女房どののように酒類が全くダメだという人や中高生には理解してもらえないだろうが、私にとって暑気払いといえば、なんといってもギンギンに冷えたビールだ。
特に、身体を使い、汗だくになって働いた後、シャワーを浴び、さっぱりしたところでいただくビールの喉越【のどご】しは何とも堪【こた】えられない。その心地よさを味わいたくて、汗を流しているといってさえいいくらいだ。
このブログの編集画面を何気なく見渡していて「トレンドランキング」というコーナーの『
「苦くて、おいしくない…」ビール飲めない若者が急増中』というタイトルが目に留まった。
へぇ~、そうなんだという感じだが、そうかもしれないなとも思う。
私が最初にビールを口にしたのは、たしか高3の夏休み、友人宅に数人で泊まったときの夜だったように覚えている。そのとき缶ビールを飲んだように記憶しているが、興味本位からのことで1本空けられただろうか。味覚についての記憶も全くない。それより深夜、友人の案内で近くの畑にスイカを盗りに行ったものの見つかり、おじさんに追いかけられたのを不謹慎ながら可笑しく思い出す。結局、スイカはみんなで食べたような記憶がある。
大学受験の際、上京して高校の先輩方にお世話になった。先輩の小汚い(といっても当時はみんな小汚かったのだが)4畳半のアパートから受験に向かった。受験が済んだその夜、先輩方が4,5人集まり、近所の安い食堂で、ささやかに慰労会のようなものを開いてくれた。そこで初めて公然とグラスに注がれたビールを飲んだのだが、これが実に苦かった。先輩方が勧めてくれるのだが、なかなかグラスを空けられなかったのをよく覚えている。
その後、無理して飲まなくていい状況が続いていれば、私にとってビールは「苦くて、おいしくない・・・」飲み物のままだったのかもしれない。
ところが幸か不幸か、大学で体育会に入ったことで無理してでも飲まなければならないこととなる。
とにかく、当時の体育会の宴会はビールか日本酒。1,2年坊はそれを手にして、お酌に座を回らなければならない。否が応でも注【つ】ぐと注がれる。返杯しないなどということはありえない世界だったので、そうやって徹底的に鍛えられ、すぐに強くなった。
町内会長などをやっていると酒席に出る機会が多いが、かつて、先輩方に叩き込まれた酒席での作法は大いに役に立っている。基本は相手を尊重し、失礼のないように、そして座を盛り上げるということだ。
しかし、酒宴の趣【おもむき】も近頃はずいぶん変わってしまった。私がもっとも違和感を覚えるのが焼酎を頼まれる方が多くなった点だ。ご挨拶がてらにビールか日本酒を注【さ】しにいっても焼酎をやっているからと言われると、なんだかコミュニケーションまで拒否されているような気がしないでもない。まぁ、そこまでいかなくとも、他者に合わせるよりはマイペースでいたいという意思の表れだろう。
なるべくなら人と関わることなく生きていきたい。そう考える人が増えている。そりゃあ、そうだろう。他者と関われば、わずらわしいこともある。不愉快な思いをすることもある。けれども、煩【わずら】わしさが深ければ深いほど、これ以上ないほどの爽快【そうかい】な気分に浸れることもある。ひどく不愉快な思いをすればこそ、たいそう愉快な思いを知ることもできる。それは他者と関わってこそ感じられる豊かな精神の働きだ。
「人の間」と書いて「人間」だ。「間」とは、2つ(以上)のものの関わり合い、結びつきと辞書にある。関わり合い・結びつきを求めようとしなくなったとき、ヒトは人間でいられるのだろうか。
夏場、私の晩酌は「とりあえずビール」をいただき、次に焼酎のロックをいただく。
しかし、みなさんとやるとき私はオールラウンドプレーヤーだ。私の膳にはビールと日本酒、時には勧められるまま焼酎までもが並ぶ。どこからでもかかってきなさいってなもんだ。注しに来られた方がよく「峰野さん、何飲んでるんですか?」とおっしゃる。私は「何でもいただきます」とお応えする。
自分の思ったとおりの人生を生きていくことは大切なことだ。しかし、時には他者に合わせるのも悪くはない。それは、自身と折り合いをつけられるようになるところへとつながるように思う。
もうすぐ、新しく息子となった研二くんがやって来る。彼とやるときはビールだ。彼の作法は私を大いに満足させてくれる。人生の喜びがまた1つ増えた。
研ちゃん、待ってるよ!