涼を求めて、高原にでも出かけたい。肌にまとわりつくような暑さで10分も歩くと汗が噴出してくる。買ったばかりのカメラが使いこなせるようにと鎌倉の寺撮影の練習に出かけた。おそらく、夏休みで混んでいるだろうとできるだけマイナーなところを選んだ。鎌倉は竹林の美しいという「報国寺」、北鎌倉の「浄智寺」を選んだ。28日はウイークデーだが、鎌倉駅は混雑していた。朝の10時なので報国寺はまだ人が少ない。竹林は本堂の裏にあった。草いきれのする夏の日の竹林はたしかに心が安らぐが、なにか京都の竹林のように自然ではない。自然の懐が浅いのだろうか。
北鎌倉の浄智寺も禅寺で裏に山を背負っているので緑が深い。人影が少なく、ほっとする。木陰が多いとはいえ暑い。これが夏の寺のよさのようにも思う。春や秋の寺は桜や紅葉が美しいが、じっと立ち止まる感じではない。暑くてもその暑さの中に身を置く。寒くてもその寒さの中に身を置いてこそ、見つめられる自分があるようにも思う。
自分のために時間もお金も使わなかった。そうしようとも思わず、ただ何かにしがみついていた。カメラを抱えて、散歩に出るなどまず無かった。そうすることが罪のようにも思っていた。特に結婚しているときは、夫に申し訳ない気がしていた。買い物も自分のものは、ほとんど買わなかった。働かせてもらっている と考えていたからかもしれない。
自由になった。自分で自分を縛っていた何かが解けた。解いてもらったような気もする。夏の寺で、吹き出る汗を拭きながら、心地よい静かな時間を過ごした。
北鎌倉の浄智寺も禅寺で裏に山を背負っているので緑が深い。人影が少なく、ほっとする。木陰が多いとはいえ暑い。これが夏の寺のよさのようにも思う。春や秋の寺は桜や紅葉が美しいが、じっと立ち止まる感じではない。暑くてもその暑さの中に身を置く。寒くてもその寒さの中に身を置いてこそ、見つめられる自分があるようにも思う。
自分のために時間もお金も使わなかった。そうしようとも思わず、ただ何かにしがみついていた。カメラを抱えて、散歩に出るなどまず無かった。そうすることが罪のようにも思っていた。特に結婚しているときは、夫に申し訳ない気がしていた。買い物も自分のものは、ほとんど買わなかった。働かせてもらっている と考えていたからかもしれない。
自由になった。自分で自分を縛っていた何かが解けた。解いてもらったような気もする。夏の寺で、吹き出る汗を拭きながら、心地よい静かな時間を過ごした。
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