峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

金色の雲

2008年07月31日 | 町内会長
今日は大村市で開かれる「シニアサポート講演会」という会合に出席する予定にしていたが、夏期講習の他、来週の土曜日に行う「新・西町夏祭り」の準備があれこれあり断念した。

午前中、町長・議長・近隣の町内会の町会議員・隣接する3町内会の会長へ夏祭りの案内状を作り、届ける。
夕方、夏祭りの回覧を作り、各班長さん宅まで歩いて届ける。
夏休みは冷房の効いた教室で過ごす時間が長くなる。いきおい運動不足になる。気分もスッキリしない。こんなときはいい機会とばかり早足で歩く。汗が噴き出す。が、気持ちがいい。

帰宅してすぐ、家の窓を開け放し掃除機をかける。きれいになるのは気分がいい。私は掃除が好きだ。
1階をかけ終わった6時頃、女房どのが帰ってきた。大急ぎで2階の教室にも掃除機をかける。

2階の北側の窓から西空を眺めると、ちょうど夕陽が山の端から落ちたところだった。昨日は美しいカシミール産のサファイアのような夕空に息を呑んだが、今日は美しい金色のグラデーション模様にしばし心を奪われた。
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大金星

2008年07月30日 | 将棋
将棋の深浦王位の他、ご縁があった棋士のみなさんすべてに声援を送るものだが、その点では渡辺竜王も同様である。ただし、渡辺竜王にはまだ直接お目にかかったことがない。そのうちお会いできることを楽しみにしている。
女流棋士ではたった1人、伊緒ちゃんこと室田伊緒女流初段とご縁があり、応援している。

その伊緒ちゃんが昨日行われた女流王位戦の白組最終戦で、なんと矢内女流女王・女流名人を負かした。
矢内さんは女流棋界の2つのタイトルを保持している。ということは日本で1番強い女性の棋士ということだ。まぁ、世界1ともいえる。その矢内さんに勝ったのだからすごい。

どんな勝負だったのか、その詳細は分からないが、伊緒ちゃんにとっては必ずや大きな自信につながる勝ちとなったはずだ。

リーグ戦の方は、最終局までにリードを許していた甲斐二段と中村初段が星を伸ばしたので惜しくも挑戦者決定戦進出はならなかったが、これからを大いに期待させる勝利だった。

ガンバレ、伊緒ちゃん!
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酌【く】み交わす喜び

2008年07月29日 | 暮らし
女房どののように酒類が全くダメだという人や中高生には理解してもらえないだろうが、私にとって暑気払いといえば、なんといってもギンギンに冷えたビールだ。
特に、身体を使い、汗だくになって働いた後、シャワーを浴び、さっぱりしたところでいただくビールの喉越【のどご】しは何とも堪【こた】えられない。その心地よさを味わいたくて、汗を流しているといってさえいいくらいだ。

このブログの編集画面を何気なく見渡していて「トレンドランキング」というコーナーの『「苦くて、おいしくない…」ビール飲めない若者が急増中』というタイトルが目に留まった。
へぇ~、そうなんだという感じだが、そうかもしれないなとも思う。

私が最初にビールを口にしたのは、たしか高3の夏休み、友人宅に数人で泊まったときの夜だったように覚えている。そのとき缶ビールを飲んだように記憶しているが、興味本位からのことで1本空けられただろうか。味覚についての記憶も全くない。それより深夜、友人の案内で近くの畑にスイカを盗りに行ったものの見つかり、おじさんに追いかけられたのを不謹慎ながら可笑しく思い出す。結局、スイカはみんなで食べたような記憶がある。

大学受験の際、上京して高校の先輩方にお世話になった。先輩の小汚い(といっても当時はみんな小汚かったのだが)4畳半のアパートから受験に向かった。受験が済んだその夜、先輩方が4,5人集まり、近所の安い食堂で、ささやかに慰労会のようなものを開いてくれた。そこで初めて公然とグラスに注がれたビールを飲んだのだが、これが実に苦かった。先輩方が勧めてくれるのだが、なかなかグラスを空けられなかったのをよく覚えている。
その後、無理して飲まなくていい状況が続いていれば、私にとってビールは「苦くて、おいしくない・・・」飲み物のままだったのかもしれない。

ところが幸か不幸か、大学で体育会に入ったことで無理してでも飲まなければならないこととなる。
とにかく、当時の体育会の宴会はビールか日本酒。1,2年坊はそれを手にして、お酌に座を回らなければならない。否が応でも注【つ】ぐと注がれる。返杯しないなどということはありえない世界だったので、そうやって徹底的に鍛えられ、すぐに強くなった。

町内会長などをやっていると酒席に出る機会が多いが、かつて、先輩方に叩き込まれた酒席での作法は大いに役に立っている。基本は相手を尊重し、失礼のないように、そして座を盛り上げるということだ。
しかし、酒宴の趣【おもむき】も近頃はずいぶん変わってしまった。私がもっとも違和感を覚えるのが焼酎を頼まれる方が多くなった点だ。ご挨拶がてらにビールか日本酒を注【さ】しにいっても焼酎をやっているからと言われると、なんだかコミュニケーションまで拒否されているような気がしないでもない。まぁ、そこまでいかなくとも、他者に合わせるよりはマイペースでいたいという意思の表れだろう。

なるべくなら人と関わることなく生きていきたい。そう考える人が増えている。そりゃあ、そうだろう。他者と関われば、わずらわしいこともある。不愉快な思いをすることもある。けれども、煩【わずら】わしさが深ければ深いほど、これ以上ないほどの爽快【そうかい】な気分に浸れることもある。ひどく不愉快な思いをすればこそ、たいそう愉快な思いを知ることもできる。それは他者と関わってこそ感じられる豊かな精神の働きだ。

「人の間」と書いて「人間」だ。「間」とは、2つ(以上)のものの関わり合い、結びつきと辞書にある。関わり合い・結びつきを求めようとしなくなったとき、ヒトは人間でいられるのだろうか。

夏場、私の晩酌は「とりあえずビール」をいただき、次に焼酎のロックをいただく。
しかし、みなさんとやるとき私はオールラウンドプレーヤーだ。私の膳にはビールと日本酒、時には勧められるまま焼酎までもが並ぶ。どこからでもかかってきなさいってなもんだ。注しに来られた方がよく「峰野さん、何飲んでるんですか?」とおっしゃる。私は「何でもいただきます」とお応えする。

自分の思ったとおりの人生を生きていくことは大切なことだ。しかし、時には他者に合わせるのも悪くはない。それは、自身と折り合いをつけられるようになるところへとつながるように思う。

もうすぐ、新しく息子となった研二くんがやって来る。彼とやるときはビールだ。彼の作法は私を大いに満足させてくれる。人生の喜びがまた1つ増えた。
研ちゃん、待ってるよ!
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快挙

2008年07月28日 | 町内会長
ビールを美味しくいただくため、いかに泡の量を適度に保つか心を砕いていた夜の9時過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。
来訪者は多いが、日曜日の夜9時を過ぎてからというのは、さすがにほとんどない。
インターホンをとると、くぐもった声でよく聞き取れない。2度ほど問い返したが同じだ。どなただろうかと玄関のドアを開けてみると、ご近所に住む知田さんのお父さんと小学6年生の男の子だった。インターホンのくぐもった声は、はにかんだ子供のものだったようだ。

「きょうのドッジボール大会で優勝しました」
お父さんと男の子は嬉しそうにそう言って、優勝の賞状とトロフィーと試合で使われたボールを差し出した。
「そうですか。それはすごい、おめでとう」「回覧を回して、みなさんにお知らせしましょうね。賞状とトロフィーは公民館に飾ってみなさんに見ていただきましょう」私は、そう言ってそれらを受け取った。

佐々町の競技会で、少子高齢化度の高い我が西町町内会が優勝するなんて、ここ数十年なかったことだ。まさに快挙である。

子供たちの頑張りは、きっと大人たちを勇気付けてくれることだろう。
子供たちの喜びの輪は、きっと大人たちの喜びの輪につながっていくことだろう。

私たちの町内会は、こうして元気になっている。

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拾得物件

2008年07月27日 | 父親と子
先日、所轄の警察署からくるみさん宛1通の封書が届いた。

くるみさんが中学3年生のとき、友人と落し物を拾い近くの交番に届け出たというのを聞いていた。
封書は案の定その件についてであった。法定の期間が経過したので拾得物件を署まで受け取りに来るようにとの通知だった。

書面を見ていくと受け取りの期限が7月31日までとなっている。だが、くるみさんは7月いっぱい大村だ。代理人が受け取ることもできるとある。ただし、その場合は委任状が必要とある。また、受け取りを放棄することもできるとある。
肝心の拾得物だが「きのことシャケのパスタソース」である。私としては仰々【ぎょうぎょう】しく委任状まで携「たずさ】えて引き取りに行くこともないだろうと思ったが、メールでくるみさんにどうするか尋ねると「取りに行ってもらえたら嬉しい」との返信だった。なんでも、所有権を得た暁【あかつき】には、友人らとパスタパーティをするよう約束をしているとのことで、交番でお巡りさんにもその旨話し、大事に保管してもらえるよう頼んでいるからとのことだった。

委任状について警察に問い合わせると、お父さんならいいですよということだったので早速、先週の木曜日に江迎警察署まで出かけた。
会計課で応対に出た若い警察官に用件を伝えると「あぁ」と心得ている様子で手続きを進めてくれた。
手続きが済んだ後、その若い警察官にパスタパ-ティの話をすると「楽しいパーティになるといいですね」と笑顔で応えてくれた。
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他者との関わりの中で生きる

2008年07月26日 | 私塾
朝、日が高く昇らないうちに子供たちが夏休みのラジオ体操に利用させていただいている空き地の草刈をしてきた。

「夏草の刈り払へども生ひしく如【ごと】し」
人は、万葉の頃から草を刈ってきたのだ。それにしても、夏草が伸びるのは速い。

昨日は月に1度の地域デイサービスの日、早朝の小学生の授業、午後の夏期講習の時間を縫うようにしてご高齢者・ボランティアのみなさんのお世話をさせていただいた。
ボランティアとして参加していただいているお隣の平島さんに「パン、美味しかったです。ありがとうございました」と先日のお礼を申し上げると「こちらこそ。頭が下がります」とおっしゃっていただいた。

いくつになっても他者に褒【ほ】められるのは嬉しい。もっと頑張ろうと心から思う。よりよく生きていこうと思う。だから私は子供たちを褒める。
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鎬【しのぎ】を削【けず】る

2008年07月25日 | 将棋
羽生挑戦者の先勝を受けての王位戦第二局は、我らが深浦王位がなんとかものにした。これで五分の星、中原誠十六世名人と渡辺竜王が予想しているようにフルセットの戦いになりそうな雰囲気だ。

深浦王位の執念が勝るのか、それとも羽生挑戦者の「玲瓏【れいろう】」の境地が凌【しの】ぐのか。

第三局が神戸市、そして第四局は、いよいよ深浦さんの故郷・佐世保での対局だ。すでに前夜祭のチケットを手にした。願わくば、第三局に勝ち、勢いをつけて佐世保に乗り込んでいただきたい。
応援の準備は万端【ばんたん】整っている。
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増幅する不信

2008年07月24日 | 我が家の猫・みぃーちゃん
きょうは土用の丑の日、この日にウナギを食べると夏負けしないという。千間丸さんが育てたウナギなら安心していただくことができるのだが…。果たして、女房どのが求めてくるだろうウナギはどこで育ったものだろう。

商品の内容の表示に信頼が置けないというのは、単にそのことのみにとどまる問題ではない。私たちは、私たちの心の中に何をも信じられない、誰をも信じられないという不幸の種を育て始めていることを自覚したい。商業主義者の罪は決して小さくない。

それにしても上がるのはガソリンの価格だけではなく、軒並み値上がりしているらしい。ウナギも来年は庶民には手が届かないほど高騰【こうとう】するという話も聞く。来年以降、庶民は夏を乗り切れるのだろうか。

それにしても今日は暑かった。このところ、みぃーちゃんのお出かけはお昼を回ってからだったが、今日はいっこうに出かけようとしない。エアコンの効いた教室でずっと横になっていた。それくらい暑かった。
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内なる自分と向き合う

2008年07月23日 | 私塾
昨日は午前7時に小学6年生の男の子がやって来た。前の晩、彼から電話が入り、明日は午前10時からドッジボールの練習があるので、朝の7時に行ってもいいかと言う。こちらはきついが、彼の主体性が育ついい機会だ。もちろん「いいよ」と答えていた。

塾に来ても「無理!」などと言い、1問も解かず「お腹すきました」と空腹を訴え、パンをやると、さも美味しそうに食べ、食べた後は横になって眠り、お母さんが迎えに来るまでそのままというようなことの多々ある子供だが、この日ばかりは、自分の方から無理を言って、先生に付き合ってもらっているのだという思いが働いているものだから、頑張って問題に取り組んだ。彼らに、内なる自分と向き合わせることは彼らの周囲の大人の大切な役割である。

その後、定刻9時少し前に他の小学6年生がやって来、午後からは中学生の夏期講習、そして夜は通常の授業と、いよいよいつもの夏休みの時間割に入った。

先週の土曜日、日が傾いてから夏休みのラジオ体操が始まるのに備えて集会所前の空き地の草刈をした。ついでに小浦自然公園の草刈も行った。汗の出方が尋常【じんじょう】ではない。

翌日曜日は日が高く昇らないうちにと早朝からお隣の草刈を行った。雑草が20~30cm伸びている。ご主人が高齢になり芝刈りができなくなられた。美しかった芝庭がコケ庭のようになった。年に2度、職人さんが入る。しかし、それだけでは芝の管理は無理だ。それでもなお無理なのだが、いつの頃からか、我が家の草を刈るとき、ついでに勝手に刈らせていただくようになった。
折々、御萩【おはぎ】や赤飯をいただく。約束事とか決め事でなく、互いの好意でお付き合いのできる関係が嬉しい。
夕食時、おじいちゃんが缶ビールと焼きたてのアツアツの食パンを提げてお礼にみえた。パンはおばあちゃんの特製だ。おばあちゃんは何でも上手に作られる。

翌月曜日は、くるみさんの通う高校の三者面談に大村まで出かけた。
前期の中間テストの結果と7月の模試の結果が出たところで、2年生に向けての文理選択及び志望大学・学部・学科についての話し合いといったところだ。
事前にくるみさんは九大・薬学部・創薬科学科を志望していたが、模試の結果が目標点をはるかに上回ったことで、担任は京大を目標にしたらと水を向けられた。
しかし、偏差値で大学を選ぶことを含め、学習時間の短さや勉強のやり方、受験の際の設問へのアプローチの仕方など、担任の話は入試に合格することが大前提であり、そんなことばかり考えて勉強やったって、ちっとも楽しくないだろうというように感じられた。

「そんなこと言ったって」と反論があちらこちらから聞こえるようだが、それに乗っかり、元も子も失ってしまった若者たちが決して少なくなくいることを、そして、それが社会に暗い影を落としていることを、そろそろ私たちは逃げないで本当のことを語り合うべきときにきているのだ。これは決して、担任の先生個人の問題ではない。

くるみさんの今の学びに対する構えは、今やっている勉強が受験のための手段ではなく、今の学びが目的であるよう私が導いてきたことだけをお伝えした。
もし、くるみさんにとがめられるところがあるとすれば、それは私のせいなのだ。

生物をとるか、それとも物理にするか、これについてもいろいろ話し合った。
それについても、くるみさんは相当考えていた。二転三転した後、生物をとる決意を固めている。それは将来、何をやりたいのか、自分の中でのイメージがハッキリしてきたことによる。
担任は、物理をとることのメリットを話され、くるみさんの決意の度合いを盛んに確かめておられたが、くるみさんは揺るがなかった。

くるみさんは、ここ数ヶ月の間、ずっと彼女の内なる自分と向き合ってきた。自分の中から発せられる声にじっと耳を傾けてきたのだ。そして、彼女の命が彼女に何をさせたがっているのかをようやく知ることができたのだろう。

担任は、まだ若く初めて学級を受け持つということも手伝ってか、微笑ましいくらい熱心にいろいろとお話いただいた。
この日の三者面談は私たちが2組目で、かつ最後であった。十分にお話を伺った後、教室を出て時計を見ると1時間が経っていた。これほど丁寧にお話をいただけるのも橘香館が他の高校とは異なる点だろう。

くるみさんに校舎の玄関まで送ってもらい、帰途に着いた。
くるみさんが高校に入学して4ヶ月、橘香館で大きく成長しているのを感じることのできた三者面談であった。
級友や寮生、そして先生方に恵まれて、くるみさんは今を精一杯生きている。

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あの夏の日のように

2008年07月22日 | 私塾
きょうは24節気の1つ大暑だとかで暑さがもっとも厳しい頃だという。いかにも暑い。
そんな暑さの中、子供たちにとっては待望の夏休みが始まった。「入道雲」「麦わら帽子」「セミ取り」
成績のことや、先のことなど全く心配することなく、真っ黒に日焼けして遊びほうけていられた時代があった。

14歳の女の子が『勉強しろ』と言われて『はい』と言う以外、あまり会話はなかったという父親を殺害した事件に関し、捜査当局もマスコミも評論家も学校も「何故?」と首を傾げるばかり。
当の母親までもが「父親とは大きなけんかもなく、娘が家族に悩みを打ち明けることもなかった。動機に思い当たるところがない」と話しているという。
いったい、私たちの想像力はどうなってしまったのだろう。

ケータイやネットなど高度な情報化社会と子供会、小学生から高校生までの苛烈な受験競争や正規雇用・非正規雇用問題とプリクラやカラオケにお笑い芸人、年金制度に介護保険制度、さらには後期高齢者医療制度と個々人の生死、無差別殺人や振り込めサギからテロの恐怖と好き嫌いの主観や通学・通勤や家族の団欒【だんらん】のような一見、何の関係もないように思われることが複雑に密接に重なり合い、共鳴しあっている今日の私たちの社会。
家庭にあっても社会にあっても、個々人がバラバラに寸断され孤立化していながら、相互に重なり合っていて切り離せない。そんな社会にあって、少年・少女や青年の犯す犯罪が繰り返し起きている。

昨夜、親から勉強しろとやかましく言われることについて塾生たちと話している中、親を殺したいと思ったことがあるか尋ねたところ、明確に「ある」と答えた「普通の子供」がいた。
もちろん、殺したいと思ったことがあるというのと実行することとの間には大きな隔たりがある。しかし、そこを容易に飛び越えさせてしまうような言いようのない息苦しさが私たちの社会にはある。

子供のときにしかできないことを、彼らに思う存分させてやりたい。それは生きている喜び。
心配しなくていいんだよ。
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