喜びとさびしさ混じる卒業の日
峰野くるみ
学校で詠んだのでしょう。今朝、食卓の上で見つけました。
2005年3月7日(月)記
次第に我が家の3人の娘たちの卒業式や入学式等の日にちが明らかになってきていますが、懸念していたことが起きています。
先ず、くるみさんの卒業式の日と有紀さんの合格者登校日が重なってしまいました。
さらに、入学式が同じ日に行われることがわかりました。
私にとっては当たり前のことでしたが、私はこれまで、我が家の長女である絵理子さんが保育園に入ってからこの方、3人の娘たちのすべての入園(学)式、卒園(業)式に参列してきました。
それが今回、初めてかなわなくなります。
でも、今度ばかりは仕方ありません。それぞれ親子でペアを組んでの参列となります。
2005年3月6日(土)記
昨日は3月3日のひな祭りの日、我が家は、裕理子さんも含め4人も娘がいるのにお雛様を出していませんでした。お雛様を飾るのは私の担当です。
この日、あれやこれと片付けなければならない仕事の合間を縫って、昨年末以来、体調を崩している母親の所を訪れ、昼食を共にとりました。
かねてより健康に気をつけている母ですが、食欲がなく体重が35kgまで落ち、死が目の前にちらついたと言います。
しかし、徐々に回復傾向にあるようで、この日のおしゃべり具合では、もう心配要らないようでした。
母親宅で2時間ほど費やして帰宅、掃除を終えたのが6時頃、相次いでくるみさん、有紀さんが帰宅、しばらくして女房どのが帰ってきました。
我が家には数組のお雛様があります。廊下の壁に1つ、女房どのが飾っていましたが、私は大慌てで、すぐに取り出せるお雛様を引っ張り出してくると、食卓の上には、お鮨屋さんから届いた散らし鮨が乗っていました。
さすがに女房どのです。心を亡くしていたのは、やはり私だけでした。
と、その時、有紀さんのボーイフレンドのO君から、お客さんからいただいたケーキをあげたいのだがというメールが入りました。
O君のお宅は自動車の修理工場を営んでおられます。それから、有紀さんは女房どのの携帯を利用しているのです。
すぐに、今度は携帯電話が鳴って、すでにO君は我が家の玄関の前にケーキを持って立っていました。お母さまと一緒に車で来たようで、女房どのがお礼を申し上げに出ました。
もちろん、姉のボーイフレンドと、そのお母さんに興味津々のくるみさんもくっついて。
O君と、そのご家族のお陰で、我が家は豪勢なひな祭りとなりました。
ところで、女房どのが求めてきたケーキと、O君宅からいただいた大きなケーキ、とてもとても我が家だけで平らげることはできません。
そこで、O君宅からいただいたケーキの半分は女房どのの勤務先に今朝、向かいました。
ケーキを作られた方は、そのケーキが巡り巡って、江迎小学校の職員のみなさんの今日のおやつになるとは思ってもいないことでしょう。
たくさんの人を仕合せにしたケーキを作られた方、ご馳走さまでした。ありがとうございました。
2005年3月4日(金)記
女房どのの携帯電話に、絵理子さんから久しぶりにメールが届きました。
先週、東京での研修に参加して来たそうです。そして、いよいよ今週末には勤務地が決定するとのこと。
「ドキドキしている」とありました。
また、絵理子さんの新たな船出が訪れようとしています。
2005年2月18日(金)記
「つづく」から早くも1週間が経とうとしています。日々が「スーホの白い馬」のように駆け抜けていきます。心して1日1日を大切に生きなければなりません。
さて、1月5日が有紀さんの誕生日です。
1月6日、O君は有紀さんへの誕生日のプレゼントを抱えて我が家を訪ねて来てくれました。
「おじゃましています」「ようこそ」そんな言葉を交わしたでしょうか、私は、そのとき初めてO君と顔を合わせました。
O君は、いがぐり頭で瞳が大きく、柔和な表情をしていました。
くるみさんもそうですが、有紀さんは、土日にどこかに遊びに行くなどということがほとんどありません。「付き合っている」といっても、どんな付き合いをしているのだろうと思って訊いたことがあります。
有紀さんの話では放課後に話したり、学校の帰りに手をつないだりするんだそうです。
なんと微笑ましいことでしょう。
有紀さんは、O君からのプレゼントの1つであるマグカップで毎日、牛乳を飲んでいます。
つづく
2005年2月18日(金)記
有紀さんにも、家族公認のボーイフレンドがいます。クラスメート公認でもあるようです。
そのボーイフレンドのO君とは3年生になって同じクラスになりました。
O君のことを私が知ったのは昨年の11月です。
11月のある日、有紀さんのクラスでは席替えが行われました。
ところが、その日の昼食時、一人ぼっちで食事をする女の子が2人、男の子が1人いました。
いつも、席の近くの者同士で数人固まって食事をとるのですが、席替えのため孤立する子が出たのです。
その状況をまずいと思ったO君は「先生は当てにならないけん(から)、自分たちで解決しようよ」と有紀さんに声をかけてきました。
有紀さんもO君と同じ気持ちでいました。早速、周りの友達にも声をかけ、一人ぼっちで食べていた2人の女の子を招き寄せました。
O君も、同様に一人ぼっちの男の子を仲間のところに呼んで一緒に食べたのでした。
クラスメートの思いやりがよほど嬉しかったのでしょう、女の子の1人は涙を流していたといいます。
その話を聞いたとき、2人はまだ仲の良い友人だったそうですが、やがて、お互いの友人を通して、お互いが好意を持っていることを確認していきました。
そして、クリスマス・イブの日に特別な存在となったのです(このことは、先ほどくるみさんが教えてくれました「ロマンチックやろ~」と。)
なんと素敵な少年でしょう。
つづく
2005年2月12日(土)記
2月中旬頃までには絵理子さんの勤務地が決まると聞いています。もうそろそろでしょうか。
有紀さん、くるみさんがこの春から家を出ることになりますが、入れ替わって絵理子さんが帰ってくるかもしれません。
勤務地は、九州地方の中心・福岡市か、現在住んでいる山口市か、実家のある長崎県の佐世保市か長崎市のうちのいずれかだそうです。
さて、新社会人の第1歩を絵理子さんは何処で踏み出すのでしょう。
2005年2月11日(金)記
きょうは、くるみさんの授業参観の日です。
これが小学校最後の授業参観日らしいのですが、午後から保護司会の研修が入っていて残念ながら参観できません。
そんなわけで「ごめんねぇ~」と言うと、「お父さん、よかったね」と、くるみさん。
今回は音楽の授業で、なんでも、先生はお母さん方にも低音と高音に分かれてもらって合唱に参加してもらうと言っていたというのです。
「うわぁ~、かんべんしてよ。よかったぁ~」と私。「そうさ、家に帰ったら親子で合唱できるからって言よらすとよ」と、あきれた顔のくるみさんでした。
2005年2月9日(水)記
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千間丸 2005/01/30/20:23:28 No.305 |
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峰野裕二郎 2005/01/31/18:56:25 No.306 |
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sato tomonori [E-Mail] 2005/02/01/15:03:40 No.307 |
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