町内会の文化祭も無事終わり、後片付けを済ませた後、くるみさんを連れて渡辺さんという方のお宅に遊びに行きました。
渡辺さんは78歳におなりです。2年前、長いこと闘病生活をされていた奥さまを失われました。現在はお一人で暮らしておられます。
渡辺さんは戦前からこの土地に住んでおられ、このあたりの古いことをよくご存知です。まさに生き字引といったお方です。機会あるごとに、宝物のようなお話をいろいろ伺っています。
先日の地域デイサービスの折、渡辺さんがメジロ籠(かご)を作っておられたことを伺い、一度見せていただくようにお願いしていました。
籠は、10年ほど前に目を悪くされてからは作っておられず、また、作られた籠は欲しいという方にあげていたのであまり残っていないということでしたが、それでも10個ほどのさまざまな形をしたメジロ籠とウグイス籠を拝見することができました。
全て渡辺さんのオリジナルの作品ですから、どれもが初めて目にするものばかりです。いたるところに渡辺さんの創意工夫が凝(こ)らされ、目に見えないところまでこだわった仕事がしてありました。
材料には破竹(はちく)が使われているそうです。それを苛性ソーダで煮ると、いつまでも色が黒くならないし、腐らないそうです。そのような材料の加工精製から創作の過程までお話を伺っているうちに、もうすっかり嬉しくなってしまいました。
このところ歴史が面白いと日曜日になると図書館に通うくるみさんも、熱心に聞いていました。
道具も見せていただきました。渡辺さんは、誰か希望する人がいれば譲るおつもりで道具を保管しておられます。子供たちの中にも希望する者がいれば譲りたいとおっしゃいます。ただ、手取り足取り教えるようなお気持ちは、さらさらおありでない。よく解かります。
渡辺さんは長年、バスの運転手として勤め上げられました。退職された後、何か目立ってことをなされたわけではありません。しかし、見事な生き方をされておられます。
メジロ籠の材料の竹を取るために山に入るに際しても、いちいち許可をとられたそうです。当然のことですが、なかなかできないことだと思います。
メジロ籠をお譲りなさるにしても、お金では決して譲っていらっしゃいません。
また、長いこと入院生活を余儀なくされた奥さまの元へ、お亡くなりになるまで毎日、1日に1回は必ずお通いでした。
お二人の男のお子さんもきちんと育て上げておられます。奥さまが亡くなられた後、ご長男がご自分のところに来るよう盛んに勧められたそうですが、体が動くうちはとお一人暮らしを選ばれました。
過日の敬老の日も、町主催の形式的な敬老会には参加されませんでした。その日をはさんで、お子さんが敬老の日を祝して1泊旅行にご招待されたのです。
さらに特筆すべきは、ご近所に家族のように接しておられるご家庭がおありです。夕食のおかずをよく届けて下さいます。朝、奥さんがパートに出られる前に渡辺さんのお宅を覗かれます。時には子供たちが「おじいちゃん!」と言って上がりこんできます。
お話をよくよく伺ってみると、渡辺さんは、そのお宅に毎月1万円お渡ししておられます。食費ということではなく、あくまで渡辺さんのお気持ちとしてです。それを公にしておられません。先方を思いやってのことです。
渡辺さんは、社会福祉協議会や民生児童委員が推し進めている「ご高齢者のネットワーク」をご自身でちゃんと作っておられるのです。
渡辺さんのように市井にあって見事な生き方をなさっておられる方がいます。金や地位や名誉にサッパリして鮮やかに身を処しておられます。
この日の帰り際、渡辺さんが、もしよかったらこの籠を持っていかれませんかと写真の籠を指されました。人様にあげられるのはこれくらいと差し出されたのは6角形の籠でした。
斜めに穴を開けるのが難しく、上半分は6角形にできなかったという逸品(いっぴん)です。
工芸品というに相応しいメジロ籠、有り難くいただくことにしました。
いったん家に帰り、秋を探しにくるみさんと散歩に出かけました。
2004年10月25日(月)記