昨日は、くるみさんの小学校卒業の日でした。
私は、くるみさんだけではなく卒業生みなさんを祝福したかったので、来賓席に座らせていただきました。
そのおかげで、卒業生のみなさんの顔をよく見ることができました。くるみさんの顔も見えます。
式も進み、卒業生と在校生による、言葉の掛け合い「別れの言葉」と歌唱「さようなら」「大空がむかえる朝」「仰げば尊し」が始まったとたん、くるみさんの様子が変です。
泣いているのです。
有紀さんが中学校の卒業式で泣いたのは、事前に本人が公言していたこともあり、「そうか」という感じでした。しかし、くるみさんが泣くとは、ちょっと意外でした。
言葉の掛け合いと歌唱が交互に進む中、くるみさんの感激は次第に高まっているようでした。そして「別れの言葉」の大詰めを迎え、くるみさんの番です。
職員室で「カッコいい」と評判の(自分で言っています)くるみさんのセリフである「私たちの母校・口石小学校」が涙声でよれよれでした。
でも、それもよかったよ。くるみさん、あなたが感動的な小学校生活を送ってきたことを知りました。
2005年3月19日(木)記
裏のサクランボの木の花が咲き始めました。
昨日は有紀さんの中学卒業の日でした。
朝からいい天気です。数日前の降雪の頃から一輪、また一輪とほころび始め、今では数え切れないほど花をつけている前庭の椿の木の傍で登校前の有紀さんのセーラー服姿を写真に収めました。
卒業を前にしたある日、有紀さんと中学生活を振り返って話をしたことがありました。
有紀さんは、中学の3年間で自分は変わったと言います。
「友達との付き合いの中で、人を信じることができるようになった」「信頼することの大切さを知った」「自分のためよりも、人のために何かをしたいと思えるようになった」、こんなことを語ってくれました。
いずれも、私が50歳を過ぎた頃から思えるようになってきたことがらです。
卒業式が済んで、表で皆が名残を惜しむ中、担任の先生と話をする機会を得ました。
私が先ずお礼を申し上げると担任は「助けられました。本当に助けられました」と言います。私は、そんなに言われるほどのことはしていないのにと思っていたら、有紀さんのことでした。
通知表にも「学級のムードメーカー的存在として、なくてはならない生徒でした」とありました。
私は、こんな素敵な人と親子でいられることをしみじみと嬉しく、有り難く感じています。
2005年3月17日(木)記
有紀さんの通う佐々中学校では来週16日の卒業式を前に、このところその練習が行われているようです。
昨日の夕食の際、その日の練習の様子が話題になりました。
佐々中の卒業式では、校長先生から卒業証書が一人ひとりに手渡されます。
式会場に入場し着席した後、担任に名前を呼ばれ返事をして立ち上がり、壇上まで歩み出て校長先生から卒業証書を受け取るといった段取りです。
その名前を呼ばれる際に、生徒が大きな声で返事をする方が厳かな式に似つかわしいと考えるのは人情でしょうか。
その練習が一通り行われた後、その場を仕切っていた先生が「返事がよかったのは一人だけ。それは峰野だ」と名指しで有紀さんを取り立てられたといいます。
実は、その日、体育館で練習が始まる前、有紀さんは「4組(有紀さんのクラス)だけは声だそうや」「声出そうや」「声だそうや」「みんなに回して」と何度か自分の周囲の友達に声をかけていたというのです。
有紀さんは、決して「優等生」ではありません。むしろ権威めいたものに対しては、アレルギーを抱えているところがあるように思われるほどです。
しかし、だからといって、それがネガティヴな方に向かわないところが彼女の素晴らしい資質です。
先の文集のことも、今回のことにしても、学校の先生たちの思惑とは別に、自分たちの中学卒業を真に実のあるものにしたいという思いが根底にあるのだと思うのです。
そうでなければ、友達の支持を得られないどころか、鼻つまみ者になってしまうのがおちでしょう。
2005年3月12日(土)記
有紀さんが級友のMさんと文集を作っているというので、編集委員にでもなったのかと思ったらそうではありませんでした。
卒業に際して記念の文集を作りたと考えた有紀さんは、担任に許可を得て仲の良いMさんと級友への原稿依頼から始めたそうです。
彼女らが自主的にそういう取り組みを行っていることに驚かされました。
どうも、先生を頼りにしていません。あてにしていません。物足りないようです。そういえば、Mさんもそんなふうでした。
中学生にもなったならば、もはや自分を育てるのは自分です。
親や先生や国を当てにしても始まらないことを彼女らはすでに分かっているようです。
2005年3月11日(金)記
私が有紀さん、くるみさんと話す時間は、朝食時、夕食時(くるみさんとは学校から帰って来た時も)、それに塾の時間です。
特に学校から帰ってきてから夕食が済むまでの時間に、女房どのを含めて、きょう1日学校で、彼女らの心に留まった出来事が披露(ひろう)されます。
毎日、興味深い話が聞けるのですが、その中からいくつかを気が向いたときに『子育て日記』に取り上げています。
さて、6日・日曜日、有紀さんは、文集作成が遅れているとかで、共に編集している友人のMさん宅を訪れました。そこでの話です。
Mさんは、時々この『峰野宅』を訪れてくれているようで(Mさん、見てるッ?)、先週、学校で『子育て日記』見たよと言われたそうです。ところが、有紀さんもくるみさんもネットに全く関心がありません。自由な時間は音楽を聴くか本を読んでいます。
そんな訳で、有紀さんがMさん宅を訪れた日曜日、『子育て日記』、見ようかということになったそうです。
このところ有紀さんに関しては、ボーイフレンドのO君とのことを書いていましたから、Mさんにしてみれば、どちらもよく知っている仲の良いクラスメートだけに親近感を持って読んでいたのでしょう。
2人で『子育て日記』を読みながらMさんいわく「プライバシー、守られていないね」
それで、あなたは何と応えたのと有紀さんに訊くと「そうねェという感じだったかな」ということでした。
もちろん、『子育て日記』に書くものに関しては、基本的に絵理子さん、有紀さん、くるみさんの了承を得ています。
絵理子さんにしても有紀さんにしても、彼女らの異性との交際には広がりを感じます。決して内向きではありません。そこに新しい人の新しい生き方を見るような思いがします。
彼女らの考え方、生き方にワクワクするほどの興味を覚えるのです。
有紀さんを始め、絵理子さんもくるみさんも寛大です。
3人とも「しょうがないなぁ~」といった感じで父親がやっていることを見守ってくれています。
2005年3月9日(水)記