峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

ちょっと寂しい親離れ

2008年03月29日 | 家族
今回の福岡行きで、みぃーちゃんは初めてひとりで留守番することになった。家の中を自由に動けるようできる限りドアを開け放しにして出かけた。

午後2時頃、我が家を出発した。先ず、目指すは有紀さんの新しい住まいだ。佐世保から高速道路に乗る。
道路の両側にはのどかな春の風景が広がる。中でも白いコブシの花が目を引く。サクラの花もほころび始めている。

家族4人で出かけるのは本当に久しぶりだ。絵理子さんが高校生の頃、週末になると寮まで迎えに行き、日曜日に再び寮まで送っていった。レストランで食事をしたり、公園で野球やバトミントンに興じた。いつも家族一緒だった。
絵理子さんを寮に送り届けた帰りの車中、4人でよくしりとり遊びをした。有紀さんもくるみさんも幼く可愛らしかった。
その2人も今や高校生と大学生となり、それぞれ絵理子さんと同様、寮生活を始めようとしている。時は流れた。

2時間少しで有紀さんの新居に着いた。駅前の再開発地域の一角にあり、全戸南向きのこぢんまりとしたマンションだった。荷物を運び込む。荷物といっても有紀さんの身の回りのものだけで少量だ。近日中に電化製品が備え付けられるし、寝具等は絵理子さんと研二くんに明日、見てもらい新たに購入することになっている。

がらんとした部屋でこれからのこと等をしばし話した後、北九州市へ向かった。その車中、有紀さんに「再び新たな一人暮らしでホームシックになるかな」と言うと「それはないと思う」と言った後、やや間があって「寮シックにはなるかもね」と付け加えた。
高校生の頃、絵理子さんは、よく帰省していた。それに比べて有紀さんは、めったに帰省しなかった。寮生同士の絆【きずな】がとても強かったからだ。卒業後も大学合格後も、頻繁【ひんぱん】に大村に出向いていた。

絵理子さんはもちろん、有紀さんもすっかり親離れしている。
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うららかな日和に

2008年03月28日 | 家族
町内会に民間のアパートが2棟ある。町内会長をお引き受けした際、そこに住んでおられる方々を一軒一軒訪問し、町内会に加入していただく意義を丁寧にお話し、ご理解を願った。
今では、ほとんどの世帯に町内会に加わっていただいている。それも町内会費をいただくだけの形式的なものではなく、きちんと班長も務めていただき、町内会の各種行事や活動にも積極的に参加していただいている。すべて若い世代の世帯なので、運動会とかソフトボール大会、大綱引き大会等では主力メンバーだ。

私たちの町内会では毎月、第1日曜日の朝に町内会の清掃を行っている。かつて、アパートが入っている班のある長老が、若いもんが掃除に出てこないとこぼしておられたが、最近では若いもんがよく出てくるようになったと喜んでおられる。

中でも、ご夫婦そろっていろんな活動に本当によく加わっていただいた宮乃脇さんが故郷の鹿児島へ引っ越して行かれた。
引越しの当日、おめでたいことが続かれるんですねと言って奥様から焼酎をいただいた。私が大の左党だということは先刻ご承知だ。
本来、こちらから餞別を贈らなければならないところなのに、まったく私は気が利かないとんちんかん野郎だ。

さて、その焼酎だが『伊佐美』とある。さすが、焼酎の本場、鹿児島県の人らしい贈り物だなと思ったものだが、今、何気なくネットで調べてみて驚いた。「幻の焼酎」とある。なかなか入手が困難な焼酎のようなのだ。
種類だとか銘柄だとか全くこだわりのない無粋【ぶすい】な私は、そんな貴重な焼酎とは露知らず、いとも簡単に受け取ってしまった。宮乃脇さんは、さぞかしがっかりされたことだろう。申し訳ないことをした。

きょうは地域デイサービスの日だ。今回に限り、ご案内をかけ、参加者の人数をまとめるまでして、後はボランティアのみなさんに託した。

昨日の雨から一転し、きょうは青空が広がっている。
いよいよ明日が結納だ。研二くんの両親は周南市に住んでおられる。仲人さんは研二くんの職場の上司で北九州市に住んでおられる。私たちは佐々町だ。結納の場所は、みんなにとって最も都合のよい北九州市になった。式場はリーガロイヤルホテル、米長日本将棋連盟会長や森下九段と初めてお話をさせていただいたのもここだった。やはり、縁というものを感じる。

今回は昨日、本契約したばかりの有紀さんのマンションに荷物を運ぶため愛車デリカで高速を走る。絶好のドライブ日和となった。
裏庭でスモモの花が満開を迎えている。
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いとおしい日々

2008年03月27日 | 夫婦
親の跡を継いで子に譲るまでのほぼ30年を1世代とするようだが、私と女房どのの世代は、おそらくその30年の中で最も多忙な数ヶ月を過ごしているのだろう。

きょう、女房どのは有紀さんと共に大学の入学手続きとマンションの入居手続きなどに出かけた。
我が家から大学まで2時間ちょっとだから、県庁所在地の長崎市に行くのと所要時間がほとんど変わらない。朝7時過ぎの佐世保発の電車で出かけ、用を済ませ、夕方6時には佐世保駅に着いた。
我が家は、どうも福岡へ福岡へとシフトする傾向にある。

一方、私は午前中、口石小へ出かけた。年度の終わりにあたり「読み聞かせ」について教職員との話し合いが持たれるということだったが、約束の時間にテーブルに着いたのはボランティア6人に対し、教職員は図書担当の1人だけ。せっかくの機会だから先生方に声をかけていただけませんかとお願いすると、先生方は忙しくてですねと言いながらも、図書担当の教員は他の教職員を誘いに行ってくれた。
春休み中とはいえ教職員が忙しいのが分からないわけではない。しかし、私たちも暇や酔狂にまかせて出かけてきたのではない。それぞれが貴重な時間を割いているのも分かってほしい。

やがて、5・6人の教職員が来られたので、みなさんにこの1年間の「読み聞かせ」についてのご意見・ご感想を述べていただき、こちらからもいろいろとお話させていただいた。
その後、図書担当の教員と私たちだけで来年度に向けての取り組みについてあれこれ話し合った。図書担当の教員はとてもいい方で、こちらからのいくつかの提案を積極的に取り入れてくれる意向を示し、彼の方からの思いもかけない提案もあった。

ともかく、女房どのも私も公私共に忙しい。しかし、それは充実していることの現れである。多分、私たち夫婦の世代にとって最も輝いている時なのだろうと思う。そのことをよくよく自覚し、しっかりと喜びを噛み締めながら日々をいとおしみたい。
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礼節

2008年03月24日 | 私塾
総会の前日、田淵さんが亡くなられた。小柄で愛らしいおばあちゃんだった。

総会を終え、後片付けをして帰宅したのが午後3時頃、遅い昼食をとりコタツで横になると、いつの間にか眠ってしまっていた。女房どのに声をかけられ目を覚ますと午後6時半、お通夜の開始時刻6時半をとうに過ぎていた。
翌日の告別式だけに出席しようかとも思ったが、思い直し喪服に着替え佐々メモリアルホールに出かけた。

式場でご遺族にお悔やみを述べ、故人と対面し、さて帰ろうとすると「先生!」と子供を抱いたご婦人に声をかけられた。声をかけられなければ気付かなかったが、真由美さんだ。中学生の3年間塾に通って来てくれた。聞けば29歳になるという。かれこれ15年前後の月日が流れていることになる。「こんばんは」隣に妹の裕子さんも現れた。彼女も6ヶ月の女の子のお母さんになっていた。
真由美さん・裕子さんが私の元に通ってきてくれている頃は田淵のおばあちゃんのことは知らなかった。彼女らが私の元を巣立ってしばらくして田淵のおばあちゃんとご縁ができた。町内会が異なっていたので結びつかなかったが、ご縁があったのだ。

きょう、正午から告別式に参列した際、裕子さんがご主人を紹介してくれた。明るく爽やかな印象の青年だった。
「いい人をお嫁さんにしたね」と言うと、彼は照れながらも「しっかりしています」と答えてくれた。
「これからもよろしくね」と言うと「こちらこそよろしくお願いします。きょうは有難うございましたと」返してくれた。
こちらは、裕子さんをよろしくお願いしますと言うつもりだったのだが…。でも、そんなことはどうでもよかった。ただ、礼儀正しい青年と言葉を交わせたことが妙に嬉しかった。
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手間隙【てまひま】をかける

2008年03月23日 | 町内会長
きょう、町内会の19年度の締めくくりである総会を開催した。

昨日の午前中に副会長さんと会計さんの協力を得、前日にようやく印刷し終えた総会資料の製本作業を済ませた。その作業が済むや否や、くるみさんの合格者登校に付き添い、帰宅したのが夕方6時半頃だった。
帰宅すると待ち構えていたかのように町内会の方がお見えになり、お話をうかがう。さらに翌日の総会のために生花を活けましょうかとの申し出をいただき、公民館へ出かけた。
花を活けていただいている間、公民館内の片付けをしていると、福岡からいったん帰宅した後、有紀さんを大村の友人宅まで送り届け、とんぼ返りで帰宅したばかりの女房どのから、町内会の方の訃報【ふほう】が入ったとのメールが届く。
すぐさま家に戻り、通夜・告別式等の日時を確認し、再び公民館に戻り、有線放送で案内をかけた。
こうして、ようやく我が家の玄関に戻れたのが午後7時半頃、翌日の準備が多少残っていたが総会は午後1時から、役員・班長の集合でも正午だ。残りの仕事は明朝やることにし、スイッチをオフモードに切り替えた。

そして今日。早朝4時半頃に起床、残っている仕事に取り組み始めた。結局、昼食をとる時間も惜しみ入念に準備をし、正午15分前に公民館へ向かった。
ぽつぽつと集まって来られる役員さん、班長さんと共に会場作りにかかる。12時半頃になり、玄関ホールに設けた受付所で班長さん方に受付る手順を説明する。
12時45分頃から役員と議長をお願いしている豊村さん、役員選考委員長の下利さんと進行の打ち合わせを行う。
やがて正午。出席者の人数と委任状の枚数の確認を副会長に頼む。結果、出席71名、委任状21通、総世帯116だから出席率61%、委任状を合わせると79%で総会は成立、審議等へと入っていった。

町内会総会は年に1度、みんなが集まり、その年度に集められた町内会費が総額いくらで、それがどのように使われたのか。また、どのような補助金・助成金が出ていて、それらはどのように使われているのか。また、どのような活動が町内会にとって必要、かつ重要なのか。そこからどのような町内会の在り方が望ましいのか、そのためには1人ひとりがどんなふうに在ればいいのか等々をじっくり語り合うべき場だと考えるが、これまで総意を得られていない。きょうも、影響力を持つ方が議事を速く進行するよう提言された。それが善意から出ているのが分かるだけに逆らうのは辛い。笑ってそれに沿った。少しずつ理解を求めていこう。

みなさん忙しいのは分かるし、面倒くさいのも分かる。私も同じだ。しかし、執行部はよくやっている。異議なし。あなたたちにお任せするといった、どこか、お上任せの、あなた任せの私たちの思考回路が今日の企業・役所のずさんで不正が横行する体質を作り上げてきているということを考えたい。
社会保険庁の問題、役所の裏金問題、政治化と企業の利権構造等々、それらを生み出したのは外でもない私たち自身なのだ。
私たちは自分のことばかり、自分の都合だけ、自分の利益だけを最優先して考え行動してきた。しかし、皮肉にもそれが私たち自身を苦しめる大本となっている。

それが工業製品であれ農産物であれ、手間隙をかけなければ良い物は出来上がらないだろう。人の育ちにも同じようなことがいえるかもしれない。
先日、ある方からこんな話をうかがった。その方はご子息が高校時代、毎日手作りの弁当を持たせたという。やがて彼は卒業、進学し今では社会人である。最近、そのご子息がブログを始めた。あるとき、その方は、ご子息が当時を振り返り、母親が毎日弁当を作ってくれたことをとても感謝している旨、ブログに記してあるのをご覧になり、あの頃、毎日欠かさず弁当を作るのは大変だったけれど、あぁよかったなと思ったというのだ。

一事が万事、よりよい社会をつくり上げていくためには手間隙かけることを惜しんではならないと思う。
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モクレンの花の咲く頃

2008年03月22日 | 家族
ともかく、福岡教育大学への進学を決めた有紀さんは受験の際、アパートの情報誌をたくさん抱えて帰って来た。
連日それを眺め、どこにするか女房どのと相談し、すでにめぼしをつけていた。ただ、正式に合格が決定しないことには行動に移せない。それがもどかしかったようだ。
昨日の合格発表を受け、2人は早速、今朝の始発で福岡へ直行した。

一方、きょうは、くるみさんの合格者登校日でもあった。
入学に際しての諸説明から制服の採寸、体操着や靴・鞄、教科書等物品の購入に私が付き添った。

有紀さんの新しい住まいは新築の6階建ての最上階、駅から2分、女性専用の日当たり良好なおしゃれなマンションで、オートロックに家電付きという。私の頃と比べれば、まさに隔世【かくせい】の感がする。

夜、研二くんから来週のことに関して電話があった。来週末は結納【ゆいのう】だ。

この日、くるみさんと共に愛車デリカで大村湾沿いの国道34号線を走ったが、車窓から見えるのどかな風景の中に、白いモクレンの花がひときわ印象深く眼に映った。
この春、我が家の3人の子供たちは、それぞれ新しい生活をスタートさせる。
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サクラ咲く

2008年03月21日 | 家族
町内会の総会を日曜日に控え、その資料の原稿が出来上がったのが昨日の朝方4時半過ぎだった。
町内会長職も3期目ということで高をくくっているところがある。と同時に会計さんが今年初めてで意思の疎通【そつう】が欠けているということもあった。
朝一番で原稿をコピーし、印刷に向かった。

ホッとするのも束【つか】の間、来週金曜日に開く地域デイサービスの案内をプリントし、それを社会福祉協議会でコピーし、町内会のご高齢者宅を回った。
1ヶ月に1度お会いする方もいる。上り込んであれこれお話をする方もいる。時間がかかる。しかし、その手間隙【てまひま】を惜しんではならないと思っている。
7軒目、金子さんの所で長居した。4時半前、夕方の小学生の授業時間が迫り急いで帰宅。

この日は福教大の合格発表の日、大学のホームページでの発表は夕方5時半頃ということで、授業の合間を縫い5時半ちょうどにホームページを開く。
合格だ。2階に上がり、本を読んでいた有紀さんに「おめでとう」と言って握手を求める。「合格してた?」と言う有紀さんを誘い、階下のパソコンへ導き、モニターを見せる。「あ、あるね」有紀さんらしい反応だ。後ろのソファーでケータイをいじっているくるみさんが小さく拍手のまねをしていた。
その時、電話の呼び出し音が鳴った。女房どのからだ。「どうだった?」と女房どの「サクラが咲いたよ」と私。受話器の向こうから安堵の声が響いた。

有紀さん、合格おめでとう。
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公立高校合格発表

2008年03月20日 | 私塾
昨日、県下の公立高校で合格発表が行われたが、塾生たちは見事に全員合格を果たした。

みんな、合格おめでとう   

  バスを待ち大路の春をうたがわず  

石田波郷【いしだはきょう】の句だ。
志望校に合格した。たった今、合格発表を見てきたばかりだ。家に帰って合格したよってお母さんに言ったら、きっと喜んでくれるだろうな。仕事から帰って来たお父さんは何て言うだろうか。弟と妹も喜ぶだろうななどと思いながら、大きく息を吸い込んだら春の匂いがした。
ここしばらく季節を感じることがなかったけれど、バス停でバスを待つ間、周囲を見渡してみると、並木や家並みにやわらかな春の光が降り注いでいた。春なんだなぁ。
さぁ~、高校に入学したら勉強や部活に頑張るぞぉ。

この句は1933年、破郷が20歳のときの作だ。その前の年に破郷は句作を志し上京している。四国・松山からやってきたみずみずしい感性を備えた若者にとって大都会・東京は見るもの聞くものすべてが刺激的であり、すでに水原秋桜子主宰の『馬酔木(あしび)』に投句を始め、周囲の注目を浴び始めていた波郷にとって前途は洋々たるものに感じられていたに違いない。

  バスを待ち大路の春をうたがわず

輝かしい未来を露とも疑うことのない若者の姿がまぶしい。
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憎しみと暴力の連鎖を断ち切ろう

2008年03月20日 | 暮らし
土下座し「お子さん奪った」=畠山被告、判決に表情変えず-顔覆う遺族・秋田地裁(時事通信) - goo ニュース

この件に関し、朝のテレビのニュースショーのコメンテーターたちは一様に、なぜ死刑ではないのか納得できないと息巻いていた。

一方、東京渋谷のマンションで夫を殺害し遺体をバラバラにしたとして、殺人などの罪に問われている三橋歌織被告の公判が10日に行われ、検察・弁護側それぞれの請求に基づき精神鑑定をした医師2人が、殺害時の被告の責任能力について、いずれも「心神喪失の状態にあった」との認識を示したと伝えられた。

畠山被告と三橋歌織被告、この2人に共通する事柄がある。それは、幼児期に父親から暴力を振るわれていたという点だ。
三橋歌織被告は夫にまでひどい暴力を受けていたことが明らかとなっている。

今月14日の長崎新聞に、昨年1年間に被害が届けられるなどして全国の警察が認知したDV【ドメスティックバイオレンス】(女性が、夫や恋人など身近な立場の男性から受ける様々な暴力行為)が前の年に比べ15,1%増の20,992件と過去最高を記録したことが報じてあった。男性が被害を訴えたのもあったが、被害者の98,6%は女性だ。乳幼児の虐待は毎日のように報じられている。

今朝の地元紙では、上記のニュースよりも長崎市長射殺事件の論告求刑で検察が死刑を求刑したことを大きく取り上げていたが、ここでも前市長の2女の「どうか死刑に」という言葉が大きな見出しになっている。
しかし、公判すべてを傍聴したという長女は「なぜ」という遺族が一番知りたいことを法定で見つけることはできなかった。正直、これで終わりなのかという空虚な気持ちと心境を語ったという。

殺人を犯した者をただ死刑にするだけでは、いかなる被害者の魂も慰められないだろうし、いかなる遺族の心も癒されることはないだろう。
憎しみは新たな憎しみを生み、それを増幅させるだけであり、暴力は暴力を生み、それを増幅させるだけだということを私たちは強く心に刻みたい。

私は他者を憎まない。
私は他者に暴力をふるわない。
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校歌

2008年03月19日 | 学校教育
県内の公立小学校で今日、卒業式が行われた。
女房どのは勤務する小学校で私は地元の小学校で、晴れやかな表情の子供たちの門出を祝った。

式の途中、卒業生を含め具合が悪くなってしゃがみこむ子供、倒れる子供が相次いだのが気になった。

式の最後は校歌斉唱だ。
我が家の子供たちは3人ともそれぞれ6年間、この口石小学校に学んだ。女房どのもかつて5年間、ここで教鞭【きょうべん】をとった。
子供たちも女房どのも、よく校歌を口ずさんでいた。
私はこの小学校の卒業生ではないが、家族が校歌を歌うのを聞いて自然とそのメロディーを覚えた。
間もなく民生児童委員の役割を担うようになり、入学式・卒業式にお招きをいただくようになり校歌斉唱に加わることになった。

 ♪文化日本の西の果て
  九十九島の海青く
  光はかおる口石校
  ああほがらかに手をとって
  われら正しく進もうよ

歌っているうちに涙があふれてきそうでならなかった。
毎年のことであるが校歌を歌う段になると何故か涙がこみ上げてくる。
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