峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

チームワーク

2008年01月28日 | 家族
町内会長職をお引き受けしてから後、親しくお付き合いさせていただくようになったある町内会長さんが還暦【かんれき】を迎えられた。そのお祝いをごく親しい者だけで行うからとお誘いをいただいていたが、土曜日の夕方、女房どのに車で送ってもらい出席した。
出席者は7人だったが、私以外はその町内会の方々で、みなさん町内会や町で一定の役割を担【にな】っておられる方ばかりだ。いきおい、話の中心は町政のことになる。ビールから日本酒、そして焼酎へとグラス・杯【さかずき】を傾けながら議論は白熱した。

宴席は夕方6時半から始まったのだが、間もなく女房どのからメールが入った。女房どの特製のコロッケを大村の有紀さんに届けてくるからというものだった。有紀さんに美味しいものを食べさせたいと、くるみさんと2人、寮まで往復3時間の道のりを走る。「チーム・有紀」の結束は固い。
そういえば、午後、有紀さんに電話をした際、その日の午前中に数学の先生が有紀さんだけのために2次対策を2時間してくださったと話していた。「チーム・有紀」のスタッフの魂は熱い。
私も、メールで熱いエールを送りながら、もう一方でも2次会・3次会と大いに飲み、かつ熱く語り合った。

結局、くるみさんによると私の帰宅は深夜2時頃だったらしい。3次会の最後の方からの記憶はおぼろげで、帰宅してからの記憶は全くない。翌朝、それをくるみさんにからかわれることとなった。
メールしたのは覚えているかとくるみさんが笑いながら問う。それは、まだ2次会の時でのことだったから覚えていた。トイレにたった際、女房どののケータイに「有紀さんに、愛してるって」と有紀さんへの伝言を送っていた。
ところが、私のケータイの履歴を見ると、そのメッセージは「22:33」とある。今しがた帰宅した女房どのにあらためてその辺の事情を聞いてみると、メールが届いたのはすでに女房どのとくるみさんが帰宅した後だったとのこと。くるみさんがケータイを見て「なんか、意味不明のメールが来たよ」と言ってたとか。
さらに、今帰宅したくるみさんにもそのことを話すと。「あ~ぁ、また酔っ払ってと思ってた」とさらりと言われてしまった。

なんてことだ。私の熱いメッセージは有紀さんに届いていなかっのだ。
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学んだ証【あかし】を見せてごらん

2008年01月25日 | 家族
センター入試が済み平均点等集計が出されたところで、各予備校が受験者の得点を自ら入力し志望大学の学部・学科への合格可能性をインターネット上で判定するサービスを始めている。このサービスとケータイのおかげで『チーム・有紀』がうまく機能している。
昨日、有紀さんと学校側との話し合いで前期の受験先が決まった。目指すは地元九州の難関大学だ。チーム一丸となって勝利を目指す
ただし勝利は目指すもの、有紀さんの大学進学に際してのプロジェクト・『チーム・有紀』のコンセプトは、あくまでも「楽しむ」だ。

きょう、後期の受験先も決まった。『チーム・有紀』のメンバーの意思は見事に統一されている。後期は、第1志望校にこだわることなく、ガチガチのA判定から選んだ。

だが、どこの大学で学ぶかなんて実はあまりたいしたことではないだろう。大切なのは何を学ぶかだ。そして、学んだ証【あかし】は唯【ただ】一つ、変わることだ。それも、より良く。
あぁ、私はより良く生きていきたい。

昨年、年の瀬も押し詰まった30日、町内会内のゴミステーションに年末年始のゴミ出しについての注意書きを留めるための針金入りビニールを求めに園芸店に寄った。
レジでお金を払おうとしたとき、その日のせりにかけられた残りとおぼしき数点の植物が無造作に店内に置かれてあるのが目に留まった。
このところ多忙で草花を育てる心の余裕も無かったが、写真の葉牡丹【はぼたん】になぜか心を引かれ求めた。
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眠いね みぃーちゃん

2008年01月24日 | 我が家の猫・みぃーちゃん
きょうは冷え込んでいる。天気予報によると日中でも5℃前後だとのことだ。それでも室内に長く射し込んでいた日の光がずいぶんと短くなった。あぁ、春が近づいているんだなと思う。

みぃーちゃんは、寒くなってからというものさすがに外出時間が短くなっている。きょうも午前中は電気カーペットの上でまどろみ、昼過ぎ出かけた。しばらく表で遊び、やがて午後6時頃には帰ってくる。
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ついていけない

2008年01月23日 | 民生児童委員
きょうは10:00~14:30まで北松浦郡民生児童委員協議会の研修会に参加した。
このような催し物には関係の行政機関のエライ方がお見えになられる。今日も開催場所、江迎町の町長が来ておられたが、会の冒頭に挨拶されただけでさっさとお帰りになられた。それでも主催者側は「町長様におかれましてはお忙しい中有難うございました」等とおもねる。
同じく来賓・助言者として県北福祉事務所所長がお見えだった。私は、言えば唇が寒いだけだからとこの日も何も発言しないつもりだった。しかし、福祉事務所・社会福祉協議会・民生児童委員がべんちゃらを言い合うようななぁなぁ主義には、どうにも付き合いきれない。
結局、この日も流れに逆らうような発言をしてしまった。

行政と○○委員、学校とPTA役員等など、美辞麗句を並べながら馴れ合い、おもねあうような人間関係には、どうにもついていけない。

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笑止千万

2008年01月22日 | 暮らし
年金確認「ヒント」OK、特別便相談の窓口対応見直し(読売新聞) - goo ニュース

過日朝早く、町内会に住むあるご高齢者が来訪された。年金特別便が届いたが、何をどう見てどうすればいいのか皆目【かいもく】分からないので私に見てほしいと、その郵便物と数冊の年金手帳を持参されたのだった。
早速、年金特別便を開いたが、一見しただけではどう見ればいいのか私にも分からないほどだった。ましてや彼女は80歳を優に越えておられるのだ。皆目分からないのも無理は無い。
何回か勤め先が変わっていて、その変わり目に空白の期間があった。その間のことを何度も確かめ、間違いが無いことが分かると安心して帰っていかれた。

高齢者に対し封書1通送りつけ、記憶が無ければ、それはお前たちの責任だといわんばかりの国の不親切さに怒りを覚える。ことの成行きからして、本来ならば、1人ひとりを職員が訪ね、丁寧【ていねい】に対応するのが当然の話なのだ。

ましてや、社会保険庁は国民が納めた年金を着服したり、ずさんな取り扱いをすることで今日の混乱と不信を招いておきながら納付者に対し「なりすまし防止」とは笑止千万【しょうしせんばん】だ。
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愛しい人たちとの日々

2008年01月21日 | 家族
朝、前町内会長の植杉さんから息せき切って電話があった。庭にイノシシが出て、畑をあらされて困っているとのことだった。
我が家の裏庭にも昨年末、出没していた。2度、彼に出会っているが、いずれもきびすを返して彼の方から去って行ってくれた。言われているほどイノシシは獰猛【どうもう】な生き物ではないと感じている。

2日間のセンター試験が済み、受験生にとってきょうは自己採点の日、夕方、有紀さんに電話した。模試と変わらなかったという。相変わらず淡々としている。

塾の授業が済んだ後、研二くん・絵理子さんに電話した。絵理子さんの勤める大学では、センター試験の受験者の中に緊張のあまり気を失う生徒がいたとか、2人して有紀さんの物事に動じない精神に感嘆【かんたん】する。

電話が研二くんに変わる。正月、彼は食あたりに悩まされた。原因は牡蠣【かき】だったようだ。気の毒に思う。私の方は、このところ西海の牡蠣三昧【ざんまい】だ。連日、女房どのが殻つきの牡蠣をレンジでチンしてくれる。これにレモンの汁を絞っていただく、海の香りが口いっぱいに広がる。日本酒がワインが焼酎がすすむ。

披露宴の前に結婚式、入籍を済ませることに決まった。病気や怪我、事故に遭わないよう気をつけて日々を過ごすよう諭【さと】す。
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喜びは冬の中に

2008年01月20日 | 家族
センター試験が終了=理科と数学、2日目は混乱なし-再試験対象、1200人に (時事通信) - goo ニュース

毎年、センター試験の時寒波が押し寄せてくる。大学受験生にとってはまさに試練の2日間だ。
2日目は大きな混乱もなく順調に終了したということだが、初日のお定まりとなっているリスニングの不具合等で1200人が再試験を受けるという。厄介【やっかい】なことだ。
リスニングテストについては、トラブルことが分かっているものを相当なコストをかけて実施するほどの意味は無い。いったい、あのICプレーヤーの購入先はどこなのだろう。1台2,000円としても50万人分で10億円、莫大【ばくだい】な金が動いている。なんだかいぶかしい。こんなふうに勘ぐられても仕方の無いことを役人も企業もやっている。

話がそれた。
有紀さんたちの受験会場は長崎のシーボルト大学、大村から貸切バスで通った。初日は9:30からの公民に始まり地理、国語、英語、リスニングと昼食をはさみ夕方6:35まで問題に取り組んだ。
2日目は9:30からの生物に始まり数学Ⅰ・A、数学Ⅱ・B、化学と夕方4:15まで取り組んだ。決して容易なことではない。

昨日は夜7時前に電話すると、帰りのバスの中だった。受験場は暖房が効いおり暖かかく、体調も悪くは無かったとのこと。また、いつものように緊張することもなく平常心で問題に向かえたとのこと。肝心【かんじん】の試験の出来も普通だったとのことで、明日挽回【ばんかい】するよと明るく語った。んっ、挽回?
まぁ、お姉ちゃんの時のことを思えばいいさと言うと、お姉ちゃんからのメールにもそうあったと笑い合った。

絵理子さんはセンター試験の初日、大失敗してしまい受話器の向こうでしょげ返っていた。結局、志望校を大幅に変更し、それまで全く話にも出てきていなかった大学を受験することになるのだが、そこで人生の伴侶【はんりょ】とめぐり会うことになる。いわば大失敗があったからこそ最愛の人・研二くんと出会うことになるのだ。第4、第5志望の選択も決して悪いもんじゃない。
くるみさん、女房どのも交代して声援を送る。

きょうも同じ頃電話すると、すでに寮に戻っていた。この日も大きな失敗は無かったようで淡々としていた。明日からのことについて助言し、女房どのに代わった。

厳しい寒さの後に春は来る。
有紀さんの春も、きっと桜の花と共にやってくる。
それはそれで嬉しいことだろう。
でも今は、冬だからこその喜びを感じていよう。
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2人のセンター試験

2008年01月19日 | 学校教育
センター試験始まる=入試シーズン到来、54万人挑む (時事通信) - goo ニュース

高校時代、九州大学を目指していたAくんは、部活を終え帰宅した後、食事・入浴を済ませた午後9時頃から深夜午前3時頃まで勉強していた。朝は6時に起床していたというから睡眠時間は3時間ほどだ。こんな生活を3年間も続けた。
このくらいの家庭での学習時間を確保しなければ、普通に公立中学に通い、普通に生活をしていた子供たちにとって難関大学の合格はおぼつかない。
このような日常を思春期の子供たちに強【し】いる社会は異常だ。したがってAくんはともかく、そこから脱落する子供たち、あるいはそれを拒絶する子供たちの神経は真っ当であり、そんな尋常【じんじょう】でないところからドロップアウトできないか、拒絶できない子供たちは悲惨【ひさん】だ。許容量を超えたとき彼らは壊れるしかない。

だが、真に悲惨なのは許容量を超えているにもかかわらず壊れない化け物のような子供たちが育っている私たちの社会そのものだ。
やがて彼らは社会のさまざまな組織の中枢【ちゅうすう】に巣食い、立派な妖怪【ようかい】となり今日の社会を牛耳【ぎゅうじ】っている。

望ましい人間の在り方とは、望ましい社会の在り方とはどのようなものなのか。そして、子供はどのようにして育つのか。私たちは性根【しょうね】を据【す】えて語り合うべきときにある。

今日・明日と我が家の子供たち2人がセンター試験に臨む。1人は受験生として、もう1人は係官として。
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くるみさんの志望の動機

2008年01月18日 | 学校教育
昨日、橘香館からくるみさん宛に合格通知書が届いた。
日中、私が不在だったことから再配達してもらった封書が届いたのが午後7時前で、ちょうど家族がそろっているところだった。

すでに結果は学校で聞いているとのことだったが、自分で開けてごらんとくるみさんに封書を手渡した。くるみさんは、ハサミを手に緊張するねとつぶやきながら開封にかかった。くるみさんにとっては合格の内容が大切なのだ。間もなく中から書類を取り出すや否や「やった~!『スーパー特待』だ」と小さく声を上げた。

くるみさんは、高校進学に際して普通科を希望していた。通学範囲で公立の進学校を希望すれば十分可能なはずだった。しかし、有紀さんが語る学校や寮の様子、寮の仲間や先生たちの話を聞いているうちに自然と橘香館進学への思いを募らせていくことになる。
それでも夏期の1日高校体験入学時に、私は佐世保北高と佐世保西高、それに佐世保高専の体験入学を勧めた。視野を広く持ってほしいとの思いからだった。結局、佐世保西高を外し、他の2校の体験入学に出かけたが、それがかえって橘香館進学への思いを強くさせることにつながった。
県内には青雲学園という毎年、あの東大に何十人という合格者を出す超進学校もあるが、我が家の子供たちの選択肢には無い。

「特待合格書」と記した書面には次のようにあった。
合格おめでとうございます。
峰野さんは、[スーパー特待]として合格されましたのでお知らせいたします。
<中略>
3年間、楽しく充実した高校生活を送ってください。
橘香館職員一同、心からあなたの入学を歓迎し、活躍を期待しています。

有紀さんは高校の3年間、橘香館の先生方に本当に大切にされてきたようだ。親として、有難く思う。くるみさんは、きっとそれを感じているのだろう。
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2人の受験生 有紀さんらしく くるみさんらしく在る

2008年01月17日 | 家族
13日・日曜日、くるみさんが高校入試に臨んだ。受験校は大村市にある向陽高等学校・橘香館、有紀さんの通う学校だ。受験は推薦試験A方式というもので面接のみだ。
この日の朝7時前に家族3人で自宅を出発した。我が家の子供たちは、教員の引率の無い学校ばかりを受験してきた。したがって引率は自前でやる。我が家の子供たちの受験の際の引率は、すべて親がやってきた。

予定通り、受付の始まる8時半前に学校の駐車場に着いた。受付を済ませ、説明会場に入る。くるみさんは他の受験生と共に前方の席に座る。私と女房どのは他の引率の方々共々、後方に着席した。
間もなく、先に学科試験のある推薦試験B方式の受験生に受験に際しての説明・注意が行われ、彼らが教室に移動した後、今度は推薦試験A方式で受験する生徒に対して説明が行われ、間もなく彼らも受験場に移動した。

温かいお茶をいただき、新聞に目を通しながら待つこと1時間弱、受験を終えたくるみさんが戻ってきた。
くるみさん、体育祭では男勝りに応援団長を務めるほどだから、外ではそれなりにちゃんとしているのだろう。しかし、何と言っても我が家では末っ子のくるみさん、お姉ちゃんたちからはまだまだ子供扱いだ。親に見せる様子からもなんとなく心許無【こころもとな】い。いったい、面接などではどんな顔を見せているのだろう。想像するだけで可笑【おか】しい。

この日、昼食を有紀さんと一緒にとることにしていた。メールで受験が済んだことを知らせ寮に行く。私としては有紀さんの部屋を訪れるのは久しぶりだ。
この日、センター試験まであと6日となっていたが、なんらいつもと変わらない様子の有紀さん、「どう、心境は?」と尋ねると、これまで1度もピリピリした雰囲気も無く、私たち、これでいいのかなって寮の友達と話しているとのこと、それでいいのだ。

先日の三者面談で、私立を1校受験しておくという話になった。近くで心理学が学べる大学ということで有紀さんが福岡のある大学を挙げていたのだが、それが担任には不満で、もっと偏差値の高い有名大学を受験してほしいと盛んに言っておられた。
この日の有紀さんの話では、面談後、進路主任の先生が私から説得してもらおうと私を探しておられたとのことだった。有紀さんが志望校を選択する際の基準に「一流大学」とか「有名大学」だとかは一切無い。私大の受験先は、お姉ちゃんのところに遊びに行けるからというので決めている。こんなこと、担任の先生には言わない方がいいだろう。
「勉強の邪魔にならない?」などと言いながらも昼食の時間にはまだ間があったので、これまでゆっくり話す時間が取れなかった分、しばらく部屋でおしゃべりを楽しんだ。

寮生活をしていることもあり交友のこと、学業のことから、生活全般にわたって有紀さんが日頃どう過ごしているか全くといっていいほど分からない。だからといって、健康面を除き心配したことなどまったくない。
最近の模試の結果はどうなのと聞くと、ごそごそと1年生のときからの模試の結果の束を引っ張り出し渡してくれた。1年生からの成績の推移を見ると緩やかなV字型になっている。あまり熱心に学業に精出してこなかったようだ。本人も認める。でも、それでいいと私は思う。人生の中で最も多感な16歳から18歳の時代を、ただ成績を上げるためだけに、またより偏差値の高い大学を目指すためだけに、あたら多くの時間を費やすことにどれだけの意味があるというのだろう。むしろ、それに弊害【へいがい】がともなうことを私たちは正しく認識する必要がある。

その後、少し早かったが昼食を一緒にとろうと寮を後にした。
昼食は、有紀さんが友達とよく利用している「大村ジャスコ」へ。それにしても、どこもかしこも「ジャスコ」ばかりだ。ジャスコの中のとあるレストランで、あれこれおしゃべりしながら昼食をいただく。昼食をいただいた後はショッピングだ。
そうして親子で楽しいひと時を過ごし、有紀さんを寮に送った。

受験を控え、さすがの有紀さんも少し切迫した様子になっているかなと思っていたが、驚くほど安らかな表情だった。彼女は、幼い頃からいついかなるときでも穏やかな人だった。怒ったところを見たことが無い。そんな話をすると、友達もそういうと穏やかに笑った。
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