峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

人は生き生きと今日も生きている

2012年07月28日 | 民生児童委員

昨日は町内会のご高齢者を集会所にお迎えしてのデイサービスの日。
午前8時半、集会所に出向き有線放送でその旨の案内をするのに始まり会場の設営等を行う。午前9時には私塾の夏期講習会に参加する塾生がやってくる。集会所と自宅を行ったり来たり。汗が噴出す。
この日は昼食を作るために11名の女性のみなさんに集まっていただいた。正午、あわせて26名での食事会。1時間ほどかけ、おしゃべりを楽しみながらゆっくりと昼食をいただいた。

デイサービスが終了したのが午後3時。皆さんを送り出した後、後片付け、清掃を行い急いで帰宅。水シャワーを浴び、汗を流して母のもとへ。この日、母は午後2時半に病棟を移ることになっていた。それを弟と妹に頼んでいた。
30分ほど母の手や足をさすったり、爪を切ったりして母のもとで過ごし帰宅、午後5時から再び塾生を迎えた。

ロンドンオリンピックが開幕した。サッカーの男女が初戦を見事な勝利で飾った。今大会での日本勢の活躍を予感させる。
そして、昨夜も全国各地で脱原発・再稼動反対の声が上がったことだろう。

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夏空

2012年07月25日 | 暮らし

金曜日の夜、原発再稼動反対のプラカードを提げて街頭に立つことができなかった。塾生たちが来る直前まで迷っていたが、結局、その日は断念した。

梅雨が明け、夏期講習会に参加する塾生たちが朝からやってくる。長い夏休みが始まった。

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金曜日に

2012年07月20日 | 暮らし

個人が反原発などと書いたプラカードを提げて街を歩くのに何か問題があるかどうか警察に問い合わせてみた。
最初に佐々交番に電話したが、交番では確かなことが言えないので警察署で尋ねてくれという。そこで江迎署に電話すると、道路交通課につないでくれた。
どんな格好で、どこを歩くのかといったようなことを聞かれた。結局、担当者では判断できないので本部に尋ね、折り返し電話するという。一旦電話を切り回答を待った。
10分ほどして先ほどの担当者から電話が入った。その内容であれば道路使用許可申請等の必要はないとの本部の回答ですとのことだった。

それにしても、とかく組織というのは救い難いものなのか。特に公はひどい。何かあった場合を考え、だれも責任を引き受けないシステムができあがっている。「本部」って誰だ。

大津市立中学2年の男の子が昨年10月に自殺した問題でも、男の子が自殺に追い込まれても仕方のないような陰湿で執拗ないじめが学校で行われていたのにもかかわらず大人がそれぞれの立場でそれぞれの責任を果たしていない。さらに、このような事態になっても誰も責任をとろうとしない。学校長も教育長も、その場しのぎと思われるような自分たちにとって都合のいいことしか言わない。まさに無責任体質そのものだ。

さて、私はどうだ。

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金曜夜のデモ

2012年07月19日 | 暮らし

関西電力大飯原発の敷地内を活断層が走っている可能性が高いとの専門家の指摘を受け、経済産業省原子力安全・保安院が、昨日、関西電力に対し、調査に着手するよう指示を出しこと。また、同じ昨日、関西電力が大飯原発4号機の原子炉を再起動させたということを今日の新聞が伝えていた。

調査結果次第では原発を停止して安全のための大規模な工事が必要とされるというが、それほど危険極まりない状況にある原発が何故に再稼動されなければならないのだろうか。

毎週金曜日の夜、首相官邸周辺を始め、全国各地で脱原発・再稼動反対の声があがるようになった。

政治・政党が国民の暮らしを蔑【ないがし】ろにし、人々の命を守れない。教育・学校・行政が子供たちの育ち・学びを蔑ろにし、子供たちの命を守れない。
政官財が見苦しいほどまでに癒着【ゆちゃく】し、普通の人々がつつましく生きようとするそのささやかな希望さえ無視し、踏みにじりつけ、生命さえ軽んじている。原発の再稼動問題はまさにそのことの象徴のように映る。

金曜日の夜、佐々の街からも抗議の声をあげよう。今朝、新聞を読んでいて強い衝動に駆られた。知人にメールし、賛同を得た。
ところが、落ち着いて考えてみると、金曜日は午後5時から7時まで小学生の授業、間をおかず7時から10時まで中学生の授業と続く。さて、どうする。

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母が私を見てくれた

2012年07月18日 | 家族

昨日は、午後1時から町の観光協会の監事として23年度の監査を行い、引き続き午後2時からの役員会に臨んだ。
昨年から町の観光協会の在り方を議論してきているのだが、この日も夏祭り・花火打ち上げに関して侃々諤々【かんかんがくがく】の議論が起こり、会が終わったのが午後4時過ぎ、その後も個別に意見交換しているうちに時計の針は午後4時半を回っていた。

大急ぎで一旦帰宅し、洗濯し終えた肌着やタオルを持って母の所へ向かう。
病室に入り、いつものように声をかけながら手や足をさすっていると母が目を開いた。これまでも看護師さんが寝返りをうたせたりする際に目を開けることはあった。しかし、それは短時間だったし、虚空を見つめるようなものだった。
それがこの日は、明らかにこれまでのものとは異なっていた。瞬きをしながら、しっかりと私と視線を合わせるのだ。
「裕二郎だよ」「安心してね」「なんにも心配いらないからね」「絵理子さんが2人目の子を産んだよ」
私は、母の手を握りながら思いつくままにあれこれ話し続けた。それから「ふるさと」や「夏は来ぬ」や「ゆりかごの歌」など思いついた歌を歌って聞かせた。

30分くらいで母のもとを後にしようと思っていたのだが、母がずっと目を開けて私を見るものだから立ち去りがたく、結局、ぎりぎり時間の許す限り母のもとにいて、語り、歌い続けた。

その夜の塾の時間に不思議なことがいくつか起こった。
母が倒れてすぐに担当の脳外科医は2,3日がヤマだと言い、それを過ぎると2週間がヤマだと言った。母はそれらを乗り越えた。1ヵ月後のCTの画像では当初の大きな出血の跡が驚くほど小さくなっていた。それから医者は何も言わなくなった。
現代医学の常識を超えることはいくらでも起り得るだろう。医者は意識が戻ることはないと断言したが、私たちはそうは思っていない。


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2番目の天使の誕生

2012年07月17日 | 家族

朝から青空が広がり、ニイニイゼミが夏の到来を告げている。

昨日の朝、研二くん・絵理子さんに天使の妹となる第二子が誕生した。3千グラム弱の元気な女の子で彼女の両親によって結理【ゆり】と名付けられた。

研二くんと天使はその瞬間に立会い、私と女房どのはカーテン越しに控えていたのだが、新しい生命の力強い産声に女房どのは感涙を流していた。

やがて、誕生して間もない私たちにとっての2番目の天使である結理さんを胸に抱えることができた。
一方、お姉ちゃんとなった1番目の天使の彩理【さり】さんも、何が起きているのかをよく理解している様子だった。

辛い日もあるが、こんなに幸せな日もある。「辛」いと「幸」という文字は似ている。それらがが織り合わさって人生模様ができあがる。

夕方、福岡からの帰りに母のもとを訪ねた。絵理子さんに2人目の子供ができたよと伝えた。

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