昨日・日曜日、秋晴れの空の下、町主催の町内会対抗ソフトボール大会が開催されました。
選手が16名、他に男性・女性合わせて20名ほどのみなさんが応援に駆けつけてくださいました。
午前8時半、中学校グラウンドでの開会式の後、私たちの町内会はもう一つの試合会場となっている千本公園グラウンドで9時開始のゲームに臨みました。
第1試合の相手は真申【まさる】町内会です。初戦ということで硬さが見られたものの、初回から打線が爆発、勢いに乗って5回コールド勝ちしました。
第2試合は10時50分から水道町内会との対戦でした。1回の表裏、お互い2点ずつを取り合い、ベンチではいい勝負だなという見方でしたが、3回の表、こちらの連続エラーから6点を取られ、それ以降、傾いた流れを引き戻すことができず、思わぬ大敗を喫してしまいました。あらためて、勝負の難しさを思ったものです。
トーナメント戦ですから、負けたチームはそこで終了となります。ちょうどお昼時でした。次の試合の審判を4人出さなければなりませんから彼らが帰ってくる頃・午後1時半から懇親会を始めようということで引き上げました。
町内会に戻り、公民館に行くとご婦人方がすでに準備を進めてくださっていました。
ご婦人方に懇親会の開始時刻をお伝えし、有線放送でみなさんに試合結果をお知らせし、懇親会にお出かけくださるよう案内しました。
みなさんに後をお願いして、私は家に戻り喪服【もふく】に着替え、一昨日未明に亡くなられた同じ町内会の松田澄枝さんのご自宅での午後1時からの告別式に参列させていただきました。
澄枝さんは86歳におなりでした。先月末、ご近所の方から澄枝さんが体調を崩しておられるようだと伺い、澄枝さんとお二人で暮らしておられた私と同年輩のご子息にご様子を伺っていました。その際、このままではご子息も大変なので入院させようと考えておられる旨【むね】お話でした。
その後、先日、敬老祝い金をお持ちした際に今月5日に入院されたことを知りました。状態はまずまずだとうかがっていましたので、病院でゆっくりご静養なさるといいと思っていた矢先の突然の訃報【ふほう】でした。ご子息がわざわざ拙宅【せったく】まで出向いてくださいました。
澄枝さんは長いこと看護士のお仕事をなさってこられたそうです。温和で優しくて手先の器用な方だったと伺いました。
澄枝さんは、それほど社交的な方ではなく、地域デイサービスなどにも顔を出されませんでした。ほとんど表に出られることもなく外でお顔を拝見することはありませんでした。昨年、敬老祝い金をお届けしたのが初対面でした。その後、2,3度お声をかけさせていただくためご自宅を訪問させていただきました。
たったそれだけの出会いでしたが、告別式で読経【どきょう】を聴きながら澄枝さんの少しお若い頃の写真を眺めていると熱いものがこみ上げてきました。
澄枝さん、お会いできてよかったです。
告別式が終わり、しびれた足をごまかしながら班の方5,6人と表に出ると、初秋の空は悲しいほど透き通っていました。時計の針は、すでに2時近くを指しています。
急いで公民館に駆けつけると、大勢の方がお集まりで宴【うたげ】が始まっていました。選手から応援団・お手伝いの方まで、20歳を迎えた青年から75歳を超えるご高齢者まで、楽しい楽しい懇親会でした。
試合の合間に懇親会の際、名札をつけるようにしてほしいという話が出ました。そこまで用意できませんでしたが、宴もたけなわとなった頃、年配の方から自己紹介をしてほしいという要望が出たので、私から一人ひとり自己紹介をし合いました。
私たち町内会に暮らすもの同士が本当に仲良くなるための一歩を踏み出そう、みんなの思いが一つであることをあらためて感じました。
午後1時半から公民館で始まった宴は一人減り、二人減りしながら午後6時まで続き、「町内会長の家に行こう!」との誰かの声で、10人ほど残った豪傑【ごうけつ】が我が家に集いました。
それから3時間、きょう女房どのに聞いたところ、結局みなさんがお帰りになられたのが午後9時頃だったそうです。
そのせいで、女房どのと有紀さん・くるみさんの晩御飯はみなさんが帰られた後、午後9時過ぎになりました。それでも、家族は文句一つ言いません。女房どのは「気持ちよく飲めてよかったね」と昼間、メールをよこしてくれました。
私の好きなようにさせてくれ、文句や愚痴など一つも言わない家族、感謝しても感謝しても、しきれるものではありません。
選手が16名、他に男性・女性合わせて20名ほどのみなさんが応援に駆けつけてくださいました。
午前8時半、中学校グラウンドでの開会式の後、私たちの町内会はもう一つの試合会場となっている千本公園グラウンドで9時開始のゲームに臨みました。
第1試合の相手は真申【まさる】町内会です。初戦ということで硬さが見られたものの、初回から打線が爆発、勢いに乗って5回コールド勝ちしました。
第2試合は10時50分から水道町内会との対戦でした。1回の表裏、お互い2点ずつを取り合い、ベンチではいい勝負だなという見方でしたが、3回の表、こちらの連続エラーから6点を取られ、それ以降、傾いた流れを引き戻すことができず、思わぬ大敗を喫してしまいました。あらためて、勝負の難しさを思ったものです。
トーナメント戦ですから、負けたチームはそこで終了となります。ちょうどお昼時でした。次の試合の審判を4人出さなければなりませんから彼らが帰ってくる頃・午後1時半から懇親会を始めようということで引き上げました。
町内会に戻り、公民館に行くとご婦人方がすでに準備を進めてくださっていました。
ご婦人方に懇親会の開始時刻をお伝えし、有線放送でみなさんに試合結果をお知らせし、懇親会にお出かけくださるよう案内しました。
みなさんに後をお願いして、私は家に戻り喪服【もふく】に着替え、一昨日未明に亡くなられた同じ町内会の松田澄枝さんのご自宅での午後1時からの告別式に参列させていただきました。
澄枝さんは86歳におなりでした。先月末、ご近所の方から澄枝さんが体調を崩しておられるようだと伺い、澄枝さんとお二人で暮らしておられた私と同年輩のご子息にご様子を伺っていました。その際、このままではご子息も大変なので入院させようと考えておられる旨【むね】お話でした。
その後、先日、敬老祝い金をお持ちした際に今月5日に入院されたことを知りました。状態はまずまずだとうかがっていましたので、病院でゆっくりご静養なさるといいと思っていた矢先の突然の訃報【ふほう】でした。ご子息がわざわざ拙宅【せったく】まで出向いてくださいました。
澄枝さんは長いこと看護士のお仕事をなさってこられたそうです。温和で優しくて手先の器用な方だったと伺いました。
澄枝さんは、それほど社交的な方ではなく、地域デイサービスなどにも顔を出されませんでした。ほとんど表に出られることもなく外でお顔を拝見することはありませんでした。昨年、敬老祝い金をお届けしたのが初対面でした。その後、2,3度お声をかけさせていただくためご自宅を訪問させていただきました。
たったそれだけの出会いでしたが、告別式で読経【どきょう】を聴きながら澄枝さんの少しお若い頃の写真を眺めていると熱いものがこみ上げてきました。
澄枝さん、お会いできてよかったです。
告別式が終わり、しびれた足をごまかしながら班の方5,6人と表に出ると、初秋の空は悲しいほど透き通っていました。時計の針は、すでに2時近くを指しています。
急いで公民館に駆けつけると、大勢の方がお集まりで宴【うたげ】が始まっていました。選手から応援団・お手伝いの方まで、20歳を迎えた青年から75歳を超えるご高齢者まで、楽しい楽しい懇親会でした。
試合の合間に懇親会の際、名札をつけるようにしてほしいという話が出ました。そこまで用意できませんでしたが、宴もたけなわとなった頃、年配の方から自己紹介をしてほしいという要望が出たので、私から一人ひとり自己紹介をし合いました。
私たち町内会に暮らすもの同士が本当に仲良くなるための一歩を踏み出そう、みんなの思いが一つであることをあらためて感じました。
午後1時半から公民館で始まった宴は一人減り、二人減りしながら午後6時まで続き、「町内会長の家に行こう!」との誰かの声で、10人ほど残った豪傑【ごうけつ】が我が家に集いました。
それから3時間、きょう女房どのに聞いたところ、結局みなさんがお帰りになられたのが午後9時頃だったそうです。
そのせいで、女房どのと有紀さん・くるみさんの晩御飯はみなさんが帰られた後、午後9時過ぎになりました。それでも、家族は文句一つ言いません。女房どのは「気持ちよく飲めてよかったね」と昼間、メールをよこしてくれました。
私の好きなようにさせてくれ、文句や愚痴など一つも言わない家族、感謝しても感謝しても、しきれるものではありません。