峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

残暑お見舞い申し上げます

2007年08月31日 | 暮らし
暑い日が続いておりますが、お変わりなくお過ごしのことと拝察いたします。

申し訳ありません。このところ、ここに何かを記す余裕・余力ががありませんでした。
毎日、朝から夜まで塾生と額【ひたい】を合わせ、共に学びに励んでいます。
子供たちの純粋な魂に応えるために必死です。

もう少しお待ちいただければ幸いです。夏休みが終われば……。

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夏の終わりに

2007年08月23日 | 家族
今朝早く、女房どのとくるみさんが福岡へ小旅行に出かけました。博多駅で絵理子さんと落ち合い、今夜は3人でシーホークホテルに宿泊だそうです。

有紀さんが、しばらく絵理子さんのところに遊びに行っていました。それをうらやましく思っていたくるみさんでしたが、これで満足でしょう。

もうすぐ、今年の夏も終わりです。3人で精一杯、夏の終わりの福岡を満喫してほしいと願っています。

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お盆

2007年08月21日 | 家族
1週間、休ませていただきました。その間、ご訪問いただいた方には申し訳なく存じます。

15日、佐世保市吉井町の母の家でご先祖の供養を行いました。私の母、弟夫婦とその長男、妹夫婦とその長男、それに私たち夫婦と私たちの長女・次女・三女の計12人がそろいました。あいにく、東京に住む弟夫婦の長女と、同じく東京に住む妹夫婦の長女の2人だけが出席できませんでした。
吉井町・春日神社の宮司様に祭祀【さいし】を行っていただいた後、みなで大きなテーブルを2つつないだ食卓を囲みました。それはそれは、母がたいそう嬉しそうでした。

その帰り、お墓に寄り、家族5人そろって手を合わせました。さらに、すぐ近くの春日神社にも寄り、そろってお参りしました。お墓と神社にお参りすると、胸がスーッとします。気持ちがよくなります。何かしら大きな力で守られているのを感じます。

この夜、久しぶりに家族5人そろって夕食をいただきました。いろんな話が次から次へととび出し、笑い声は絶えません。
食後、有紀さんの高校の体育祭の模様を収めたビデオを見ました。さらに興に乗り、数年前に録ったビデオを何本か見ることになりましたが、特にくるみさんの幼かった頃の愛らしい表情にみんな大爆笑でした。
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同士

2007年08月14日 | 家族
夕方、我が家の長女である絵理子さんと、先週の金曜日からまっすぐ北九州市に住む絵理子さんの所に遊びに行っていた次女の有紀さんが高速バスを利用して、久しぶりに我が家に帰って来ました。
北九州市から佐世保市まで直行便があり、2時間半ほどの道のりだそうです。あっという間です。

佐世保駅まで女房どのと、三女のくるみさんと私の3人で迎えに行きました。
積もる話が山ほどあります。語れども語れども、話が尽きることはありません。
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15

2007年08月13日 | 父親と子
先週の金曜日の夜、NHK総合テレビ『プレミア10』で『尾崎豊がいた夏~知られざる19歳の素顔~と題して、伝説となっている大阪球場での彼のライブの模様が紹介され、あらためて尾崎豊に魅了されていました。

10年くらい前からでしょうか、NHKは毎年この時期になると、必ずといっていいほど尾崎の特集を組んでくれます。
ある年の生放送の特番で、尾崎の歌にまつわる思い出を視聴者から募り、歌に合わせ、それを紹介するという趣向の番組が放送されたことがあります。
そこで私は、彼のデビューシングルである『15の夜』に関して、尾崎の存在を私に教えてくれた当時の15歳の少年たちとの思い出を綴【つづ】りファックスを送ったのでした。

数曲後『15の夜』のイントロが流れてきました。「きっと、お父さんの読まれるから」、家族と共に息を詰め、耳をそばだてました。すると、誰だったか名前は忘れましたが、ある俳優が、よく響く低い声で私の送ったファックスを朗読し始めたのでした。「わぁ~、すごい!」

この夜、番組の中で、気鋭の脳科学者・茂木健一郎さんが尾崎の魅力を語っていましたが、彼はカラオケで『15の夜』を歌うといいます。
ん~、やるもんです。私は、せいぜい『I LOVE YOU』ですから。
 
15の夜 詩・曲・歌/尾崎豊
落書きの教科書と外ばかり見てる俺 
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持ちの扉【とびら】破りたい
校舎の裏 煙草【たばこ】をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり背を向けながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は今夜 家出の計画を立てる
とにかくもう学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ解らず震えてる15の夜

盗んだバイクで走り出す
行き先も解らぬまま
暗い夜の帳【とばり】の中へ
誰にも縛られたくないと
逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした15の夜


尾崎が僕らの前から姿を消して15年になります。
私に尾崎の存在を教えてくれたあの頃15歳だった少年たちも、もう35歳を過ぎてしまいました。
そして、もうすぐ15歳になるくるみさんが時々、尾崎を聴いています。

何もかも変ってしまったようですが、でも、何も変っていません。
今度、私もカラオケで『15の夜』を歌ってみようと思います。


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私の命が私にさせようとすること

2007年08月12日 | 町内会長
昨夜の夏祭りの後片付けのために、10人弱のお父さんたちが顔をそろえてくれました。
30分ほどで大まかな片付けは済みました。お父さんたちは、ここで解散です。
その後、一人残り、ダンボール箱をつぶし・まとめ、空き缶・空き瓶を整理し、ゴミをまとめ、集会所内の拭き掃除をし、掃除機をかけ、濡【ぬ】れている布巾【ふきん】や雑巾【ぞうきん】を表に干し、使われた食器や調理器具等が元の場所に戻されているかどうかを確認しました。
この暑さです。汗が滴【したた】り落ちます。

これをきちんとやっておかないと、後に集会所を使うグループから必ず苦情が出ます。いたずらに誤解を招いたり、グループ同士の反目・対立を招かないように配慮しなければなりません。
しかし、だからといって、善意で後片付けに出て来ておられる方に、細部にわたり、それをお願いするのは酷【こく】というものです。自宅の庭は徹底的に掃除しても、例えば、町民大清掃での公園の清掃が適当になってしまうのは人情です。誰もそれを責めることなどできません。
ところが、厄介【やっかい】なのが公共の施設を利用する人々の考え・思いは多様であるという点です。

しばしば、公共施設で「使う前より美しく」というような標語が壁に貼ってあるのを目にします。それができていないからこその呼び掛けでしょう。佐々町の図書館でも図書のページが破り取られたり、元の場所に置いてなかったり、そのまま持ち去られたり、戻ってこなかったりと、あまりにも自己中心的過ぎる人たちが増加しているのが数値ではっきりと表れています。しかし、それが、もう一方の立場に立つと、図書の整理がなっていない、管理がずさんである、利用者のモラルがなっていないと、裏返しの自己中心思想となります。
他者に厳しく、自己に寛容【かんよう】であるという風潮【ふうちょう】が、小泉政権の頃から顕著【けんちょ】になっているように思われます。

それはともかく、自分の役割がハッキリしているというのはありがたいことです。
この年齢になってようやく、私の命が、私に何をさせようとしているのかが分かってきたようなが気がします。それを幸せに思います。
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力を合わせる気持ちよさを君は知っているかい

2007年08月11日 | 町内会長
私たちの町内会の夏祭りが終わりました。
大勢のみなさんに集まっていただきました。たくさんのみなさんにお手伝いいただきました。何人もの方に「よかった!」「成功だった!」と声をかけていただきました。
塾生もよくやってくれました。OB2名、現役2名の4名でカキ氷コーナーを受け持ってくれました。塾生の間で先輩・後輩の関係があるのを微笑ましく思います。夕方5時から後片付けの終わる10時頃まで、よく手伝ってくれました。
一声かけるだけで集まってくれ、何でも言う通り動いてくれる彼らと私の関係は、私たちだけのものです。

女房どのも来賓【らいひん】の接待に受付にと頑張ってくれました。くるみさんも、ビールを運んだり、グラスを持ってきたりと私のうるさい指示によく従ってくれました。
町長が、私はくるみちゃんしか知らないからと、くるみちゃん・くるみちゃんと声をかけてくださり、つかまえては何やらお説教しておられました。

明日から1週間、お盆休みです。お盆休みには、みんなの顔がそろいます。
昨日から有紀さんは北九州の絵理子さんのところに遊びに行っています。我が家の姉妹はとても仲良しです。14日に一緒に帰ってきます。その後、17日には梅田さんも遊びに来てくれるようです。
楽しい楽しいお盆休みが始まります。
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西町夏祭り2007

2007年08月10日 | 町内会長
午前中、町内会に建つアパートに住んでおられるお若いご夫婦から電話をいただきました。ご主人がお勤め先から綿菓子器とカキ氷器を借りてこられたそうで、綿菓子の試作をしたいというものでした。

明日11日、私たちの町内会の夏祭りを行います。20年ぶりの復活です。副会長が率先【そっせん】して企画を練り上げてくれました。
今回の催【もよお】しは役員と班長さんだけでは、とうてい手が足りません。そこで、めぼしいお父さん方に協力を取り付けていました。そうして、昨夜、副会長が作成した企画書にそって役割分担を決めるための会合を開いたところ、お願いしたみなさんが駆けつけてくださいました。初のプロジェクトチームの誕生です。

夏祭りをやろうと思い立ったのは、町内会に住む子供たちの心に故郷の思い出を残してやりたいということからでした。そこで、出店をいろいろ設けることにしました。「カキ氷」「綿菓子」「焼き鳥」「焼きソバ」「たこ焼」それにジュースにビールもありますです。もちろん、カラオケや盆踊りなどもやります。ラムネの早飲み競争なんてのも計画されています。楽しそうでしょう。

この計画に、いち早く協力の名乗りを上げてくださったのが冒頭のお若いご夫婦でした。すでにお子さんの通う幼稚園での夏祭りでカキ氷や綿菓子を作られた経験から、何はどこで借りられるとかの情報から、うまく作るためのコツまで、同じアパートの仲間のみなさん共々の意気込みに、大いに勇気が湧いてきたものでした。

実は、このご夫婦、鹿児島がご実家で、一時は11日前に帰省されることになったのですが、この夏祭りのために帰省を延ばされました。私の留守中にその旨の電話があったそうで、女房どのからその伝言を聞いたときには感激したものです。

集会所の台所に綿菓子製造器を持ち込み、早速3人で試作しました。簡単そうに見えて、フンワリ丸く作るのは、結構難しいものです。

昼食後、午後1時にくるみさんと役場に出向きました。くるみさんの天童での結果を報告するためです。天童に発つ前、里町内会のお祭りで町長にお会いした際、くるみさんの全国大会出場を話していました。
約束の時間に庁舎に入ると、町長・副町長が出迎えてくださり、応接室に通されました。町長がことのほか喜ばれ、教育長・次長にも声をかけられ、みなさんに喜んでいただくことができ何よりでした。
明日の夏祭りの話にも及び、それに関し「広場」の件も話題になりました。明日の夏祭り、町長始め、町議会議長と近隣の町内会の町議2人、それに近隣の2町内会の町内会長にも案内を出しています。私たち町内会の活動の実際をご覧いただき、活動の拠点としての「広場」の必要性の理解を深めていただこうと考えています。

1時間ほど歓談し、役場を出、その足で夏祭りで用いる「たこ焼器」を求めるため、車で5分ほどの所にあるホームセンターを訪ねました。たこ焼器を持っているご家庭はあったのですが、いずれも電気製品です。また、油で揚げるだけのものが冷凍食品としてあるという話でしたが、直火で焼くたこ焼にこだわることにしました。数はさばけないだろうし、うまく作れないかもしれませんが、それだからこそ楽しいのです。3点、購入しました。
帰り、商工会議所に寄り、提灯【ちょうちん】を借りました。

帰宅して午後4時半から6時半まで小学5年・6年生の兄弟の授業でした。彼らの帰りには彼らの母親に必ず迎えに来てもらうようにしています。迎えに来られた際、その日の教室での様子を話し、家庭での子供の様子を伺います。その上で、子供への接し方とか、子供に対する理解、子供の捉え方等、さまざまなことを毎回10分から20分ほどお話ししています。彼らが塾に通って来てくれるようになり、もう1年以上になりますが、母親いわく「もう、大変だったんですから」という弟くんが変りました。

塾生のお母さんとの話がちょうど済んだとき、副会長から電話が入りました。集会所まで来てくれとのことです。駆けつけると、彼の会社のクレーン車が来ていました。夏祭りの舞台の材料や発電機等を運んできてくれていたのです。クレーンを使って、それらを降ろすのを手伝いました。

自宅に引き返すと午後7時、すでに塾生が来ていました。
そういえば、塾のOBも手伝いに来てくれます。3人でカキ氷を担当してもらう予定にしています。

みんなで力を合わせ、子供たちの心に末永く留まる夏祭りにしたいと思っています。
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すべての暴力からの解放

2007年08月09日 | 暮らし
長崎、夜まで追悼行事 核兵器廃絶への誓い(共同通信) - goo ニュース

長崎県民にとって、きょうは特別な日です。
長崎県の子供たちは、きょう登校日です。長崎に原爆が投下された日、平和について特別に学習します。

私たち長崎県人は、私たち日本人は、人間として戦争の、暴力の残酷さ、悲しさ、虚しさを発信し続ける責任があります。
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日常

2007年08月08日 | 暮らし
集会所前のあの広場で、夏休みに入り小学生がラジオ体操をやっています。また、今度の土曜日には夏祭りを行います。
天童に行く前から広場の草を刈らなければと思っていましたが、なかなかその時間を見つけられずにいました。しかし、草丈は伸びるのを待ってくれません。
そこで、夏期講習の始まる前の時間に刈ることを思い立ちました。しかし、あまり早い時間から始めてはご近所に迷惑がかかります。まぁ、7時を過ぎれば許していただけるだろうと今朝、女房どのが出勤する時間に合わせ取り掛かりました。

結局、9時までに全部刈り終えることができず、続きは明朝ということで切り上げました。
帰宅して、シャワーを浴び、9時から正午まで夏期講習です。その後、昼食をとり、午後1時半からの町の民生児童委員協議会の定例会に出席しました。この日は冒頭に県北保健所の方の自殺予防対策についての講義がありました。

わが国の年間自殺者数は平成10年から激増し、8年連続で3万人を超えているそうです。
長崎県においても、平成10年から自殺者が激増し、今日まで自殺率の高い状況が続き、ずっと全国のワースト10に入っているといいます。中でも、その6割が中高年で、男女別に見ると男性が女性の約3倍となっています。原因は経済・生活問題が最も多くなっています。
職場での仕事上の大きなミス、長時間労働、重い責任などのストレスにより、うつ病となり、最悪の場合は自殺へと…、このようなケースが増えているといわれています。

私たちは、いったい何のために生きているのでしょう。
私たちは、私の在り方を、この国の社会の在り方を見つめ直さなければなりません。

午後3時半に民生児童委員協議会の定例会が済み帰宅し、午後4時から6時まで小学生の授業に臨みました。

小学生の授業が終わる、ちょうどその頃、女房どのが仕事を終え、帰ってきました。
集会所の窓を閉めに行く時間です。天気のいい日は、できる限り、集会所の玄関と窓を開放し、風を通すようにしているのです。
ふと、集会所の前の広場の草を刈り残しているのを思い出しました。夜の授業の始まるまでの間、草が刈れます。

気持ちのいい汗をかいて帰宅し、シャワーを浴びて出てくると、ちょうど7時です。塾生がやって来ました。そこで、ハッと思い出しました。今夜は7時半から町民運動会についての説明が行われることになっていました。
塾生に、ちょっと出てくるからと言い残し、あわててその会場に向かいました。

説明会では、教育委員会から町民運動会の実施要項が発表され、各町内会のテントの位置を決める抽選会などが行われました。
1時間ほど費やして、待っている塾生のもとに帰りました。
そうして午後10時まで、授業に精を出しました。

愛しい1日が間もなく終わろうとしています。
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