峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

学校の暗部

2009年06月03日 | 学校教育
きょうの長崎新聞「19時間拘束し暴力・生徒の父、担任ら告訴」との見出しが目に留まった。

県内の私立中2年の男子生徒(13)が担任教諭と学年主任から「取調べ」と称し、約19時間拘束され、暴力をふるわれたとして、生徒の父親が県警に告訴状を提出したとある。
告訴状によると、同級生の持ち物を盗んだとして、寮内の一室で男子生徒を拘束し、暴力をふるい、盗んだことを認めさせる内容の署名を強要したという。
生徒は首に2週間の負傷、精神的ショックも大きいそうだ。

5月23日から24日にかけてとあるから、可哀想に夜を徹して自白を迫られたのだろう。まだ、年端【としは】もいかない13歳の子供を、大の大人2人が監禁して自白を強要し、暴力をふるい続けた。

それが学校の寮で、子供の安全を守る立場の教諭によって行われた。
昨年7月には担任に顔を殴られ、左耳の鼓膜が破れるという大怪我を負っていたともいう。

何があったとしても暴力はいけない。それに反対の立場をとる者は北朝鮮を非難する資格はない。
学校の教諭によって傷つけられた少年の胸の内を思うとあまりにも悲しい。

今回、保護者が告訴に踏み切ったことで事実が明るみ出たが、教師による生徒への暴力は相変わらず横行している。
黙っているのは、それを容認することと同じだ。それが暴力の再生産につながっている。
戦争と同様、体罰という暴力も許されるはずがない。
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過重労働

2009年05月26日 | 学校教育
日本のあちらこちらで小中学校の先生による家庭訪問が始まっていることだろう。
女房どのは、昨日から始めているそうだ。

それにしても学校の先生の仕事も大変だ。
女房どのの場合、7時に家を出る。学校の勤務は7時20分から17時20分までだそうだ。ほぼ10時間学校いる。
18時に帰宅した後、家事をこなし、入浴、夕食を済ませた後、答案の採点や学級通信作りにほぼ3時間費やしている。

家庭訪問が始まった昨日・今日、勤務は19時までになるという。帰宅は19時半を過ぎている。
今夜、塾の授業が済み居間に下りると、着替えもしないで答案に丸をつけていた。

昨夜は、仕事の合間に横になったりするなど、相当疲れている様子だったので、仕事が済んだのを見計らい、マッサージしてやった。
マッサージの途中から寝入っていたようだが、終わったよと言うと、やおら立ち上がり、まるで酔っ払いのようにふらふらしなが「おやすみ~」と寝室へ向かった。

現在22時40分、背後で女房どのはまだ、答案の採点を行っている。これは、もう大変どころの話ではない。明らかに度を超えている。
女房どのは、私だけじゃないからね。みんな頑張っているからというが、教員の個人の頑張りに任せていいという問題ではない。

ここしばらく、マッサージを続けねばなるまい。

61,4-16,5
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DV・児童虐待・体罰

2009年04月30日 | 学校教育
小2児童の胸元つかみ叱責 最高裁「体罰に当たらぬ」(産経新聞) - goo ニュース

兵庫県小野市で、自宅の冷蔵庫に幼児の遺体を隠していたとして、33歳と34歳の夫婦が逮捕されたと今日の新聞が伝えている。警察は、両容疑者が日常的に子供を虐待していた疑いがあるとみて死亡した経緯を調べているという。

内閣府が先ごろ発表した「男女間における暴力に関する調査」で、妻の3人に1人が夫からDV【ドメスティック・バイオレンス】の被害を受けた経験があることが明らかになった。
そのうち3分の1は身体的または精神的に傷つけられ、13%以上が「命の危険を感じたことがある」という。

また、児童虐待も深刻な状況にある。昨年度の内閣府の青少年白書によると、平成19年度の児童虐待相談件数は40,639件で、統計開始の平成2年度と比較すると約40倍も増加している。
また、警察庁によると、平成20年に児童虐待で検挙された加害者で最も多いのが実母の95人で、実父、養父・継父と続く。児童虐待の加害者で実母の数が最も多いのはDVと無関係ではないだろう。

虐待を受けた児童の後年の犯罪率が、平均よりも極めて高いことや、虐待を受けた児童がその後、家庭を設けたとき、自らの子供に対して虐待行為に及ぶ率が極めて高いということが分かっている。
つまり、暴力によって問題を解決することを学んだ者は、暴力で問題の解決を図る傾向にあるのだ。

しばしば、児童虐待の容疑者が「躾【しつけ】のために殴った」と供述していると伝えられるが、日本では近年まで肉体的苦痛を与えることが教育的手段として有効だと考えられていた。いや、現代においてもそう信じて疑わない保護者や教員は決して少なくない。
実際、先日もある塾生の父親に「殴ってでも蹴ってでもいいですから」と言われた。

さて、学校教育法は体罰を禁じているが、どのような行為が体罰にあたるかの具体的な例示はない。そこで、文科省では、とりあえず肉体的苦痛を与えるものでない限り、放課後の居残り指導や授業中の教室内での起立命令は体罰としないとしている。

報道は「小学2年生の児童の胸元を右手でつかみ、壁に押し当て大声で「もうすんなよ」としかる行為を体罰にあたらないとした28日の最高裁判決は、教員が萎縮するあまり、厳しい生徒指導をためらう教育現場の実情に配慮した判断といえる」と、相変わらずもっともらしいことを言っているが、笑止千万だ。私の知る限り、何のためらいもなく日常的に殴ったり蹴ったりしている教員は少なからずいる。

一審の判決は「個人的な腹立たしい感情をぶつけたもので、教育的指導の範囲を逸脱し、体罰に当たる」と判断。少年側が主張していた心的外傷後ストレス障害との因果関係も認めた。
二審判決も「少年が受けた恐怖は相当で、胸元をつかむ必要もなく、体罰」としていた。
それらをひっくり返した最高裁の責任は重い。

北朝鮮のミサイル問題に関し、あの中川前財務相が核武装の議論の必要性があると物騒な発言をしているが、マスメディアを始め世論の反応は何となく肯定的にうつる。
今回の最高裁の判断は、社会が暴力を容認する方向の流れに乗るものだ。いつか来た道を進みかねない時代の空気を恐れ危ぶむ。
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文科省と学校教育とサッカー

2009年04月15日 | 学校教育
先ごろ文科省は、学校裏サイト等で特定の児童生徒に対する誹謗中傷が行われるなど「ネット上のいじめ」という新しい形のいじめの問題が生じていること。また、児童生徒が、いわゆる出会い系サイト等のインターネット上の有害な情報に携帯電話からアクセスし、犯罪に巻き込まれる事件が相次いでいることを理由に、小中学生の学校への携帯電話の持ち込みについて、原則禁止とするよう全国の小中学校に通達した。
ちなみに、文科省が昨年末行った調査によると、携帯電話を持っている子供の割合は、小学6年生で24.7%、中学2年生で45.9%、高校2年生では95.9%に達している。

そんな中、高知市の私立高知中央高校では「生徒の大半が持っているのに、使い方を教えずに禁止するのは教育の放棄」と全面禁止から一転して積極活用を決めたという新聞記事が目に留まった。
国語の授業では辞書機能で漢字や熟語の意味調べに活用し、数学の授業では電卓機能で計算をしている。その他、歴史上の人物の系譜を検索する授業を予定しているという。

生徒からは「部活動の連絡が便利になった」「休み時間にメールがチェックできるようになり、授業と休憩のメリハリがついた」「授業がどうなるか楽しみ。自由に使える分、使い方が試されている気がする」といった声が上がっているそうだ。

問題があるからと有無を言わせず禁止する。見つけたら取り上げるといった旧態依然とした文科省や学校の在り方が、私たちの国に生きる者の主体性を殺【そ】いでいる。
ワールドクラスの「ベースボール」ではなく「野球」では頂点に立てたが、サッカーで勝てない、点が取れない訳もそこにある。

63,6-18,2
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異変

2009年03月18日 | 学校教育
きょうは、口石小学校の卒業式に参列してきた。

口石小は町内に2つある小学校のうちの1つで、私の住む町内会の子供たちが通う学校だ。
この日、男子58名・女子40名、計98名の児童が卒業していった。

受付で手渡された「卒業のしおり」を開くと卒業生の氏名がクラス毎に記されている。それが男女混合の五十音順になっているのに気付いたある方が、いささか驚いたように訊ねた。
口石小学校では数年前から現行のようになった。式場における席順も男女混合だ。
どういうわけか、幼稚園で男女別なのが小学校に入ると男女混合、そして中学校では再び男女別となる。

それはさておき、小学校でも3名の卒業生が欠席していた。ただし、担任が児童の名前を呼んだ後に「欠席です」と添えた。
帰宅した女房どのにそのことを話すと、インフルエンザだろうということだった。女房どのの勤める学校でもインフルエンザが猛威をふるっているようで、帰宅後すぐに、インフルエンザのため欠席しているクラスの子供たちの家に電話をかけていた。

卒業式の途中、体調に異変をおこす卒業生が数名いた。
私の席から比較的近いところに座っていた男の子が、急にビクーン・ビクーンと全身を痙攣【けいれん】させたのには驚いた。
町長祝辞の際、町長自らが子供の異変に気付き、祝辞を中断して職員に知らせるというような場面もあった。
校長始め、職員のみなさんは始終、子供たちの様子を気にかけきょろきょろするばかりで、厳かな式典の雰囲気に浸るどころではない様子だった。

ことはインフルエンザによるものとばかりは言えない、何か表面上だけの異変だけではない何かが起っているように感じられた。

きょうを含め、続けて幼稚園・小学校・中学校と卒園・卒業式に参列してきた。
そうして真っ先に思うのは、幼稚園の子供たちの身体が一番しっかりしていた点だ。
小・中学校に比べ式の時間が30分短かったが、それでも1時間ほど園長の式辞・教育委員会の告示・町長の祝辞にじっと聞き入っていた。第一、欠席者がいなかった。

そのような健康な子供たちが、小学・中学と進むにつれ心身に変調を来たす。どこかで、だれかが、そうさせてしまっているのだ。
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光と影

2009年03月17日 | 学校教育
きょうは、佐々中学校の卒業式に参列した。

卒業生は男子74名、女子64名の計138名。
担任の先生に名前を呼ばれた卒業生は、一様に大きな声で返事をし、校長先生の前まで進み出ると深々と頭を下げ、卒業証書を受け取った。

授業参観や卒業式で見る限り、数年前から中学生が、すっかりおとなしくなった。男の子も女の子も、見るからに不良を気取っている子がいなくなった。
それでは、みんな「真面目」になり、学校が荒れていないかというと、決してそうではない。塾で、子供たちの声を聞く限り、問題は何一つ解決されてはいないようだ。むしろ、それらを覆い隠そうとするからか、問題の根は地中に深く増長しているように思われる。

かつては、卒業式で名前を呼ばれても返事をしない生徒、お辞儀をしないで卒業証書を受け取る生徒などがいた。授業を抜け出したり、学校をサボったりする生徒もいた。
しかし、そんなやんちゃな子供でも、卒業式には出た。

この日、6名の卒業生が卒業式に出席していなかった。
校長始め、だれ1人として欠席している6人の生徒のことには触れなかった。
学校長式辞、教育委員会告示、町長祝辞、次々と学び舎を巣立ち行く生徒たちの洋々たる前途を祝し、輝かしい未来を称えた。

人生の中で、数度しか味わうことのできないそのような晴れがましい場に出ることを拒む、どんな理由がその6人の子供たちにあるのだろうか。
私は、まばゆい春の光が降り注ぐ式場で彼ら6人のことを思っていた。

おとなしくなった中学生を、彼らをそうさせてしまった社会を危ぶむ。
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反乱の兆し

2009年03月15日 | 学校教育
10・11日と長崎県内では公立高校の入試が行われた。

県教委が発表している全日制の最終志願状況をみると、募集定員10,800人に対して推薦入学の内定者数が2,619人で、これは募集定員の約24%にあたる。
残りの学力定員8,181人に対しての志願者数は9,322人で1,14という倍率だった。

そんな中、県立佐世保北高校の倍率が0,9倍で初めて定員割れしたと11日の地元紙に載った。

佐世保北高校は、エリート養成機関としての公立中高一貫教育校を各県の主要都市に設置する政府の政策により、平成16年に県内初の中高一貫校として県立長崎東高校と共にスタートした学校だ。
報道によると、推薦入学内定者と併設の佐世保北中からの進学者を除く定員91人に対し、83人の受験者しかいなかったという。

笛吹けども踊らずということだ。
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深くて暗い川

2009年03月13日 | 学校教育
水曜日の午後1時半から、月に1度の佐々町民生児童委員協議会定例会に出席した。

年度末になると研修会やら講演会やらが増える。そこここで道路の舗装工事が見られるようになるのと同様、新年度の予算をにらんでのことだろう。
その中の1つ、不登校の子供たちについて考える会に出席した主任児童委員から報告があった。不登校の子供を持つ親の会の主催で、専門家を招いての講演会だったようだ。不登校の子供の理解の仕方とか、向き合い方などについて考えさせられたという内容だった。

このように、不登校の子供たちを持つ親を中心に、彼らに対する理解が進み、彼らが安心して過ごせる場所も徐々にだができ始めた。

学校は、どうだろう。
少なくとも、私の知っている学校は冷たい。

不登校の子供たちを、怠学(勉強を怠【なま】けて学校に行かないこと)と切り捨てる。
不登校の子供たちの親を、親が子供を学校に行かせない。義務教育違反だと切り捨てる。

両者の間には、深く暗い大きな溝がある。

そういえば、かつて、野坂昭如さんは『黒の舟歌』で「男と女の間には深くて暗い川がある」と歌っていたっけ。
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教えられたとおりに

2008年11月01日 | 学校教育
清峰高校野球部の前監督が生徒に体罰を加えた事件について、県教委は前監督を文書訓告にしていたと今日の地元紙が伝えた。
体罰発覚後、前監督は解任され、その前の監督だった吉田さんが再び監督に就くというおかしな事態となっている。

そもそも、県内でもまったく名前の通っていなかった県立の高校野球部を短期間で全国レベルの強豪校にまで引き上げたあの吉田さんの突然の監督引退声明が不可思議だった。

今回の処分について県教委は「体罰の程度や過去の事例を勘案し、処分が経歴に記される懲戒処分ではなく、文書で指導する訓告が適当と判断した」としている。

橋下大阪府知事が府民との教育問題討論会で体罰容認ととれる旨の発言をしたが、世間にはそれを咎【とが】める空気はない。マスメディアさえもだ。驚くことに、むしろ彼の株は上がっているという。

街頭でインタビューに答えるおじさんたちは異口同音にやはり体罰を礼賛【らいさん】していた。
「殴られて良かった」などという趣味を私は持ち合わせていないので、その気持ちがまったく分からない。

ただ、人は教えられたように教えると聞く。とすれば、殴られて育った子供は長じて子供を殴る親・指導者になるということだ。

「さわやか野球」にしばし酔ったが、その酔いから醒めかけている。
私は、やはり少数派だ。
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指導者の責任

2008年10月30日 | 学校教育
清峰高校野球部が九州地区の秋季大会で優勝した。
地元紙は、これで来季の春の選抜出場が確実になったと伝えているが、監督が生徒に暴力をふるった事件は問題にならないのだろうか。

事件は秋季大会中に明るみに出、監督は謹慎を余儀なくされた。大会途中から前監督の吉田監督が指揮を執ったそうだ。

手放しで喜ぶことができないでいる。

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