gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ソウルメイト

2024-10-25 21:18:52 | 日記

日の落ちるのが早くなりましたね。夕方、外に出ると、暑くもなく寒くもなく本当に心地よい宵でした。ああ、こんな宵は、すてきな人と散歩できたらいいなぁとお婆さんは思うのでした。

久しぶりにネットで「ソウルメイト」の文字を見かけました。この頃、そんな言葉が出てくるなんて・・・。「魂の友」とか。私が初めてその言葉を聞いたのは「田上元と野上弥生子」の往復書簡集の話からです。野上弥生子が65歳から田辺元が亡くなる前年まで交わした書簡集で、高度で知的な愛情関係を持ち、親しく書簡を交わしたそうです。この二人の関係を「ソウルメイト」と紹介してありました。

そういえば、プラトンの愛について聞いたのは、高校時代の倫理社会の教師からでした。もともと、人間は球体であって、2つに分かれた半球を何年も何年もかけて別れた半球を探し求める。これが愛の起源だということでした。自分の裏側を探すというのか。ソウルメイトは、この話に近いかもしれません。

野上弥生子さんは東京に住む、田辺元さんは軽井沢に住んでいました。野上さんが田辺さんの影響を受けて哲学を学んでいったり、あるときは田辺さんの体を気遣って魚を送ったりして、交際していくのですね。なんでこの言葉(ソウルメイト)が、今頃出てきたのか?と思いました。

AIで自分の片割れのような人を探せるかもしれない時代に、前世からの縁とか、なんとなくおかしな感じです。でも、ひとには説明できない関係があると思います。それは異次元の関係なのかもしれませんね。

心地よい風を受けながら、今日はそんなロマンスに憧れました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この椅子は座り心地がいいのか?

2024-10-24 22:20:33 | 日記

朝5時起きをして、大阪堺のシニアサッカーの取材に出かけました。75歳以上の西日本のシニアのサッカー交流会です。いま、80代の皆さんの8割は存じ上げています。調度、皆さんが70代の時に、昔の国立競技場の70歳以上のシニアの大会でお会いしているのです。それからのお付合いですから10年以上になります。今日はコロナを挟んだために5年ぶりくらいにお会いした方いらっしゃいました。懐かしいお話に花が咲きました。そして、「また、来年!」と固い握手して別れます。固い握手の意味をお互いに語ることはありません。

時は流れて、もうこんなに時間が過ぎてしまった、と思うのです。今日、ネット上にあったお話です。働きすぎて頑張りすぎた人は、針が出ている椅子に座って生きていることに気が付かず、それを幸せな状態だと思ってしまうという話でした。その状態から、旅にでも出ておだやかな世界に身を置くと、本当の自分の心の平和が取り戻せるということでした。座り心地の悪い椅子に慣れてしまうことは怖いことですね。

ご近所のお友達が引っ越すので、そのあとに越しませんか?という話が出ていました。(なんと5軒ぐらい先)これから無理の効かなくなるわが身に、それができるのだろうか?(する必要があるか)と思いました。一番どうだったら、自分が居心地がいいのか?考えました。一番安心していられるのは?どんな椅子でも自分が座り心地のいい椅子に座ろうと思いました。これでいいのだと思える最期のイスに。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうがんばらなくていいよね

2024-10-23 20:57:18 | 日記

朝、外にでるともぁ~とします。家の中はひんやりですが、外は蒸し暑いです。大気も不安定なようです。珍しく夜中に目が覚めると眠れなくなりました。スマホ履歴を見ると、叔母は私のメールを読んでから、電話したと思いました。翌日の私が電話に出られなかったことから警察に電話になったようです。F子叔母のマンションの孤独死がトラウマなのか・・・。そんなことやらを考えるとつらかったです。諸々のことが私の物差しと相手の物差しが違っていたのでしょう。

午前中はあきらめてスマホとパソコンの課題に取り組みました。なんとかできた時はとてもうれしかったです。20年来お付き合いのあるO商会のIさんのフォローでできました。ちょっと冗談に、I氏への、メールの追伸に「もしかしたら、私は優秀だったかもしれないと思いました。笑い」と書きました「はい、間違いないです!!」のお返事。思わず笑いました。学童クラブへも何となくつらくいきました。ほかの支援員さんのリーダーやサブリーダーへの不満ばかりが並びます。でも、それでは何も改善しないのに、と複雑な気持ちでした。

でも、子どもたちが変わりました。手に負えないやんちゃな男の子が「ウノ」やろうと。???でした。体育館でSちゃんにフリスピーをやろうと20分以上特訓されました。おばあさんは横に飛べることはわかりました。けっこうやれる!笑。犬、猫、子どもにはやはりもてる。大笑。

迷っていました。引っ越しの話も出ていました。スクールガードの話もいくら言ってもきちんと時間を守れませんが、私がそこまで口を出さないくてもいいのではないかとか。もう大変な思いをしないで学童クラブと放送大学院の勉強で十分なのではないかと思いました。(もう、がんばらなくてもいいよ)と心の声がしました。もう、私のために生きてもいいよね。

争わない人生を生きること(人を許して生きること)で、神さまは許してくださると思えたのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日何も言えない

2024-10-22 20:55:36 | 日記

朝起きると何を着ていいのか考えます。温度計は20.5度。はて?洗濯物のアイロンがけが済んでいないので選択肢が少ないです。いけない、と思いながら「いいわ、スクールガードだから」と出かけます。おしゃれしても工事現場できるような黄緑色のベストを着なくてはなりませんから。(似合っているのですよ)

忙しいのは私のせい。ここ1週間ぐらいは、一昔前の忙しさです。結局疲れるので、昔ほど仕事をこなせないということです。そして、自分の身体を最優先にしています。それはメンタル面も同じで、無理をして連絡をしなくなりました。そんなことが続いた今日の夕方、地元の警察から電話がありました。仕事が終わって外に出た時です。えっ!警察署?何を落としたのだろう?が最初に考えてことです。私が部屋で孤独死しているのではないかという叔母から電話が警察にあったそうです。5月にマンションで叔母(F子さん)が孤独死しました。それを全部処理したR子叔母さんからでした。えっ!SMSで連絡しておいたのに・・・。

溜まった仕事に追われて忙しく、昨日の千葉の取材ではS氏のことを思い出し、諸々悩むことも押し寄せてきていました。心に余裕がなく、少し落ち着く木曜日に電話するつもりでした。それは私の都合で、叔母はメールを読んでいませんでした。私の周りはすぐに電話がない時は「忙しいんだろうな」で済ませる仲間ばかりでした。なにか質問しても返事がない時は、自分で考えなさいか、それでOK、違う時は返事がある、などと勝手に返事のないことを理解していました。それはやはり私の決まりで、本当のことはわかりません。でも、80歳を超えた叔母のことを思いやる気持ちにかけていたのでしょう。ほんの1分でも、今は時間がないからまたね、と電話すれば警察沙汰?になりませんでした。

いろいろな私の悪い癖が発覚するこの頃です。でも、それはありがたいことです。まだ、いのちがあるうちに少しで反省して直せるのなら。でも、今日はいろいろありすぎて、何も言えません。いや、言いたくても言えないのかもしれませんね。まぁ、お風呂へでも入ってしわを伸ばして、リセットしましょう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆめをおいかけて

2024-10-21 21:03:54 | 日記

10月でも半袖がしまえません。でも、薄手のセーターや上着は必要ですね。これでは自律神経がおかしくなります。20日の午後5時から7時までという取材に海浜幕張のJFA夢フィールドにいってきました。。さまざまなスポーツを老若男女が体験しようという企画です。夢フィールドができて初めての取材です。時間には余裕で出かけたのですが、駅から会場までで道に迷いました。(地図を読める女でしたのに・・・)どうもスマホの道案内がおばあさんにはダメなようです。

夢フィールド、たしかに夢がある感じでした。子供たちも大人もスポーツを楽しんでいます。気持ちがとても明るくなりました。この海浜幕張では以前にドローンでおじいちゃんのサッカー試合を撮影する交流会をしました。懐かしい場所です。そう、まだ50代の若さで亡くなられたS氏の地元です。スポーツと通しての新しい街づくりをされていました。

道半ばで亡くなられたS氏の想いを、仲良く仕事をされていたF氏が継いでいます。ぶろぐにも書きましたが、3人は仲良しで姉弟たちのような感じでした。私もS氏の夢を大事にしなくてはいけないのに・・・。誰かの遺志を継いで生きる。そう生きられるなんてすばらしい。

少し早めに会場を後にして、今度は大丈夫と幕張の道を歩きます。ここで辛いカレーを食べたなぁ、とかこのコーヒー屋さんでミーティングしたとか、S氏を思い出しました。男とか女とかじゃなくて、一人の人間として尊敬しておつきあいしてきたのに。なんでも「大丈夫、大丈夫!」と本当に大丈夫にしてくれた・・・。

もう少し若かったら、と思うのです。残された時間。ゆめを追いかけるには短い気がしました。でも・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする