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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

けっこうやるじゃん 自分をほめた

2024-10-19 21:16:42 | 日記

今夜は町会4連合の人権学習会主催の「紫式部と近江」~平安時代の女性貴族の姿~という講演会が近くの集会所でありました。いかめしい名前の団体が主催のタイムリーな演題でした。時間の関係で女性の人権問題はごくさわりでしたが、NHKドラマと史実の違いのおもしろいお話でした。久しぶりに文化的な話を聞きました。コロナを挟んで、すっかり文化的なものから離れていたことに気が付きました。もっと知的な好奇心は強かったのに・・・。

学童クラブのミーティングで、子どもたちの支援員に対する暴言について話し合いました。「くそばばあ」「はげ」「うるさい!じじい」等々、支援員を傷つける暴言は日常茶飯事です。この子にとって私たちはどういう立場なのだろうか。

サブリーダーが言いました。「その暴言についてきちんと自分の意見を言いましたか?先生は。そのような立場ではないと抗議しましたか?」。ぐさっとむねに刺さりました。黙ってその暴言を許していました。それだけでな数々の抗議しなくてはならない時に(そうではありませんと)何も言わずに黙っていた過去の私が浮かび上がりました。大人同士問題なら特に争いたくない、自分が黙ればそれで何も問題にならないと、そう思ってきました。

なぜ、自分の正義を守らなかったのだろうか?争いになるのが嫌だった。私が悪いのだ。自分を卑下しすぎていたのだろう。自信がなかった。そうして、いつも逃げていて、本来の自分の姿を自分で下げていたような気がしました。

「君は何でもできる!」と元夫は嫉妬した。私はただ算数の問題が解けただけじゃない、と思っていた。そうじゃなかった。自慢話ではなく、私はいろいろチャレンジして人にできないようなことを成功させてきた。

講演会の帰り道、「かもめはかもめ」の私から、飛び立とうと思えました。自分を卑下していたら、大事なものをなくしてしまします。大事なものを自らの手で捨ててきたことに気が付きました。

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もしもピアノがひけたなら

2024-10-17 21:26:31 | 日記

今夜は虫の声がひと際大きいような気もします。西田敏行さんが76歳で天に召されました。さまざまな役を演じられた西田さんの表情が浮かんできます。

『もしも ピアノが弾けたなら 思いのすべてを歌にして きみに 伝えることだろう』この歌を思い出される方が多いと思います。口ずさみやすい歌詞でしたね。本当に小さな灯りを一つつけ きみに聴かせることだろう、ですね。彼のキャラクターで歌うからいいのでしょう。

夜道を自転車をこいで帰ると、金木犀のかおりがしてきます。秋ですね。いろいろなことを思い出してしまい、ちょっとおセンチになります。それが秋かもしれません。秋の始まりは、こひの始まりに似て、どことなく不安定で胸がチクチクします。木の葉が色づいて秋が深まると、こひも深まるように静かな情熱が沸き上がります。あいすることのよろこびとつらさが交差します。でも、燃える想いをこころにひめて人を想うには秋が一番です。

今夜はどんな歌を聞きましょうか。ビリージョエル? 偲びあうこいのうた?空気がひんやりとしてきました。風邪をひかれませんように。

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あなたと話したい秋

2024-10-16 20:49:25 | 日記

スマホやインターネットの環境を替えたら、IT音痴がさらにひどい感じで、恥ずかしい思いをしながらスマホのショップに通っています。なんとかわからないことが解決して、夕暮れのなかを自転車を飛ばします。(というほど速くはありません)

全景を撮れないのが残念なくらいの夕空でした。ああ、母がここにいたら・・・。と何かものを想う秋なのです。もっともっと一緒にいたかった。まだ遺骨があるので、毎朝話をしているのですが、遺骨があるとなおさらそう想うのでしょうか。きっと気が付かなかったけれども、いつも電話するときはいろいろ報告していたのだなぁと思うのでした。

季節はいつも間にか進んで金木犀の香りが夕暮れの町に漂っています。ああ、秋だ!近所のお友達も今月で越してします。やはりさみしい。今日は一緒にお昼を食べて、彼女のおいしいコーヒーを入れてもらいました。こんなにおいしいコーヒーはないなぁ。変に気取ることもなく色々話せたのに。

誰かに伝えたいこころがここにあります。純粋に読んでくださる何人かの読者に感謝です。

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人生はあまりにも短い 後悔

2024-10-14 20:33:05 | 日記

三連休も今日で終わり。予定の半分も仕事をせずにいました。ブログもそうですがものを書いたり編集したりすることにはエネルギーがないとできませんね。やや細身の私はまず体力がありません。運動も最近はお休み。少し筋トレをと思ってスクワットをすると、お尻の筋肉が痛くなる始末。暑い夏は歩かないで自転車でしたので、階段を上るのがきつくなるわけです。衰え行く美貌と(えっ!)体力を何とかしないといけません。

夜中に目が覚めると、しばらく起きていることがこの頃あります。少し本を読めば眠くなるので、そうすることが多いのですが、なにかやるせなくなるのです。「もう人生は残り少ない」と。ふと、思い出したフレーズがありました。

振り向けば人生はあまりにも短い・・・。ひさしぶりに聴いてみようかな。荒木一郎のCDを。CDなんて出すことも少なくなりましたね。「今日にさよなら」でした。

「そしてすべてが 終わる日もある 遠い記憶に ひたる日もある 振りむけば 人生は あまりにも短い

君は君の手で 何をつかむのだろう」

後悔!そうだ!後悔なのだ。引きずっている(いた)ものは後悔なのだろう。だから、その償いに生きていたのかもしれない。言えなかった一言。(いや、たくさん感謝の言葉)どうしても、自分のことをしなくてならなかった日々。いまなら捨てられたのに。言えたのに・・・。そんな後悔をしていたのだろう。

荒木一郎はおそらく20代後半か30代に歌を作ったのだろう。空に星があるように・・・。青春の歌でもあるようだけども、それは誰にもあるようないつでもあるようなことのようにも思うのです。

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どの出会いにも意味がある?

2024-10-13 20:58:10 | 日記

最高の秋晴れの日。ごミサに授かれました。日本では少ないクリスチャンです。地元長浜の教会は日本人の信徒さんが6名しかいないそうなので、4駅先の彦根の教会に通っています。

洗礼を受けたのが2012年の4月でしたから、12年になります。(プロフィールは変更していません)クリスチャンなるとは考えていませんでした。ただ、当時シニアサッカーでお世話になっている方が「がん」ということをお聞きして、できることは「祈ること」と考えて、選んだのがカトリック教会でした。どちらかと言えば、京都の寺院へ行くことが多かったのですから、不思議なことです。毎日曜日にわからないながらも、教会に通いました。あまりにも知識のないのが恥ずかしくて、本を購入したり、集まりに参加しました。集まりで1週間で心に残ったことを話したり、その週の聖書の一番気になったところを話したりすることでした。特に批評とかはなく、ただみんなで話すという感じでした。シスターのお話にはっとすることが多く、とてもよかったです。

そして、ただ流れに乗って深く考えることなく洗礼を受けました。シスターが「まだ半年です(教会に通って)が、大丈夫でしょう」と言われたこともあります。熱心な信者でもなく、日曜日はシニアサッカーの取材も多く、ごミサにはあまり授かれずにいました。幸い、最近はネットの配信もあるので、神父様のお説教を聞くことが出来きます。12年で、まぁ、なんとかバランスが取れたという感じです。

出逢いとは、わからないものですね。どれだけたくさんの方と出会って、どれだけ助けて頂いたかわかりません。どの出逢い意味があったように思います。それをあえて言えば「神のなせるわざ」と言うのでしょうか。

「がん」と言われた方はお元気に活躍されているようです。だまされたような気も致します。神は様々な技を使われるとお聞きしました。

彦名城は晴天の空にくっきりと。お堀もきれいでした。お堀の向かい側に教会があります。教会には大名屋敷だった名残があるのも「いとおかし」です。

 

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