峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私には誇れるものがある

2006年09月25日 | 町内会長
昨日・日曜日、秋晴れの空の下、町主催の町内会対抗ソフトボール大会が開催されました。
選手が16名、他に男性・女性合わせて20名ほどのみなさんが応援に駆けつけてくださいました。
午前8時半、中学校グラウンドでの開会式の後、私たちの町内会はもう一つの試合会場となっている千本公園グラウンドで9時開始のゲームに臨みました。
第1試合の相手は真申【まさる】町内会です。初戦ということで硬さが見られたものの、初回から打線が爆発、勢いに乗って5回コールド勝ちしました。
第2試合は10時50分から水道町内会との対戦でした。1回の表裏、お互い2点ずつを取り合い、ベンチではいい勝負だなという見方でしたが、3回の表、こちらの連続エラーから6点を取られ、それ以降、傾いた流れを引き戻すことができず、思わぬ大敗を喫してしまいました。あらためて、勝負の難しさを思ったものです。

トーナメント戦ですから、負けたチームはそこで終了となります。ちょうどお昼時でした。次の試合の審判を4人出さなければなりませんから彼らが帰ってくる頃・午後1時半から懇親会を始めようということで引き上げました。
町内会に戻り、公民館に行くとご婦人方がすでに準備を進めてくださっていました。
ご婦人方に懇親会の開始時刻をお伝えし、有線放送でみなさんに試合結果をお知らせし、懇親会にお出かけくださるよう案内しました。

みなさんに後をお願いして、私は家に戻り喪服【もふく】に着替え、一昨日未明に亡くなられた同じ町内会の松田澄枝さんのご自宅での午後1時からの告別式に参列させていただきました。
澄枝さんは86歳におなりでした。先月末、ご近所の方から澄枝さんが体調を崩しておられるようだと伺い、澄枝さんとお二人で暮らしておられた私と同年輩のご子息にご様子を伺っていました。その際、このままではご子息も大変なので入院させようと考えておられる旨【むね】お話でした。
その後、先日、敬老祝い金をお持ちした際に今月5日に入院されたことを知りました。状態はまずまずだとうかがっていましたので、病院でゆっくりご静養なさるといいと思っていた矢先の突然の訃報【ふほう】でした。ご子息がわざわざ拙宅【せったく】まで出向いてくださいました。
澄枝さんは長いこと看護士のお仕事をなさってこられたそうです。温和で優しくて手先の器用な方だったと伺いました。
澄枝さんは、それほど社交的な方ではなく、地域デイサービスなどにも顔を出されませんでした。ほとんど表に出られることもなく外でお顔を拝見することはありませんでした。昨年、敬老祝い金をお届けしたのが初対面でした。その後、2,3度お声をかけさせていただくためご自宅を訪問させていただきました。
たったそれだけの出会いでしたが、告別式で読経【どきょう】を聴きながら澄枝さんの少しお若い頃の写真を眺めていると熱いものがこみ上げてきました。
澄枝さん、お会いできてよかったです。

告別式が終わり、しびれた足をごまかしながら班の方5,6人と表に出ると、初秋の空は悲しいほど透き通っていました。時計の針は、すでに2時近くを指しています。
急いで公民館に駆けつけると、大勢の方がお集まりで宴【うたげ】が始まっていました。選手から応援団・お手伝いの方まで、20歳を迎えた青年から75歳を超えるご高齢者まで、楽しい楽しい懇親会でした。
試合の合間に懇親会の際、名札をつけるようにしてほしいという話が出ました。そこまで用意できませんでしたが、宴もたけなわとなった頃、年配の方から自己紹介をしてほしいという要望が出たので、私から一人ひとり自己紹介をし合いました。
私たち町内会に暮らすもの同士が本当に仲良くなるための一歩を踏み出そう、みんなの思いが一つであることをあらためて感じました。

午後1時半から公民館で始まった宴は一人減り、二人減りしながら午後6時まで続き、「町内会長の家に行こう!」との誰かの声で、10人ほど残った豪傑【ごうけつ】が我が家に集いました。
それから3時間、きょう女房どのに聞いたところ、結局みなさんがお帰りになられたのが午後9時頃だったそうです。
そのせいで、女房どのと有紀さん・くるみさんの晩御飯はみなさんが帰られた後、午後9時過ぎになりました。それでも、家族は文句一つ言いません。女房どのは「気持ちよく飲めてよかったね」と昼間、メールをよこしてくれました。
私の好きなようにさせてくれ、文句や愚痴など一つも言わない家族、感謝しても感謝しても、しきれるものではありません。
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大切なこと

2006年09月23日 | 家族
昨日は第4金曜日・地域デイサービスの日でした。いつものように、午前8時半に有線放送で町内会のみなさんにお知らせをし、その後、会場の設営を行いました。
9時過ぎから有志のみなさんが集まってこられます。正午からの食事に備え、準備が始まります。お一人おひとりに心からの感謝の気持ちでご挨拶をし、食費をお預かりします。有志の方も民生児童委員もご高齢者のみなさんも等しく一人分の食材の費用の一部として200円を負担します。

午前11時半過ぎ頃からご高齢者のみなさんがお集まりくださいました。体調を崩し欠席の方もあれば、体調が回復されて久し振りにお顔を見せてくださる方もいらっしゃいます。去年までお元気にお顔を見せてくださったのに、それが出来なくなられた方が4名もいらっしゃいます。ある方が、年寄りはたった1年で変わってしまうんですよとおっしゃいました。実感にあふれたお言葉です。
子供とご高齢者の心と身体の変化は急激です。

この日、みなさんと昼食をご一緒した後、中座し、佐世保市で開かれた保護司の定例研修会に出席しました。保護司の研修は年6回行われます。
この日の研修テーマは「性犯罪者の処遇について」でした。幼い子供や女性に対する痛ましい事件が頻発【ひんぱつ】したことを契機に、特に性犯罪者の再犯防止についての議論が高まっています。
今回の研修では新たに実施されることになった「性犯罪者処遇プログラム」の概要【がいよう】やプログラムにおける担当者の役割を理解することが目的でした。

保護司の研修を受け、公民館に戻ると夕方の4時頃でした。月曜日に出す生ゴミを片付け、戸締りをして自宅に帰ると間もなく塾生(小学4・5年生の兄弟)がやってきました。
いつものように本棚から選んだ物語の音読10分、書写10分、百マス計算の足し算・引き算、その後算数をして、「先生あのね」の書き出しで始まる作文を終える頃、6時半近くになります。迎にこられたお母さんに、いかに子供が変化しているかをお話し、子供に対する共通の理解を深め、見送ると6時40分です。7時からの授業に備え、急いでシャワーを浴びて浴室から出てくると、女房どのが誕生日祝いのケーキを求めてきてくれていました。
くるみさんが「ローソク、何本あると?」と女房どのに聞いています。「56本よ」「エッ、お父さん56歳?55歳じゃないと」たいして変わらないのに驚くほどのことでもありません。それよりローソクが56本の方が気になります。「大きな1本が10本分よ」と女房どの。「な~んだ」
くるみさんがケーキにローソクを立てます。「お父さんがやるんだろ」と私が言うと「何、むきになって言ってるの。ローソクに火をつけるのはいいじゃない」とくるみさん。くるみさんは、幼い頃からケーキにローソクを立てること、ローソクに火をつけること、そしてそれを吹き消すことに大変な執着【しゅうちゃく】を示してきました。そこは今でも、少しも変わりません。
電気を消し、「ハッピー・バースデイ」を歌い、ローソクを吹き消す儀式を終え、教室に入りました。

ちょうど、くるみさんからフレミングの左手の法則・モーターの仕組み・電磁誘導など、電流と磁界についての質問を受けているときでした。今年、佐世保北高に進学した拓海君が顔を見せてくれました。
塾のOBが訪ねて来るときは事前に連絡が入るのが普通ですから「きょうはどうしたの?」と訊ねると「きょうは先生の誕生日でしょう」と言いながら、プレゼントの品らしきものを差し出すではありませんか。ちょっと驚いて「ありがとう」と早速中を開けさせてもらうと、例の早実の斉藤君が使っていたものとそっくりの青いタオルハンカチが出てきました。
「俺の誕生日、覚えていたの?」「ボクのケータイ、誕生日が記録されるんですよ」
拓海君は、しばらく学校のことなどを話した後、カバンから教科書とノートを取り出し、10時過ぎまで勉強して帰りました。迎えに来られたお母さんが「親には話さなくて、先生にいろいろ相談しているようでありがとうございます」とおっしゃられました。「それが自然だと思います」と私。
子供にとって、親や学校の教師とは異なる価値観や思想を持った大人と接することは大切です。
たま~に奇特【きとく】にも誕生日を覚えていてくれる生徒がいますが、嬉しいかぎりです。

昨日・9月22日は私の56回目の誕生日でした。この日、明け方に目を覚ますとケータイの着信を示す灯りが点滅しています。長女の絵理子さんから誕生日を祝うメールが届いていました。朝、女房どのも開口一番「誕生日、おめでとう!」と祝してくれました。しばらくして、居間に下りて来たくるみさんも同様です。次女の有紀さんからは夕方、やはり誕生日を祝してくれるメールが届きました。

私には、私の生まれた日を心から祝ってくれる家族と生徒がいます。
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地域の先輩・後輩という意識

2006年09月21日 | 町内会長
自民党の新しい総裁に安部晋三さんが決まりましたね。ということは、日本の新しい総理大臣が決まったということですね。

私には、支持する特定の政党もなく、政治家もいませんが、安倍さんという方は、私からとてつもなく遠いところにいる人のように感じられます。
選挙権を得て後、どんな総理大臣をも身近に感じることはありませんでした。だが、こんなにも距離感を感じるのも初めてのことです。
安倍さんという私たちの国の新しいリーダーは、私たちをいったいどこに連れて行くのでしょう。

昨日、町からお預かりしていた75歳以上のご高齢者に対する「敬老祝い金」45名分を、ようやくすべてお届けすることができました。
昨日まで残っていたのは、それぞれご高齢者のための施設に入っておられる4名の方の分でした。
お祝い金配布については、町から名簿が届けられる際、「町内会未加入者や配布が困難な方は役場で配布しますので、できるだけ早くお知らせ頂ければ助かります」という一筆が入っています。しかし私は欲張って、みなさんに直【じか】に届けさせていただいています。それは、縁あって同じ町内会に住む後輩の先輩に対するせめてもの敬意だと思うからです。

78歳から98歳なられる4名の先輩方、みなさんが私の訪問を喜んでくださいました。中でも92歳になられる力竹ケイさんは、涙を流して感謝のことばを述べてくださいました。
私は、町内会長という役割を担わせていただいて本当によかったなと思っています。
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いつも いつまでも

2006年09月19日 | 家族
連休を我が家で過ごした有紀さんを昨夕、家族3人で大村まで車で送っていきました。
幸い、台風13号が去った後で、直接その心配をする必要もなく快調に佐々を出発しました。
ところが、川棚を過ぎてすぐ辺りの所から渋滞です。事故だろうかと思ったのですが、彼杵【そのぎ】に入る前の国道沿いの切り立った斜面のがけ崩れが原因でした。台風の影響で地盤が緩んだのでしょう。

いつものように、鈴田峠の農村レストランで食事をとることにしましたが、この日は家族連れでずっと込み合っていました。特に、おじいちゃんやおばあちゃんの姿が多く見かけられます。
この日は「敬老の日」、連休中、台風で表に出かけられなかったこともあってでしょう、休暇の最後の夜を家族で楽しく過ごそうとお見えなのです。みなさん、仲良く楽しそうでした。

食事を終え、レストランを出て車に乗り込んでから女房どのが私の母親に電話を入れました。一人ずつ交代して母親、有紀さん・くるみさんにとっては祖父母と言葉を交わしました。
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イリコ(煮干)の味噌汁

2006年09月17日 | 家族
台風13号の暴風雨圏に入った午後3時頃から強い北風と雨に見舞われました。台風はその後、気象予報通りの進路をたどり、夕方、佐世保に上陸したとのことでした。しかし、そのニュースの後、ピタリと風雨が止みました。

今回の台風でも何人かの人が命を失い、怪我をしたと新聞・テレビが伝えています。
鉄砲水が道路を破壊し、土石流が人家を襲い、土砂崩れが集落を飲み込みます。大木が根から倒れ、巨大な鉄の塊である電車がまるでおもちゃのように横転しています。大自然の猛威を前にして、人間の無力をあらためて思います。

台風のおかげで家族4人と猫1匹、1日中、同じ屋根の下でノンビリ過ごすことができました。
朝昼晩と家族と食事を共にしました。
このところ、女房どのが作ってくれる味噌汁にイリコが入っています。
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小さな喜びを大きく感じて

2006年09月16日 | 家族
台風13号の進路に当たっていることから18日・月曜日に予定されていた町主催の敬老祝賀式を中止すると、正午過ぎ役場から連絡が入りました。
すでに、すべての手はずを整え当日の朝を迎えるだけとなっていましたが、すべてご破算です。すぐさま、お世話をいただくことになっていた役員さん3人にその旨連絡をし、有線放送を流しました。さらに、その後、出席を予定されていたご高齢者の方々にご了承をいただくため、みなさんのお宅を回りました。

きょうの午前中も、昨日の朝からの続きで敬老のお祝い金とお祝いの品物をみなさんにお届けするため町内会を歩き回っていましたが、ここ数日、再び蒸し暑い陽気が続いています。おかげで、町内会を一回りすると汗びっしょりになります。このところずっとこの調子ですから、わざわざ散歩の時間をとる必要もなく、いい運動になります。

きょうは、有紀さんが久々に帰省する日でした。
昼前、女房どのとくるみさんの2人で大村まで有紀さんを迎えに行きました。町内会長をお引き受けしてから有紀さんの送り迎えを女房どのに任せてしまっていることをすまなく思っています。

夕方から家族4人で佐世保に出ました。私の誕生日祝いをしてくれるというのです。
誕生日は22日なのですが、有紀さんが帰省しているときにと、女房どのが洒落【しゃれ】たイタリアンのお店を予約してくれていました。
美味しい料理を味わいながら、有紀さんとくるみさんの学校のこと・先生のこと・友人のこと・ボーイフレンドのことなど、愉快な話に耳を傾けました。
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色とりどりの秋

2006年09月14日 | 町内会長
今年度、私たちの町内会では75歳以上の方々が45名いらっしゃいます。
敬老の日にちなみ75歳から79歳までの方に3千円、80歳以上の方に5千円が町から敬老年金として支給されます。
さらに、米寿【べいじゅ】を迎えられた方には敬老祝い金として県から1万円が支給されます。
これをお預かりし、町内会のご高齢者のみなさまにお届けするのも町内会長の役目となっています。
さらに、私たちの町内会でも小額ですが心ばかりのお祝いの品を毎年お贈りしています。品物は町指定の1セット10枚のゴミ袋なのですが、これが意外に評判がいいんです。必需品ですからね。

昨日の民生児童委員協議会の定例会に出席するついでに町のスーパーで、このゴミ袋と、施設に入っている4人の方のためには箱入りのティッシュペーパーと、それらに付けるのし紙を求めていました。
午前中、会計さん宅を訪ね、日曜日の食材・ビール等の立替払金を受け取った後、昨日求めていたのし紙に「お祝い」と「西町町内会」の印を押し、それを一つひとつに丁寧【ていねい】にセロハンテープで留めていく作業を行いました。

午後7時からはソフトボール大会の監督会議に出席しました。本来、体育部長の役目ですが、この日は仕事で出られないということで、私が代わりに出席しました。
参加は、ちょうど20町内会でした。この日、初戦の抽選も行われました。先ずは1勝を目標に19日の最後の練習に臨みます。
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通り過ぎる季節の中で

2006年09月13日 | 民生児童委員
午後から佐々町民生児童委員協議会の定例会に出席しました。きょうは教育長・町内の小中学校長との懇談会でした。各校長先生のお話では新学期、特に変わったこともなく、落ち着いて学習しているとのお話でした。
その中で、軽度発達障害の子供たちに対する具体的な支援が制度として始まったことを知りました。

校長先生たちとの懇談会の後は、県の福祉事務所の方々のお話です。こちらはいくつかの深刻な事例を通して、支援・ネットワークがどうあるべきか考えさせられました。
予定の時間を超えて、午後4時過ぎに定例会は終了しました。

長月も中旬に入り、すっかり涼しくなってきました。あれほど暑かった日々がまるでうそのようです。
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孤立化

2006年09月12日 | 町内会長
  ☆夜の声セミから鈴虫交代し違った演奏聞かせてくれる
 
  ☆待望の秋がいよいよ到来しいろんな楽しみ胸が膨らむ

昨夜のくるみさんの歌です。

今夜は、高校生1年の男の子が勉強道具を抱えて寄ってくれました。彼は、課題をこなしながら、父親がいかにうるさいか、兄とどれほど仲が悪いか、語ってくれました。

先だっては、別の男の子から長いメールが届きました。高校入学後半年近く経ち、クラスのみんながお互いのことを分かり合えるようになった矢先、みんなが自分と距離をおき始めたというのです。
彼なりにいろいろ頑張っているのだけれど、なかなか上手くいかないと、深く傷ついています。

家庭で、クラスで、職場で、地域社会で、人は、どんどん孤立化しています。
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「他者」の喜びは「私」の喜びか

2006年09月11日 | 町内会長
昨日、今日、すっかり涼しくなりました。ようやくエアコンのスイッチを入れなくても済むようです。

昨日の敬老祝賀会は、町内会のみなさんの「仲良くしたい」「楽しく過ごしたい」という思いが一つの形として表れたのではないだろうか。私は、そう感じています。

昨日は、それぞれのさまざまな役割を担っていただいたみなさんを送り出した後、公民館に戻り、後片付けをしました。きれいに掃除をした後、自宅に戻ると7時半頃でした。
女房どの・くるみさんとこの日の出来事を、あれこれと語り合い、笑い合いました。一生懸命踊ってくれた隣町に住む私の母にも電話をして、感謝の気持ちを伝えました。

楽しかった1日が明けた朝、爽やかな青空が広がっていました。公民館に行き、濡れた布巾【ふきん】や雑巾【ぞうきん】を表に干し、窓を開け、風を通しました。
その後、日が落ちるまで、昨日それぞれの役割を担っていただいたお一人、おひとりのお宅を伺い、喜び合いました。

土曜の午後から夕方まで料理の下ごしらえをし、当日は朝から60人分の料理を作ってくださった方々、美味しい美味しいと言って、それを食べてくださった方々、足が、腰が不自由な中、懸命に公民館まで足を運んでくださった方々、歌や踊りでみなさんを楽しませてくださった方々、楽しくそれをごらん下さった方々、みなさんが、それぞれの役割をこなし、楽しい会ができました。どの役割が欠けても、みなさんが心から楽しむ会にはならなかったことでしょう。

「楽しかった」「有難う」「力をもらった」「勇気が湧いた」みなさんの喜びのお声を伺うことができました。

来週は町主催の敬老祝賀会、そして月に1度の地域デイサービスもあります。
これまで、ご苦労してこられたご高齢者のみなさんの喜びを、これほど自らの喜びとすることができるのか、新しい私を発見しています。
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