のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

[映画]思い出のマーニー/2014年日本

2014年09月27日 23時01分56秒 | 映画鑑賞
■思い出のマーニー/2014年日本
■監督:米林宏昌
■脚本:丹羽圭子、安藤雅司、米林宏昌
■原作:ジョーン・G・ロビンソン
■出演者
 高月彩良、有村加純、松嶋奈々子、寺島進、根岸季衣、森山良子、吉行和子、黒木瞳

■感想 ☆☆☆☆
人を愛すること、人から愛されることは、なんでこんなに難しいんだろう、と寂しくなった映画でした。

愛しているのに、負い目があって、その愛情をきちんと真正面から伝えられないヒロイン、アンナの母親。
愛されたいと心から願っているのに、そして、きっと自分がちゃんと愛されていることを心のどこかでは分かっているのに、自分が嫌いであるがために、その愛情をまっすぐ受け止めることができないヒロイン、アンナ。
そして、アンナと同じように、愛されたいと心から願うもうひとりのヒロイン、マーニー。

自分はほかの人とは違うから、という不安から、周囲が歩み寄っても、自ら孤立してしまうアンナ。
両親から放っておかれて育っているにも関わらず、その事実を認められず、楽しそうに自分のことを話すことでギリギリのところで自分を保つマーニー。
マーニーがアンナに対して「私を忘れないでね。私のことを探してね。」と訴える場面は、すべての謎がとけたうえで改めて考えると、マーニーが自分のためにお願いしていたわけではなく、マーニーからアンナへの心からのお願いだったんだなぁ、と思い至りました。

あなたは愛されている。
私がちゃんと愛してる。
私以外の人にもちゃんと愛されている。
だから、大丈夫。

マーニーがアンナに伝えたかったことは、きっと愛情を思うように得られなかったマーニーがそう信じたかったこと。そうあってほしい、と願っていたこと。そして、今のアンナに対して、マーニーがどうしても伝えたかったこと。

「あなたは愛されている」ことがちゃんと伝わらない。
「あなたは愛されている」ことを実感できない。
本当はわざわざ言葉に出さなくても、「愛されている」ことは伝わるはずなのに。伝わってしかるべきだと思うのに、言葉にあふれた世界に生きているからこそ、伝わらないこともあるのかもしれない。そう思ってしまったせいか、私にとっては、見ていて寂しくてたまらない映画でした。

原作ってどうだったっけ?と思うことしばしばだったので、改めて読み返したいと思います。

[映画]グリーンマイル/1999年米国

2014年09月11日 23時37分47秒 | 映画鑑賞
■グリーンマイル/1999年米国

■監督・脚本:フランク・ダラボン
■出演:
トム・ハンクス、デヴィッド・モース、バリー・ペッパー、ジェフリー・デマン
ダグ・ハッチソン、ジェームズ・クロムウェル、マイケル・クラーク・ダンカン
ウォートン サム・ロックウェル、マイケル・ジェッター、ボニー・ハント
パトリシア・クラークソン


■感想 ☆☆☆☆
地元友達と映画の話をした際、「え?!この映画を見てないの?!なんてこったい!!」
と言われ(てはないのですが、そういう反応をされ)
「見なきゃ!借りに行かなきゃ!!絶対、眉毛がハの字になるから!」
と熱烈に(でも、おすすめポイントが今ひとつ変な)お勧めをされての鑑賞会となりました。

確かに眉毛がハの字になりました。しばらくはハの字から通常眉毛に戻れませんでした。
それどころか、見終えてすぐには日常生活に戻って来ることすらできませんでした。
映画の中の世界にすっかり引きずり込まれてしまいました。

映画を見終えた直後は、なぜ自分がこんなにも沈み込んでしまったのか
自分の気持ちをしっかりと捕まえきれずにいたのですが、
一日じっくり考えて(自分の気持ちを見定めるのに時間がかかるのです・・・。)
そうか、私はジョン・コーフィーが「生きていたくない」と死を受け入れたことが
とても悲しかったんだな、と思い至りました。

殺人犯として収容所に連れてこられたジョン・コーフィーは、
持って生まれた特殊能力故に周囲の人の気持ちを察知しすぎてしまったり
見ようと思ってもいないのに触れた人の過去の行状が見えてしまったり、
重い病をを治したり、失ったはずの命を身体に戻したりできます。
恵まれた賜物である特殊能力をうまく使いこなせず、
また「使いこなしたい」という欲もないまま
人よりも感度の優れた能力を持っているコーフィーは
人間の嫌な部分、汚い部分を見続け、
救いたいと思った少女たちも助けられず、哀しみ傷つきながら生きています。

見えすぎてしまうが故に、苦しみ、哀しみ続けている彼は
けれど、人より多くのことが見えてしまうからこそ、得ることのできた喜びも
たくさんあったはずだと思うのです。

たとえば、彼は主人公ポールの誠実な人柄におそらく初対面のときから気付いていて
自ら握手を求めます。人に触れると、その人の過去が見える、ひいてはその人の嫌な部分を
見てしまうおそれもあるというのに、ポールに対しては自分から握手を求め、彼を「ボス」と呼びます。
誠実で仲間思いのポールは勿論、仕事仲間にも慕われてはいるけれど
きっと、ジョンはポールの優しさ、温かさを仕事仲間よりも敏感に深く感じ取れていたのだと思うのです。

たとえば、彼は死刑囚デルの心のよりどころとなっていたハツカネズミのジングルズが
踏み殺されてしまったとき、ジングルズを助け、デルに深く感謝されます。

また、収容所所長ハルの妻、メリンダの病を癒すため、深夜に収容所を脱出した時、
彼自身はまったく縁もゆかりもないはずのメリンダとすぐに心を通い合わせます。

彼はきっとその力故に知らなくてもいいことをたくさん知ってしまい
その分、人よりもたくさん哀しみ、たくさん苦しんできたけれど
一方で、その力故に人の優しさ、温かさを人よりも多く感じ取ることができていた。
だから、辛いことのほうが圧倒的に多かったはずの彼は
あんなにも穏やかな性格のまま、全身に優しさをにじませて生きてこられたのだと思うのです。

憎しみや悲しみは雪だるま方式で拡散していきます。
周囲の人に愛されず、憎まれ、虐げられて生きてきた人は、それ以外の人とのかかわり方
感情の交わし方を知らないまま、憎しみを自分の中に育てて、塊となって
きっと周囲の人たちにぶつけられてしまう。

同様に優しさや愛情も拡散していきます。
ただし、与えられた喜びや幸せは雪だるま方式ではなく、四方八方に散らばっていくと思うのです。
だから、ジョン・コーフィーはたくさん辛いことを見て育っても
それと同じぐらい優しさにを感じ取ることができたから、喜びも味わえたから
癒しの力を周囲の人に使うことができたんじゃないかな、と思うのです。

それなのに、彼は「これ以上、生きていたくない。」と、消極的に死を望んだ。
それはつまり、彼にとって、この世界は「生きたい」と願うような喜びよりも
「辛い、ここにいたくない。」と思ってしまうような苦しみのほうが多い場所だったということ。
それが私にとってはとても寂しく哀しいことだったんだろうな、と思いました。

ジョン・コーフィーはポールに二度、同じことを訴えました。

「彼は(新しく入ってきた囚人は)人の愛を利用して殺した。
 世界中の至る所で、今も同じ事が繰り返されている。」

そうかもしれない。と思いました。
今、世界各地で起こっている紛争も虐殺も「人の愛を利用して」いると言えるのかもしれない。
「あなたたちの愛する人を守るため」「あなたたちの愛する祖国を守るため」に
紛争を国民に強いるのは「人の愛を利用して」いるって言えるんじゃないかな。
そんな世界で、それでも私が穏やかに幸せに生きているのは
私が人の悲しみや苦しみに鈍感だからなんだろうな。
そんなことを考えさせられ、図らずもより一層、胸が苦しくなる。そんな映画でした。

トム・ハンクスの朴訥としたたたずまいと決してハンサムとは言えない
でもあたたかみが表情ににじみ出ている風貌がポールの役柄にぴったりでした。
マイケル・クラーク・ダンカンの憂いを帯びたまなざしもジョン・コーフィにぴったりでした。

[映画]るろうに剣心/2012年日本

2014年08月06日 22時55分01秒 | 映画鑑賞
■るろうに剣心/2012年公開

■監督:大友啓史
■脚本:藤井清美、大友啓史
■原作:和月伸宏『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』
■出演:
佐藤健、武井咲、吉川晃司、蒼井優、青木崇高、綾野剛
須藤元気、田中偉登、奥田瑛二、江口洋介、香川照之

■感想 ☆☆☆☆
中学生の頃、友人に借りて読んでいた漫画「るろうに剣心」が実写化。
たいていの漫画作品の実写化には「えー!?なんで?なんで実写化?」と眉をひそめるのですが、この作品に対してはそこまでのマイナス感情はなく、平かな気持ちで作品を見ることができました。実写版でここまでキャストに違和感がないってある意味すごいのでは?と思うのです。

アクションシーンの秀逸さについての評価を色々と聞いていましたが、そして、もちろん、私もアクションシーンのスピーディな動き、リズミカルな店舗すら感じる美しい動き、そしてその迫力には目を見張ったのですが、それでもこの作品で最も胸を打ったのは、剣心と恵が抱える痛み、哀しみでした。
国のため、自分の信じる人たちのために汚れ役をかって出て、人斬りをしていた剣心。すべてはよりよい明日のため、と信じて行っていたことなのに、自分が斬った人間にも愛する人がいて、愛してくれる人がいることに気付いてしまう。亡くなった彼のために嘆き続ける奥さんの姿を見て、自分がしたことは「国のため」ではあったけれど、結局はただの人殺しだったと気付いてしまう。信じて行った人斬り稼業を「間違っていた」と思って、自分のその行動を「人殺し」だと認識してしまった上で生き続ける彼のその後を思うと、胸がつぶれそうでした。
そして、生きていくためには、心を殺すしかなかった恵の哀しみ。自分が作った大麻で多くの人が心と身体を狂わせていく。その現実を知りながら、それでも自分が生きていくためには、大麻を作るしかなかったし、目の前で壊れていく人たちを認識するわけにはいかなかった。人を人と思ってしまったら生きていけない。そういった中で生きてきた壮絶さを蒼井さんはセリフではなく、表情で伝えてくれていました。
日本は、明治、大正、昭和と、そのときどきでこういった逡巡を抱える人たちをたくさん生み、その人たちの逡巡や後悔、哀しみに支えられて、今の(束の間かもしれないけれど)平和を手に入れたのだということを改めて突き付けられた映画でした。

なんだろうな。タイミングが良かったのか、悪かったのか。
「自分の信じる未来のため、国のためならば、人殺しなんて悪いと思わない。そういう人たちもいる。
 そもそも人殺しが悪いことだなんて教えられていない人たちもいる。」
という意見を聞いて、大きな衝撃を受けたその日に見ただけに、より一層、胸を打ったのかもしれません。

大義のためだからこそ、時間をかけて世直しなどしていくことはできない。力で世の中を制圧し、上に行き、この国を変えていくしかない。そのためには力が必要なのだ、と信じる齋藤一たち。
大麻を売りさばき、私服をこやそうとしていた武田観柳と異なり、彼らは国のため、みんなのために尽力しています。目指すところは剣心と同じなのに相容れられない。どちらが間違っているわけでもないからこそ、どちらも折り合うことができない。同じ思いを抱えているはずなのに、共に未来を目指せないこの構図が私にはとても悲しく思えました。

それにしても、香川さん!はまり役過ぎました。香川さんがいつもすごく楽しそうに悪役を演じてくれるので、そして「演じる」というよりは乗り移っているかのような怪演ぶりなので、最近はどの作品で香川さんを見ても悪い人にしか見えません・・・。吉川さん演じるニセモノの人斬り抜刀斎もめちゃ怖かった。すんごい迫力でした。そして、セリフがほとんどないだけに、そして彼の殺気がすごいだけに、最後に放ったセリフの重みもすごかった。
「人斬りは所詮、死ぬまで人斬り。他の者には決してなれない。
 おまえがいつまでるろうになどと云っていられるか、地獄の淵で見ていてやるよ。」
そう。人を殺してしまったことは取り返しがつかない。どれだけ大義があろうと、おそらく自分の行為を「人殺し」だと認識してしまった剣心は今後もずっと苦しみながら、後悔し続けながら生きていくんだろうと思うのです。
だからこそ、人を活かす活心流という流派の跡継ぎ娘、薫について剣心が述べた言葉「(剣で人を活かすなんて)自分で手を汚したことのない甘っちょろい意見かもしれない。それでも私は、そちらを選びたい。」は、私にとっては大きな救いでした。

そうそう!武井咲ちゃん。ヒロインなのに、ちょっぴり影が薄かったけれど、すっごくかわいかった。
私、今まで武井さんのかわいらしさをきちんと認識できずにいたのですが、この作品を見て、「武井さんってこんなにかわいいんだ・・・。」とようやく認識できました。演技をするには少し不利な特徴ある声ですが、その声も含めて、すっごくかわいかった!守ってあげたい!守ってあげなきゃ!という気持ちになりました。

でもって、綾野さん。ずっと仮面をかぶって、顔を出し惜しみしていた綾野さんですが、顔を出してからの綾野さんの動きはすごかったなー。なんであんなに細かく早く体を動かせるんだろう。と感嘆しながら見ていました。すんごい迫力。蒼井さんとの場面、もう少しじっくり見たかったな。憂いのある役が似合うふたりなので、彼らの抱えてきた苦しみ、共有してきた過去をもっと彼らの言葉で聞きたかったです。

最後に蒼井さん。私は彼女の演技が大好きなんだな、ということをしみじみと実感しました。あんなに童顔なのに、蓮っ葉な役を演じてもまったく違和感がない。普段は色気とは無縁のナチュラルなイメージなのに、ふとした瞬間ににおい立つような色気を醸し出してくれる気がします。彼女の言葉ではなく、表情と目と間で想いを伝える演技が大好きです。

[映画]もののけ姫/1997年日本

2014年07月11日 00時07分37秒 | 映画鑑賞
■もののけ姫/1997年日本

■監督・脚本:宮崎駿
■音楽:久石譲
■声の出演:
 松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、美輪明宏、森繁久彌、西村雅彦、上條恒彦、島本須美

■感想 ☆☆☆☆
久々に「もののけ姫」を鑑賞。
久々も何もおそらく2回目の鑑賞です。
決して嫌いな作品ではないし、好きか嫌いかと問われると「とても好き」なのですが、「好き」と言い切るには、作品のラストが私にとって哀し過ぎて、見返したい、という気持ちにはなれずにいたのです。今回、満を持しての2回目の鑑賞です。

あれからもう10年も経ったし・・・と書き出したところで「ん?10年?」と思い、うぃきぺでぃあ大先生に「本当に10年でしたっけ?」と確認したところ、「ばーか。そんなわけないだろ。もう17年前の作品だぜ?」と嘲笑われました。じゅ、じゅうななねんっ?!と驚愕。そっかー。17年も経つのかー。・・・驚愕。(しみじみと。)

そんなわけで、あれからもう17年も経ったことだし、人の感性って、年月を経て変わるものだから、今回の鑑賞で私の「もののけ姫」に対しているイメージもがらりと変わるかもしれないなあ、と思っていたのですが。
見終えて「胸にズシンとくるこの感覚、変わりないな。」と思いました。中盤以降、話が展開すればするほどに辛く重い気持ちになり、眉間にしわを寄せながら鑑賞しました。
キツかった。すごく好きな作品なのに、見終えた時にはズシンと地に落ちていました。作品世界に随分とひっぱられてしまったなー。

キツイと思うこの感覚は、おそらく私にとってこの映画が「フィクション」とは思えないからだろうと思うのです。勿論、フィクションだとわかってはいるんだけれど、どうしても「まったくの絵空事」とは思えない。今の世の中にある様々な問題を多少デフォルメしながらもしっかり忠実に捉えているから、そして、その問題は私自身の関わり方、心の持ちようも問われるものだから、逃げ場のない気持ちになるんだろうな、と思いました。何より、私が私の軸をしっかりとどちらかに置くことができないでいるから、スタンスを定められないでいるから、だからこんなにもどっちつかずのきつい気持ちになるんだろうな、と思いました。
例えば、アシタカが懸命に森と人間が共存する道を探そうと走り回る姿や、サンが「人間はキライ」と人間に背を向ける姿、人間に追いやられ、荒れ狂い始めるおっことぬし様の姿。どのキャラクターにも一様に共感できてしまう。
その一方で今まで差別を受けていたらい病患者を迎え入れ、春をひさぐしかなかった女性たちを引き取り、仕事を与えたエボシ様の持つカリスマ性、リーダーシップにも魅力を感じてしまう。

エボシ様はラストで「私が間違っていた。これからは新しい国づくりを始めよう」と言い、今までのようながむしゃらな森林破壊、周囲の国々を利用するような取り引きは控えるのではないか、というような未来の可能性を見せて映画は終わりを迎えます。

けれど。
けれど、思うのです。きっと私は、私だったら、一度手に入れた「便利なもの」を手放すことができないだろうな、と。森を破壊してしまう、私たちより先に森に住んでいた森の住民たちを追いやってしまう、住むところを奪ってしまう、とわかっていても、きっと私はたたら場の再建のために働いてしまう。たたら場のなかった時代には戻れない。
そして、それは責められることでもないはずだ、とも思うのです。今まで虐げられていた彼らがたたら場によって「未来」を信じ、「明日」を待ち望むことができるようになったのは、喜ぶべきこと。彼らに「昔の暮らしに戻りなさい」と言う資格は私にはない。
だとしたら、アシタカの言うところの「みんなが共存し、共に生きる世界」はどこにあるんだろう、どんな世界なんだろう。今の私はまだその未来を具体的にイメージできません。だから、彼らの「これから」を思うと、やりきれない気持ちになるんだろうな、と思いました。

もうひとつ。彼らが森と共に生きることを放棄したこと。「人間じゃないもの」への敬意を放棄したこと。たくさんの「不思議」や「神秘」を内包する森や山を人が支配しようとしたこと、これらもすごく哀しかったように思います。
私は日本人の持つ、人じゃないもの、木や石や海、草に命を見出すところ、古いものに敬意を払うところ、人じゃないものに寄り添って生きるところ、そういった性質がとても好きなんだ、ということに改めて気付かされた気がします。
人間が山を、大いなる自然を、制御できるわけがないのです。そこに軸を置いて謙虚に生きれる人間でありたい、そう強く思いました。

アナと雪の女王/2014年米国

2014年03月23日 22時04分15秒 | 映画鑑賞
□アナと雪の女王/2014年米国

□吹替版 声の出演
神田沙也加、松たか子、ピエール瀧、原慎一郎、津田英佑

□ストーリ
触れたものを凍らせたり雪や氷を作る魔法の力を持って生まれたアレンデール王国の王女・エルサは、8歳のある夜、妹のアナと魔法で遊んでいるときに、はしゃぎすぎたアナを助けようとして自分の力を制御できず、彼女を傷付けてしまう。幸い、アナはトロールの力で回復したが、姉の魔法に関する記憶を失う。そして、エルサは魔法を制御するため、誰とも触れ合わず自分を抑えて生きることを強いられる。
10年後、二人は両親を海難事故で亡くし、成人したエルサは女王として即位することになる。しかし、即位式の後、アナとの口論から、思わず人々の前で魔法を暴発させてしまう。

□感想 ☆☆☆☆☆☆
アンデルセン童話「雪の女王」を原案としているものの、ディズニーらしく大幅に大胆に翻案されていました。見事だったなー。とにかく素敵な映画でした。見終えた後に「もう一度、見たい!」と強く思いました。サントラ盤を購入しなければ。

見ている間中、ひたすらに思ったことは、すぐ近くにいる人たちに「助けて」と言うことの大切さ。「助けて」と言うことさえできれば、たいていのことは乗り越えられるし、解決できるかもしれない。そう思える映画でした。
けれど、同時に、素直に「助けて」と伝えることはとても難しいことなんだろうな、ということをひしひしと感じた作品でもありました。

自分の力が制御できずに大好きな妹を傷つけてしまったエルサが、人と関わることに対して臆病になってしまうことにも、妹が大好きだからこそ、妹を傷つけたくなくて、妹を遠ざけてしまうことにもすごく共感できてしまう。自分でも制御できない魔法について、唯一、知ってくれていた両親すら亡くしてしまい、ひとりで秘密を抱え続けるエルサの恐怖も、すごくすごくよく分かる。だから、暴走してしまった自分の力故に「山奥でひとりで生きていくこと」「人と関わらずに生きていくこと」を決意するエルサを辛い気持ちで見守り続けました。大好きな自分の国と大好きな妹に背中を向ける。大好きだからこそ、遠ざける。

けれど、どんなに逃げようとも、どんなに遠ざけようとも、所詮、人はひとりでは生きていけないのです。どうしようもなく人と関わりあってしまう。山奥に逃げたはずのエルサの魔法は国全体に影響し、国中を冬に変えてしまう。遠ざけたはずの妹も、迷うことなく姉を追いかけてくれる。どんなに遠ざけても遠ざけても「遊ぼう」「一緒に過ごそう」「扉を開けて」とノックし続けるアナの存在は、きっとエルサにとって、「また傷つけてしまうかもしれない」という恐怖の対象であり、「魔法を持たないごくごく普通の女性」だからこそ、コンプレックスの対象でもあり、そして同時に大きな救いでもあったんだろうな、と思いました。

映画のテーマは「自己犠牲」。
エルサを救ったのはアナの無償の愛。そして、アナを救ったのもエルサの無償の愛。
「無償の愛」という言葉を安易に使ってしまうと、とても空々しいけれど、それは雪だるまの妖精、オラフ曰く「誰かのことを自分以上に大切に思う気持ち」、「自分よりも相手を大切にする気持ち」と、とてもシンプルな構造で、きっと誰の心の中にもきちんと存在している感情。
その感情をこの映画では、「男女」の関係においてではなく、姉妹の絆によって見せてくれたので、「嘘っぽい」などと思うことなく、とても素直に受け取ることができました。

吹替版では、とにかく松さん、神田さんの演技がとても素晴らしく、ひたすらに魅了され続けました。特に松さんの「自分らしく生きていく」という決意を込めて歌う主題歌は力強く、このままずっと聴き続けたいと思わせられる名曲でした。「圧巻」という形容以外、何も思い浮かびません。
彼女の歌声が力強ければ力強いほど、その裏に隠れている「助けて」という悲痛な叫びや彼女の抱き続けていた孤独も浮かび上がってきた気がします。あんなにも心が痛くなる歌声はめったにないと思う。

ドラえもん のび太のひみつ道具博物館/2013年日本

2014年03月22日 09時38分25秒 | 映画鑑賞
□ドラえもん のび太のひみつ道具博物館/2013年日本
□監督:寺本幸代
□声の出演
 水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一

□ストーリ
 昼寝中に怪盗DX(デラックス)と名乗る人物に首の鈴を盗まれてしまったドラえもんのため、シャーロック・ホームズセットを使って調査を開始したのび太は、あらゆるひみつ道具が展示されている未来の博物館「ひみつ道具博物館」が関係しているらしいと知る。鈴を探すため、博物館に訪れたドラえもんたちが案内役のクルトと共に博物館を見ていると、怪盗デラックスから新たに予告状が届いた。果たして彼の正体とその目的は?そして、ドラえもんの鈴は無事に取り戻せるのか?

□感想 ☆☆☆*
映画のドラえもんが大好きです。普段はどうしようもないところしか見せないのび太くんが、彼の最大の長所である「やさしさ」とか「素直さ」とか「誰かのためだったらがんばれるところ」とかを見せてくれる。そして、普段は弱い者いじめに走りがちなジャイアンがその裏に隠している「仲間最優先で動く男気」とか「リーダーシップ」とか「勇気」をいかんなく発揮してくれる。ふたりともたくさん欠点を持っているけれど、でも、本当に追い詰められたとき、そして仲間のピンチのときに発揮する底力を持っているところがすごくすごくかっこいいなぁ、と思うのです。そして、そういうところをきちんと見せてくれる映画が大好きです。

というわけで、映画ドラえもんシリーズの通算第33作目です。声優さんが世代交代してから(第2期シリーズでは)第8作目。そして、第2期4作目のオリジナルストーリーです。
とにかくエンターテイメントあふれる作品でした。おもしろかったー!!ひみつ道具博物館が舞台となっているだけに、懐かしの秘密道具があれこれ出て来て、「おお!久々に見たよー!!」と、興奮しました。そして、まったくもって万能ではないシャーロック・ホームズセット!これも面白かったな。ここまで使う人の腕が試されるひみつ道具ってなかなかないと思うのです。この道具を使いこなせる人は、ヒントなんかなくったって、謎を解いちゃうんじゃないかな?と思うぐらいなかなかにミステリー・マニア向けのひみつ道具でした。でも、ドラえもんのひみつ道具はどれも「使いこなしてこそ!」のクオリティばかりなのです。そもそも、道具というものは、ひみつ道具に限らず、私たちの身の回りのものどれもが「使う人次第」なのです。便利になったり喜びを与えてくれたりもするけれど、使い方を間違えると、大きな悲しみを生み出すこともある。そういう「道具」の「基本」を忠実にふまえたひみつ道具だったなぁ、と見終えて思いました。

映画なので、ドラえもんだけではなく、のび太もしずかちゃんもジャイアンもスネ夫も、みんな等しくがんばり、みんな等しく見せ場を与えられます。今回は特にドラえもんの四次元ポケットになぜかすっぽんロボットが入り込んでしまう、というなんとも間抜けな設定で、ドラえもんはみんなと同じぐらいへっぽこになってしまうのです。「よし!任せといて!」と手をポケットにつっこんではすっぽんロボットに噛まれるため、ひみつ道具を取り出すことができない。もちろん、舞台がひみつ道具博物館なので、ひみつ道具自体は使えます。けれど、ドラえもんが秘密道具を出してくれるわけではないのです。ドラえもんに頼るわけにはいかない、という状況のため、今まで以上に「誰かがひとりがんばって窮地を乗り越える」のではなく、みんなで知恵を出し合って、みんなで助け合って、力を合わせてピンチを乗り越える。そんな作品になっていました。そして、私はドラえもん映画のこのスタンスが大好きなんだなー、と改めて思いました。
みんなが等しくがんばる。そして、みんなが等しく諦めない。もうだめだ!という場面でも、最後の最後までがんばり続ける。これぞドラえもん映画!という映画だったような気がします。

・・・ただね。ドラえもんが怪盗ドラックスになって大活躍するクライマックスシーンだけはね、どうにもこうにも笑わずにはいられませんでした。クライマックスなのに!ドラえもん大活躍しているのに!あんなにぶさいくなドラえもん見たことないですよー!!と、何度も思いました。深夜2時前にひとりドラえもんを見ながら大笑いしてしまって、若干、落ち込んでしまったですよー・・・。
ドラえもんは、ころころ丸くて手足も短いあのコミカルなフォルムが一番愛らしいんだな、ということをきちんと知らしめてくれた作品でした。かっこよく機敏に動くドラえもんなんてドラえもんじゃないやい。

でもって、一番の見せ場はなんといっても、ドラえもんとのび太の友情です。ドラえもんがのび太くんちに来て初めて心を通わせあったときのエピソードが披露されます。この場面でドラえもんがのび太君を評して「君は、勉強も駄目。運動も駄目。根性もない。でも。でも、君はいいヤツだな。」というセリフは名言だなぁ、と思いました。「どこがいい」と具体的に言える長所がある人ももちろん、とてもすてきだけれど、でも、誰かを好きになるとき、誰かと仲良くなるとき、誰かに惹かれるとき、「理由」なんて明確に言えないと思うのです。明確に言える長所なんてない。でも、「いいヤツ」だと思えるような関係を築けたら、それが一番、理想的な人間関係なんじゃないかな。私は、そういうふうに言われる人になりたいな。

さて、次のドラえもん作品は、「のび太の大魔境」のリメイクです。これまた楽しみ!

キューティ・ブロンド/2001年米国

2014年03月11日 10時02分10秒 | 映画鑑賞
□キューティ・ブロンド/2001年米国
□監督:ロバート・ルケティック
□出演
リーズ・ウィザースプーン、ルーク・ウィルソン、セルマ・ブレア

□ストーリ
 エル・ウッズは、ブランド・ファッションで身を固めた女子大生。
 大学ではファッション販売促進を学び、社交クラブ、デルタ・ヌーの会長もこなす。
 卒業間近となったある日、エルは「ブロンド女は議員の妻にふさわしくない」という
 理由で彼氏のワーナーから別れを告げられる。
 「弁護士だったら、議員の妻にふさわしいはず!」と考えたエルは一念発起し、
 ワーナーと同じ大学のロー・スクールに入学するが、なんとワーナーは既に
 幼馴染のヴィヴィアンと婚約をしていた。

□感想 ☆☆☆☆☆
見るたびに元気になる大好きな映画です。
私がこの映画を愛してやまないのは、ヒロインであるエル・ウッズの無邪気さ、天真爛漫さ故だと思うのです。彼女には邪気がないし、いついかなるときも自分に正直で、自分の可能性を信じている。「何かを手に入れるために、何かを諦める」なんてことは、エルの思考回路として存在しないのです。あるがままの自分のままで、欲しいものを手に入れていく。そのための努力は厭わない。けれど、あまりに自然体で「努力をしている」ようにはまったく見えない。そんな彼女のポジティブな連鎖反応が私に爽快感を与えてくれるんだろうなな、と思います。
元気な人を見ていると元気になる。笑顔が笑顔を増やす。勿論、押し付けがましい「元気」や「ポジティブ思考」は時として人を傷つけることもあるけれど、エル・ウッズの元気さや傍若無人ぶりは、いつだって「自分」の範疇におさまることのみ。いつだって他人の評価を一切気にしないため、一見、何も考えず、傍若無人でいるように見えるけれど、実は「自分以外の人間」が関わると、そっとその人に寄り添ってあげている。
だから「秘密にして」とお願いされたことは、たとえ自分の出世や成績に関わってくることであっても、秘密にし続ける。「信じられる」と思ったことであれば、どこまでも信じる。「ついてきてほしい」と頼られれば、そのときは自分に関係ない場所であっても、友人と一緒に出向いていく。

だから彼女の周りには人が集まってくる。
彼女の女子大時代のエピソードは映画の冒頭、10分ほどしか触れられません。けれど、そこで示された「社交クラブ、デルタ・ヌーの会長をしていたこと」や「彼女の誕生日をみんなが心から祝っていたこと」、「彼女の恋の行く末を女子大の友人たちが固唾をのんで見守っていたこと」は、どれも彼女のキャラクターを端的に表していて大好きなエピソードです。
でも、やっぱり一番好きな場面は卒業式。卒業生代表として登壇したエルがスピーチを行う場面です。
「人を信じること、そしてもっとも大切なことは、常に自分を信じることです。」
と、明るくにこやかに力強くスピーチするエルは、軽やかにかっこよく、私もこんなふうに肩に力をいれることなく、でも、きちんと努力できる人になりたいなぁ、と思うのです。

英国王のスピーチ/2010年イギリス・オーストラリア

2014年01月17日 23時38分12秒 | 映画鑑賞
■英国王のスピーチ/2010年イギリス・オーストラリア
■監督:トム・フーパー
■脚本:デヴィッド・サイドラー
■出演
 コリン・ファース、ヘレナ・ボナム=カーター、ジェフリー・ラッシュ、ガイ・ピアース

■ストーリ
1930年代のイギリス。国王ジョージ5世の二男アルバート(のちのジョージ6世、コリン・ファース)は、吃音症のため満足にスピーチ一つできなかった。彼は、社交的で献身的な妻エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)のすすめで、オーストラリア出身の平民な上に型破りな自称専門家ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)の治療を受けることに。徐々に効果も表れ、王族相手にまったく臆しないライオネルとアルバートは、やがて友情で結ばれてゆく。そんな折、即位したばかりの兄エドワード8世(ガイ・ピアース)が、全国民を驚かせる決断をする。

■感想 ☆☆☆*
 年末年始は深夜に映画がたくさん放送されるのも楽しみのひとつです。「見たい」と思ってた作品が満を持して登場する至福の季節です。そんなわけで「英国王のスピーチ」。ずっと見たいと思っていました。

 見終えた一番の感想は、「望んでもいないのに、兄から国王を押し付けられた英国王ジョージ6世が気の毒でならないよ・・・」でした。けれど、「かわいそう」という気持ちが強いにもかかわらず、その気持ちと同じぐらい清々しさを感じた映画でもありました。
 彼が国王という地位を押し付けられてしまったのは、ジョージ6世が強い責任感と信念を持っていたから。「兄の事情なんて知ったこっちゃない。」と押し返すこともできたはずなのに、彼はその選択肢を選ばなかったから。それは、国の未来を本気で憂い、国民の幸せを真剣に願っていたから。彼のそういった人柄と地道な努力がきちんと報われたから、私はこの映画を見て清々しさを感じるんだろうな、と思いました。
 彼が努力を始めたのは、決して「国王になったから」ではない。即位前から「国王の一族として、その地位にふさわしくあるべき」と考え、自分の吃音症を治療しようと努力していた。そのことが彼の誠実さと生真面目さと、そして誇り高い人柄を端的に表していて、だからこんなにも応援したい、と思わせられるんだろうな、と思いました。
 そして、同時に、だからこそ、本来ならもっと自由に生きられたはずなのに、と思わずにはいられないんだろうな、とも思いました。こんなにも誠実で生真面目な人が「第二次世界大戦直前」というイギリスが、そして世界各国がもっとも大きな危機を抱えていた時代に王位を継承せざるを得なかったことは、きっと歴史の流れに大きく影響しているはずで、彼ではなく、彼のお兄さんであるエドワード8世が国王になっていたら、まったく違う歴史になっていただろうな、と歴史の流れに思いを馳せました。

 王位継承が決定し、彼は「こんなこと、一度も望んでいなかったのに。」と号泣します。思いもよらなかった王位継承に戸惑う彼の「王」ではなく「ひとりの人間」としての姿が非常に印象的な場面。そして、私はこの場面で、日本の皇族たちに思いを馳せずにはいられませんでした。私の勝手な思い込みや肩入れかもしれないけれど、彼らもこんなふうな葛藤を抱えてきたんじゃないかな、今も抱えているんじゃないかな、と思わずにはいられないのです。

「人は、その地位にふさわしい品性がついてくる」という言葉を聞いたことがあります。この映画で描かれるジョージ6世は、その地位にふさわしい品性を「自分の努力によって」培った人物でした。自分の努力に裏付けされているから、自分を信じることができる。自分を信じられるようになることで、人は変わることができる。それもまたひとつの事実だと思うのです。けれど、人を根っこのところで支えるのは自らの仕事に対する誇りや自信やだけではなく、自分を信じてくれる大切な家族や友人、自分の声に耳を傾けてくれる他者の存在なんだろうな、と思わせてくれるクライマックスでした。国王として、おずおずと始めた演説は、主治医ライオネルの誘導によって、少しずつ、少しずつ力強くなります。原稿を読む声に力が入り、感情が込められ、命が吹き込まれる。そんな自国の王のスピーチに対して真摯に耳を傾ける国民たち。その場面を見て、発信したメッセージが誰かに届く、ということは、すごくすごく幸せなことなんだな、と思いました。
 またBGMがとても静かな曲調でこの場面の邪魔をまったくしていないのに、力強く心に染み入り、印象深かったなー。あまりに印象的だったので、ぐーぐる大先生に「この曲、なあに?」と確認したところ、ベートーベンの「交響曲第7番第2楽章」でした。なるほど・・・。ドイツへの宣戦布告のようなスピーチの場面であえてドイツ出身の作曲家、ベートーベンの曲。と色々、考えさせられました。

 ラスト、彼と彼の主治医、ライオネルの友情が終生続いたことが字幕に記されてこの映画は終わりを迎えます。「終生続いた」、つまり、彼には家族以外にも心を許せる存在が終生いたのだとわかり、心から安心して映画を見終えることができました。

風立ちぬ/2013年日本

2013年08月31日 23時11分10秒 | 映画鑑賞
■風立ちぬ/2013年日本
■原作・脚本・監督:宮崎駿
■声の出演
 庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート
 風間杜夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎

■感想 ☆☆☆☆
見終えてすぐは自分の感情をうまく掴まえることができませんでした。
自分がいったい、何にひっかかっているのか、何がこんなに痛いのか、よくわからない。
そんなもやもやした気持ちと、でも確実に「きつい」「辛い」と思う気持ち。
そんなざわざわした感情で心がいっぱいになる映画でした。
自分の感情を捕まえるのにこんなに時間がかかるとは思わなかったなぁ。
何度も何度も思い返して、思い返して、思い返して。
ようやく、私はきっと「主人公の抱える矛盾」に胸がざわついてるんだろうな、
というところまでたどりつきました。その矛盾が自分の抱えている矛盾と重なって見えて
だからあんなにもひりひりとした気持ちになったんだろうな、と思い至りました。

主人公は純粋に「飛行機を作りたい」「早い飛行機を作りたい」と願い
その夢に向かって懸命に努力をしてきた人で。それが結果として戦争に使われてしまったけれど、
それは時局が悪かったから、なのか。
そんな言葉で簡単に片付けられるものなのか。片付けていいものなのか。
それとも主人公は自分の「夢」を守ろうと、毅然として権威に立ち向かうべきだったのか。
そこから私は何も自分の思いを見つけられませんでした。

「兵器を作ろう」としているわけではない主人公の作った飛行機。
その飛行機で失われた多くの命。
行ったまま戻ってこなかった飛行機。
飛行機の中で笑う兵士たち。
「夢の世界」を「地獄かと思いました。」と言う主人公。
「この10年頑張ってきたか。」と問われ、清々しく「はい。」と答える主人公。
けれど「最後はボロボロでしたが。」と続ける主人公。
どれも見ていて辛い、きつい場面でした。

なおかつ、主人公は何度やり直せたとしても
きっと同じ道を選んだんじゃないかな、と思えるところ。
それが一番きつかったのかもしれません。
戦争で自分が設計した飛行機が多くの命を乗せ、帰ってこなかった風景を見て
ずたずたに傷ついているけれど、でも「飛行機を設計したい」という夢はきっと捨てられない。
その夢は本来諦める必要なんてまったくない夢のはずで。
そんなことを考えながら見ていると、胸がぐるぐると苦しくなりました。

中盤、ドイツ人カストルプが言います。
「ここは忘れるのにいい場所ね。日中戦争、忘れる。満州、忘れる。戦争、忘れる。」
それはきっと今の私にも十分に当てはまる指摘で
だから、この指摘が耳から離れないんだろうな、と思いました。

ヒロインは宮崎映画史上、最も儚げで華奢で美しい女性でした。
何度、見とれたことか。
仕事、そして夢をひたすらに追い求める主人公が
それでも彼女を愛し、彼女とともに暮らす時間を必死で作り出す姿も
「このヒロインならね。」と納得できるものでした。
喀血したヒロイン、奈緒子の元へ懸命に駆けつけ、抱きしめる主人公は
「朴訥」とした風情の主人公からは思いもよらない情熱で
ふたりにとって「運命の恋」だったことが伝わってくる場面だったし、
だからこそ、ふたりが命を削って、共に過ごそうとする展開も納得できました。
お互いに懸命に寄り添いあい、求め合う姿は美しく、羨ましいと思いました。

そして、そんな二人を温かく見守る主人公の上司、黒川夫妻と主人公の妹、加世。
加世のまっすぐ伸ばした背筋とまっすぐな感情が大好きでした。
感じたままに怒り、泣きじゃくる加世の姿は私の最も憧れる姿で、
こんなふうに周囲の人を大切に思える女性になりたいな、と思いました。

「生きて」と願うヒロインと
「生きねばならない。」と静かに言い聞かせる同志の存在。
私たちは、もとい、私は。「生きねばならない。」
自分の抱える矛盾と向き合って。
自分のしてきたこと、過去を乗り越えて。
思い通りにならなくても、明日を。と、思いました。

見終えて二週間経ちますが、まだもやもやしています。
まだ、自分の感情をうまく整理できていません。そんな映画でした。

図書館戦争/2013年日本

2013年05月02日 00時24分01秒 | 映画鑑賞
□図書館戦争/2013年日本
□出演
 岡田准一、榮倉奈々、田中圭、栗山千明、橋本じゅん、石坂浩二、児玉清
 福士蒼汰、西田尚美、鈴木一真、相島一之、嶋田久作、波岡一喜
□原作
 有川浩

□感想 ☆☆☆☆☆
大好きだった原作「図書館戦争」がなんと地元、北九州でロケが行われたと聞き、「こりゃ、行かずばおられんかろうて。」と思っていました。しかも、ロケが行われた場所は、わが愛しの中央図書館!毎週のように通っているあの場所で?!まじで?!と大興奮で映画を鑑賞してきました。で、見終わった後、即効で妹君に「見た!めっちゃよかった!!すんごいよかった!!また見に行く!!」とメールをし、思わずうわぁ!!と駆け出しました。映画の終わり方があまりにさわやかで幸せなものだったので「幸せっ!!」という気持ちが体中に治まりきらなかったのです。あふれ出す幸せな気持ちに思わずうわぁっと走り出しました。それぐらい素敵な映画でした。

なにしろ、「大好きな原作」の映画化ほど、複雑な気持ちになるものはないのです。うれしい。けど、恐ろしい。でも、この映画はその「恐ろしさ半分」のところを見事に払拭してくれてました。

とにかく脚本がすばらしい。詰め込みすぎず、乱暴に差っぴきすぎることなく、丁寧に簡潔にわかりやすくコンパクトにまとめてくれていて、そこから感嘆。
そして、何よりキャスト!!どのキャストも見事にぴったりだったのです。そりゃあ、大好きな作品ほど、「この人は絶対にあの役者さん!」と頭の中で妄想繰り広げながら読み進めていますが、まさかその妄想が実現されるなんて!主要キャスト2名があまりにも(予想以上に!)素敵な組み合わせで、それだけでとても幸せな気持ちになりました。ひたすらにうっとり。
そして、脇を固めるベテラン勢が更にすばらしかったのです。久々に「いい人」として渋くかっこよく画面を引き締めた石坂さん。自分の信じる道を穏やかに、ゆるぎなく進み続ける姿が素敵でした。橋本じゅんさんは、いつもコメディ配分多めの役を演じることが多いのに、今回は、がっつりと「頼りになる男」を熱演。じゅんちゃんの「おちゃらけなし」のかっこよさはとにかく計り知れませんでした。無骨で分かりやすく熱い男が確かに原作のイメージどおり!ふたりはまったく異なるキャラクターだけれど、それぞれに「頼りになる上司」でした。
そして、今は亡き「図書館館長」として写真での出演を果たした児玉清さん。児玉清さんの人柄や本への愛情が「図書館館長」と重なって、写真のみの出演でしかないにもかかわらず、それだけでじんと胸が熱くなりました。

この作品の冒頭に出てくる「図書館の自由に関する宣言」は1954年に本当に採択された日本図書協会による綱領だそうです。

一、図書館は資料収集の自由を有する。
二、図書館は資料提供の自由を有する。
三、図書館は利用者の秘密を守る。
四、図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

なんてかっこいい宣言なんだろう、と改めて思いました。私たちが当たり前のように享受しているこの自由が奪われたパラレルワールドの日本で、それでも自由を目指して、希望溢れる未来を信じて、戦い続ける図書館隊員たち。ヒロインがつぶやいた「なんでこんな世界になってしまっちゃったんだろう」という言葉に石坂浩二演じる仁科指令が答えた言葉がとても印象的でした。

「無関心だったからですよ。
 われわれは、この法律がわれわれの生活にどういった影響を与えるのか深く考えようともしなかった。
 こんな未来をあなたたちに渡しているのは、われわれの責任です。」

そして、この仁科指令の言葉に対してヒロインが健気に訥訥と伝えた「それでも、私は未来を信じています。」という言葉も印象的でした。
信じるだけではなく、信じて行動しているヒロインたちの言葉だからこそ、強く胸を打ちました。「どうせ変わらない」とあきらめるのではなく、明日を信じて行動すること、ちゃんと考えること、今、社会で起きていることを見届けること、これが今の時代を生きている私がしなければいけないことなんだと思いました。

北九州市立図書館は思った以上に画面に映っていました。大きなスクリーンで見たわが町の図書館はすごく素敵で、誇らしい気持ちになりました。図書館だけでなく、街の本屋さんや美術館もがっつりと作品の舞台となっていて、幸せな気持ちになりました。
絶対にまた見よう。そう決意しています。

今回、主人公二人の恋愛模様はあくまでもサイドストーリーだったので(そこもよかった!原作でもお互いがお互いに向き合うのにものすごく時間をかけたカップルなのです。一作で簡単にハッピーエンドになってもらっちゃ困るのです。)、ぜひともぜひとも続編、続々編をお願いしたいです。同じキャストで、かれらの「これから」をぜひ見たいです。