峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

マイナビ女子オープン第2局

2016年04月30日 | 将棋

糸葉ちゃんが生まれた翌日の27日、福島県郡山市「ホテルハマツ」で第9期マイナビ女子オープン五番勝負・加藤桃子女王対室谷由紀女流二段の第2局が行われ、室谷由紀女流二段が勝ち、1勝1敗のタイに戻した。

勝利インタビューで、今の気持ちはと問われた由紀ちゃん、1つ返したことでシリーズを盛り上げることができホッとしているとトップ女流棋士としての責任感を垣間見せた。

さらに、次第に緊張もほぐれ、第2局は自然体で臨むことができた。 第3局も、自分らしく思い切りぶつかっていきたいと意気込みを語っている。

その語り口からは、確かな自信が窺える。ファンのみなさんの応援を背になんとか勝利を手にしてほしい。

がんばれ、由紀ちゃん!

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糸葉ちゃん 

2016年04月28日 | 家族

一昨日誕生した和也くんと有紀さんの初子は糸葉(いとは)と名付けられた。
胎内にいるとき、どうやら女の子のようだということで、すでに赤ちゃんの両親は糸葉という名前を用意していた。しかし、生まれて来た赤ちゃんの雰囲気から最終的に決めたいとの意向があった。そして結局、糸葉と名付けられた。 

糸葉の「糸」は、会意文字で元々は「糸」+「糸」で「絲」と表記し、蚕が次々にはき出すいとの意味を表すようだ。比喩的に人や物事を結び付けるもの。あるいは、言葉をつなげて文章を作る紡ぐの意味がある。

糸葉の「葉」は、形声文字で「艸(くさ)」+「世」+「木」。艸(くさ)とは、どんな場所でも育つ成長力を指す。世とは、長い期間を表した文字。そして、木とは、自らの成長と実(実益)をもたらすという意味を指す。つまり、自分を成長させ続ける継続力に優れ、いつまでも周囲に必要なものを提供し続けられる人間になる可能性を秘めているということになる。

和也くんと有紀さんは、そのような願いを込めて、生まれてきてくれた初子に「糸葉」と名付けた。

 

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感動の瞬間

2016年04月27日 | 家族

翌日の手配を済ませ、25日・月曜日の夜9時頃に福岡へ向け自宅を発った。
この夜は、いつもの鳥栖経由ではなく、伊万里から唐津を経由するコースを採った。糸島を抜け福岡に入り、けやき通りを過ぎ天神界隈に差し掛かかったのが11時前頃だったか。その時刻だというのに歩道には人が溢れ、車道にはタクシーが溢れていた。
結局、アパートに着いたのは11時半頃になった。

翌朝早く、和也くんは出勤して行った。私と女房どのは午前9時過ぎ産院へ向かう。
有紀さんの出産予定日は27日だったが、お腹の中で赤ちゃんは十分育っているとのことで、お産のリスクを低減させるために早期の出産をとの医者の提案が事前にあり、前日の午後2時頃に子宮口を広げる働きをする「バルーン」の装着を行っていた。
そして、この日の午前9時頃に陣痛誘発剤「オキシトシン」の投与を受けていた。

私たちが着いた時にはなるべく動くようにとの医者の指示で、有紀さんは産院の廊下を行ったり来たり歩いていた。
やがて、一定の間をおいて痛みが襲ってくるようになり、午前11時頃には分娩室へ入った。そのおよそ30分後に破水したとの報告を看護師から受ける。

どうしても出産時に傍に居たいと言っていたくるみさんが馬出からタクシーで駆けつけてきた。
また、出産時に立ち会うことになっている有紀さんの夫である和也くんが予定の授業を済ませ、午後3時前には到着した。
こうして、この日、赤ちゃんの誕生の瞬間に傍に居ることを希望する家族みんなが揃ったのを確認するかのように午後3時22分、元気な産声と共に和也くん・有紀さん夫婦の初子が誕生した。

分娩室の外で、その瞬間を待っていた私たちの元に、看護師さんが誕生間もない赤ちゃんを連れて来てくれた。すぐさま赤ちゃんをこの腕で抱かせてもらう。なんという感激。
これまで、我が子すべて、そして、孫すべての誕生の瞬間に立ち会い、すべての赤ちゃんを胸に抱くことが出来た。こんな幸せな男はそういないだろう。

夜7時頃まで病室で赤ちゃんを代わる代わる抱っこしたりして過ごしていたが、7時過ぎに明日の準備があるからと帰るくるみさんを和也くんが車で送って行ってくれた。
和也くんが戻って来るのを待ち、赤ちゃんと有紀さんに挨拶をして、女房どのと和也くん、私の3人で祝杯を挙げるため夜の街へ出かけた。

和也くんがアパートから1時間ほどかかる学校に勤めているので、夜更かしはするまいと言っていたのだが、結局2軒はしごして帰宅したのが夜の12時頃だったらしい。この夜は嬉しくて嬉しくてたまらなく、グラスを空けるピッチが速いのを十分に自覚していたのだが、止めることが出来なかった。したがって、2軒目の後半からの意識はない。

和也くんもそこそこ酔っていたと女房どのは言うが、アパートに帰った後、和也くんと私はソファーに座り、2人して泣きながら「おめでとう」「ありがとうございます」と時計の針が午前1時を回る頃までやっていたそうだ。おそらく、感動・感激・喜びの涙だったのだろうが、全く覚えていない。

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有紀さん出産準備に

2016年04月25日 | 家族

有紀さんの出産が近い。
生まれてくる赤ちゃんのためにと、女房どのが知り合いの方にベビーベッドの製作を依頼していた。それを運ぶために昨日、有紀さんの夫である和也くんが午後1時過ぎに来てくれた。昼食をとってもらい、仕事の話などを少しした後、ベッドと共に女房どのも和也くんの車に乗り込み、福岡へ発った。
女房どのがいないせいか、はたまた赤ちゃんが生まれてくるという興奮からか昨夜は、少々酒が進んだ。

今日は午前10時から町文化会館中ホールでの「佐々町身体障碍者福祉協会」の総会に出席。午後1時半からは町公民館での「さざ公民館フェスティバル」の第1回目の実行委員会に出席。その後3時からの佐世保市役所13階大会議室で開催された「子供を事故から守る協議会」総会に出席。
その合間を縫って女房どのとラインでやり取りした。

もちろん、出産時にその場に居合わせ、新しい命の誕生を家族で喜び合いたい。帰宅して、とりあえず今日・明日の塾を休みとすることにし、その旨を各保護者に連絡する。明日の町内会の役員会のレジメを作成し、副町内会長に後を託す旨連絡した。

落ち着け、裕二郎!

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自己を恥じる

2016年04月24日 | 佐々町町内会連合会長

昨夕5時、雨模様の中、町内会長連絡協議会役員のみなさんに本町内会の集会所までご足労いただいた。

20日の臨時役員会において、熊本地震で被災された方々に対し、同じ九州に暮らす佐々町民として何かできることはないだろうかと相談した結果、募金活動をやろうと決議したが、22日に役場内で総務課担当職員に呼び止められ、それについて総務課担当職員、並びに総務課長が語ったことを具体的に報告し、支援の在り方について再検討した。

本来、私たちは住民と行政・議会・商工農業者のみなさん方と、本当の協働の町づくりを目指している。問答無用とばかりに私たちの考えをごり押しする気などさらさらない。

1時間半ほど協議した結果、住民のみなさんへの募金の呼びかけは、そのうち行われるだろう町社会福祉協議会に任せる。ただし、もう1つの議決は履行する。すなわち、会費で賄っている町内会長連絡協議会の予算の中から6万円を義援金に充てる。また、町内会長1人当たり3千円を別途募る。以上を改めて決めた。

苦しんでいる被災者のみなさんに対し、私たち住民、佐々町それぞれ何が出来るか。あるいは、住民と行政とが協力して何が出来るか。それを話し合いたかった。

自身のリスクを顧みず愚直なまでの真っ直ぐさで、苦しんでいる方々、困っている方々への思いを行動に移している若者に申し訳けなく思うと同時に己を恥ずかしく思う。

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ガンバレ 竜治くん

2016年04月23日 | 私塾

午前10時頃、竜治くんが訪ねて来てくれた。
彼は、この春に熊本大学工学部を卒業して、同大学大学院に進学した。その矢先、この度の地震に遭ってしまった。

前震が起きた際の状況、本震の際の状況、その後の熊本の状況、学友の状況、大学の状況、地元長崎県に帰省している熊大生による募金活動の状況等々を語ってくれた。
熊本大学は5月6日まで休講になっているそうだが、希望に胸膨らませ入学した新1年生、また、就活に臨んでいる学生のみなさんの心情を察すると心が痛む。

竜治くん自身も、夢を持ち進学したばかりで、やらなければならないこと、また、やろうと思っていることがままならない状況に面食らっている。

あれこれ話しているうちにお昼時になった。女房どのが昼食を用意してくれたので竜治くんと2人、向かい合って昼ご飯を食べた。

2時過ぎから「大野モール」で仲間たちが募金活動をしているのに合流するからと、1時半頃帰っていった。お母さんやおばあちゃんが心配する中、明日、熊本へ戻るという。

熊本県を中心とする地域で、これ以上、地震が起こらないことを願うと共に、被災者のみなさんが一刻も早く安心して暮らせる状況が、また児童・生徒・学生のみなさんが落ち着いて学業に励むことの出来る環境が戻って来ることを切に祈る。

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悲しい日

2016年04月22日 | 佐々町町内会連合会長

今日は、月に1度の町内会のご高齢者を集会所にお招きしての食事会の日、いつものように午前8時半に集会所へ赴き有線放送でその旨ご案内をかける。参加者数に合わせテーブルと椅子をセッティングする。毎月同じことをやっていると月日の流れの速さをしみじみ感じる。
そうこうしているうちに食事を作っていただくボランティアの皆さんがぽつぽつと集まって来られた。今日は8名のみなさんに来ていただいた。

午前11時半を過ぎる頃から、ご高齢者のみなさんが誘い合われてお越しになる。
正午、ご高齢者のみなさん、ボランティアのみなさん総勢22名で昼食をいただき始める。食事作法に反するかもしれないが、みなさんの賑やかなおしゃべりは止むことがない。

この日、午後1時半から社会福祉協議会の「苦情処理委員会」の会議が入っていたので、後を委ねて中座した。
という訳で、午後1時半から予定の3時を少し過ぎるまで「苦情処理委員会」の会議に出席する。
「苦情処理委員会」とは町社会福祉協議会に寄せられた相談苦情について、それら事案の1つ1つを取り上げ、それにどう対応したのかを審議検討することを中心にした会議である。

会議終了後、役場建設課へ赴く。
社会福祉協議会に向かう途中、私たちの町内会で維持管理をしている国道沿いの花壇がショベルカーで掘り返されているのを認めた。わが目を疑うような光景だった。町内会に対して何の連絡もいただいていない。県による工事だとしても町が知らないことはないだろうと建設課に訊ねた。
ところが、建設課も承知していないという。そう言われると、私が見たのは幻だったのかと思うほど衝撃的な光景だったのだ。職員がすぐ現場に飛んでくれることになった。

私も帰って現場に出かけてみようと踵を返したところで総務課の町内会長連絡協議会担当の職員に声をかけられた。一昨日の町内会長連絡協議会の役員会で、熊本地震で被災されたみなさん方への募金について取り決めたことを彼に伝えていた。彼は、課長に伝えておきますと言っていたのだが。
彼の話を要約するとこうだ。町内会長は事務連絡嘱託員の立場にある。事務連絡員は町長によって委嘱されているわけだから役場の末端職員という位置付けだ。おそらくは「特別職地方公務員」ということになるのだろう。そのような立場の者が募金活動をするのはちょっと…といかにも申し訳なさそうな顔をしながら小さな声で言うのだった。
なるほど。行政は、そうくるんだ。

その後、総務課長も交えて話をしたのだが、残念ながら私たちの取り組みを快く思っていらっしゃらないことだけは十分に伝わってきた。
いずれにしても、役員会で決めたことだ。やるにしろ止めるにしろ私の独断で決めるわけにはいかない。役員会を開いて協議しますとその場を辞した。

帰ろうとすると再び呼び止められた。今度は産業経済課の課長だった。地方創生に関する事業についての相談だった。
5時を過ぎ、帰らなければならない時間となり話を切り上げる。花壇の状況を見に出かけてくれていた建設課の職員が帰って来ていたので、どうだったと訊ねると、国道から一段下がった所で家屋の建築作業が始まっており、国道からの取り付け道路を作るため花壇が邪魔で県の許可をとり、花壇をいったん撤去しているとのことだった。
若い職員は、花壇の維持管理をしているのは西町町内会であり、そこに一言話をしてくださいと言っておきましたと報告してくれた。

帰宅して間もなく、花壇の取り壊し作業を行っているという会社の担当者から配慮が足らなかった申し訳ないとの旨の電話が入った。

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自治会・町内会を機能させる

2016年04月21日 | 佐々町町内会連合会長

「物資等が届かず多くの皆様にご迷惑をおかけしています」17日早朝、熊本市の市長がツイッターでそうつぶやいたという。

政府は、食料70万食を17日中に被災地に届けると表明、さらにその日に90万食の供給も始めている。また、九州・山口9県で作る被災地支援対策本部も熊本県からの要請を受け、飲料水や毛布などを届けた。しかし、受け入れ先の1つである県庁ロビーは企業からの支援物資も含め段ボールが積み上がっていると新聞が伝えていた。

1995年の阪神大震災、2004年の新潟県中越地震、2007年の新潟県中越沖地震、そして記憶に新しい2011年の東日本大震災と、近年でもこれだけ大規模な地震が発生し、大きな被害を受けてきているというのに支援物資が集積所に山積みになったまま、肝心の避難所や被災者の手元に届かないという問題が繰り返されている。その原因として道路事情の悪さと行政の混乱、そして人手不足等が挙げられている。

都市防災が専門の宮崎益輝神戸大名誉教授によると、国や県や自衛隊は大量に物資を被災地に送るのは得意だが、避難者1人ひとりの要望に合わせるのは苦手。もっと民間に任せるという発想が必要だと指摘している。

そこで民間の宅配業者やボランティアの活用が言われているわけだが、何より重要なのは自治会・町内会の自主防災組織の充実だと考える。
いざという時に備え、役割分担を決めておく。例えば、集積場所まで支援物資を受け取りに行く担当はAさんとBさんというように。大きな避難所になれば、複数の自治会・町内会が混じることになるだろうが、すべての自治会・町内会にその担当者を置いておけば、その役割を担っている者がそこにいる確立も高くなる。

また、避難生活が長くなってくると災害による直接的な死亡ではなく、疲労などの間接的な原因で亡くなる懸念が指摘されている。特に持病を抱えている方や高齢者の方々はリスクが大きい。
着の身着のまま家を飛び出した人は、薬はもちろん「お薬手帳」など持ち出すほどの余裕はない。それを、自治会・町内会で特に高齢者の方々の持病や服用している薬などを把握しておけば、市町の職員や医療機関に円滑につなぐことが出来る。

いずれにしても、行政に何もかも任せて頼っていても、隣のおばあちゃんやおじいちゃん、それに地域の幼い子供たち一人一人の命を守ることは難しい。地域の住民を守れるのは、その地域に暮らす住民そのものなのだ。

いざという時にも日常でも、身近で起こる問題を解決できるのは、そこに暮らす私たち自身であることを肝に銘じたい。

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私たちに出来ることをやる

2016年04月20日 | 佐々町町内会連合会長

午前10時から正午まで、役場応接室にてこの度の熊本地震の対応を中心に町長と意見交換させていただいた。出席者は、町内会長連絡協議会側から私と藤田副会長、町の方からは町長他、副町長と総務課長の5人。

先ず、稲垣健君とその仲間たちと西町町内会との協力による支援の取り組みを紹介させていただく。その後に、今回の熊本地震に対しての町の取り組みについて尋ねた。
町の方針としては救援物資の受け付けは行わない。県から依頼がきている下水道の職員2名と保健師1名の派遣については応じるつもりである。避難所の開設については検討したいとのことだった。

その他、佐々町にも断層があり、いつ地震に見舞われても不思議ではないとの認識では一致し、そのための対策を十分にとっておく必要があることに意を唱える者など1人もいなかった。
具体的には老朽化した役場の建て替え問題、あるいは防災訓練を通しての自主防災組織の充実を図ること等々を協議した。

会議終了後、藤田副会長に熊本地震への対応について臨時に町内会長連絡協議会の役員会を開くことを提案し了承を得る。帰宅後、すぐに町担当者と7名の役員に電話をして使用できる会議室及び時間の調整を行う。

そうして午後6時役場3階第2会議室で臨時役員会を開いた。
先ず、午前中の町長との意見交換会の内容を報告をした後、稲垣君と西町町内会の取り組みを紹介し、若者とその仲間たちと小さな町内会が協力してこれだけのことができた。各種研修等でもお世話になってきた熊本県の人たちのために、町内会長連絡協議会がリーダーシップをとって何か出来ることはないか協議しましょうと持ちけた。

1時間ほど協議した結果、町内会長連絡協議会会長名で、すべての町内会で義援金を募る回覧を回すこと。それについての文書の内容、かかる印刷代、封筒代等一切合切を町に頼らずこちらでまかなうこと。
さらに、町内会長連絡協議会の予算の中から6万円を義援金に出すと共に、それとは別に町内会長1人あたり3千円を募ること。
そうして集まった義援金を代表者が携え、直接、熊本県庁を訪ね、熊本の方にお渡しすることを決めた。

若者が身を削り、困っている人のために動いているのを見て、触発されている。

 

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思いを形に

2016年04月19日 | 町内会長

早々と熊本県内の被災地の方々の支援に動いている隣家の稲垣君からその話を聞き、町内会としても協力すべく、午後6時から集会所で臨時役員会を開いた。
この地に居を構えた時、隣家の稲垣君は中学生だった。彼の名前は「健」、それで私たちは彼を健ちゃんと呼んでいる。

平成23年度の東日本大震災の際、私たちの町内会では社会福祉協議会を通じて義援金10万円を送らせていただいた。今回は、親しみのあるすぐお隣の県での出来事だ。何か自分に出来ることはないだろうかと思う人が少なくないはずだ。そう思い、即行動に移したのが健ちゃんだった。独自のネットワークを用い、県内外の仲間たちに呼びかけ、あっという間に支援物資を集め、ピンポイントで支援を必要としている方々の元へそれを届けた。

その健ちゃんが再び熊本へ発つというので、彼に私たちの思いも託そうと町内会の役員に寄ってもらい相談したのだった。
話し合いの結果、先ず、町内会で備蓄している非常食のパンの缶詰「救缶鳥」(素晴らしいプロジェクトです。)15缶・簡単に炊き立てのご飯や雑炊が食べられる保存食「マジックライス」18食・飲料水2Lを12本・500mlを24本・カセットボンベ6本、その他ソーメン8袋、紙皿100枚、紙コップ50個、プラコップ16個を提供することにし、各戸からは米5合を目安に出していただこうということになった。

役員会を終え帰宅しようとすると、健ちゃんの運営する格闘ジム・クロフネの前では今夜、熊本へ向けて出発する4tトラックへの救援物資の詰込みがちょうど始まっているところだった。
早速、手伝いに加わったが、健ちゃんの仲間3・4人だけではらちが明かない。そこで、有線放送で応援を頼んだ。既に午後7時半を過ぎていたのでどうかなと思ったが、嬉しいことに10名程度駆けつけていただいた。その中には私たちの町内会ではなく、お隣の芳ノ浦町内会の高校時代の同級生である柳君まで、放送が聞こえたのでとわざわざ軽ダンプで駆けつけてくれた。

結局、4tトラックと軽ワゴン車に全ての物資を積み込んだのは午後9時半頃だった。
一息入れて、深夜に熊本まで一気に走るとのこと、道中気を付けてと若者に後を託し、帰途に就いた。

 

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