峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

これが私たちの国の学校教育だ

2006年10月25日 | 学校教育
岩手の4高校も必修履修させず 県教委には虚偽報告(朝日新聞) - goo ニュース
先月の8日付けの当ブログに『大学受験を通して「常識」を考える』という題で、予備校と化した高校がすでにそのインチキをやっていることを書きました。
今夜の報道番組でインチキをやっているどこかの高校の校長が、生徒のためを思ってやっていたことが、結果として生徒に迷惑をかけることになってしまったというような趣旨の発言をしていました。
「生徒のためを思ってやっていた」? 

ことここにいたっても「東大に何人入れた」「旧帝大に何人入れた」「国立大の医学部に何人入れた」という数字がほしかったのだと彼ら「教育者」は言えません。
そして彼ら「教育者」は、きょうも子供たちに向かい「ウソをついてはいけません」と「教え」、ウソをついたと「体罰」という名の暴力・虐待・いじめを繰り返すのでしょう。

私たちは今、深い闇が私たちの社会を覆っていることに気がつき始めています。見て見ぬ振りをしてきた闇は、恐ろしいほど暗黒の度を増しています。
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そして、今の私が在る

2006年10月23日 | 父親と子
土曜日、翌日に開かれる大綱引き大会の会場設営の手伝いに出かけると、同じく手伝いに出ていた高校時代からの友人で「さざなみ」の町内会長をやっている藤田くんが、同級生の大徳くんが佐々に帰ってきていると言います。ちょうど、そこへ現れた大徳くん、道ですれ違っても分からないほど変貌【へんぼう】していました。高校以来というと40年近く時が流れているのですから当然といえば当然です。お互い様です。しかし、名乗り合えば、やはり少年の頃の面影はあります。話を聞くと、おくさんの実家の印刷所を継ぐことになったそうです。彼のおくさまも同級生でした。数少ない仲のいい女子の友人でした。
「今度ね」と、そのときは、それで分かれたのですが、夕方、藤田くんから電話が入り、たまたま帰省している同級生が2人いるということで今晩飲もうということになりました。

夕方6時半、この日は藤田くんが迎えにきてくれました。待ち合わせの居酒屋に行くと、懐かしい顔がそろっていました。大徳くんの他、山口くん、中島くん、それに川村くんです。
後年、分かったことですが、川村くんは高校生の頃、西町に住んでいました。その後、結婚して隣町に居を構えて今日に至っています。彼のお父様は、そのまま西町に住んでおられましたが、ご高齢になり、お独り暮らしが難しくなり、2・3年ほど前、川村くんの家で一緒に暮らすことになられたのでした。彼との久し振りの対面は、私が民生委員の立場で彼のお父様のお宅に伺っているときでした。彼のお父様は、私の3代前の民生児童委員を務めておられたという関係であり、川村くんが現在住んでいる所は、私が高校時代に住んでいた町であり、今も母と弟が暮らしている所という縁があります。それどころか、この夜、母と弟が犬を連れて散歩している運動公園で挨拶を交わす仲だということがわかりました。
母と弟はほんの近くに住んでいて、彼らは誘い合って早朝・夕方に、弟のところの犬と一緒に近くの運動公園を散歩するのを日課にしているのを聞いていました。同様に、犬を連れて散歩する川村くん、二人を見て、私の母と弟だと思っていたというのです。実は、母が風邪を引いたというので、昨日、吉井の母の家を訪ねた際、弟が、その旨声をかけられたそうです。いろいろなご縁の中で生きていることを思います。

杯を重ねるうちに名前が挙がった江迎の重永くんにも電話を入れ呼ぼうということになり、結局7人そろいました。
みんな、風貌【ふうぼう】も変わりました。糖尿病が2人、痛風【つうふう】になっている者もいます。しかし、みんな元気です。
重永くんは高校時代、ホンダのバイクCB250に乗っていました。もちろん校則違反です。帰る方向が同じでしたので、よく後ろに乗せてもらいました。車体をグラッと右に大きく傾け右側の車線に出、前を走る車を追い越していく感覚、体で風を切り裂く快感を今でもよく覚えています。その後、バイクの免許を取る機会に恵まれませんでしたが、いつの日かバイクの免許を取りたい、今でも思い続けています。
その重永くんは現在、ビートルズのコピーバンドを結成し、がんがんやっているといいます。先日は「親父バンドコンテスト」に出場したそうです。
重永くんは高校時代、野球部のエースでもありました。中学時代から県北では名の知られた投手でした。ただ、球はめっぽう速いものノーコンでした。バイクなんか乗り回さず、真面目に練習やっていたらすごい投手になっていたのになぁ等と、この夜、真面目に彼に語ったものでした。

他の友人たちとのことを書いていたらきりがありません。とにかく、あの頃の僕や僕の仲間は自由に好きなことだけをやっていました。自慢にはなりませんが、僕は子供の頃、学校の勉強というものをしたことがありませんでした。高校も大学も受験勉強など、まったくしませんでした。特に高校時代は授業をサボって友人とよく映画を見にいったりしたものです。体育祭・文化祭は、お客様みたいなものでした。修学旅行にも行きませんでした。中学生時代、学校や教師に押さえつけられ反発できず、鬱積【うっせき】していたものが一気に解き放たれた感覚でした。
だからといってタバコを吸ったり、酒を飲んだりということではありません。そんなことより、もっと根っこのところで僕は、大人に・その後ろにある何か訳の分からない大きな不当な力に逆らいたかったのだと思います。
当時、江迎町に「家主【やぬし】」と皆に呼ばれる友人がいました。両親が他の別々の所で暮らし、彼はおばあちゃんと2人で暮らしていました。その彼の家の2階が僕らのたまり場になっていて、いろんな高校からやんちゃな連中が集まってきていました。それで、彼は「家主」と呼ばれていたのです。部屋の真ん中に大きな灰皿が一つでんと置かれ、いつもタバコの吸殻が一杯でした。
私も時々、勧められましたが、なぜかタバコを口にすることはありませんでした。何故、断ったのか、今、考えても分かりません。それほど僕は友人からも自由でした。
そして、その気分は今もまったくかわらないように思われます。
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おくんち

2006年10月18日 | 町内会長
先々週の日曜日は、おくんちのおくだりに参加しました。
当日、地元の三柱【みはしら】神社で行われる大祭に出席するため午前10時前に女房どのに車で送ってもらいました。神社の行事に出席するときは、いつも女房どのに送ってもらいます。神祭の後、必ずお神酒【みき】がふるまわれるからです。
30分ほど古式ゆかしく神祭が執り行われ、その後、なおらいです。出席しておられる各町内会の氏子総代、町内会長さんらとも最近ではすっかり顔なじみになり、お神酒をいただきながら、あれこれ楽しく談笑させていただきました。
やがて正午、いよいよおくだりの出発です。昨日までの強風が嘘のようにパタリと止み、穏やかな秋晴れのいいおくんち日和でした。
道すがら、ある町議の方と私たちの町について話をしました。歳を重ねるにつれ、自分が住む町内会について、町について語り合う機会が増してきたことを実感する毎日です。先輩から受け継いだものを、いくらかでいいものにして後輩へ託す、そういう順番にあることを思います。

午後1時過ぎ、一時停留する芳ノ浦公民館に到着しました。ここでも、ささやかな神事が行われ、ささやかななおらいが行われます。冷たいビールがのどを潤【うるお】してくれます。
15分ほどの休憩後、お旅所を目指して再び出発です。この頃になると、おくだりの道順にある町内会から参加した子供みこしも加わり、行列はいっそう長く、賑【にぎ】やかなものとなります。
一時停留から約1時間後の午後2時半頃、小浦お旅所に到着しました。すぐに神事が執り行われ、再びなおらいです。夕方まで、他の町内会長さんや氏子総代さん、町会議員さん、宮司さんらとお神酒をいただきつつ、あれこれとお話しました。
子供の頃、お祭りなどで、こんな風にご馳走を食べたり、お酒を飲んでいる大人の様子を見かけたものですが、この人たちは、いったいどんな人たちなんだろうと思っていました。なおらいが行われているちょうどその頃、お旅所の境内【けいだい】の一角では毎年恒例の子供相撲大会が行われていました。子供たちの中には、かつての少年の頃の私のように思っている子がきっといたことでしょう。
私たちの町内会の子供たち、団体戦でなんと準優勝に輝きました。

夕方、いったん自宅に戻っているところへ、いつもお世話になっている町内会長さんから電話が入りました。みんな待っているから出て来いとのお誘いの電話です。
ずっと昔から、お旅所を中心とする周囲の4町内会が「しめ元」と呼ばれる当番制でおくだりのお世話に当たってこられました。この4町内会は古くからそこに住んでおられる方が多く、おくんちにはご馳走をする風習が続いています。そこに御呼ばれされたというわけです。いろんな方がお見えで、いろんなお話を伺うこととなりました。
というわけで、この日、朝から夜遅くまで、ず~っとお酒をいただいていたことになります。最後はやっぱり、女房どのに迎に来ていただきました。家族のみなさん、迷惑をかけます。
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秋の夜は更けて

2006年10月07日 | 暮らし
  ☆暑い中秋の風景写生する季節感じるスケッチ大会
  ☆学級で合唱練習少しずつ上手くなってく喜び感じる

最近のくるみさんの短歌です。

今年は柿の実がつきませんでした。いつも、鈴なりになる柚子【ゆず】の実のつきもそれほどでもありません。毎年、たくさんの実を付けて楽しませてくれた温州【うんしゅう】ミカンの木は枯れてしまいました。
しかし、レモンはそれなりに実をつけ、次第に大きくなってきました。キウイもそこそこ実を付けています。

夕食に女房どのが栗ご飯を炊いてくれました。
今宵は満月がきれいです。
秋が次第に深まっていきます。
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伝えたい喜びがある

2006年10月06日 | 町内会長
明後日・日曜日、おくんちのおくだりが私たちの町内会を通ります。今週の火曜日、おくだりの通る道筋に町内会のみなさんと幟【のぼり】を立てました。
毎年、この頃から風が強くなりますが、きのう今日、太平洋上に発生している2つの台風の影響でしょうか、ことのほか強い風が吹いています。
朝方、町内会に住む方から、ある場所のカーブミラーの向きが狂っている旨、電話をいただきました。それほどの強風です。
午前中、カーブミラーの向きを整えがてら、幟の具合を見て回りました。
案の定、紐【ひも】が緩【ゆる】んで幟が傾いたり、巻き付いたり、はずれたりしているのもありました。

それまで露【つゆ】ほども考えたことがありませんでしたが、誰かが、今日、私がやったことと同じことをしておられたことに初めて気が付きました。
1時間ほどかけて紐を結びなおしたりているうちに、なんだか清々【すがすが】しい気持ちになりました。
町内会長には、このような密かな喜びがあります。それは、民生児童委員も保護司の仕事にも通じる腹の底からジワリと湧き起こる喜びです。
どんなものにも換えることのできない喜びがあることを、私は子供たちに伝えていこうと思います。
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