峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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有紀さんの学位記授与式

2014年03月27日 | 家族

 このところ日課となっているゴルフの練習をするため裏庭に出ると桜が満開の頃を迎えていた。どこからともなく小鳥たちの賑やかなさえずりが聞こえてくる。大自然の営みに心を奪われ、しばしうっとりしていた。春爛漫を謳歌しよう。

女房どのの退職の翌日、次女の有紀さんが九州大学大学院人間環境学府実践臨床心理学専攻の専門職学位課程を修了し、臨床心理士修士の学位を得た。

25日、箱崎キャンパスにある人間環境学府では、伊都キャンパスでの全体での学位記授与式終了後の午後4時半から各専攻ごとに学位授与が行われることになっており、そこに女房どの共々参列した。
実践臨床心理学専攻の学位記授与式は、総合臨床心理センター1階のセンタープレイルームで行われた。おそらくは研究室の先生のお人柄が映し出されているのだろう式は終始、アットホームで和やかで笑いの絶えないほのぼのとしたものであった。しかし、先生方のお祝いの言葉の中から、そのほのぼのとした雰囲気とは異なり、九大が日本の臨床心理をリードしてきたという誇りのもと、学生にとっては困難かつ、厳しい学究の日々であったことをうかがい知ることができた。それ故だろう先生は学生の頑張りを称えながら、一人ひとりに学位記を手渡され、握手をされておられた。

式終了後は、みな思い思いに記念写真の撮り合いに興じていたが、その合間を縫って有紀さんが研究室の先生を始め、お世話になった先生方や親しくしてきた友人らを紹介してくれた。
やがて後輩の学生らも加わり、交歓の輪はしばらくほどけそうもなく 、私たちはそっと式場を後にして、その日の投宿先の5TH HOTELへと向かった。

このところ福岡での宿泊にはホテルフォルツァというところを利用していた。だが、今回は那珂川に面し、テラス付きで浴室から博多の夜景が一望できる部屋が取れたので5THというホテルにした。いずれにしろ、有紀さんたちと飲むのに博多は都合がいい。
有紀さんたちとの待ち合わせの時刻まで十二分に時間があったので、ぬるめのお湯にたっぷり浸かり博多の夜景を堪能した。

有紀さんにはK君というフィアンセがいる。すでに彼とは家族のような付き合い方をしている。その夜のお祝いにも、もちろんK君は同席してくれた。美味しい料理に旨い酒をいただきながら、深夜2時過ぎまで有紀さんの修士課程修了をみんなで喜んだ。

有紀さん、よくやったね。

 

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女房どのの退職

2014年03月24日 | 夫婦

15日、佐々町将棋同好会の総会を開く。17日、町の公民館学習グループの総会に出席する。新年度の会長に推される。昨日、町内会の総会を開催した。25年度の締めくくりである各総会がしばらく続く。

きょう、女房どのが長かった小学校教員生活の締めくくりの日を迎えた。定年まで数年残しての早期退職だ。
「全部、やりきった」「これ以上、やることはない」と、清々しい表情をして朝出かけ、夕方帰宅した。

女房どのと結婚する際、彼女の今は亡き父親から、娘が小さいころから憧れ、努力してなった教員です。だから辞めさせないでくださいと言われたことを想い出す。

やめちゃえ やめちゃえと背中を押したのは確かだ。
おとうさん、ごめんなさい。
でも、おとうさん、あなたの娘は微塵の悔いも見せず、自ら教師生活にピリオドを打ったのです。ここまで本当によく頑張ってきました。よくやったと褒めてくれますね。おかあさんも。

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北帰行

2014年03月11日 | 暮らし

今日、東日本大震災から3年目を迎えた。

昼過ぎ、裏庭で作業をしているとどこからともなく遠く「クワァー・クワァー」との聞き覚えのある鳴き声、そうだ渡り鳥の北帰行だ。
すぐさま上空を見上げると雁がカギになったりサオになったりしながら北へ向かっていた。

雁よ、シベリアはもうすぐだろう。でも、そこはまだ寒くはないのかい。何故、そんなに急ぐ、雁たちよ。

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春まだ遠く

2014年03月03日 | 民生児童委員

この一か月ほど、特に重要な会合が続いている。

経済的な理由で児童生徒の学用品代や給食費などの負担が困難な家庭に対し、各自治体は就学援助の制度を用意している。
それに関し、私たちの町では3年前まで「準要保護児童生徒認定申請意見聴取会」なるものが開かれていた。提出された申請書類をもとに、援助が妥当か否かを審議する場だ。会の構成メンバーは教育委員会の担当職員、小中学校長、それに担当地区から申請が出ている民生児童委員が加わっていた。

民生委員制度の歴史は古く、大正6年、岡山県に設置された「済世顧問制度」が始まりとされている。地域の名士であり篤志家がその任に当たり、貧困者の調査・相談・就職の斡旋などを行ったとある。
時代の流れと共に移ろうものがある。現在、民生委員の任に当たる者は、大半ごくごく普通の人だ。したがって民生委員と住民との関係もかつてとは大きく異なってきている。また、個人情報保護法等、人権・人格権がいちだんと尊重されるようになった。その一方で、行政から期待される民生児童委員の職務範囲は広がっている。
それなのに、各種証明書への意見書の記入など、現在の民生児童委員にとって荷が重すぎるもの、責任をもってその任を全うできかねるものが旧態依然としてなおざりにされている。

上記の「準要保護児童生徒認定申請意見聴取会」に関しては数年前、かつてと異なり何の権限もない民生児童委員に、重要な個人情報を知られる申請者の立場、同時にその場に参加させられ、決して愉快でない個人の情報を聞かされる、少なくとも私の辛さを数度の会議の席上訴え、この意見聴取会への民生児童委員の参加をやめるよう提案を続けた。その後、意見聴取会への民生児童委員の参加の制度は無くなった。
しかし、申請者から月収を始め家計に関するあれこれを聴取し、意見書を書くことは依然として求められている。
繰り返しになるが、何の権限もなく、また責任ある意見書を書けるはずもない民生児童委員がこの職務を遂行する意義はもはやなくなっている。
先月の定例の町の民生児童委員協議会の席上、委員間で意見交換し、その旨、会長から教育委員会へ申し出ることで意見の一致を見た。

 

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