9日、我が家の三女であるくるみさんの誕生日でした。その日の朝、女房どのにそのことを教えられ、居間に下りて来たくるみさんの手を「おめでとう!」と言って握ると、盛んに照れていました。
くるみさんは平成4年の12月9日にこの世に生をうけました。姉妹の中で一番下ということもあり、日頃、なんとなく幼いイメージで接しているのですが、そのくるみさんが14歳になったのです。
くるみさんが生まれてきてから私は彼女とずっと一緒です。オムツを替えることから哺乳瓶で授乳させることに始まり、保育園の送り迎えからお誕生会、小学校の入学・卒業式から授業参観、すべてにかかわっててきました。
そんなくるみさんとの付き合いですが、日常の生活の中で、私が彼女に何か注意をするといったようなことは、すでになくなっています。女房どのもそのようです。
女房どのとは学校の話、バレーボールの話、タレントの話、CDの話などをしたり、買い物、料理、有紀さんの送迎など行動も共にすることが多いようです。いい相棒といった感じでしょうか。
私ともいろいろなことを話しますが、塾の時間に教科の質問をしてくるのは姉たちにはなかったことです。その質問も、深く納得するまで執拗【しつよう】に食い下がってきます。これから先、彼女がどのように成長していくのかとても楽しみです。
だからといって、いわゆるがり勉ではありません。毎日の学習時間は90分程度で、それはテスト前でも期間中でも変わりません。それで十分だと言っています。
ところで、きょうの新聞に減少し続けていた子供の学校以外での学習時間が、小中学生では増加に転じ、高校生だけがさらに減少していることがベネッセによる調査で分かったとありました。それによると、06年度の小5の平均が81.5分、中2が87.0分、高2が70.5分だそうです。
ベネッセでは「10年以上続いていた学習離れに歯止めがかかり、学習回帰といえるのではないか」としていますが、これには単に数字が増加したことをもって特定の層を安堵【あんど】させるような、あるいは逆に不安を煽【あお】るような商業主義的意図を感じます。
大切なのは学習の時間の長短ではなく、それが子供によって主体的になされているかどうかということであるはずです。仮に、子供の学習が大人によって受動的、または何らかの強制力が働いてなされているとすれば、その時間が長ければ長いほど子供のその後を心配する必要があるでしょう。
就学前から小学生の早い時期に勉強「させられた」子供は、中学生になると勉強するのを強く拒【こば】むようになる傾向が顕著【けんちょ】であり、中学生で得点や順位ばかりを気にするような勉強を「させられた」子供は高校生になって勉強しなくなる傾向が顕著です。
小中学生の家庭や塾での学習時間が増加に転じた背景には、近年言われだした「学力低下」問題があるのは明らかです。
今こそ、強制力の効【き】かない高校生の学習時間が減少し続けていることの意味を私たちは、もう少し深く考えてみる必要があるように思われます。
くるみさんは平成4年の12月9日にこの世に生をうけました。姉妹の中で一番下ということもあり、日頃、なんとなく幼いイメージで接しているのですが、そのくるみさんが14歳になったのです。
くるみさんが生まれてきてから私は彼女とずっと一緒です。オムツを替えることから哺乳瓶で授乳させることに始まり、保育園の送り迎えからお誕生会、小学校の入学・卒業式から授業参観、すべてにかかわっててきました。
そんなくるみさんとの付き合いですが、日常の生活の中で、私が彼女に何か注意をするといったようなことは、すでになくなっています。女房どのもそのようです。
女房どのとは学校の話、バレーボールの話、タレントの話、CDの話などをしたり、買い物、料理、有紀さんの送迎など行動も共にすることが多いようです。いい相棒といった感じでしょうか。
私ともいろいろなことを話しますが、塾の時間に教科の質問をしてくるのは姉たちにはなかったことです。その質問も、深く納得するまで執拗【しつよう】に食い下がってきます。これから先、彼女がどのように成長していくのかとても楽しみです。
だからといって、いわゆるがり勉ではありません。毎日の学習時間は90分程度で、それはテスト前でも期間中でも変わりません。それで十分だと言っています。
ところで、きょうの新聞に減少し続けていた子供の学校以外での学習時間が、小中学生では増加に転じ、高校生だけがさらに減少していることがベネッセによる調査で分かったとありました。それによると、06年度の小5の平均が81.5分、中2が87.0分、高2が70.5分だそうです。
ベネッセでは「10年以上続いていた学習離れに歯止めがかかり、学習回帰といえるのではないか」としていますが、これには単に数字が増加したことをもって特定の層を安堵【あんど】させるような、あるいは逆に不安を煽【あお】るような商業主義的意図を感じます。
大切なのは学習の時間の長短ではなく、それが子供によって主体的になされているかどうかということであるはずです。仮に、子供の学習が大人によって受動的、または何らかの強制力が働いてなされているとすれば、その時間が長ければ長いほど子供のその後を心配する必要があるでしょう。
就学前から小学生の早い時期に勉強「させられた」子供は、中学生になると勉強するのを強く拒【こば】むようになる傾向が顕著【けんちょ】であり、中学生で得点や順位ばかりを気にするような勉強を「させられた」子供は高校生になって勉強しなくなる傾向が顕著です。
小中学生の家庭や塾での学習時間が増加に転じた背景には、近年言われだした「学力低下」問題があるのは明らかです。
今こそ、強制力の効【き】かない高校生の学習時間が減少し続けていることの意味を私たちは、もう少し深く考えてみる必要があるように思われます。