のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

おおかみこどもの雨と雪/2012年日本

2012年08月15日 22時49分35秒 | 映画鑑賞
■おおかみこどもの雨と雪/2012年日本
■監督:細田守
■脚本:奥寺佐渡子、細田守
■キャスト(声の出演)
 宮崎あおい、大沢たかお、菅原文太、
■ストーリ
女子大生の花は、大学の教室で出会った男性と恋に落ちる。彼は自分がニホンオオカミの末裔、「おおかみおとこ」であることを告白するが、花はそれを受け入れ、ふたりの子供を産む。産まれた姉「雪」と弟「雨」は狼に変身できる「おおかみこども」だった。しかし雨の出産直後、彼は事故で亡くなってしまい、家族の幸せな日々に終止符が打たれる。おおかみこどものきょうだいを抱えた花は、豊かな自然の残る田舎に移住することを決意する。
「私が好きになった人は、"おおかみおとこ"でした。」
「私は、この子たちと生きていく。」

■感想 ☆☆☆☆
映像と音楽の美しい映画でした。おおかみこどもたちが野山をかけめぐる場面は、その速度や空気、景色を自分のことのように感じられる迫力でした。映画館で見て本当によかった。久々に「映画館で見るべき映画だったな」という映画を見た気がします。

そして、どうしようもなく切ない映画でした。「生きる」って何だろう?「誰かと寄り添って生きる」ってどういうことだろう?ということをひたすらに考えさせられる映画でした。人生たった一度の恋。その恋の思い出を大切に抱え込んで生きていける花はすごいと思うし、きっとすごく幸せなことなんだろうな、とも思うけれど、それでも、私にとっては身を切られるような切なさ、寂しさを感じるラストでした。きっと私は、「ずっとひとり」に慣れているからこそ、「誰かと寄り添い、心を許しあった後に突如、その幸せを奪われる孤独」がこわいのだと思います。ずっとひとりだったら知ることのない喜びを知ってしまって、だからこそ、得てしまう寂しさ。その寂しさの計り知れなさに胸をつかまれたまま、ラストを迎えました。

いろんな選択があって、今の私がある。いろんな選択が今の私を形成している。
そういうことを考えさせられた作品でした。

シカゴ/2002年アメリカ

2012年04月19日 21時56分04秒 | 映画鑑賞
■シカゴ/2002年アメリカ
■ストーリ
シカゴのナイトクラブ・ショーのスターであるヴェルマ・ケリーのようなダンサーになることを夢見る人妻のロキシー・ハート(レニー・ゼルウィガー)は、「芸能界とのコネを持つ」と嘘をついた家具のセールスマンを、夫のエイモス・ハートが仕事で留守にしている自宅に連れ込んで情事に耽るが、情事の後に「芸能界のコネの話はロキシーと寝るための嘘だ」とばらして冷たく突き放したセールスマンに激昂し、護身用の銃で射殺した。
留置場へ送られた彼女はそこで憧れのスター、ヴェルマ・ケリー(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)と遭遇。実はヴェルマはコンビを組んでいた実の妹を殺して捕まり、伝説のヤリ手弁護士ビリー・フリン(リチャード・ギア)を雇って弁護して貰っていたのだ。

■感想 ☆☆*
ミュージカル大好きな私ですが、この映画はいただけませんでした。
いくらなんでもブラックすぎるよ。私の中で「ミュージカル=夢・希望」なのに。
「有名になりたい」「スターになりたい」「注目されたい」
そう願ってやまないロキシーのことがさっぱり理解できなかったために
ストーリーに感情移入できず、そのままエンディングを迎えてしまいました。
「ダンサーになりたい」とか「歌手として人に認められたい」
という気持ちは分かるのです。認められること、褒められることは気持ちがいいから。
でも、ロキシーからは「なんだっていい。注目されさえすれば。」
という印象を受けました。うーん。

とはいえ、ミュージカルナンバーはどれも見事です。
レニー・ゼルウィガーやキャサリン・ゼタ・ジョーンズが
ここまで動ける人、かっこよく踊れる人だとはまったく知りませんでした。
特にレニー・ゼルウィガーは「ブリジット・ジョーンズ」の
愛すべきおでぶちゃんの印象が強すぎて「動けない人」だとばかり・・・。
ラストのふたりのダンスはとにかく圧巻。
ふたりが自分たちの力で未来を切り開こうとする姿がかっこよく描かれていました。
女性は強い。根性が座っている。
開き直った女性に怖いものはないな。
そうしみじみと思った映画でした。

いつか読書する日/2005年日本

2011年08月10日 21時13分01秒 | 映画鑑賞
□いつか読書する日/2005年日本
□監督:緒方明
□脚本:青木研次
□出演
田中裕子、岸部一徳、仁科亜季子、渡辺美佐子、上田耕一
香川照之、杉本哲太、鈴木砂羽、馬渕英里何、山田辰夫

□ストーリ
幼い頃に父と死別し、青春時代には母も失った大場美奈子(田中裕子)は、
未婚のまま故郷の町で50歳を迎え、早朝は牛乳配達、昼間はスーパーの
レジ係をしている。彼女には古くからの親の知人(渡辺美佐子)がいるが、
夫(上田耕一)は認知症の初期にあった。
一方、彼女と交際していた同級生の高梨槐多(岸部一徳)は、役所の児童課に
勤務し、親の虐待を受けている児童の保護にあたっている。
彼には余命いくばくもない病床の妻の高梨容子(仁科亜季子)がおり、
昼はヘルパーが、夜は彼自身が献身的に介護をしている。
二人にはかつて青春時代に「運命のいたずら」で仲を引き裂かれた暗い過去が
あった。美奈子の母親(鈴木砂羽)と高梨の父親(杉本哲太)が不慮の事故死をとげ
不倫関係が世間の明るみとなったため、以降は互いの恋愛感情を封印したのだ。
相手を無視し、別々の人生を歩んで来たふたりだったが、美奈子はその想いを
密かにラジオへ投稿してしまう。
ある日、高梨の妻から呼ばれた美奈子は、彼女から「夫は今でもあなたを
慕っているので、私が死んだら夫と一緒になってほしい。」と告げられる。

□感想 ☆☆
地方都市に住むごく普通の女性を田中さんが丁寧に演じている序盤。
毎日、繰り返される似たような日常。狭い町の中、同じリズムで過ごす人々。
感情の起伏もなく、とりたてて面白いこともなく、ドラマティックな出来事もなく
淡々と過ぎて行く毎日。
しかし、ヒロインはその平凡な毎日の中に、並々ならぬ情熱を隠し持って生きている。
少しずつ明かされる彼女の想い。大切に、大切に抱え続けている35年前の恋。
同じ町の中、決して目を合わせず、声を掛け合うこともないふたり。
その不自然な遭遇が彼らの心を雄弁に物語る。
意識しすぎるぐらい意識しているからこそ、目を合わせることもできないふたり。

能動的に、自分に正直に生きて事故死したふたりの親の存在が
ふたりのその後の生き様をを徹底的に受動的にする。
自分に正直に生きることが誰かに迷惑をかけることもある。
そのことを若くして知ってしまったふたりは、能動的に生きることを恐れ、
自分の気持ちを抑え、求められるがままに必要とされる場所で生きることを選ぶ。
どこまでも受動的なふたりは、高梨の妻の遺言によって、ようやく真正面から向き合う。
視線があった瞬間、向き合った瞬間からほとばしる美奈子の情熱が
お互いに見ないふりをして過ごした35年という年月の重みを感じさせる。
それだけに、彼女のこれからのことを考えると胸が痛い。
35年かけてようやく伝えあえた想いと、至福のひととき。
一度手に入れてしまったからこそ、なくしたときの喪失感は大きいだろうし
再開時のあの情熱が彼女の本質と考えると、その激情は、彼女を負の方向にも
大きく揺さぶるのだろうと思う。
生涯でたったひとりの人との記憶は、彼女にとって喜びも痛みをも与える
もろ刃の刃なのだと思う。

田中裕子さんの静かな情熱が印象的な映画だった。
彼女には情念という言葉がとてもよく似合うと思う。
彼女の表現した内に秘めた情熱こそが、私にとっては「日本人の愛情表現」で
共感しやすいキャラクターだった。

純喫茶磯辺/2008年日本

2011年08月08日 20時58分08秒 | 映画鑑賞
□純喫茶磯辺/2008年日本
□監督:吉田惠輔
□出演
宮迫博之、仲里依紗、麻生久美子、ダンカン、斎藤洋介、
ミッキーカーチス、近藤春菜(ハリセンボン)
□ストーリ
水道工の磯辺裕次郎(宮迫博之)は、妻に家を出て行かれてからというもの、娘の咲子(仲里依紗)と親子ふたりで暮らす、独身の中年男性。ある日、磯辺は父親の急死で多額の遺産を相続。突如、喫茶店の開店を決意し、いい加減な経営方針ながら「純喫茶磯辺」を開店させた。そこでバイトを始めた咲子と、バイト募集の張り紙を見て応募してきた若くて美しい女性、素子(麻生久美子)。裕次郎は経営そっちのけで素子を口説くことに心血を注ぎ始める。そんな磯辺に集う客はみなおかしな客ばかりで・・・。

□感想 ☆☆*
日本映画にありがちなゆるい展開の映画です。要所要所に、くすりと笑わされる展開が用意されていますが、「面白い」と「少し寒い」の境界線上にあるようなものばかりで、ややシュールな笑いが多め。と、言いつつも私はことごとく笑ってしまいましたが。意図された「間」とまともな人がひとりもいない空間で構成されている珍妙な空間は癖になります。

何も考えていないようでやっぱり何も考えていない眉なしやくざ風の磯辺を宮迫さんが「下妻物語」を彷彿とさせる力強い怪演で映画全体をひっぱります。でも、そんな見た目のインパクト大の宮迫さんよりも数倍、変な人を生き生きと演じているのが麻生さん。まじめでまっすぐ一生懸命、人に対して不器用でいつも人とずれてしまう。周囲の人をいらいらさせてしまう。そんな自分にコンプレックスを持っていて、変わるために「磯辺」でバイトを始めた素子という女性を麻生さんが変なテンションで楽しそうに演じています。よくよく考えると、「純喫茶磯辺」の店長である磯辺のことも、「純喫茶磯辺」に集うお客さんたちのことも「いけていない人」と勝手に見下している素子は、見下しているからこそ、「磯辺」では変に人に気を使わずにのびのびとできる嫌な女なのですが、「嫌な女」というよりも、どんなにがんばって「変わろう」としていても、その姿がやっぱりズレていて、どこか痛々しさが漂う女性でした。彼女の躊躇ない空回りぶりが宮迫さんの怪演をふっとばしていた気がします。

そして、ラスト。
今までのゆるいコメディ調の映像から一転、なんとも情緒的な展開へ。仲里依紗さんの言葉よりも雄弁な表情と、言葉にできない想いがすべて込められたくしゃくしゃの泣き顔に胸を鷲掴みにされました。この落差も計算された展開だと思うと、実に悔しいけれど、彼女のあの一瞬の演技に心打たれ、一気に映画への印象が変わった気がします。彼女が(そして私も少々)うとましく思っていた父親のことすら少しかわいらしく見えてきました。
いつも「うざい」と思っている父親。
安易で、その場しのぎの生き方を繰り返す父親。
世間一般的に見ても、やっぱり少し変な父親は、
思春期真っただ中の女子高生にとって、鬼門以外の何物でもなかったはずなのに。
ひと夏を同じ店で一緒に過ごし、そこでも父親らしいことは何一つせず、
店長らしいことすら何もしない父親に、厳しい口調で強く当たっていたはずなのに。

同じ時間を共有したことで、夏の始めよりほんの少し父娘の絆は強くなり、一緒に過ごした「純喫茶磯辺」という場所が彼女にとって、かけがえのない空間になっていたんだな、ということが伝わってくる素敵なラストでした。

奇跡/2011年日本

2011年08月06日 21時14分56秒 | 映画鑑賞
□奇跡/2011年日本
□監督・脚本:是枝裕和
□音楽:くるり
□出演
前田航基、前田旺志郎、林凌雅、永吉星之介、内田伽羅、橋本環奈、磯邊蓮登、
オダギリジョー、大塚寧々、樹木希林、原田芳雄、夏川結衣、阿部寛、長澤まさみ

□ストーリ
小学生の兄弟、航一と龍之介は両親が離婚したため、鹿児島と福岡に離れて暮らす。
新しい環境にすぐに溶け込んだ弟・龍之介と違い、
鹿児島に移り住んだ兄・航一は、現実を受け入れられず、憤る気持ちを持て余していた。
ある日、航一は、新しく開通する九州新幹線「つばめ」と「さくら」の
一番列車がすれ違う瞬間を見ると奇跡が起こるという噂を聞く。
もう一度、家族で暮したい航一は、弟と友達を誘い「奇跡」を起こす計画を立てる。

□感想 ☆☆☆☆
「あなたもきっと、誰かの奇跡」
このキャッチコピーがとてもしっくりくる素敵な映画でした。
見ている間も、見終わった後も、あったかいゆくもりを感じ、
かつての自分を、小学校時代の友達のことを懐かしく思い返しました。
この映画のどこかに、あの頃の私がいてもおかしくない。
そんなふうに思える映画でした。

全体的な印象は、青空。
その青空は太陽がぎらぎらと照りつけるような光りまぶしい青空ではなく
空気の冷たい早朝、薄い抜けるような色合いのどこかはかない青空。
終始、柔らかな光に包み込まれているような印象を受けました。

様々な形の人と人とのつながり。
仲がいいけれど、確実に「姉妹」とは異なる距離感が爽やかな男兄弟のスタンスとか
思春期一歩手前の甘酸っぱさを感じさせる「男子」と「女子」の関係とか
長男の母親に対する「守らなきゃ」とがんばる姿とか
次男と父親の親子というよりは仲間のような対等なスタンスとか
親しいにも関わらず、どこか遠慮があるみんなの関係性が
この映画の持つどこか淡白な空気感を生み出しているのだと思う。

両親の離婚で離れて暮らすようになった兄弟だが、
弟は持ち前の人懐っこさで新しい生活にもあっという間に馴染み、
兄のほうは失って初めて家族四人で過ごせた日々の幸せをかみしめる。
ふたりの「あのころの家族」に対する捉え方の違いも面白い。
明るく天真爛漫な弟は、物心ついた頃からの思い出が兄より少ない分、
喧嘩を繰り返す両親の姿の比重が大きく、楽しかった日々のことは思い返さない。
マイナス思考で悩みすぎるきらいのある兄は、家族みんなで笑って過ごした
家族ピクニックを思い返し、大阪での日々を「幸せの象徴」として美化する。
対照的に、失ったものを日々実感させられる九州での毎日。
兄は、九州の生活になじまないようにすることで、
両親の離婚を受け入れられない自分から目をそらす。
やがて、あの頃は幸せだった。楽しかった。という想いが
少しずつ、桜島が噴火すればいいのに、という願いに変化していく。
桜島さえ噴火すれば、自分たちは鹿児島にいられなくなる。
鹿児島にいる場所がなくなれば、家族四人で暮らせるかもしれない。
頭では桜島が噴火しても、家族が元の形に戻ることはないと理解していても、
そう願わずにはいられない。
けれど、その願いを口にすることが母親を困らせることもちゃんと分かっている。
それゆえに、「物分かりのよい長男」として過ごし続ける長男が切ない。

「奇跡」を求め、「つばめ」と「さくら」がすれ違う瞬間に向けて
九州の北と南から中央に集まる子供たち。
彼らの旅の中での仕草や振る舞い、ちょっとした言葉は「科白」ではなく、
監督が状況や場面、今後の展開を説明した上で、
出演者自身が自分で考えた「アドリブ」なのだそうだ。
だからこそ、彼らの笑顔ややりとり、言葉が自然で
どこか郷愁を感じさせてくれるのだと思う。
微笑ましい気持ち、懐かしい気持ちになる。

クライマックスで思い思いに自分の願いを叫ぶ子供たち。
その中で願いを口に出せなかった航一。
彼が弟に伝えた「俺、家族より世界を選んだんや」という言葉が胸をうつ。
誰よりも奇跡を願っていたはずの航一が思い出した
今までの12年間を彩る日々のかけらたちがとてつもなくいとおしい。

家族でまた暮らしたい。
大阪に戻りたい。
でも、万が一にも奇跡が本当に起きてしまったら。
本当に桜島が噴火してしまったら。
失うもの、失いたくないもの。
鹿児島に慣れないようにしていた航一なのに、
鹿児島にも着実に「大切なもの」が増えている日々。
そのきらきらした破片がとても美しい映画だった。

ゲド戦記/2006年日本

2011年08月04日 20時57分38秒 | 映画鑑賞
□ゲド戦記/2006年日本
□監督・脚本:宮崎吾朗
□原作
 ゲド戦記 /アーシュラ・K・ル=グウィン
 シュナの旅/宮崎駿
□声の出演
岡田准一、手嶌葵、菅原文太、風吹ジュン、田中裕子
香川照之、小林薫、夏川結衣、倍賞美津子、内藤剛志

□感想 ☆☆
公開当時、あまりに世評が芳しくなく、かえって興味をひかれていたこの映画。興味をひかれてはいましたが、時間的余裕がなく映画館に行くことはかないませんでした。ということで、満を持しての鑑賞です。
見終えて、「なるほどー。」と思いました。嫌いではないけれど、あまり心に残らないかな。もっとも、それは私がこの映画を映画館ではなくテレビで見たこと、しかももっとも苦手な時間帯である深夜に見たことが大きいかもしれません。なんとなく流し見をしてしまったがために見逃してしまったディティールが多いんだろうな、と鑑賞後にwiki大先生であらすじや背景などを確認して思いました。

死を恐れる必要はない。
必要以上に死を恐れて生きることは、
生きることを疎かにすることにつながる。
中盤、死を必要以上に恐れて、生きることに虚無感を抱いている主人公に対し、テル―とハイタカが交互に伝えたこのメッセージは説得力があって、とても好きでした。ただ、そのメッセージを受けて立ち直った主人公、アランがクモを倒すことで世界の秩序を取り戻す結末は善悪二元論的で好きではありませんでした。
そして、大好きなV6の岡田さん演じる主人公、アレンの声が鼻について仕方ありませんでした。岡田さん大好きなのに!あの低音ボイスはとても色っぽくて岡田さんの魅力のひとつだと思っているのに!どうにもこうにも主人公の外見とマッチしてなかった気がしてなりません。私の中で、あの外見とあの声を結び付けられないまま、終わりを迎えてしまったのが消化不良となってしまった大きな原因だったような気がします。
同じようにヒロイン、テル―の声も私の中では大きな違和感でした。こちらは声よりも抑揚かな。声自体はとても美しい声で、挿入歌にも聞き入りました。ただ、科白での感情表現に対して、なぜか違和感を抱いてしまいました。うーん。ジブリ好きなんだけどな。
一方、もはやジブリ組と言っていいのではないかと思われる田中裕子さんや小林薫さん、菅原さんたちの存在感はさすがでした。素敵でした。特に田中さん!あの声の出し方、声だけにも関わらず圧倒的な存在感がとてもかっこいい。
やはり映画は映画館で見たほうが楽しめるな。集中して見ないとダメだな、ということを改めて実感した映画でした。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ/2007年日本

2011年08月03日 23時55分16秒 | 映画鑑賞
□腑抜けども、悲しみの愛を見せろ/2007年日本
□原作:本谷有希子
□監督・脚本:吉田大八
□出演
佐藤江梨子、佐津川愛美、永作博美、永瀬正敏
□ストーリ
北陸の山間部の小さな集落。両親の訃報を受け、東京から戻ってきたふたりの長女・和合澄伽に長男の宍道と妹の清深はとまどい、宍道の嫁・待子は三人の関係を不思議な目で見ていた。女優を目指し、家族の反対を押し切って上京した澄伽だったが、その傲慢な性格が災いして、女優活動はうまくいっていない。しかし、自分勝手でワガママな澄伽は自分がうまくいかないことをすべて家族のせいにする。そんな澄伽をうとましく思いながらも気遣う宍道と清深。この家族には待子の知らない秘密があった。

□感想 ☆☆
ブラックコメディ・・・なんですか。
え?!本当に?!と見終えた後に思いました。
どのサイトであらすじを確認しても「ブラック・ユーモア」とか「ブラック・コメディ」という言葉でカテゴリされていましたが、私にはこの映画のユーモアを感じ取ることができませんでした。見ている間中、胸が痛くなるような辛さと、ホラー顔負けの気持ち悪さ、人と人が関わり合うが故の恐ろしさに襲われていました。息をすることも忘れるぐらい張りつめた気持ちで、眉間にしわを寄せて家族の行方を見守った2時間。よくも悪くもこの映画の世界観に見事に巻き込まれました。
ただ、あまりに辛かったため、もう二度とこの映画を見返すことはないと思います。それぐらい人間のエゴや家族の因習が痛く、辛い映画でした。
 人が持っているエゴや弱さや甘えを極端にデフォルメした登場人物たち。
それを極端に打ち出されたキャラクターがヒロインである澄伽ですが、結局のところ、姉におびえながら暮らしているように見えて、心の底で姉を馬鹿にしている清深も、自分自身の弱さと罪悪感を直視したくないがために、ふたりの確執をも見ないふりをする長兄もみんながみんな「エゴ」にまみれて生きていて、人というものの業の深さを見せつけられます。デフォルメされてはいるけれど、そのエゴは私の中にも確かにあるもので、だからこそ、私は途中で直視できないぐらい不愉快な気持ちになったのだと思います。そして、家族だからこそ、ストレートに負の感情をぶつけあい、家族だからこそ、どんなに負の感情でがんじがらめになっても離れられず、お互いを捨てることもできない彼らの関係が純粋に、ただひたすらに恐ろしく感じられました。

佐藤江梨子さんがエゴのままに生きる不愉快な女性を熱演。この映画を見て、彼女には負の感情がとても似合うな、と思いました。(褒め言葉にまったく聞こえないけれど、全力で褒めています。)

歓喜の歌/2008年日本

2011年07月20日 23時34分41秒 | 映画鑑賞
□歓喜の歌/2008年公開・日本
□ストーリー
文化会館で働く飯塚主任は、似た名前のふたつのコーラスグループを聞き違え、大晦日のコンサートホールをダブルブッキングしてしまう。双方に掛け合うものの、どちらも一歩も譲らず大問題に発展。安定の上にあぐらをかき、人生テキトーにやりすごしてきた中年公務員は、合唱にかける彼女たちの情熱に右往左往するばかり。さらには夫婦の危機から溜めた飲み屋の勘定まで、日ごろのツケが一気にまわってきて・・・。
はたして飯塚主任の運命は?懸命に練習を重ねてきた「ママさん」たちの「歓喜の歌」は、大晦日の町に響きわたるのか。

□原作:立川志の輔(新作落語「歓喜の歌」)
□監督:松岡錠司
□脚本:真辺克彦 松岡錠司
□出演
小林薫、伊藤淳史、由紀さおり、浅田美代子、安田成美、田中哲司、
藤田弓子、光石研、筒井道隆、笹野高史、塩見三省、渡辺美佐子

□感想 ☆☆☆☆
小林薫さんが大好きです。あまり語らず、背中で男の哀愁を語ってみせる役柄とか、色気漂うかっこいい上司とか、かと思えば、にぎやかでおちゃらけてばかりのちゃきちゃき江戸っ子さんとか、とにかく変幻自在の演技が大好きです。どんな役を演じても品を失うことなく、ユーモアを漂わせ、どんなに駄目だなぁ、と思わせる人を演じても、どこか憎めないな、と思わせてくれる。そういうところが大好きです。
今回も、優柔不断で事なかれ主義、仕事ができない上に、自分のミスを隙あらば部下に責任転嫁しようと試みるダメダメ公務員をひょうひょうと演じられていました。これだけダメダメな公務員なのに、なぜか憎めない。愛嬌があるように感じてしまうのは、小林さんならではだと思うのです。
置かれている状況はとてもシリアス。今までの人生のツケがすべて回ってきたのか、大晦日を数日に控え、閑職に飛ばされたはずの仕事先で大ポカをやらかすし、ためていた飲み屋のツケもやくざ風の店主に追い立てられているし、妻には愛想をつかされそうになっているし。にも関わらず、悲壮感を漂わせることなくふらふらふらふらと右往左往する小林さんはとてつもなくしょうもないのに、かわいらしく思えてきます。かわいらしく思えるんだけれど、やっぱりしょうもない。その匙加減が絶妙でした。

前半、ひたすらふらふらしていた主人公もママさんコーラスのメンバたちの歌に対する熱意や大変そうに見える日常の中でも前向きに過ごしている姿勢を見て、徐々に刺激を受け始めます。ようやく責任を感じ始めて奔走する中盤。奔走はしているものの、あくまでも「無責任男なりに」の責任の感じ方で、どこか肩の力は抜けていて、一生懸命なのにユーモラス。スマートさのかけらもない奔走だからこそ、心からの応援を送りたくなります。

それにしても、ママさんコーラスの指揮者演じる安田成美さんがとてつもなくキュート!
私生活でも役柄の上でも40代だと思うのですが、年齢をまったく感じさせません。
多忙な日常に追われている中で、歌うことを楽しみにしている主婦を素直にのびのびと演じられていました。素なのかな、と思わせてくれるほど柔らかな表情で天真爛漫な女性を演じているのに、ふとした瞬間、その柔らかさの中に凛とした強さを感じさせてくれる素敵な女性でした。家族を愛し、どこかモラトリアムで夢見がちな旦那様の生き方を信じて前向きに支える彼女は、何があっても泣きごとを言わないし、どんな困難にも仲間たちと穏やかに笑いながら立ち向かいます。「強い女性」と「強がっている女性」の違いを見せつけてくれました。

そして、強いと言えば由紀さおりさん!
スーパーのパートさんや商店街のおばちゃんたちが寄り集まっている庶民派ママさんコーラスとは対照的なセレブ奥様コーラスグループのリーダー役を貫禄たっぷりに演じられていました。こういう役がとてつもなく似合います。でも、全然、嫌味はありません。貫禄あるし、毅然としているし、どこか冷たい印象も与えるけれど、同じくらいおかしみもあったかさも持ち合わせたこれまた素敵なリーダーでした。

クライマックスは、安田さん率いる庶民派コーラスグループによる「ダニーボーイ」の合唱とその中での平澤由美さんのソロ。圧倒的な歌唱力で、人間の声が持つ迫力、歌そのものが持つ大きな力を見せつけてくれます。この場面だけでも4~5回は繰り返し楽しんだ気がします。歌声を聴いているだけで、気持ちが奮い立ちました。この場面はぜひとも映画館で見たかったな。

それにしても、この映画には「悪人」がまったく出てきません。困った人はたくさん出るけれど、みんな「困った人」というよりは「人間味溢れる人」。歌が好き、という気持ちを支えに煩雑な毎日をがんばっている人たちの姿を見ていると、胸が熱くなりました。好きなものがある人生は豊かでしなやかで強い。そう思わせてくれる映画でした。大晦日を舞台に繰り広げられる人情味あふれるあたたかいお話で、見終わった後、身体の中からぬくもりを与えられた気がします。

原作は立川志の輔さんの創作落語なんだとか。道理で立川さんの登場が唐突だと思ったよ!と納得しました。落語バージョンも聞いてみたいなぁ。

魔法にかけられて/2007年アメリカ

2011年06月23日 20時31分53秒 | 映画鑑賞
■魔法にかけられて/2007年アメリカ
■ストーリ
アニメーションの中の美しいおとぎの世界。アンダレーシアの森の奥深く、動物たちと暮らす一人の美しい娘がいました。彼女の名はジゼル。ある日、運命の出会いを果たしたジゼルと王子は結婚することになりました。しかし、王子の継母のナリッサ女王は、自分の玉座を奪われることを恐れ、ジゼルを騙して井戸の底へと突き落としてしまいます。「『永遠の幸せ』などカケラもない所へ行くがよい!」着いた先はなんと現代のニューヨーク。そこは優雅でロマンティックな「おとぎの国」とは正反対の世界が待ち受けていました。

■感想 ☆☆☆☆☆
見終わった後、とてつもなく幸せな気持ちになった。
ミュージカル好き、ハッピーエンド好き、ディズニー映画好きにはたまらない映画だと思う。もっともディズニー好きな方の中には、この徹底的に自虐的なセルフパロディの連続に少し反感を抱いてしまう人もいるかもしれない。けれど、私は立て続けの自分突っ込みの根底に自社の作品への愛情を感じることができた。

極彩色のアニメーションの世界で何をするでもなく優雅に、自分を慕ってくれる動物たちと楽しく歌って暮らしているジゼル。やがて「おとぎ話」のセオリー通りに「王子様と出会い、一目で恋に落ち、二人は結婚して幸せに暮らしました。」という人生を送ろうとするジゼル。この辺りの展開も嫌味なく、話がバタバタしてはいるけれど、いつも通りの「ディズニー」。そんな居心地の良い世界からいきなり現代ニューヨークに飛ばされてしまったジゼルを待ち受けるひたすらにセオリーの通じない世界。これでもか、これでもか、というぐらいかつてのディズニー映画の「お約束」はくつがえされる。
周囲に関心をまるで持たない忙しいニューヨーカーの中で歩くスピードすらまったくあわせられないジゼルは、人ごみに翻弄されてどんどん町のはずれにおいやられる。どんなときも歌で感情表現をしてきたのに「困ってしまったわ~♪」と大音量で歌い始めようとすれば、周囲からは「頭がおかしい人」のように見られる。優しいはずのおじいさんにすら、話しかけた途端、頭のティアラを盗まれてしまう。
この前半のセルフパロディのたたみかけが見事。そして、そんなセオリーの通じない世界に身を投じたにも関わらず、まったく動じることなく、へこむことなく自分を変えないジゼルも清清しい。どれだけ変な目で見られようと、人に冷たい仕打ちを受けようとも、今までのお約束が通じなくても、彼女は自分を変えない。どんなときもこの世界を楽しみ、明るく笑い、素直に人を信じ続け、気持ちよさそうに歌い続ける。現代ニューヨークでいつのまにか周囲の人を巻き込み歌い踊るミュージカル場面を繰り広げる場面は、見ているだけでなんだか楽しい気持ちにさせてくれる前半のクライマックスだと思う。

そして、後半。
ディズニー映画のセオリーどおりに恋愛模様が繰り広げられ始める。どんなに時代が変わっても、環境が変わっても、誰かを好きになる気持ちは変わらない。けれど、アニメーションの中の世界と異なるのは、人を好きになるのが楽しいことばかりではないこと。誰かを好きになって、その誰かも自分のことを思ってくれて、めでたしめでたし、で終わらないこと。現実世界の恋は苦味も切なさももどかしさもある。「好きだ」と歌に乗せて伝えて終わり、ではない。でも、だからこそより一層、好きだと思う気持ちが募るってことはあるだろうな、と思った。
前半、あれだけセルフパロディで自虐ネタを繰り広げておきながら、ラストは「いかにもディズニー、これぞディズニー」とも言うべき由緒正しいハッピーエンド。セオリーどおりの「めでたしめでたし」の笑顔が並ぶエンディングに自分たちの作品への揺るぎない自信を感じた。

50回目のファースト・キス/2004年アメリカ

2011年06月22日 17時40分31秒 | 映画鑑賞
■50回目のファースト・キス/2004年アメリカ
■監督:ピーター・シガール
■出演
 ドリュー・バリモア、アダム・サンドラー
■ストーリ
ハワイの水族館で獣医師として働くヘンリーは後腐れのない一夜の恋を楽しむプレイボーイ。ある日カフェでルーシーという女性と出会い、意気投合するが、翌日会うと彼女はヘンリーのことをすっかり忘れていた。 実は彼女は交通事故の後遺症により、事故前日までの記憶は残っているが以後の記憶が全て一晩でリセットされてしまうという短期記憶喪失障害だった。そのことを知ったヘンリーは毎日、初対面から始め、愛を告白し続ける。二人は毎日恋に落ち、毎日ファースト・キスをする。ヘンリーにとっては23回目であろうが50回目であろうが、ルーシーにとっては常にファースト・キス。しかし、この恋にもいつか終わりがあって・・・。

■感想 ☆☆☆
開始早々、見事にどうしようもないプレイボーイぶりを見せ付けてくれるヘンリー。
だからこそ、ルーシーと出会ってからの彼の変化がいとおしい。
映画の中では、彼がなぜそこまでルーシーに惹かれたのか、
その明確な理由は特に触れられていない。
けれど、そういった理由を必要としないほど、
ルーシー演じるドリューの笑顔がチャーミング。
演じる人次第では少々、鼻につきかねないぐらい、
心が綺麗で素直で可憐なオンナノコをあの輝くようなキュートな笑顔で愛らしく
演じていて、私もヘンリーと同様彼女の笑顔に視線が釘付けになった2時間だった。

何回出会っても、何回忘れても、また恋を始められる二人の関係がとても羨ましい。
そして、何回忘れられても、何度でも始めからやり直したいと願い続ける
ヘンリーの思いの強さに胸を打たれる。
人を好きになるってこういうことじゃないかな、
こういうふうに人を好きになれたら素敵だな、と思った。