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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ダイヤル回した手を止めた

2016-01-20 23:48:25 | 日記
 雪の降り方まで異常な気がする。しんしんと静かに降る雪はないのだろうか。

子供たちが、覚えることが苦手で困る。「覚えるだけでいいのだから・・・」と思うが、その作業ができない。学校で漢字テストなどしないからだろうか。考えを組み立てることも苦手だ。文章を読んで、分析し、思考を深める作業ができない。なんとも短絡的だ。解くということの面白さを味わうことがないからだろうか。デジタル化のせいか とも思う。最近、デジタルの時計をするようになった。何時何分が一目だわかる。アナログの時計は、文字盤の針を見てから判断する。電話番号も、スマホや携帯電話がなくなったら、電話できる所の方が少ない気がする。脳以外に記憶容量の多いものがあれば、そこに貯蔵されるようになる。40年以上前の大切だった人の電話番号は今も覚えている。特別な人だからだろうか。あれはダイヤルを回す手が覚えていたのではないかと思う。プッシュフォン以上に指が覚えていた。

漢字であれ英単語であれ、何回も書いて覚えた気がする。子どもたちは書くということをしなくなった。ますます、そうなるのだろう。私自身もそうだが、何かが失われている気がする。手の持つ大事な機能のような気もする。

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「しか」から「が」へ

2016-01-19 08:01:46 | 日記
 センター試験の時期、また雪が降った。受験が夏だとなにか間が抜ける気もする。寒い中だから気が引き締まるような気もする。受験生のあるお母さんが「私にはお金を準備することと食事を作ることしかできないので」と言われた。

 私が「祈る」ことしかできないと と思ったことがあった。大切なお友達から「がん」であることを聞いた時である。初めは動揺し、どうしてらいいものか悩んだ。結局、私は教会へ通いだした。親切な教会の方たちのおかげで、「祈り」続けることができた。そんな中で、あるシスターに出会い「祈ることしかできないのではない、祈ることができるのですよ」という言葉を頂いた。今思うと私の人生は、「しか」の人生だったような気がする。シスターの言葉を頂いてから、4年。○○ができる の人生になった。できることへの感謝ができた。

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春になれば

2016-01-16 18:10:57 | 日記
 センター試験の頃は雪が降ることが多い。今年は本当に暖かい。久ぶりに近くの総合公園まで歩く。早足で20分、少し汗ばむ。「梅は咲いたか?・・・」だが、しっかり咲いていた。今年は春が早い。「春になったら・・」別に何もない。夏になったら、別に変らない。秋でも、冬でも何もない気がする。特に希望も夢もないし、不安もない。ただ季節が移っていくだけ。時の流れの中で、季節を感じるものをみつけ、日々の暮らしを営んでいくだけ。暑い日は暑いように、心地よい日は心地よく、寒い日は寒いように、ただ生きていくだけ。肩の力が抜けてから、流れていくようになってしまった。

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とりあえず

2016-01-14 23:06:03 | 日記
 眉月がきれいだった。冴え渡った空に寒そうに輝いていた。さびしそうだよね。そんなとき、思い出したのが、DAIGOと北川景子の会見だった。「とりあえず俺の横にいてくれ」というDAIGOの言葉。いいなぁ あっさりそんなこと言えるなんて。若いころに言われたら、感動だ!今は??どんなに惚れた人の言葉でも、「ちょっと待って、その言葉、ちょっと待って」なのだろうな。うれしいけど、横でなくても大丈夫かもよ、たまに会えれば、なんて言いそうだ。本当はどうなのか?自分の心を見るのが怖い。とりあえず、とりあえず  ・・・・・・。

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父親という存在

2016-01-13 23:43:48 | 日記
 1日だけ冬のような日があった。暖かいのは体に楽だが、漁業には影響も出ているという。やはり、冬は寒い方がいい。春を待つ喜びがいいのだ。いよいよ中学受験があと20日を切った。12歳の子どもには酷な経験だ。机に向かっている時間が長く、腰が痛い首が痛いという。精神的にも不安定になる。家庭教師をしていると、どうしても家庭内の問題を感じないわけにはいかない。母親が必死になるのは仕方ないことだが、父親まで口を出すと子どもは萎縮する。無関心な父親も問題だが、口うるさいのは母親だけで十分だと 思う。考えてごらんなさい、中学受験の失敗が人生でどれだけ影響あるというのか ということを。父親は鷹揚に見守っていてほしいと思う。ここで終わりではなく先を見ていけるのは、父親であってほしい。自分が子供に残せるものは何なのか?自分で判断し、行動できる、そんなしっかりした背骨を子供に残せるのは父親の生き方のような気がする。そんなやりとりを見守れる母親も少なくなった気もする。

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