峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

記録的な大雪の日に

2023年01月25日 | 夫婦
昨夕4時頃に降り出した雪は、夜の9時を過ぎた頃にはしっかり積もるまでになっていた。
そして、今日。早朝5時過ぎに目が覚めた。昨夜、眠りに就くまで薪をくべていたおかげで寝所は、ほんのり温かい。すぐさま、その薪ストーブに火を入れる。

いい出会いがあり、薪ストーブを昨年11月に設置した。
薪ストーブを備えるためには、いくつかの条件を満たす必要がある。それに適うこの地で暮らす幸運を思う。

薪ストーブに火を入れた後、再び布団に潜り込み、テレビが伝える各地の雪の様子を見聞きしていたが、いつの間にかうとうとしていた。
1時間程そうしていたのだろうか。やがて、キッチンの方から聞こえてくる物音で目を覚ました。

寝床から起き出し、リビングに行き「おはよう」と女房どのに声を掛けると「おはよう。きれいよ!」と庭を望むキッチン横の窓に顔を向けた後、笑顔で応えてくれた。

朝食後、表に出てみた。所によっては膝下まである丈の長靴がすっぽり埋もれてしまうほどの積雪だった。測ってみると30㎝ばかりあった。

子供や犬のように、喜び駆け回る程のことはなかったものの、ときめきを覚えながら、敷地内を歩き回った。
大自然の創り出す造形と色模様に、女房どの同様、心を動かさずにはいられなかった。

大雪で思い出すのは、佐賀県の佐里温泉へ出かけた際のことだ。女房どのと、すぐにその話になった。
調べてみると14年前の出来事になる。その顛末の一部を「佐里温泉雪騒動」と題して、このブログに記している。

今日も、忘れられない1日となることだろう。
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2人だけのクリスマス

2021年12月25日 | 夫婦
クリスマスイブを女房どのと2人で過ごした。もっとも今に始まったことではないのだが。

我が家の子供たち3人共が、中学を卒業するとともに親元から飛び立っていった。
それは、私が仕向けたことではあったが、子供たちにとっても、ごく自然な流れだったように思う。

それは、寂しいとか悲しいという話ではなく、親としての務めだと考えていた。

この夜、女房どのがクリスマスの日らしい夕食を用意してくれた。
キャンドルに灯を点し、シャンパンを開け、いつものようにクリスマスの夜を2人で楽しんだ。

そして、成長した子供たちが営むそれぞれの家庭では、私たち夫婦の子供たちが親元を飛び立つ前に行っていたように、楽しいクリスマス会が開かれただろう。
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あなたのおかげで私がある

2021年12月15日 | 夫婦
岡山に移って来て住んでいる家屋は、直前まで住んでおられたご夫婦がリフォームされて間もない状態だったので、そのままで何の不都合もなかった。

ただ、常日頃から、毎日、三度々々の食事を用意してくれる女房どのの大変さを感じている私は、台所だけは、出来る限り良い環境を用意してやらなければと考えていた。
実際、移住する前の住居の台所は近年、システムキッチンを入れ替えたばかりのところだった。

移り住んだ家の台所は、使いやすくまとまっているものの、十分な広さがなかった。また、南に面した部屋に隣接し、窓は東側の土間に向いて設けられているだけで、昼間でも灯りが必要だった。

そこで、昨年のことになるが、リビングとダイニングを含めての大幅なリフォームを決行することにした。
システムキッチンを一新し、素晴らしい景色の広がる南向きに設置した。女房どのが一番長く居るキッチンを中心としてダイニングとリビングを一体的に使えるよう間取りしたのだった。

毎日の朝食・昼食・夕食の献立を考えることから始まり、買い物、そして料理、さらには洗濯に掃除と女房どのは今日も私たち夫婦の暮らしの土台を支えてくれている。
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今日一日を永遠に

2021年05月01日 | 夫婦
きょう5月1日は私たち夫婦の結婚記念日だ。
改めて思う。わがままで、度量の狭い私のようなものに女房どのよ、よくぞここまで連れ添ってくれたと。

せめて今日一日ぐらいは、一秒たりとも女房どのに対する感謝の気持ちを忘れず過ごしたい。

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家で洋服作り

2020年05月12日 | 夫婦
毎朝8時、NHKで連続テレビ小説が始まる時刻に女房どのは正座してスマホに向かう。ネットで限定数台売り出されるミシンを求めるためだ。ここ1か月以上、この儀式めいたことが続いていた。

今朝も私の隣で女房どのはスマホを握りしめ、時計とにらめっこ。8時ちょうどに購入ボタンをクリックした。
傍で「どうだった?」と聞く私に、いつもなら即座に「駄目だった」と答えるところが、今朝は違った。
しばらく怪訝(けげん)な表情を浮かべていたが、ややあって「買えたよ!」と驚きと共に喜びの表情を見せてくれた。

そう安くもない最上位機種がこのコロナ騒動で飛ぶように売れているとのことだが、結構なことだと思う。
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結婚記念日

2020年05月01日 | 夫婦
きょうは結婚記念日だった。
朝風呂から上がった後、キッチンにいた女房どのの所へ向かう。
顔を合わせると、どちらからともなく「結婚記念日、おめでとう!」と言葉を掛け合い、ハグを交わした。

庭の草木や周囲の山々が拍手して、私たち夫婦の結婚記念日を祝福してくれていた。
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大切な人の誕生日に

2018年02月27日 | 夫婦

昨日は女房どのの誕生日だった。

彼女が定年まで3年を残し教職を退いてからというもの、ほとんどの時間を2人で一緒に過ごしている。
それでも、昨年の春までは私が地域における役割を積極的に担っていたことから、外に出ることも多く、それが彼女の貴重な息抜きの時間になっていたことは想像するに難くない。
ところが、それが無くなった今、朝から晩までほとんど顔を突き合わせている状態だ。

彼女にとって、私が空気のような存在であれば、彼女に必要以上の気遣いをさせることもなくて済むのだろうが、私のような気まぐれで小難しい夫と鼻を突き合わせていなければならない妻は、たまったものではない。
彼女が1人になれる時間を保障しなければならない責任がこちらにある。

そういうことから、毎日の買い物には基本的に女房どのが1人で行く。話し合って決めたわけではないが自然とそうなった。
もう1つ、幸いなことに塾生が通ってくる月曜から金曜までの夜7時から9時までの間、私は2階の教室に入る。
この2つは、女房どのにとって、ひいては私にとっても貴重な時間となっている。

平昌オリンピックを2人で堪能した。ソファーに釘付けで、テレビ画面に見入った。
閉会式の翌日が、ちょうど女房どのの誕生日だった。

しばらく、外で食事をしていなかった。それに、女房どのの大好きな温泉にも行ってなかった。そこで、彼女の好きな波佐見町の「湯治楼」で温泉を楽しみ、「清旬の郷」で昼食をとることにして出かけた。

決して、特別な誕生日のプレゼントではなかった。
しかし、例え、どんな高価な品を贈ろうとも、女房どのがこの世に生まれてきてくれたことを感謝し祝福しきれることはない。

ささやかな誕生日プレゼントにも、彼女は喜んでくれた。

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女房どの

2017年11月24日 | 夫婦

午前中、女房どのが「159」車検じゃない?という。「159」というのは私の愛車、アルファロメオ159のことだ。
「159」は、主に遠出の際に乗る。したがって徳島へ行ってから以降というもの乗っていなかったことになる。2か月近くになろうか。

車検は、もう少し先かなと思っていた。しかし、確認すると、なんと今日が車検の有効満了日ではないか。慌てて佐世保市大塔の「原口ボデー」さんに電話をして、夕方、持って行った。

女房どのは、それが気になって昨夜はよく眠れなかったとのこと。申し訳なく、有難い。
女房どのは、一人前でない私を何かとフォローしてくれる有り難い存在である。したがって、「女房どの」なのだ。

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雲仙に遊ぶ

2017年11月15日 | 夫婦

きょうは女房どのと久し振りに遠出した。
使用した車はルノー・ウインド。いい出会いがあり、今年1月に車検を迎えたコペンから乗り換えた。
2シーターのオープンカーは少年の頃からの憧れ、子供たちが巣立ってしまった後、ようやく実現させることができた。その日の気分や目的に合わせ、アルファロメオ159だったり、アルファロメオMITO IMOLAだったりと3台の車を使い分けている。

3台とも中古で手に入れた。新車はお金持ちにお任せし、私たち夫婦は、びっくりするほど安いイタリア・フランス製の面白くて楽しい車で遊んでいる。

さて、今日の目的地は雲仙。最初に、最近女房どのと始めた山歩きを楽しむために絹笠山(標高870m)へ。
前回、前々回と山頂で料理をし、コーヒーを沸かしして食事をとっていたのだが、今回は時間に制約があり「地獄」で温泉卵を、コンビニでおにぎりを調達することにしていた。

我が家から雲仙まで2時間ちょっと。雲仙に入ると窓を開けた車の中に、温泉地特有の硫黄のにおいが漂い始めた。
雲仙到着後、真っ先に「地獄」で一袋5個入り400円の温泉卵を求める。次に、近くのコンビニでおにぎりを購入。いざ、絹笠山へと思ったのだが、時刻はとうに正午を30分ほど過ぎている。腹が減っては戦ができぬとばかり、山歩きをする前に車の中で昼食をとることにした。

昼食後、早速、登山口のある白雲池へ。駐車場に車を止め、2人で頂上を目指した。女房どのの速いこと、速いこと。ついていくのが精一杯という程だった。登山道が頂上まできれいに整備されていた。晴天で、360度の眺望は素晴らしいものだった。
下山は、温泉街の方に下りたかったが、車を止めているところまで、そこそこ時間がかかるので、諦めて来た道を下った。

山を下りた後、汗を流すために近くの「小地獄温泉館」へと向かう。
浴場が木造の八角形になっており、窓の形や配置などに雲仙らしさを感じた。お湯は乳白色で雲仙でもここだけとか、かけ流しの少し熱めのお湯はとても気持ち良かった。

温泉を楽しんだ後、仁田峠を目指す。
仁田峠は、いつも車窓からと展望台からの景色を楽しむだけだったが、過日、徳島でロープウェイに乗った感動を思い出し、今回は初めてロープウェイに乗ることに決めていた。

既に午後4時近くになっていたが、平日にもかかわらずロープウェイは満員だった。そういえば、「地獄」の温泉卵売りの青年も、卵が困るほど売れたと嬉しいやら困ったやらであった。

紅葉は、盛りを過ぎた感じではあったが、それでも見事な錦絵模様を見せてくれ、間近に迫る平成新山普賢岳は迫力満点だった。

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不完全な心

2016年12月16日 | 夫婦

寒い朝だった。有紀さんの要請で早朝、佐々を発ち福岡へと向かった女房どのの話によると、佐賀の山並みは雪を頂いていたという。

つい先日までカエデの木が美しい紅葉を見せてくれていたが、このところの雨ですっかりその葉を落としてしまった。しかし、ヤマボウシは健在だ。冷たい空気の中、晴れ上がった青い空を背景に息を呑むほどの美しい紅葉が、いつ散り果てるか分からない儚さ故も手伝ってか心に沁みた。

心にぽっかり穴があくとはいうが、いつも傍に居てくれる女房どのがいないというのは何だかしっくりこない。張り合いがない。それでもやらなければならないことは待ってはくれない。

味気ない即席麵で昼食を済ませた後、町内会各班ごとに出されていた地元の神社の御守護と伊勢神宮御守護の申し込みを取りまとめて三柱神社へ出かけた。
神社で御守護を預かった帰途、今週末に控えているもちつきのために事前に注文していたもち米45㎏を受け取るためスーパーへ寄る。それを、すっかり馴染みになった店長さんに愛車コペンまで台車で運んでいただき、積み込みまで手伝ってもらい町内会へ戻る。
もち米を集会所で降ろし、いったん帰宅。すぐさま、来週金曜日に今年最後の町内会集会所で開くデイサービスの案内文書を作り、それを21軒分コピーし、案内と共に出欠を確認するため町内会を1軒1軒訪ねて回った。

すべて回り終えた頃には辺りは薄暗くなっていた。
夜7時からは今年最後の町内会の役員会を開かなければならない。その旨の案内を有線放送で行い、再びいったん帰宅する。
朝、多めに淹れていたコーヒーの残りを電子レンジで温め、カップを手に教室に上がる。美味いはずのコーヒーも今夜ばかりは、やはり味気なく感じる。
午後7時にはやって来る塾生たちのためにプリントをチェックし、自習できるよう各自のプリントを用意し、しばらく自習しておくよう張り紙をし、その後に役員会の準備を整え、再度、集会所へと向かった。

1時間半ほどの役員会を終え、教室に戻ると塾生たちは静かに学習していた。
今は塾生も帰り、あとはシャワーを浴びて晩酌をするだけの段となった。
最近は、その晩酌が楽しみでブログの更新も滞っていたが、今夜は、晩酌に合わせて美味い料理を作ってくれる女房どのがいない。酒が進むにつれて毒を吐く私の話を傍で黙って受け止めてくれる女房どのがいない。

 

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