今回の参院選の投票率が48.80%だったと新聞が伝えている。つまり、有権者の半数以上にのぼる人たちが投票しなかったということになる。
国政選挙のみならず、近年の地方選挙でも投票率は下がる一方で、軒並み50%を割り込んでいる。
これは、選挙を通じて民意を明らかにし、政治で実現するという現行の民主主義が機能不全に陥りかけていることの1つの表れと見るべきだろう。
もっと多様な、もっと国民が主体的に政治に関わるような新しい民主主義の形が求められている。
ところで、安倍首相は参院選後の記者会見で、「国民から力強い信任を得た」「少なくとも憲法改正に向けた議論をすべきだという国民の審判は下った」と野党に憲法改正の具体案づくりに向けた協議入りを呼びかけ、「与野党の枠を超えて3分の2の賛同が得られる改正案を練り上げていきたい」と語った。
この発言に対し、与党のみならず野党の幹部からも異論が出ている。
参院選後の世論調査においても、国民が安倍首相に望む政策はそこではないことは明確だ。
安倍首相のこの前のめりな姿勢は何なのだろう。
年金などの社会保障の充実、あるいは教育・子育て支援の拡充、また景気・雇用対策と政権に望むことは色々ある。
だが、私が最も望むのは、この国が二度と戦争をしない国家であってほしいということだ。戦争をしてしまえば、元も子もない。
特定秘密保護法や安全保障法制といった重要な法案が現政権下で次々と強行採決されてきているなか、政権周辺からきな臭い言動が目立つ。
15日に札幌市で行われた安倍首相の街頭演説の際、演説中にヤジを飛ばした市民が警官に取り押さえられたという。
また、年金問題に触れた安倍首相に対し、増税反対と叫んだ女性1人も警官5,6人に取り囲まれ、腕を掴まれて後方へ移動させられたという。
まるで、テレビや映画のドラマで見る軍国時代の特高の取り締まりのようであり、一党独裁国家の権力の取り締まりのようで恐怖を感じる。
少し前になるが、国後島を訪れた衆議院議員が北方四島返還に関し、戦争しないと、どうしようもなくないですか」と訪問団の団長に詰め寄ったとされる事件もそうであり、ここ最近の対韓国との関係における勇ましい声も同様だ。
悲惨な戦争を体験された昭和一桁の野坂昭如、大島渚、永六輔、大橋巨泉、小沢正一さんたちは、今のこの国のこのような状況を雲の上からどう見ておられるだろう。
彼らは一様に権力と距離を置き、時に権力を批判し、機会を捉えては戦争の悲惨さを語り、だから戦争をしてはならないと訴えておられた。
彼らを失った今、メディアでそれを語る論客がいないことを憂う。
「戦争は、いつの間にか忍び寄って来る」
彼らは、異口同音にこのようなことを話しておられた。
今が平和だからといって、それが未来永劫続くとは限らない。どんな候補者を選ぶのか、どの政党に権力を与えるのか、私はじっと目を凝らす。
余計なことを1つ言う。
今回の選挙で若い人たちの得票率が低かったというが、若い人たちにこそ投票権を棄てないでほしい。何故なら、未来は若い人たち自身のものだからだ。
参院選の投票日が迫った18日、女房どのと連れ立って期日前投票をしに役場に出かけた。
投票日の21日に投票所に足を運ぶことが出来ないことは、投票用紙が届く以前から分かっていた。
期日前投票に行こうねと女房どのと何度か話していた。なのに、なかなか行けなかった。行く気にならなかった。
ただ、選挙権を放棄するつもりはなかった。
社会が今よりも、よりよくなっていくのを諦めたくはない。
次の、そしてその先の世代の人たちへの責任として。