1月15日は、以前は成人の日だった。仕事始めもそうだが、昔は振袖で成人の人は仕事に行くことがあった。銀行の窓口などは、華やかだった。思い出せばいい時代だった。そして、小豆粥を食べる日。小正月といって、小豆粥を食べた。平安時代などの書物では「小豆粥は一年の邪気を払い、万病を除く」ということらしい。このコロナの時代、もう少し宣伝をするのだったと思う。81歳になる教会のお友達と陶芸の先生の奥さまにお汁粉を届けた。そう、昨日のお汁粉の写真は昨年の比叡山の延暦寺バス停のお店のもの。
なぜ、かゆに小豆なのかというと、「赤色」が東アジアでは「生命や炎を象徴する色であると共に、悪霊や不浄を祓う霊力を持つ色でもある」と言われていたらしい。そうか、それで赤のパンツなのか などと思い出した。いよいよ今年は邪気払いに赤いパンツでも履いてみるか。
前にも書いているが、志村ふくみさんの「朱を描きたければ朱を通らなくてはならない」という言葉だ。若い時は「燃えるものは燃えよ」とそのなかに飛び込んだのかもしれない。いまは、燠炭のように、わずかにそのほてりを残してしずかにうずくまっている。その穏やかのあたたかさをあいする。
はたして、遠い昔々のそれは本当に「朱」だったのだろうか。そのようなものは幻だったのようにも思える。でも、あの本物の真っ赤に燃える紅葉の朱は、いまは静かな燠となっている。
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