却されされたり、旧町立幼稚園を取り囲むように植えられ、春になると見事な花をつけ、幼稚園児のみならず道行く人たちの心を和ませてくれていた桜の樹がすべて伐採されたりと、目を疑うような事業が町民に何の説明もなく進められている。
本来、町の行政は町民の参加と同意に基づいて行われるべきではないか。「協働の町づくり」の文言が泣く。

それでは、やはり悪いのは彼らの方か。
いや、私はそうは考えない。

「協働の町づくり」が出来ていないとすれば、それは私たち町民の方にも問題があるのだろう。
そもそも、町づくりを我が事として捉え、主体的に考え、行動を起こすことは町民一人ひとりに与えられた責務であり喜びであるはずだ。一体それが私にどれだけできているだろうか。
行政や議会を責める前に、先ず私は私を責めたい。
彼らに私たち町民に向き合ってもらうためには、私たち町民が主体的に動き出すことから始まるのだろう。

集まっていただいたみなさんにそんなことをお話しし、そのような趣旨の会にすることに賛同いただいた。
さらに、その後すぐに現役の町内会長さんも含め、出席者20人ほどの3回目の会合を持った。
そこでは、町内会長、さらにはそのOBに限らず門戸を開くことを提案し賛意を得た。
この会がどのように発展していくのかを楽しみにしている。
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家族の成長

2019年06月16日 | 家族
2人の天使の授業参観に出席するため長女家族の下を訪ねたのだったが、図らずも絵理子さんの大変さを目の当たりにすることとなった。

先々週水曜日が授業参観日ということだったのでその前日に訪ねた。夕方5時半ごろ着くと彩理さんと結理さんが迎えてくれた。
いつもならば、放課後を学童保育所で過ごし、6時前後に迎えに来る絵理子さんと共に帰宅するところを、この日は私がもう少し早く着くだろうからと姉妹で帰宅していた。そのように言われているのだろう2人はすでにシャワーを浴び、学校の宿題に取り掛かっているところだった。

保育園に寄り、悠月さんを連れて6時半ごろ絵理子さんが帰って来た。帰宅して、すぐに悠月さんを入浴させ、手早く洗濯や掃除を済ませ、子供たちに夕食をとらせると間もなく8時、子供たちの就寝の時刻だ。悠月さんを寝せつけるため絵理子さんは子供たちと一緒に2階に上がった。

私は食卓に残り1人、ちびりちびり飲んでいたのだが、しばらくして階下に降りてきた絵理子さんはパソコンを抱えていた。育休中は子供たちを寝せつけた後、研二くんも一緒に飲みながら大いに語り合うのが常だったが、この夜は仕事があるからと食器を洗った後、早速パソコンに向かった。

その後、私は先に就寝したが、絵理子さんはずいぶん遅くまでパソコンの画面と向き合っているようだった。

翌朝、5時半ごろに目を覚ますと、既に絵理子さんは起床していた。2、3時間しか寝ていないだろう。それでも、てきぱきと洗濯物を畳んだり、朝食の準備をしたりと忙しく動き回っていた。
やがて、順次起きてくる子供たちに朝食をとらせ、きょうの予定などを確認し、ぐずる悠月さんを上手になだめ、彩理さん・結理さんを送り出し、悠月さんを連れて慌ただしく出勤して行った。
4日間滞在したが、ほぼ同様の日々で、絵理子さんの大変さは想像以上のものだった。

絵理子さんと研二くんは、比較的何でもよく話し合う夫婦の方だろう。子育てや働き方を始め、夫婦の在り方とか家族の在り方とか何でも話し合っているようだった。
ただし、この春からの研二くんの東京勤務については急な話だったようで、想定外の暮らし方を余儀なくされることになってしまっている。

一般的に、奨学金の返済や家のローンの支払い、子供たちにかかる学資等々を考えるとき、また夫婦それぞれが社会人としてもキャリアを積みたいという自然の欲求を考えるとき、夫婦共働きは止むを得ないところでもあり、夫婦どちらかが単身赴任することも、あながちそれ自体が悪いということでもないだろう。

今回の絵理子さん夫婦に関しては、いかにもタイミングが悪かったと言う他ない。
ただし、母親が大変だという状況は本人はもちろんのこと、子供にとっても好ましくない。少しでも早く、絵理子さんが気持ちに余裕を持てるようになるのを祈っているし、応援もしよう。
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頑張りどころ

2019年06月13日 | 家族
進学や就職を始め、家族の成長に連れて、その暮らしぶりが一変する。どの家族にもあることだろうが、今、長女の家族がそれに直面している。

三女を出産するため産休から育休に入っていた絵理子さんは、三女・悠月さんが2歳になるのを機にこの春から職場に復帰した。それに伴い、悠月さんは保育園に通うこととなった。いや、悠月さんにしてみれば、お母さんと離れて過ごすのは不本意に違いないから、正確には保育園に通わせられることとなったと言うべきだろう。未だに登園時、お母さんと離れる際は泣くという。悠月さんも辛いが、お母さんもまた辛い。

絵理子さんは、新たな部署での仕事をこなすのに懸命のようだ。そして、悠月さんも新たな環境で幼子なりに懸命に気持ちに折り合いをつけている。

次女の結理さんは、この春、小学校に入学した。やはり、学校生活という新しい環境に慣れるため、小学1年生なりに様々な思いと懸命に戦っていることだろう。
小学4年生となり、多感な思春期に差し掛かっている長女・彩理さんにしても、環境が激変した中で気持ちが揺れ動くことも少なくないはずだ。

さらに、夫の研二くんが東京勤務となり、単身赴任することとなった。家族と過ごすのを最優先してきた彼にとっては試練の日々に違いない。

そんな状況下で授業参観の依頼があった。
ちょうど同じ週に次女・有紀さん家族のところからも定期の応援依頼が入っていた。こちらには、いつものように女房どのが駆けつける予定にしていたため、授業参観には私が出席することにし、久し振りに長女家族のもとを訪ねた。
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