峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

これは 振り込めサギか

2007年05月31日 | 暮らし
年金時効撤廃法案、衆院厚労委で可決(読売新聞) - goo ニュース

昨日行われた安倍首相と小沢民主党代表による党首討論は、ほとんどの時間が年金記録不備問題に費やされました。結構なことだと思います。が、与野党ともこれは明らかに今夏の参院選を意識したもので、私の心には響いてきませんでした。
安倍首相は「まじめに払ってきた年金が給付されないという理不尽なことがあってはならない」と見えを切りましたが、一方で「申請があれば自動的に給付せよとおっしゃるのですか」と開き直ってもいました。結果として、国家による振り込めサギなのだから、基本的に国民の申し出をきちんと受け止める姿勢が求められてしかるべきだと思います。

そもそも、政治家も官僚も庶民【しょみん】の国民年金なんてたいして関心がないに違いありません。そうでなければ、政治家の年金未納問題はなかっただろうし、あの優遇された議員年金などあるはずもありません。
「僕は共済年金だからホッとしてる。ただ家内の分が心配だ」官僚OBのある政府高官は人ごとのように記者にこう漏らしたそうです。

記録漏れの5千万件は、住民票を移動せず転居を繰り返した人など追跡が難しいデータが多いとのこと、つまりは社会の底辺で押しつぶされそうに生きている人たちが、ないがしろになっているのです。
結局、この問題をずるずる引っ張っていては参院選に悪影響が出るとふんだ自民党は、わずか5時間の審議で年金特例法案を強行採決しました。

今国会では、重要な法案が私たちに十分説明されることなく、与党の数の力で次々と決まってしまいました。この年金記録不備問題も、なぜ保険料納付記録が欠落したのか、その責任はどこのだれにあるのか、こんなことが起こらないようにするためには何が必要なのかといったことが十分論議されることなく力ずくで幕が下ろされてしまいました。

特例法にしても問題があります。5年の時効が撤廃【てっぱい】されたのは当然ですが、その手続きとして、記録漏れの疑いのある受給者が、わざわざ社会保険事務所の窓口に出向き、いろいろと面倒な手続きを踏まない限り、未処理記録の解消は進まない仕組みになっています。それでもまだ、そこまでやって認定されれば救われますが、救われないのが認定されない人たちです。さらに、救われないのが自分の年金の記録がもれていることにさえ気付いていない人たちです。もしかすると、この人たちの割合が相当になるのかもしれません。あちらこちらで横行【おうこう】している振り込めサギと同じ構図です。

私たちは、どこか精神的に封建制度をひきずったまま今日まで来てしまっているところがあるように思われます。
「お代官様は、お偉くていらっしゃる。おれたちは、黙っておとなしくお代官様の言うことを聞いていれば間違ぇねえんだ。きっとお代官様がよくしてくださるに違ぇねぇ」
「会社の社長の推す人の名前を書かなきゃなぁ。あの人、落ちたら会社に仕事が回ってこなくなるっていうし、そうなったらヤバイし。じいちゃん、ばあちゃんも投票所に連れて行って、頼まれている名前を書かせなきゃなぁ」

市民が立ち上がることなく近代化を迎えた私たちは、ずっと自立できずに今日まで来てしまいました。そのことがお代官様政治家の傍若無人【ぼうじゃくぶじん】を許してきたのです。今こそ、私たち一人ひとりが自立し、主体的に行動できなければ、明るい未来を迎えることなどできないでしょう。私たち自らの頭で考え、私たち自らの判断で行動するのです。

今、行われている政治をよく見ていたいと思います。安倍首相が何を言ったか、何をしたか。政権与党が何を言って、何をしたか。民主党が、社民党が、共産党が、その他の政党が、政治家が何を言って、何をしたか、よく、見ていたいと思います。
そして、ただ、批判するだけに止【とど】まることなく、私は7月の参議院選挙で投票所に行きます。投票所に足を運んでも、選ぶに選べなくて困ってしまうことがあります。むしろ、その方が多いかもしれません。そんなときは、よりマシと思える候補者の名前を書きましょう。希望を抱き、あきらめずにそれを繰り返し重ねていけば、必ず、少しずつでもよくなるはずです。
私は、あきらめません。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗い世相を吹き飛ばそう

2007年05月30日 | 暮らし
森林開発公団の元理事が自殺か…緑資源で自宅が捜索対象に(読売新聞) - goo ニュース

2日続けて新聞の一面トップは人間の自殺を報じています。gooニュースを開けば、冒頭の記事のほかに「府警エース警官ら談合で逮捕」「正規・非正規の給料格差さらに広がる」などの記事が目に付きます。

昨夜のテレビのニュースを見ていても松岡農水相の自殺、ZARDのボーカル・坂井さんの転落死、年金記録の不備問題など、気が重くなるものばかりです。
思わず「世の中が暗いなぁ」ともらすと、傍にいたくるみさんが「ほんとねぇ」と我が意を得たりというように私の方を見ました。
今、お昼のニュースが東京・国立での高校3年生の自殺を報じています。

一時、東国原宮崎県知事のパフォーマンスに目が向いているところがありましたが、ここにきて暗い世相を反映する事件が一気に噴き出している感があります。

これは、内閣総理大臣である安倍晋三さんの責任であり、私たち一人ひとりの責任です。

玄関までの敷石の傍のサツキが心を和【なご】ませてくれています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今を生きる

2007年05月29日 | 父親と子
月曜日の地元紙「ジュニア歌壇」に掲載されたくるみさんの短歌です。

 ◇疲れきりお風呂に入りリラックス寝ていたことにはっと気がつく

体育祭の応援練習に日々明け暮れていた頃に詠んだ歌です。

次の2つは、今朝、投函した歌です。
  
 ◇面をつけ竹刀を構え向かい合うじっと目を見てすきをうかがう
 ◇授業中窓から入る風受けて額ににじんだ汗を乾かす

くるみさんは、中学生活を精一杯謳歌【おうか】しています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな道では なかった

2007年05月28日 | 暮らし
松岡農水相が自殺 議員宿舎で首つる(朝日新聞) - goo ニュース

いわゆる光熱水費問題や、緑資源機構に関する献金問題などで野党の追求を受けていた現職閣僚が自殺するという、なんともショッキングで痛ましい事件が起きてしまいました。
参院選を間近に控え、自民党の中からも、このままでは戦えないと大臣の辞任を求める声が強まっていたとの報道もあり、殺伐【さつばつ】とした時代の空気というものを感じざるをえません。

任命権者であり、明らかにおかしな光熱水費問題でも徹底して大臣を擁護してきた安倍首相の責任は、極めて大きいと指摘せざるをえません。

松岡利勝さんのご冥福【めいふく】をお祈りします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間合いを切る

2007年05月27日 | 家族
きょうは、長崎県北松浦郡の中総体が各会場で開催されました。
数年前まで9町村あった北松浦郡も、このたびの平成の大合併により3つの市に吸収合併され、現在残っているのは4町だけとなってしまいました。

今、国会では年金支給漏れ問題でガヤガヤやっていますが、真面目に年金を納入してきた者に対し、払ったと言うのなら30年前の領収書を持って来いなんて、この問題は国家による詐欺【さぎ】のようなものです。
これほど、この国はでたらめな国だったのかと、あらためて愕然【がくぜん】とする思いです。自民党を中心とする政治家と、官僚と、彼らと利害を一致させる資本家たちによって、いいようにされてきたのだということを思い知らされています。

その国家が国民の鼻先にニンジンをぶら下げ推し進めてきたのが、今回の平成の大合併です。合併した近隣の町の住民から合併してよかったという声を、私は聞いたことがありません。

さてさて、くるみさんは一応、剣道部員です。彼女の最初で最後の中総体の試合を女房どのと観戦しに出かけました。ちょうど帰省していた絵理子さんも一緒です。

くるみさん、早々に負けてしまいましたが、いい思い出になることでしょう。

夜は、今年になって初めてのバーベキューをしました。
昨日は、私を除く3人で、大村の有紀さんのところを訪ね、いろいろとおしゃべりが弾んだようでしたが、今夜も、くるみさんのボーイフレンドのことや絵理子さんの恋人のことなど、それはそれは話が弾みました。

今宵【こよい】は暑くもなく、寒くもなく、いい夜でした。いつもと異なる雰囲気にみぃーちゃんも、いささか興奮気味でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法の限界

2007年05月26日 | 保護司
改正少年法が成立 12歳でも少年院、警察に調査権限(朝日新聞) - goo ニュース

去年6月、奈良県の医師宅から出火、全焼した家屋からその医師の妻と幼い子供2人の遺体が発見され、後にその医師の息子で16歳になる高校1年生の長男が放火を認め逮捕されるという、なんとも痛ましい事件が起きたのは記憶に新しいところです。

今朝、たまたまテレビで、その少年自らが記したという供述調書の写しの一部を目にしました。そこには、少年の父親の彼に対する執拗【しつよう】なまでの陰湿な暴力が日常、繰り返し行われていたことが、こと細かく記されてありました。
かわいそうに少年は、父親に追い詰められた挙句【あげく】、父親をやらなければ、自分がやられると思うに至り、腕力ではかなわないからと家に火をつけることを思いついたのでした。
逮捕された直後、少年は父親に対し「暴力が許せなかった」と供述しているといいます。

今回の改正少年法は、強制調査権を与えるなど警察の権限拡大と厳罰化を目的としたものです。しかし、これで少年による不幸な「親殺し」が減少したり、なくなるというのでしょうか。法の限界というものを感じざるを得ません。

今回の新たな規定の中に、保護司として関係ある事項が1つ入りました。
「保護観察中の少年が遵守【じゅん】事項を守らず、警告にも従わず、それが重大な場合、家庭裁判所が少年院送致などの処分を決定する」というものです。

近年、学校において、子供たちが教員の言うことをそうやすやすとは聞かなくなりました。これと同様なことが保護観察の現場でも生じています。
かつては(今でもそうですが)、保護監察官が保護司を「先生、先生」と奉【たてまつ】ることで、保護観察の対象者を敬【うやま】わせ、保護司に従わせようとする目論見【もくろみ】があったように思われます。同時に、保護司を得意にさせる意味もあるのでしょう。
古きよき時代は、学校における「先生」同様、それは、暴走しかねないような、あるいはやんちゃな少年の歯止めには、一応なっていたように思います。
しかし、昨今【さっこん】の子供たちは、脅【おど】しや、すかしにたやすく乗ったおおらかだった時代の子供たちとは明らかに異なっています。

だが、だからといって、現代の子供たちが、どんな大人の言うことにも耳を貸さないのかといえば、それはそうではありません。魂【たましい】の触れ合うほどの瞬間を感じることのできる保護観察だってあり得るのです。また、そのことそのものが保護観察の意義だと私は考えています。そうでなければ、一度、人間性を喪失【そうしつ】したひとりの人間の更生などあるはずもありません。

かねてより保護司の中から、対象者が約束の日にちに来てくれない。何か強制力を持たせてほしいという声があがっていました。しかし、法的な根拠がないと少年の心を動かせないとすれば、それは保護司としての資質が問われてしかるべきです。

力でどれほど封じ込めようとしても、人の気持ちを変えることなどできません。むしろ、抑圧されることで負のエネルギーが増大し、暴発を誘引することを恐れなければなりません。それは、前述した少年の供述からでも明らかです。自爆テロのように、人は追い詰められれば、自らの命を賭【と】してまでも攻撃的になるものです。

子供たちが、ますます鬱屈【うっくつ】せざるをえなくなっていく状況を憂慮【ゆうりょ】します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

てんてこ舞い

2007年05月25日 | 民生児童委員
きょうは、町内会の高齢者のみなさんにお集まりいただき、楽しい1日を過ごしていただこうという、月に1度の「ふれあいサロン」の日でした。
いつもは、町内会の集会所で開くのですが、この日は町内にある菖蒲【しょうぶ】の名所・皿山【さらやま】公園行きを計画していました。ところが、朝からあいにくの雨です。急きょ予定を変更し、集会所に集うことにしました。

それにしても、天気予報は正確です。
「木曜日の夕方から曇り出し、夜中から降り始めた雨は金曜日のお昼頃まで続きますが、午後から夕方にかけ次第に天気は回復へと向かいます」
週の始めの予報がピタリでした。
私が子供の頃、天気予報は当てにならないものの代名詞でしたから隔世の感があります。やはり、気象衛星のおかげなのでしょうが、大局観というか、引いて見るというか何事も近視眼的にならないことが大切だということでしょうか。

今回の参加者は25名でした。普通に歩くのが困難な方が数名いらっしゃいます。その方々に配慮しながら、事前に車4台を手配し、乗車の割り振りをしていました。その他、弁当・果物の注文から、お茶に紙コップまで準備万端整えていましたから、予定変更の判断を下したとたん、関係する方々にその旨の連絡を入れ、次の準備に取りかからなければなりませんでした。

そんなこんなで、早朝6時過ぎから皿山公園の状況を見に出かけたのを皮切りに1日中バタバタしていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光と影

2007年05月25日 | 暮らし
夏のボーナス、平均妥結額が過去最高93万8555円(読売新聞) - goo ニュース

昨日の「心のガソリンスタンド」に対してコメントをお寄せいただいた、ぶな太さん、トリトンさんのお話によると昨夜のNHK「ニュースウォッチ9」では都会での教員不足の問題が取り上げられていたということでした。

教員が都会で不足しているのに、地方では教職に就くのは狭き門になっているというのは、今日の格差社会を象徴している出来事と言えます。

景気は回復していると政府は言います。しかし、それは都会の、大企業の話であって、地方の中小企業や個人商店、農業・漁業・林業等は依然、厳しい状況にあります。
問題はこれが一時的なものではないところにあります。我慢【がまん】しろと言われ、それを信じて我慢しても、政府が今の都会優先、大企業優遇の政策をとり続ける限り、地方の景気がよくなることなどありえません。それは構造的な問題なのです。

勢い、多くの若者は、自分の能力を発揮するため、それに見合った環境を求め、あるいは自分の力に見合った報酬を得るために都会へ、大企業へと向かいます。かくて、地方の少子高齢化は進む一方です。

都会に比べ地方では、教員=公務員は相対的に条件のいい働き口となっています。教育学部を出た若者が教員にならずして地方で暮らしていくための選択肢は無いに等しいのです。少子化の上、このような状況ですから必然的に公務員の競争率は上がります。

ある教え子は臨時採用を7年経て今年ようやく本採用になりました。彼女の姉もそうでした。私の見聞きする範囲では、地方の教員の新卒者の採用の割合はかなり低い状況にあります。彼女らのように何年も臨時を勤めている若者が大勢います。彼らだけではなく、正規雇用でない若者の将来に対する漠然【ばくぜん】とした不安は、闇のように深く静かに広がり、社会に暗い影を落としています。

夏のボーナスの平均妥協額が過去最高になったと見出しが躍【おど】っています。が、果たしてそれを実感している人たちがどれほどいるのでしょう。

あらゆる事柄に対し政府の政策は的【まと】を射ず、施策はお茶を濁すだけのものに終始しています。
子供たちが伸び伸び、おおらかに育つ環境、若者が明るく希望を語れる状況、高齢者が老後を豊かに過ごせる社会を実現させることが、優秀な政治家と官僚たちにとって、それほど困難なこととは思えません。それがそうなっていないのは、為政者【いせいしゃ】と官僚が、あえて意図的にそうしているのか、そうでないならば彼らの怠慢【たいまん】であるかどちらかです。

政権を担うものが自らと、彼らにとって都合のいい一部の者ばかりの私利私欲を図ることに、ただ狂奔【きょうほん】してはいないでしょうか。
政権を担う者を含め、為政者の責任はきわめて重く、彼らを議場に送り出す私たち有権者の責任もまた同様に重いものです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心のガソリンスタンド

2007年05月24日 | 暮らし
先生、毎日約2時間の残業 40年ぶり実態調査 文科省(朝日新聞) - goo ニュース

女房どのは小学校の教員です。彼女の昨日の様子を記してみましょう。

朝は、午前7時頃出勤しました。帰宅したのが午後7時頃です。それから着替える暇もなく夕食の準備に取り掛かっていました。午後8時頃夕食です。食事が済んだら後片付けです。その後、くるみさんが入浴している間、食卓にパソコンを載せ、学級便りを綴【つづ】っていました。まだ、着替えていません。

午後10時になり私が居間に下りていくと、答案の採点をしていました。ようやくパジャマ姿になっていました。結局、普段着に着替えることはなかったようです。くるみさんの後に入浴したのでしょう。
採点は午後11時過ぎまで続き、それが済むと、そのまま就寝でした。朝は、朝食を作るため5時半頃起きなければなりません。このところ新聞を読む時間もとれていません。

土日も、食事時間以外はノートパソコンが食卓にずっと載ったままです。時間を見つけては画面に向かっています。
時々、保護者から電話が入ります。気になる様子の子供がいる場合は、女房どのの方から電話を入れています。

おそらく、多くの教員がこのような日常を送っているのだろうと思われます。

子供たちは、学校で先生にエネルギーをもらい元気になります。子供たちの運動量は大きいから、すぐにエネルギーを使い切ってしまいます。そこで、今度はお母さんやお父さんからエネルギーをもらわなければなりません。言わば、学校と家庭は、子供にとってのガソリンスタンドのようなものなのです。

しかし、先生やお母さんやお父さんも、自らエネルギーを作り出すのは困難です。子供たちと同じように使ったエネルギーをどこかで補給しなければなりません。
先生・お母さん・お父さんにとってのガソリンスタンドは家庭です。子供たちほどエネルギーを使いませんから、ガソリンスタンドは1ヵ所で十分です。
ただ、時には大きなエネルギーを使うこともあります。そんなときの臨時のガソリンスタンドがお母さんならば、ショッピングであり、旅行です。お父さんならば、居酒屋であり、ゴルフだったりするのでしょう。

教員に限らず、大人がエネルギーの消費と補給のバランスを欠いています。これでは子供に十分なエネルギーを補給してやることがきません。
重要な問題です。

ハナミズキとヤマボウシの緑が濃くなりました。いい木陰を作ってくれています。サツキの花が盛りです。
午前中、裏庭に洗濯物を干しに出ましたが、すでに陽射しが強くなっていました。きょうは暑くなりそうです。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院より 温泉に行こう

2007年05月23日 | 暮らし
呼吸器外し患者死亡、医師を書類送検 和歌山県立医大(朝日新聞) - goo ニュース

中村勘三郎さんや林家正蔵さんは芸も、名誉も、地位も、有り余るほどの金銭もあるのに、それでもなお不正を働いていました。
1億2千7百万総拝金主義の私たちですが、これほどまでの金銭に対する執着というのは何なのでしょう。

昨日の『ジャーニーよ 何処へ』に対する千間丸さんのコメントにあるように「見解の相違」という言葉が脱税事件等の際に、よく用いられますが、その言葉の裏側にある気持ちを考えているうちに憲法9条の拡大解釈を連想しました。
ごまかして、ごまかして、とうとうごまかしきれなくなるところまできたので、数の力で変えてしまおうというのが、今回の憲法改正問題の本質だと私はとらえています。

今や憲法改正は現実のものとなりつつあります。今度の参院選で自民党が多数を占めれば、おそらく安倍首相の思惑通りに憲法改正がなされることでしょう。それは、第9条が変えられることを意味します。安倍首相の狙いは、第9条を変えることで堂々と集団的自衛権を行使しようというものです。集団的自衛権が行使されれば、必然的に自衛隊員に犠牲者が出ます。そして、それに比例するよう制服組の士気は鼓舞【こぶ】され、私たちの攻撃性は強まるでしょう。いつか来た道です。

話がそれましたが、「見解の相違」というのは、まやかしに過ぎません。今回の憲法改正に関する各紙の世論調査によると、改正賛成が多数を占めているようですが、私たちはごまかしにあってはいないでしょうか。政府の言うことを闇雲【やみくも】に真に受けるのではなく、主体的に考え、判断し、投票につなげたいと思います。

いつの間にか私たちは、とんでもない迷路に陥【おちい】ってしまいました。経済至上主義・拝金思想・ことなかれ主義・自分さえよければという思想。それらが、家庭における親の子に対する過保護・過干渉・虐待【ぎゃくたい】、逆の親殺し、学校における教師の暴力・子供同士のいじめ、社会におけるあらゆるところにはびこる、まやかし・不正・残虐な事件という現象として現れているのです。

なぜ、こんなことになったのでしょう。それは、おそらく私たちが本当の幸福というものを真摯【しんし】に求めてこなかったからだと思います。何も考えることなく、目の前の欲望を満たすことだけに夢中だったのです。

瀬戸内寂聴さんは現代を評して「こんなに悪い時代はなかった」「先の戦争の頃より悪い」と語っています。

私たちは、今こそ本当の幸福を求めて歩み始めなければなりません。迷路の出口から幸福へと続く道を見つけ出さなければなりません。
それでは、幸福へと続く道はどこにあるのでしょう。それは、自然の摂理【せつり】にしたがって生きるということに他なりません。自然界を支配している道理にのっとって生きるということです。自然に生きるということです。

今日、高度に発達した文明・科学・医療が私たち人間を苦しめています。
冒頭の記事にあるように延命装置があることで、患者の家族や医師は辛【つら】い判断を迫られ、医師は、よかれと思ってやったことで書類送検されることになってしまいました。何より、患者自身が自らのあずかり知らぬところで己の生死を決定付けられるのです。こんな不幸なことはありません。

最近、ウイルス性の風邪に抗菌剤である抗生物質が治療効果がないばかりか、複合的な耐性の強い細菌を作り出す元になっているということが広く知られるようになってきました。「良心的」な医者は、抗生物質を処方する割合をいかに減らすか、それなりに腐心【ふしん】しています。しかし、それでも背に腹はかえられず大量の薬を出し続けています。

もともと、私たちの身体にはケガや病気を治す力が備わっています。日ごろから、その自然治癒力【しぜんちゆりょく】を高め、心身の健康に留意することが自然の摂理にかなった生き方だと思います。

私は、病院より温泉に行きます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする