のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

100キロ歩けませんでした、のご報告。

2015年10月18日 07時05分25秒 | 100キロウォーク
2015年のメインイベントはなんといっても結婚式&食事会でした。
まだ2015年は残っているけれど、これはもう断言してもいい!それぐらい大きなイベントでした。
そのメインイベントも無事に終了し、新婚旅行も大いに楽しみ、その翌日は100キロウォークの練習で皿倉山を3往復・・・はできずに2往復し、そしてお土産を配る旅を開始する!・・・つもりでした。予定では。

予定はいつだって未定であり、人生はいつだって想定通りにはいかないのです。
新婚旅行のお土産を渡す旅初日にて、発熱をしてしまい、それでも「忙しい皆が集まる機会なんてなかなかないから。」と熱をおして出かけた結果、帰宅後には40度以上の高熱となってしまい、その翌日、かかりつけの病院に診ていただいたところ、即日入院する羽目に。
・・・そういえば、皿倉山を二往復した際にみんなから
「顔色悪いよ??大丈夫?!」
と大いに心配されてたっけ・・・と朦朧とした頭で思い出しましたが、皿倉山二往復した日は自覚症状が一切なかったのです。熱をおして出かけた日も「少しきついから、今日は早めに帰って夜は早く寝よう。」ぐらいの心持ちだったのです。まさかね、翌日には即日入院となるなんて、そんなこと夢にも思っていませんでした。・・・無頓着って周囲に迷惑をかけるんだな、ということを身を持って実証してしまいました。

そんな一週間を経て無事退院。
退院後もしばらくは昼間動くと、夜はぐったり起きれなくなってしまったり、昼間にちょいと頑張りすぎると夜には微熱が出てしまったりするような日々が続いていましたが、それも少しずつなくなり、それと共に「今年はちょっと無理かな・・・」と諦めていた100キロウォークへの未練がむくむくむくむくむくと湧き上がり始めました。

歩きたい。
・・・でも、完歩はたぶん無理。体力なくなってるし。
でも、みんな楽しそうに準備している中、ひとりだけ応援は寂しい・・・・。
少しぐらいなら歩けるはず!

と、いうわけで入院騒動を経てやや過保護気味だった夫さんの困惑を横目に
「100キロ少しだけ出たいなー。無理はしなんだけどなー。きつくなったらすぐにリタイアするんだけどなー。(むしろリタイアはちょう得意なんだけどなー。)」
と呟き続けた結果、100キロウォーク前々日に
「じゃあ、無理はしない方向で出よう」
と相成ったのでした。やったー!

と、いうわけで今年も100キロウォークに出場できました。出場しちゃいました。

勿論、まったくもって練習をしていなかったこともあって(というか、それが完全に主な理由ですが。)100キロ完歩はならず。
50キロ地点でのリタイアとなってしまいました。
無理する余地はいっぱいあったけれど、無理した結果、またもや体調崩して皆様に(夫さんや母上様、そして会社にも多分少しは)迷惑をかけるリスクを考えると無理することができませんでした。
少しぐらいの無理だったらまだまだ全然余裕で大丈夫だったとは思うのですが(それぐらいまったくもって無理せずにリタイアしてしまったのです・・・。へなちょこなもので。)普段まったく無理をしないせいもあって、どこまでの無理が「通常範囲の無理(まだ余力はあります。でもがんばった!ぐらいの無理)」でどこからが「非常事態の無理(余力ないけれど、それでも潜在能力フル稼働でがんばりました!自分の力以上のがんばりを出し尽くしました!レベルの無理。)」なのかがてんでわからず、「きつくなってきた・・・・。よし、リタイアだ!」とあっさりリタイアをしてしまったのでした。
ちょっとね、「入院」を都合よく使い過ぎてしまった感はものすごくあります。今年の私のリタイアは単なる練習不足です。断言できます。来年は心を入れ替えてがんばります。(と、100キロ終えたばかりの今なら言えます。寒さ厳しい2016年1回目の練習でこの言葉が言えるのかどうかはまだ分かりません・・・。)

でも「とりあえず第一チェックポイントの36キロ地点まで!」と自分の中でのゴールがものすごく近かったせいか、今年の100キロはすごくすごく楽しい100キロでした。昨年は「100キロもあるんだし。」と後半部分を考えておそるおそる歩いていたけれど、今年は36キロ地点が第一目的だったので去年よりも軽やかに気持ちよく歩けました。このスピードで100キロのゴールを目指せたらもっと気持ちいいんだろうなー、この体力でゴールにたどりつけるぐらいの筋力が必要なんだろうなー、と思いながら愉快に歩きました。来年こそは・・・。

というわけで、私自身の100キロは残念な結果となりましたが、でもおかげで夫さんのゴールを自分の目で見ることができたし、みんなをゴールで迎えることもできたし、ずっと会えていなかった陸かめさんとも会えて少しゆっくりお話できたし、リタイアしたので自分のダメージは少ないし、「美味しい部分だけつまみ食いをしてしまってちょっと申し訳ないわ・・・」と肩身が狭いような、その一方で「お得感満載の100キロだったな、今年は。」とずるい部分の自分がほくそ笑むようなそんな100キロウォークでした。

何よりうれしかったのは去年、残念ながらリタイアとなってしまった幼馴染のゴールを迎えることができたこと。
チームのみんなが笑顔で迎えて、そのひとりひとりがまるで自分のことのように幼馴染のゴールを喜んでいて、「三銃士」の「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために。」という言葉を思い出しました。私はヒネクレモノなので声高に「チーム」とか「ニッポン」とか「サムライ魂」とか「仲間」とか言い募られるとどうしていいかわからなくなってしまうのですが、でもみんなが笑顔で幼馴染を迎えるその光景はまったくもって押しつけがましくなく、すごくすごく温かいもので「この光景、すごく好きだな」と思えました。そんなふうに思える自分にも少しほっとしました。

その日の夜に行われた打ち上げでは、ものすごく真面目でまっすぐな幼馴染が感極まりながらゴールできて嬉しかったこと、ゴールできたのはみんなのおかげで本当に感謝していることを涙ながらに伝えていて、あぁ、私の幼馴染は本当に本当に素直で、心もまっすぐなんだな、本当にかわいらしい子なんだな、と改めて実感しました。私にはこういう素直なところがすっぽり抜け落ちているんだよな、ということをなんというかがつんと思い知らされた気がします。それぐらいピュアなお礼の言葉でした。今思い返しても素敵な挨拶の時間だったな。

でもって、チームメンバ全員がそんな感動的な空気に包まれている中、
「みんな、『今年はいつもよりきつかった』って言ってるけど、私、全然きつくない・・・。」
と幼馴染が涙ながらに衝撃的な告白で挨拶を締めたので、打ち上げで一番の破壊力をもったおもしろい場面として強烈に思い出に刻み込まれました。
幼馴染本人は涙ながらに真面目に申し訳なさそうに告白している様子があの場面の面白さに拍車をかけていた気がします。100キロ歩いて涙ながらに「きつくない・・・」って訴えるって!どんだけ潜在能力があるんだ!?とも思うわけで。来年がより一層楽しみです。

というわけで。
今年の100キロウォーク(私は50キロウォーク)も無事に終わりました。

今週末で親戚への新婚旅行のお土産も無事に渡せたので(賞味期限が過ぎていないかハラハラしながら確認しましたが、無事範囲内でした。よかったー!!)残るイベントはバザーとクリスマス。

と、夫さん、お義父さん、お義母さんとの人吉旅行!
人吉はお義父さんのご実家があるので、ご挨拶も兼ねて、初めての家族旅行です。お義父さん、お義母さんとはおうちが近いにも関わらず、なかなかゆっくり会う機会がなかったので(なにせ私の入院やなんかでバタバタしてましたから・・・。申し訳ないことこのうえなしです。)一泊二日の人吉旅行がとても楽しみです。

目指せ!明け方の水巻駅!2015

2015年07月13日 21時57分25秒 | 100キロウォーク

ウォーキング練習に参加してきました。
今回は昨年も経験した「夜の博多駅を出発して水巻を目指そうぜ」というコース。
20時半に博多駅を出発し、約50キロ先の水巻を目指して歩き続けていると、見事に睡魔に襲われ、眠気と死闘を繰り広げているうちに朝を迎える、という心がささくれ立つこと間違いなしのコースです。
昨年、このコースの練習を通して「夜通し歩く」ことのきつさを経験した私は、自分がとことん夜に弱い性質だということを知りました。自覚しました。

今年はぜひともリベンジしたい。眠気に打ち勝ちたい。
と、やる気満々で会社に出社しました。
去年は夜間ウォークを甘く見ていたため、出社時にはヒールを履いており、博多駅出発時点でヒールからスニーカーに履き替えました。しかし、そのヒールの重さにダメージを受け、疲れてしまったため、今年は絶対にヒールを持って歩くなんてことしない!何が何でもスニーカーで出社してやる!と息巻いた結果、出社時の服装は白のTシャツに茶色のショートパンツ、白のショートソックスにスニーカー、という「あなた・・・今日、仕事する気ないですよね?もう気分は「夏休みのちびっこ」ですよね?」と問いただされてもおかしくない出で立ちとなったのでした。
実際、周囲の先輩や後輩からは少し遠慮がちに「なんか・・・今日の恰好って・・・夏休みの小学生っぽいですよね。」と指摘されました。戸惑わせちゃってごめんね。会社生活にそこまで違和感を与える格好とまでは思ってなかったのよ。

でも、後輩さんたちを戸惑わせた甲斐あって、今年は荷物が肩に食い込む、という事態は免れました。すごく歩きやすかったー!そして、それはチームメイトにいただいたリュックのおかげだと思うのです。新しいリュックさんが私の背中でものすごーーーーーーーーく大きな支えとなってくれました。どっしりとした安定感が半端なかった!ヒールが入っていないとはいえ、女子の必需品的荷物を諸々入れると、そこそこの重さになってしまったため、歩く前はとっても不安だったのですが、歩いている間、まったく重さを感じさせない素敵リュックでした。すごい!機能的なリュック万歳!

そんなリュックさんの後押しもあって、今年はまったく(・・・とは言えませんでした。でも!昨年と比べると飛躍的に)睡魔に打ち勝てた時間の多い練習でした。
「眠くなるってことは、少しスピードが遅すぎるんじゃないかな?」
というアドバイスをどなたか(っておそらくキャップ)にいただいたため、今年はひたすらに「速足歩行」を意識し、先頭を歩きましたが、そのおかげで楽しくみんなとお話しながら歩けました。
そのおかげで、私が天使と信じてやまないウォーキング仲間さんからは
「のんちゃんもみんなと一緒に歩けるようになったんだねぇ・・・。」
とお褒めの言葉を預かりました!・・・と、ついさっきまで思っていましたが、よくよく考えると、この言葉、まったくもって褒め言葉ではないような。

でも、いいのです。細かいことは気にしないのです。
なにせ眠気と戦わない夜間ウォーキングを体験できたのです。ストレスレスな夜間ウォーキング万歳!
キャップの(たぶんキャップ。・・・あれ?もしかして婚約者さんだったかな?)アドバイスがあまりに的確でびっくりしました。

とはいえ。
やはり夜に弱いことに変わりはなく、明け方のマックにたどり着き、ソファに座りこんだ瞬間、ぐっすりと眠りこんでしまいました。座った後のことを何も覚えていません。「おやすみ3秒」どころか「おやすみ」から1秒もかかっていませんでした。むしろ、「おやすみ」を追い越さんばかりの早さ。

マックのソファが気持ち良くて気持ちよくて、目覚めた時には頭すっきり!
・・・いや、そんなことないかな。若干、(いや、かなり)ぼーっとチームメイトの談笑に聞き入ってました。ジョシの声って疲れた心に優しく寄り添ってくれるんだなー、と聞き入ってました。(でも、何を話しているのか、内容はこれっぽっちも頭に入ってませんでした。要するにぼーっとしてたんだと思われます。)
それにしても、チームメイトのみんなは夜通し歩いて、体力も消耗しているはずなのに、そんな様子を微塵も見せることなく談笑しているわけで。・・・かっこいい大人たちだなぁ、と明け方のマックで感嘆しました。

と、私が天使だと信じてやまないチームメイトさんが美しい朝焼けの様子を教えてくれたため、大急ぎで外に出たのでした。
そこに広がるのはたおやかな色合いの朝焼け。
これから照り付けだすであろう朝日がお昼の力強さを微塵も見せず、優しく優しく朝の空を染め上げようとしていました。綺麗・・・。
絵の具が滲み出たような色合いが夜と朝を橋渡ししていて、私は白と黒とできっぱりと分かれた世界よりもこうやって少しずつ夜と朝がまじりあい、同じ時間帯に同居しているような世界観が好きなんだな、ということをしみじみと感じ入ったのでした。あの風景は本当に本当に大好きでした。

私の腕前ではあの美しさを閉じ込められるわけもないため、写真を撮るなんてはなから思いもよりませんでしたが、私に朝焼けの存在を教えてくれたチームメイトさんはしっかりとあの美しさを切り取ることができていて、カメラと仲良くできる人っていいなぁ・・・と羨ましくなりました。
できることが多い人っていいなぁ・・・。

そんなこんなでマックでの休憩も終わり!
これから仕事に向かうチームメイトさんと体調不良の幼馴染(・・・ホントにいつも自分勝手に歩く幼馴染で申し訳ないのです。まったくもって寄り添うことができていない・・・。余裕がなくて自分のことばかり、ごめんよー!と、こんなところで謝ってみる。白々しいったら!)とはここでお別れです。

ここからは朝日の中、一路水巻へ!
夜間ウォーキングは「非日常」ゆえの楽しさですが、非日常の後だからこそ、朝日輝く明るい日の光の中のウォーキングは楽しさもひとしおだなぁ、と思います。「明るい」って、それだけで力が出てくる気がします。太陽の光ってすごい。(ま、こんなふうに思えるのは、今回の太陽の光がそこまで強烈なものではなかったからだと思います。やや薄曇り、でも太陽の光がきちんと見えるちょうどいい感じに明るく暖かい(やや暑い)朝でした。これ以上輝きをを放っていたら、今度はしっかりと体力を搾り取られてただろうなー、とは思います。)

そんなこんなでゴール!
と同時に、今年もへたへたとベンチに座り込みました。
ラスト5キロは後ろから人生の大先輩ウォーカー2名に追い立てられ、そして最終的には軽やかに追い抜かされました。私がへろへろになりながらゴールすると、おふたりはにこやかにハイタッチで出迎えてくれてそのままアルコールを求めて今来た道を戻って行かれました。・・・元気!その元気はいったいいずこから湧き出てくるの?と眩しく見上げました。(←まだ、へたりこんでます。)

おかげさまで、今回は久々に楽しく歩きました。終わった直後はくたくたでしたが、「少し早目」が睡魔を追い払うのに効果的やも・・・と分かったので、ぜひとも次回の練習「かほ夢運ナイトウォーク」で再度「少し早目」にチャレンジしてみたいな、と思います。
ただなー・・・。
練習で効果があったとしても、本番で「少し早目」が持続できるかというと、これがまたよくわからないのです。なにせ今回の練習は50キロ弱。本番は100キロ。100キロも「少し早目」で歩ける自信が今のところまったくないわけで・・・。ガンバリマス。

紫陽花目指して歩け!高塔山 ◇その2◇

2015年06月30日 23時30分35秒 | 100キロウォーク
※前回のあらすじ※
高塔山を目指す勇者22人。(なんと今回は参加者22名でした。もはや1クラスぐらいの人数です。しかも男女比1対1!割り切れる数字が好きなので、なんとなく嬉しい。)
雨にも負けず、霧にも負けず、山羊にも、分かりにくい山道にも、意外にも険しい登り坂にも負けることなく、一路高当山を目指す勇者たち。
はたして彼らは無事に高塔山にたどりつけるのか!(←夜中のため、テンションが非常におかしいことになっております。)


山道を歩いているせいか、「回復する」と言っていた天気もまったく回復せず、雨足は強まるばかり。霧も濃くなるばかり。おそらくここは雲の中なんだろうなー、と思いながら歩いていると、チームメイトの大将さんが優しく傘を差しだしてくださって、思わず恋に落ちるかと思いました。トレンディードラマなるものでこういう場面、見たことあります!と胸がときめきました。
が、胸をときめかせている場合ではないのです。なんせ雨はまったくやむ気配もないわけで、今、この瞬間も大将は私のために濡れそぼっているのです。傘を持ち合わせていないのは完全に私の準備不足のせいなのに。

いかん!早く返さなきゃ!と大将を追いかけるもひたすらに山道上り坂でまったく大将に追いつけず・・・・。大将、健脚過ぎです・・・。

そもそも・・・。
心の準備ができてなかったな、と。
わたくし、今日は高塔山へハイキングがてら紫陽花見物に来たつもりだったのです。
山登りの心づもりがね、全然足りていませんでした。
と、隣を歩くチームメイトジョシに反省しだす始末。
(ようやく「反省」というスキルを手に入れました。ふふふん。でも、そういえば、朝時点の説明でちらりと「縦走」っていう言葉が出てたような気がするようなしないような。要は人の話をちゃんと聞きなさいってことなのです。)

危うく本格的に恋に落ちる前に、なんとか大将へ傘をお返しすることができた頃、山道は一点、下り坂へ。こらまた、前回の練習に参加できず、今年は山道や下り坂に苦しめられることがなかったなー、と油断をこいていた私のために準備されたような下り坂でした。雨で足元も悪いため、ただただ目の前の一歩を安全に確実に踏みしめることに集中しながら下り坂を降ります。

この坂にてウォーキング常連組の大先輩が手を負傷してしまいました。痛そうに顔をしかめる姿に心を痛めていると、先頭を歩いていた旦那様が頼もしく登場。手を取り合い、寄り添いあいながら山道を降りる姿にあったかい気持ちになりました。いいなあ。こんな夫婦になりたいなあ。手を取り合う姿もすっごくすっごくかわいらしくて、おふたりの姿を羨ましく眺めながら山道を降りました。(負傷されていて、とても痛そうだったのに、それでも私より先をテンポよく歩かれていたのです。心から尊敬します。)
後日伺った情報によると、痛そうにされていた手は骨折されていたんだとか。一日も早いご回復をお祈りしています。次の練習は・・・無理にしても本番前にまた一緒に歩けますように。

というわけで、ようやくようやくの高塔山到着です。
紫陽花は・・・残念ながら盛りをほんの少し超えてましたが、でも十分に美しく咲き誇っていました。十分に美しく咲き誇っていたからこそ、最盛期だったに違いない先週末の様子も見てみたかったなぁ、とちらり思いました。
紫陽花の佇まいが好きです。雨に塗れるとなおかわいらしさを増す様子とか、花の大きさはそこそこ大きいにも関わらずどこか謙虚さが漂う雰囲気とか、「陽」というよりは「陰」の匂いを漂わせた日本的な雰囲気とか、その土地に寄り添って咲かせる色を変える特性なんかが大好きなのです。

高塔山の頂上でごはんを食べて、念願の紫陽花を眺めながら下山。ここからは若松で生まれ育った大田さんの出番です。
「ここに建っていたホテルには絶対に(幽霊が)出る部屋があったんですよ。」
「このすぐ近くに住んでいた友達んちは、(幽霊の)通り道だったんですよ。」
「ここ、出るんですよ。」

・・・若松は幽霊出現率が非常に高い街らしいということが分かりました。それとも大田さんの周りに霊感能力の高い人が多いのかしら。とにかく、私にとっては若松=河童と幽霊が多い街としてインプットされました。
下り道は舗装された道だったこともあって、あっという間で気が付けば渡船場に到着していました。なんだか本当にハイキングというか、むしろ「遠足」みたいな雰囲気で楽しかったな。(大田さんが先生です。)

チームメイトのほとんどは八幡西区在住のため、出発地だった陣原駅まで戻りますが、小倉組はここ戸畑駅にて離脱。
・・・あれ、小倉組がひとり足りませんよー!(小倉組1名は寝坊のため、今回のウォーキング練習は欠席だったのです。ということまで何も記録にとどめておかなくっても・・・と思わないでもないですが、面白かったので記録に残します。遅れて参加してほしかったなー。)
みんなと別れを惜しみあいながら我々は戸畑駅を超えて、一路小倉を目指しました。

ここからがすごくすごくすごーーーーーーーーーく長かったなー。
戸畑から小倉ってすぐ近くだと思っていたのですが、思っていた以上に戸畑は遠い場所でした。疲れてたからかな。
帰る道すがら、婚約者さんが「もう小倉からバスに乗って帰っちゃえばいいんじゃないかな。」と疲れ果てている我が幼馴染を誘惑するため、疲れ果てていた幼馴染の心はもてあそばれ、揺れ動き、更に疲れ果てていました。どうやら我がウォーキングチームには天使だけでなく、小悪魔もいる模様。
結局、幼馴染は自宅まで無事に歩いて帰りつけたのか。その結果は神のみぞ知るばかりです。

疲れた、疲れた。と思いましたが、日差しがきつくなかったので、今年の練習で一番元気に歩けました。楽しかった♪
しっかし、日差しがきつくなかったためにすっかり油断してしまっていましたが、帰り着いて鏡の中を覗き込んだら、見事に日焼けしていました。
あんなに雨の中を歩いていたというのに。なんか騙されてる気がする。

紫陽花目指して歩け!高塔山 ◇その1◇

2015年06月30日 23時13分56秒 | 100キロウォーク
ひっさびさのウォーキング練習に参加しました。
前回の練習はお休みしてしまったので、4月末以来、2か月ぶりのウォーキングです。
今回、ゴール地点である高塔山は紫陽花が美しく咲き誇ることで有名なスポットでずっとずっと行きたい!行きたい!と言い続けていた場所なので、紫陽花シーズン真っ最中に行けることが楽しみで楽しみで、これがウォーキング練習だということをすっかり忘れ果てていたのでした。
なんならハイキングも兼ねてお花見に行こうぜ!的な気分でした。ウォーキング練習というものをなめまくりです。

というわけで元気よく出発!
・・・しようと思っていたのですが、今回、思いがけずおなかがぐるぐるぐる不協和音を奏でており、全然体に力が入らない状態(というか、変に体に力を入れたらどうなるのやら皆目見当がつかない状態)で、出発から5キロ地点ぐらいまではひたすらに「トイレー!トイレー!トイレスポットはどこだー!」とトイレを探す旅となってしまいました。
もう全然、早く歩けない。
でも、なんとなく周期的に変なぐるぐるに襲われるし、変な刺激を与えたらとんでもないことになっちゃいそうだし、いつでも用意万端で、ドラえもん並みになんでも持っているチーム仲間さんは「携帯トイレ持ってますよ。」と事前連絡してくれたけれど、できればお世話にはなりたくないし、このまま回復しなかったら、どこでリタイアすればいいのかしら、そして、リタイアの理由はどのようにお伝えすればいいのかしら・・・とそんな不安を胸に抱えて歩き続ける5キロでした。
乙女心的には過去最大のピンチだったな、と。5キロ地点で持ち直してホントによかった!隣で励ましてくれていたあやちゃん(仮名)、ありがとー。

というわけで気を取り直し、再出発です。
そういえば、今回は「かわいいほうのはなちゃん(仮名)」を名乗るチームメイトさんから譲っていただいたリュック初おろしの日なのです。いただいたリュックさん、大きい上に軽く、いたるところにポケットが複数ついていてとても便利!というひっじょーによくできた子で、小さなリュックに慣れていた私は、出発時点でリュック本体に入れるものが何もない、という状態でした。(まあ、後から考えると、カッパとか傘とか色々と用意して入れておくべきものはあったのですが。そんな準備を私がするわけもなく。見事にからっぽの状態で出かけていきました。ホントに準備というものが苦手なのです。危機予見能力が皆無。)
コンビニで食料を手に入れ、ようやくリュック本体にも食料補給!
心も体もリュックも元気満タンです。

元気を取り戻してずんずん歩いていると、辺りの風景はずんずん変わって、気が付けばすっかり山の中。あまり人の手が入っていない原生林のような風景に少しばかり畏怖を感じつつ、山道を歩きます。
しっかし、こんなにも人の手が入っていない原生林のような風景なのに、ここにもきちんと人が今も住んでいて、山道の端に「山田、吉田、上田 こちら→」というような標識が立っているので、度肝を抜かれました。夜、家に帰るだけで、めちゃ本格的な肝試し(遊び半分のやつではなくて。ちょう本気のやつ)をすることになりそう・・・。

そんな風景の中、どこからともなく聞こえてくる不穏な声。・・・すごく山羊っぽいけど、もしや、ホントに山羊?え?こんなところに??とみんなで首をかしげつつ、鳴き声の聞こえる方向に向かうと(思わず吸い寄せられました。聞きなれない音って、迫力があるものですね。そして、なぜか心引きつけられるものですね。まさか山羊?と正解を確かめたくなってしまう魔力。)ホントのホントに山羊さんでした。
霧の中・・・・いや、おそらく雲の中、孤高の山羊さんが一匹ぽつんと佇んでいました。どうやら山羊さんも人間の群れが心底珍しかったらしく、私たちのほうに歩み寄り、うさんくさそうに鳴き続けます。ひとしきり鳴いた後は、私たちの目の前で盛大にいろんなもの(えっと。オトメ的に自粛しますが、「う」で始まったり、「し」で始まったりする生きていくために必要な例のあれです。)を放出してくれてました。
その自由気ままな振る舞いに「自由やん・・・。いいなぁ。」と心底羨ましそうに呟くチームメイトのジョシ。確かに自由でした。そして、ぴくりとも表情変えませんでした。これっぽっちも動揺を見せない。人を恐れない。まるでこの土地の主のような山羊に圧倒されつつ、お別れを告げて、なおもずんずんずんずん山を登っていくと、何やら少しずつ道が細くなってきました。

危機管理能力に乏しい私は、どんなに歩いている道が野性味あふれる風景に変わってもこれっぽっちも疑問など持たず、「この道が続く限り、まっすぐ歩くのみ」と思っていたのですが、危機管理能力と責任感とを立派に持ち合わせ、なおかつ経験値の高いウォーキング仲間の大先輩おふたりが「どうもこの道・・・おかしくないか?」と気付いてくれました。気付いただけではなく、ほんとに道を間違えているのか、間違えているのであれば、正しい道はどちらなのかを確認するため、山道を模索してくださいました。・・・ホントに頭が下がります。私、このチームメイトさんが実は天使だって、半ば本気で信じてます。

というわけで、みんなで仲良くUターン。
「なるほどねー。さっき山羊さんがあんなに鳴き続けていたのは、私たちの道の間違いを懸命に教えてくれてたからなのね。」と口々に言い募るチーム仲間さんたち。ポジティブです。(でも、傍らでは私が天使だと信じてやまないチームメイトさんが「間違えちゃったよ。」としょんぼりされていました。しょんぼりする必要なんてまったくもってないのに・・・。)

と、ここまで書いて、あまりにも長くないか、と我に返りました。我に返りましたが、どうにも軌道修正できそうにないため、いったん切ります。
私ってば・・・ホントに暇人・・・。

リレーマラソンで疲れる、疲れる。疲れ果てる。

2015年06月23日 18時00分38秒 | 100キロウォーク
週末にチームメンバでフルマラソンの距離、42.195キロを走り切ろう!というイベント、リレーマラソンなるものに参加しました。チームの人数は10人だったため、私が走った距離は結局のところ、たったの4キロなのですが、にも関わらず、ぐったりと疲れ切ってしまい、帰り着き、シャワーを浴びた後は、ひったすらにうとうとうとうと眠り続けたのでした。
本当は夕食までひと眠りし、体力を回復させたら、夕食はどこか外に食べに行こう、とほんのり思っていたのに。これっぽっちも外に出られませんでした。外に出る気持はあったんだけどなー。外に出る準備をしているにも関わらず、目がこれっぽっちも開きませんでした。ひたすらにうとうと。

そもそも、一日外に出ていたために目一杯運動した気持ちになっていますが、走ったのはたったの4キロなのです。それなのにこの疲れっぷり。ウォーキング練習で20キロ、30キロ歩いた時とこれっぽっちも変わらない疲れっぷりです。どゆこと?!と自問自答し、ふと気が付きました。

・・・そういえば、私、太陽の光が苦手な体質だった。
なにせ学生時代から太陽の光とは縁遠い生活を送っており、今も太陽を目にするのなんて休日のみ、という生活。おかげで太陽の光を浴びると、それだけでその日の夜はぐっすり眠れるようになりました。
日曜は太陽の光がさんさんと降り注ぎ、気温も32度まで上昇していたんだとか。そりゃ、疲れ果てるはずだわ、と納得したものの・・・・私、今年の100キロウォークは歩きとおせるのかしら?と不安にもなったのでした。
昨年はたまたま運よく台風と重なって、日差しなんてこれっぽっちも見えない曇り空の中を歩いたわけですが、それでよかったのかも・・・と今になってみれば思うところも大きいわけで・・・。今年もし天候に恵まれすぎてしまい、光り輝く中、歩くことになったら・・・・、歩きとおせる自信がこれっぽっちも見いだせないよう・・・と、今から不安いっぱいの気持ちになりました。なにせ、今年の練習は第1回から毎回もれなく終盤でバテているのです。体力不足も甚だしい。。。

そんな不安いっぱいの日々を送る中、今年も100キロウォークに出場できることが決まりました。
嬉しいような。不安がさらに高まるような。ガンバリマス。

リレーマラソンで走る、走る。

2015年06月23日 12時05分04秒 | 100キロウォーク
週末にチームメンバでフルマラソンの距離、42.195キロを走り切ろう!というイベント、リレーマラソンなるものに参加しました。チームの人数は10人までであれば、参加グループそれぞれで設定可能だそうで、過去には3名で参加された強者グループもあるんだとか。3名で42.195キロということは、ひとり約14キロも走ることになるわけですが、幸い、私が参加したのはフルフル10名が集まったグループで(10名で参加、と聞いていたから「参加してみたいでーす。」と気軽に言えたわけですが。)ひとりあたり約4キロが割り当てられました。

4キロね。
去年は5キロのマラソン大会に参加できたんだもの。
大丈夫!走れる!

と気軽に参加した私をよそに、体育会系の部活所属だった婚約者さんは
「制限時間があるリレーマラソンなんよ?
 自分ひとりが遅いわけにはいかんのよ?チームの結果に影響するよ?」
とひとりこつこつと真面目に練習をする日々。

6月に入ってから私も重い腰を上げてようやく走り出したものの、初回はまさかの1キロで挫折しました。ランニングって・・・・定期的に走ってないと走れないのね。と困惑し、練習しなきゃやばい!ということに気付いたのでした。が、いかんせん気付くのが遅すぎました。
それからも折に触れ「タイムは?1キロ〇〇分ぐらいで走れる?」と婚約者さんから問い質され、そのたびに「自分のペースでしか走れません。早く走れって言われても、無理なものは無理!」と反抗的な態度を取り続けながら迎えた本番。

お世話になったチームはなにやら大所帯で10名×3チームの出場。
ウォーキングチームのお友達と参加したのですが、それでも知らない人がたーくさんで、自称人見知らーの私は一日中、猫かぶりっぱなしでした。猫かぷりっぱなし、緊張しっぱなしではありましたが、チームリーダーの方がとっても面倒見の良い方で緊張しつつもおおいに楽しみました。(たぶん、かぶっていた猫のせいで、表情はものすごーくぎこちなかったと思うのですが、ものすごく楽しんでいました。周囲の皆様には私が楽しいと思っていたこと、たぶん伝わってないと思いますが。)
何しろ、グリーンパークはとにかくどこもかしこもとても美しいのです。朝一番でコースの下見をしたのですが、歩く道すがらの木々の元気な繁り具合と後半、突如姿を現す大輪のあじさい群の見事さににこにこやそこかしこに咲き誇るアジサイに思わず心躍りました。(でも、表情は無表情。なぜなら猫をかぶりっぱなしだったからです。)
が、一周歩いたおかげでコースのアップダウンの多さや2キロという距離の長さが具体的に分かり、大丈夫かしらー?と不安にもなったのでした。2キロがね、自分で思い描いていたよりはるかに長かったな・・・。そして、その不安はリレーマラソンがスタートし、第一走者の方々が一斉に走り出すと同時により一層大きなものとなりました。
なんてったって、みんながとにかく早いっ!
え?ホントに2キロ走ったんですか?!と思わず驚愕しちゃうぐらい、あっという間にみんな戻って来ました。あまりの速さにびっくりし、そしておろおろしました。(婚約者さんからは「だけん、言ったやん!距離がない分、みんな早く走るよって!」と呆れられました。)

とはいえ、おろおろしたって、今更早く走れるようになるわけではないのです。更に言えば、一か月やそこらの練習で早く走れるようになるわけでもないのです。筋金入りの運動音痴っぷりをなめるなー!と開き直った結果・・・チームのみんなが早い人は8分ほど、遅い人でも10分ぐらいで2キロを颯爽と走る中、ひとり12分台を叩きだしました。・・・おそい。遅すぎるよ。と、自分でもほとほと呆れ果てました。(でもって、婚約者さんからは鼻で笑われました。)
あまりに遅いので2回目の出番の際は、スピードをあげるぞ!という決意のもと、しゃかりき走りましたが、どうも自分のイメージしている「しゃかりき」と実際の「しゃかりき」が連動できていないみたいで、結果として11分30秒、というなんとも微妙なタイムの縮まり具合に落ち着いたのでした。・・・おっかしいなぁ。も少し早く走ってるつもりだったんだけどなー。

なにはともあれ、一日楽しく遊びました。
数年前の私には思いもよらないような休日の過ごし方ですが、体動かすのって楽しいなー、と思ったし、そんなことを思うこと自体がなんとなく新鮮で、なおかつ今までの私にないカテゴリの感情なので、なんとなくこそばい気持ちも味わえて、楽しい週末でした。

上って下れよ、ジェットコースターコース!

2015年04月27日 12時53分13秒 | 100キロウォーク
2015年2回目のウォーキング練習。
本当は3月初旬に2回目の練習が入っていたのですが、雨で中止となってしまったのです。
そのため、実に3か月ぶりの練習となりました。
1回目の練習で運動不足を実感していながら、この3か月間、寒さに負けて1分たりとも練習をせずに過ごした私は清々しいくらいの運動不足で練習に臨みました。

でも、実のところ、おのれの練習不足にまったくもって気付いていなかったので、練習に対して不安なんてものを抱くこともなく、のほほんのほほんと久々のウォーキング練習に参加したのでした。
本当に危機感のなさが甚だしかったわ・・・・と、練習を終えた今の私なら分かります。
この人、相当っにっ!甘いっ!ウォーキングをなめてますよーっ!とあの日の朝の自分を指差して罵ってやりたい。

というわけでウォーキング開始。
今回は八幡西区陣原を出発し、直方方面を通って田川に行くんだそうです。(地理感覚があやふやなので、さっぱり距離感を実感できてません。でも、最寄駅の駅員さんからは「ほー。あらー。そんなにー。」と驚かれました。この辺りで危機感を抱いてもよかったんじゃなかろうか、と今の私なら思うわけです。)

田川は大学時代を過ごした思い出の地。ゴール地点は下宿先のすぐ近くです。
大家さん、元気かなー。パン、久々に食べたいなー。買って帰ろうかなー、などと思っていました。出発時点では。(大家さんは1階でパン屋さんをされていたんです。美味しかったなー、オーソドックスなクリームパン。)
ウォーキング仲間がコース説明で使っていた「ジェットコースターコース」という言葉も右から左へすいすいっと聞き流しながら、いざ出発!(・・・もうね。気付くべきポイントがいくつもありすぎて、もはや、あほなのかしら?いや、あほだろう。と断言せざるをえない危機感のなさなのです。)

久しぶりの練習は快晴に恵まれ、お日様の光もぽかぽかと心地よく、春なんだなぁと心底実感できるウォーキング日和に恵まれました。
序盤に通り抜けた竹林ではにょきにょきとタケノコが育っている姿も間近に見れて、さらに春を実感。
木漏れ日の光は柔らかいし、囀る鳥の声は鮮やかだし、なんていい日に恵まれたんだろうなぁ、と幸せを噛みしめながら歩きます。

と、突如現れる急な下り坂。
思わず両手でバランスを取りたくなるぐらいの勾配で、恐る恐る降りていたため、あっという間にウォーキング仲間が遠ざかっていきます。
そういえば、私、下り道が破壊的に苦手だったなー、と思い出しました。降りるだけで精一杯。
いつも練習風景を写真に撮ってくれているウォーキング仲間、イソベさん(仮名)が
「あれ?まだのんちゃんがおったんやね。みんなの写真撮ったつもりやったのに。」
と私を完全に見失っていたほどの遅れっぷり。
ここでようやくおのれが完全に練習仲間から引き離されていることに気付き、危機感を抱きました。(遅い・・・・。なんていうか、ホントに危機感に乏しいのです。)

「そういえば、今回、ジェットコースターコースでしたもんねぇ。」
と今更ながらに納得していると、ウォーキング仲間のチホさん(仮名)が
「今回は、後半に坂道がたくさん待ち受けているらしいよ。」
とものすごくさわやかに教えてくれました。

・・・まじっすか。
私、今の坂道で完全にジェットコースターコースを制覇した気持ちでいましたけど。
ジェットコースターコースが控えてるのは後半・・・・なるほど。ガンバリマス。

と、ようやく。
本当にようやくのようやく、本日の練習コースのきつさに気付いたのでした。
でもまだこの時点では、ジェットコースターコースという名称の由来におののいただけで、まだまだおのれの運動不足には気付いていませんでした。
おや、なんか変だぞ?と思い始めたのは練習開始から2時間を過ぎ、畑貯水池に到着した頃、なんだかお腹が空いてきたなー、そろそろお昼かなー、と時計を覗き込み、まだ9時半前だということを知った時でした。
えっと。まだ歩き始めて2時間未満?!
それでこの疲れっぷり?私の体内時計はすでにお昼ですけれど。練習開始から4時間ぐらい経過したつもりになってましたけど。

というわけで。
この辺りからひたすらひたすらに私はウォーキング仲間さんたちの最後尾をへろへろと歩く一日となりました。
へばっていることが駄々漏れだったらしく、ウォーキング仲間さんからは折に触れ「大丈夫?きついやろ?」と声をかけられる始末。情けなや・・・。
本来、休憩をとるはずではなかった場所でも思わずへたり込み、「休憩したいです・・・。」と懇願し、休憩をゲット。ほんに情けないへたりっぷりを露呈しました。
(でも、ウォーキング仲間のナツコさん(仮名)が休憩をゲットした瞬間、力強く「よくやった!」と褒めてくれたので、「申し訳ないなー」という思いがほんの少し軽減しました。ありがたいなー。私もこういうふうにさりげなく気配りできるようになりたいんだけどなー。)
でもって、休憩をゲットして少しほっとしている私に、キャップがものすごーくわくわくとした風情で
「のんちゃん、休憩の後は、あの坂を上るんよ。」
と教えてくれたのでした。

・・・なるほどね。
ジェットコースターコースってこれのことだったんですねー。
と一目で納得できる大きな坂を目の前に思わず言葉を無くし。
その次の瞬間、私が天使と信じてやまないイソベさんに
「聞いてくださいよー!キャップがー!」
とキャップの嬉しそうな様子を言いつけに走・・・る元気はなかったので力なくよろよろと訴えたのでした。
(でも、天使イソベさんには「しょうがないよ。だってキャップだもん。」と諭されました。確かに・・・。32キロ田川まで歩いて、疲れた様子を微塵も見せず、さわやかに走って帰ったキャップなのです。そりゃ「キャップだもん。」の一言で説明が足りちゃうよね。と納得しました。)

というわけで。
なんとかかんとか壮観の坂道を3つほど上って下りて。
さらに歩いて歩いて歩いて。(すでにくたくた、くらくらです。)
ゴール地点の田川石炭記念館にたどり着くと同時に私はへなへなとへたり込みました。
へなちょこー。
ちょっとあまりに疲れすぎていて、大家さんの経営するパン屋さんにはまったくもっていけませんでしたが、ひっさしぶりに見る田川の風景は色々と懐かしくて、ちょっと心温まりました。
今日現在の(だいぶ疲労から回復した)私は「大家さんち、訪ねてみればよかったのにー。」と思いますが、でもあのときは無理だったもんなー。

そんなこんなで2015年度第2回目のウォーキング練習も無事に(?)終了。
へたれっぷりが際立ったので、ランニングして体力つけよう!・・・このダメージ(今回、初めてもんのすごい筋肉痛に襲われました。やっぱり運動不足が甚だしいんだな、と実感。)から立ち直ったら。と心から思いました。
が、根がへたれなので決意の仕方がダイエットと同じでなんとも胡散臭いのです。ガンバリマスヨー。

そして、いろんな方から「おめでとう」と言われてちょっとこそばゆいような照れくさいような、でもやっぱり嬉しいような気持ちを存分に味わったウォーキング練習でした。
うん。やっぱり「嬉しい。」が一番かなー。うふふー。
皆様、ありがとうございます☆
これからもよろしくお願いいたします♪

追記
そういえば。
久しぶりに乗った日田彦山線のガタゴト列車もえっらく懐かしかった!のです。
単線なので、そこかしこの駅で「3分停車します。」とか「7分停車します。」とか言われてしまういまどき珍しいのんびり列車なのですが、そののんびり具合が「休日☆」という空気を醸し出してくれていました。そもそもカードは使えず、チャージ?何それ?という改札口で駅員さんが切符を受け取って、ぺたんとハンコを押してくれました。駅の中もあの頃は特段気付かなかったけれど、改めて訪れると、電子音や丁寧すぎる説明など、余分な音のない風景が広がっていて、ほっとしました。今の駅ってどこも煩すぎるんだな・・・と改めて気付かされた気がします。
私たちは「便利」と引き換えにいろんなものをなくしてきたんだな、でも、「便利」を選択したのはまぎれもなく私なんだよな、ということを思わされた日田彦山線列車の旅でした。

応援したよ!北九州マラソン2015

2015年02月09日 23時31分50秒 | 100キロウォーク
今年も北九州マラソンが無事に終わりました。
・・・無事に、だったのかな?
海風がとんでもない強風で雪もちらつく中のマラソン・・・。
無事とは到底言い難い。でも、参加者みんなとても楽しそうな(でも、やっぱりもっっっっっのすごくっきつそうでもある)マラソンでした。

昨年から始まった北九州マラソンを私は昨年、我が家の前にて楽しみました。
1万人という数の多さと迫力を大いに楽しみ、そして1万人という数を具体的にこの目で見て、人数を具体的に実感しました。ニュースや新聞で目にする数字を、私はついつい「統計」としてさらっと受け止めてしまいがちなのですが、1万人を数字を実際にこの目で確認すると、いろんなことを改めて考えさせられるというか、1万人って本当に多いんだな、と感慨にふけさせられたというか。

閑話休題。
北九州市を大いに愛する地元民として、久々に北九州を元気に賑やかに彩ってくれたイベントを大歓迎したし、当日も楽しそうに走るランナーの姿をきゃあきゃあ言いながら楽しんだのですが、ひとつだけ心残りがありました。
それが知り合いが大勢ランナーとして出場したにも関わらず、ひとりも見つけられなかったぜ・・・というもの。

そうなのです。割に多くの知り合いが北九州マラソンに挑戦したというのに、1万人という数の迫力はものすごくて、ひとりたりとも見つけることはできなかったのです。
今年こそ!今年こそはちゃんとみんなを見つけて直接、声をかけるのです。
応援している私の姿をちゃんと見てもらうのです。

というわけで。
今年はマラソン前々日に出場者の面々へ「ここで応援してますよ!」というアピールをきちんと告知。
準備万端で当日に臨みました。
(なんなら、わくわくしすぎて朝、早起きもしました。出場するわけでもないのに、5時半に目覚ましをセット。でもって、母上が言うには、あまりに早い目覚まし時計のアラームに寝ぼけまなこの私は朝から激怒してたんだとか。でも、私には6時過ぎにすっきり目覚めた記憶しかないんだけど。おかしいなぁ。)

9時には寒さなんてなんのその、北九州マラソンスタートです。
スタート地点から2キロ弱地点の我が家付近には9時5分過ぎに先頭集団が到着しました。早っ!
今年も色とりどりのランナーたち。おしゃれな人、本気で走ってそうな人、楽しさを追求している人、にこにこしている人、コスプレしている人。
ランナーたちはそれぞれいろんなスタンスでマラソンに参加していることが分かる恰好で、でも、みな一様にすごく楽しそうという共通点があって。
なんだか羨ましくなりました。

とはいえ、羨ましがっている場合ではないのです。
次々にやってくる(やって来ているに違いない)ウオーキング仲間を見つけなければ!







・・・無理だわー。
ランナー1万人が次々にやって来るのに、これっぽっちも「知り合い」っぽい人に遭遇できない。
所詮1万人分の10を探そうっていうほうが土台無理だったのです。
今年も誰も見つけられないかもしれない、と心折れかけていたそのとき。
「のんちゃん!」と声をかけられました。
ウォーキング仲間のキャップが!軽やかに私を見つけてくれたー!!

と、歓喜している間にランナーが次から次へと通過。
みんな律儀に私を探してくれてました。私を見つけては、笑顔で声をかけてくれました。
なんだろなー。走っているみんなを見るだけであんなに嬉しくなるなんて。
すっごく不思議ですが、とにかくすっごく楽しかった!応援場所を宣言していて、本当によかった!と、心から思いました。

そして、なぜか私の隣では、私以上に母上がランナーに声をかけられて大喜びをしていました。
初めて顔を合わせる人がほとんどだというのに、「のんちゃん!」と声をかけてくれるランナーを見つけるやいなや、「きゃー!」と喜びながら「がんばって!」と熱烈に応援。・・・会ったことなかったよね?と、思わず確認しました。
「うん。あの人、誰?」と問い直されました。
なぜに知らないのに、そこまで興奮できるの?と無邪気な母上に心の底から感心。なんでこんなに素直な人が私の母上なんだろう?
とはいえ、ウォーキング仲間のみんなをほぼ全員、私より早く母上が認識して反応していたため、おそらく声をかけてくれたみんなはきょとんとしてたはず。
そんなこんなで、今年も大いに北九州マラソンを楽しみました。

今年は自宅前だけでなく、小倉駅周辺にも出向いて応援できたし。
スタート地点間近の我が家とはまったく異なるランナーたちの姿はマラソンの過酷さを物語るもので、運動と言うものに縁がない故に、ランナーがどんな言葉を(応援を)欲しているのか、これっぽっちも見当がつかない私は、「がんばれ」とすら声をかけることができずにいました。
なにせみんな、これ以上がんばれないぐらいがんばっているのが分かりすぎるぐらいわかる表情、姿なのです。
とても「がんばれ」なんて言えない・・・。

と、せつない気持ちになりましたが、夜の打ち上げで出会った勇者の方々は、みな一様に晴れやかな顔で「応援が嬉しかった!」「がんばってって言われると、すっごくきついのに、ほんの少し加速できるんよ。」と口々に話されていました。なるほど・・・。
あまり深く考えすぎず、来年は素直に応援しようと思います。

そうです。来年は今年以上に熱烈に応援する予定。
まさか実際に出場する、なんてことあるわけがないのです。
なぜかウォーキング仲間のみなさんは、根拠なく明るく「のんちゃんなら絶対に走れるって!」「楽しいよ、絶対☆」「応援するより実際に出るほうがずっとずっと楽しいから!」などと、と誘ってくれるのですが、自分が42キロも走っている姿なんて、今の私にはこれっぽっちも想像できないのです。

打ち上げのみんなはすごくすごく楽しそうだったけれど、その口から語られる経験談は、ものすごくものすごくきつそうなものばかりだったし。何より2月のこんな過酷な環境で走るなんて、そんなこと、へなちょこの私の引き出しを片っ端からひっくり返しても出てきそうにないのです。

元来、体育というものをずっと苦手にしてきた私が、その中でもマラソンは別格で苦手だった私が、一年で一番嫌いな季節が冬で、その理由の何割かを「体育の授業がマラソンになるから」を占めて来ている私がフルマラソンだなんて・・・無理無理無理っ!
と、言いながらも、どこかでほんのちょっぴり走っているみんなをかっこいいなぁ、と思っている自分もいて。
無謀な自分にちらりと恐怖を感じる今日この頃です。

歩き始めるよ。2015年

2015年01月18日 22時03分05秒 | 100キロウォーク
初めて体験した100キロウォークの大会から早3か月が経ちました。
ウォーキング大会は本当に出てよかったなぁ、としみじみと思うし、未だに懐かしく振り返ることができるぐらい大切な思い出となったのですが、いかんせん燃え尽きっぷりがひどく、大会終了と同時に、必要最低限の(生活に必要な)徒歩以外、1歩たりとも歩くということをしない日々を送ることに。
それでも11月末には人生で初めて自発的にマラソン大会なるものに参加し、これまでの私の人生ではありえなかった5キロという距離を走りました。
これまでの私を知る友人には驚愕され、褒め上手の妹からは「お姉ちゃん、着々とアスリートになりよるね。」と持ち上げられ、思ったことを口から出さずにいられない母や親戚からは「あんた・・・何を目指してるの?」と言われました。どうやら私、体動かすことが嫌いではないのかもしれない。と思わないでもないような気までしていたっけ。11月末までは。
突如、急激に冷え込んだ12月。忘年会シーズンにも突入したため、ぱたりと身体を動かすことにさよならを告げ、ぬくぬくとした部屋で美味しいものを飲み食いする日々とこんにちは!をしたのでした。

そうこうするうちに、めでたく2015年を迎え。
本日、(私にとっては)2015年のウォーキング練習始めと相成りました。
コースは昨年と同じく北九州マラソンコース。私が初めて長距離ウォーキングに挑戦したコースです。あれからもう1年も経つなんて!まだ1年しか経っていないだなんて!と感慨深さを覚えながら、30キロのウォーキングを開始しました。


・・・・きつかったー!!!!!!!
あまりにきつくて、自分でもびっくりしました。
去年の初回参加の時は、「ぜんっぜんっ、余裕!私、歩くの、ちょう得意!」と憎らしいぐらいに余裕をかましていたはずなのに。
今年は練習開始から1時間の時点ですでに「あれ?体が重い・・・。あれ?なんだか足が痛い・・・・。あれ?歩き方、忘れちゃった?どうやって体重移動してたんだっけ?」と色々と考え込むことに。自分がどうやって歩いていたのか、どこに体重をかけていたのか、何もかも忘れていて、探り探り歩いたせいか、身も心もぐったりとしてしまいました。
20キロを超えたあたりでようやく自分の歩き方、体重をかけていた位置を思い出せたような。ラスト8キロぐらいでようやくようやく「お。この体重移動が楽。」と思えるようになったような。

そんなこんなで辛く苦しく、でも楽しいウォーキング練習でした。
相変わらず、心の余裕がなくなると、ひとりになる傾向にありますが、仲間の会話や声がすぐ近くで聞こえるぐらいの距離を歩くのが一番好きらしいことが分かってきました。(自分勝手すぎるだろう。と思わないでもない。)ウォーキング仲間が「長距離歩いているときの会話には、その人のひととなりが出る。どんな人がすごく分かりやすくなる。だから自分はウォークのとき、できるだけ、誰かと話すようにしているんです。」と話しているのを小耳にはさみ、なるほど!と心底納得したくせに。すぐ心の余裕をなくして自分の殻にとじこもっちゃう。すぐ傍観者にまわっちゃう。とはいえ、今回は純粋に体力の余裕自体、なかったような気も。「話しながら歩く」って体力があるからこそ、できることなんだな、みんなすごいな、とみんなへの尊敬の念を高めました。

北九州マラソン参加者は今年も20キロ地点からはランニング。
北九州マラソン非参加者はウォークで追いかけつつ、今年も珈琲による誓いの儀式を敢行。「100キロウオークに参加しようね。」という契約(約束)の珈琲を飲み交わしました。
去年、初めての長距離ウォークで不安を感じていた私と幼馴染に「珈琲でも飲もうや。」とにこやかに珈琲をご馳走してくれたウォーキング仲間が(そして、「飲んだよね?珈琲飲んじゃったよね?じゃあ、今年の100キロウォークに出るんよ?それ、100キロウォーク参加の契約書やけん。」とユーモアあふれるやり方で100キロウォークに誘ってくれたウォーキング仲間が)「今年も100キロウォークに出てもらわないかんけんね。」と、またも珈琲をご馳走してくれました。美味しかった!あたたかい珈琲が心身の隅々にまで染み渡りました。

誓いの珈琲を飲み交わし、再びゴールを目指して歩き始めてから30分ほど経過した頃から、ゴール地点で折り返してきた北九州マラソン参加者たちと続々合流。次々に戻ってくるランナーが、私たちを見つけては口々に「ありがとう!」「会えて嬉しい!!」「やったー!!」と喜んでくれ、あまつさえお辞儀までされてしまったので、こちらまでほっこり嬉しくなりました。ふっふふふーん。

というわけで、門司港到着!
ひっじょーにきつくてしょんぼりしながら歩いていたのですが、終わってみれば去年の練習より30分も早く門司港に到着。
幸先の良い練習始めとなりました。
昨年はゴール直後、疲れ果てすぎて、胃が受け付けなかった焼きカレーも今年は難なく完食したし。
ぺろりと食べてしまった焼きカレーがこれまた!ひっじょーに美味しかったし。(体の中からあったまりました。)
ご飯とルーの比率が私好みで(ルーをたっぷりかけたいほうなのです。)もしかして神様からのご褒美かしら?と、うっとりしたし。
人数が多すぎて、いったん解散し、三々五々に昼食を楽しんだウォーキング仲間とも、帰りの電車ではめでたく再会できて楽しく帰ってこれたし。
とにかく幸先の良いこと尽くしの練習始めでした。

幸先がよかったので、今年も練習がんばります。
まずは歩き方を思い出します。がんばれ、わたし。

呑んだくれちゃえ。がんばったんだもの。

2014年11月19日 00時36分41秒 | 100キロウォーク
週末、100キロウォークの打ち上げが開催されました。
台風で開催すら危ぶまれていたあの100キロウォークから早1か月。
「非日常」で満ち満ちたあの2日間の日々からもう1か月も経つのです。

あの2日間の出来事は今も色鮮やかによみがえって来るし、
全然、色褪せていないのだけれど、言われてみれば、月日が経った分だけ、
「つらかった!」とか「きつかった!」とか「眠かった!」というような感情は
うすぼんやりとしてきているような。
「すんごい大変だったし、眠かったし、痛かったけど、楽しかったなー。」とか
「ゴール後の満足感、充実感、多幸感の大きさは、高校3年時の体育祭に匹敵するかも。」とか
「ゴール直後の温泉は鳥肌立つほど気持ちよかったな。」とか
そういう「楽しかったー。」という記憶がうっかり大きくなりつつあるような。
そんな気がしないでもないのです。

人間の記憶力って幸せを優先的に受け入れるようにできてるんだなー。
と、感嘆しつつ呑むお酒はとてつもなく美味しく、うっかり久々に呑み過ぎてしまいました。
でもって、みんなと交わした思い出話もえっらく楽しく面白く、笑いっぱなしの夜でした。
あまりに笑い過ぎて喋りすぎて呑み過ぎて、飲み会の後半は完全に声が枯れ果ててしまい
場末のスナックのチーママみたいな声になっちまったのでした。ホント、呑み過ぎ注意。

とはいうものの、呑み過ぎたせいなのか、私の記憶力がぽんこつなせいなのか
すんごく楽しかった飲み会なのに、ポイントポイントしか覚えていないのです。
ちょっと真剣に脳を鍛えなおしたほうがいいような気がする今日この頃。

以下、そんなぽんこつ状態の私の脳になぜか刻み込まれた出来事です。

・先週は福岡マラソンにも初出場した田中君(仮名)。
 「フルマラソンより100キロウォークのほうが断然きつい!
  やけん、のんちゃんもフルマラソン絶対に走れるよ!!」と力説。
 ・・・そんな馬鹿な。42.195キロをなめるなー。

・「マラソンはリタイアなんて考えなかったけど、100キロウォークはリタイアしたかったもん。」
 という衝撃エピソードも淡々と告白してくれました。
 でも、お昼時には「絶対、来年も出る!」って力強く宣言してたのに。
 すごいな、その精神力(回復力?)。と感嘆。

・キャップはいつもにこやかに穏やかに私たちを激励してくれます。
 「100キロはやっぱりきついよね。長いもん。ほぼ24時間やけんね。
  フルマラソンは、それに比べたら4~5時間で終わるけんね。楽なんよ。」
 穏やか笑顔に騙されそうになりますが、絶対に「楽」ではナイ、と思うのです。

・まったく見たことない方がいるけれど・・・どなたかしら?といぶかしく思っていた5分後ぐらいに
 何度も練習をご一緒させていただいたことのある人生の大先輩、陸かめさんだと気付きました。
 スポーツウェアとのギャップが大きすぎて5回ぐらい見返しました。
 5回ぐらい見返しても、練習の時の陸カメさんと一致させることができませんでした。
 ・・・どうやら私ってば、記憶力だけでなく、人物認識力もぽんこつの模様。

・と、思っていたら、いつも賑やかムードメーカーの山田さん(仮名)が
 「誰かと思ったら、陸かめさんやないですか!全っ然わからんかった!
  練習の時は悪ガキみたいなのに、今日はジェントルマンみたいやないですか。」
 と驚愕しており、なんだ、私だけじゃないのね、と安心。

・したのも束の間、いつも賑やかムードメーカーの山田さん(仮名)は
 練習仲間の名前をほとんど覚えてない疑惑(というか、本人も認める事実。)が浮上。
 安心してる場合じゃないことが判明しました。

・そんな山田さんが田中君との感動エピソードを披露してくれました。
 第3チェックポイント直前で田中君に遭遇した山田さん。
 風邪で体調が悪いこともあって「リタイアするかも。」と心折れかけていた田中君を
 「リタイアはいつでもできる。でも、リタイアしたら絶対、一年間、後悔するぞ。
  足が痛いかもしれんけど、痛いんやったら、その痛いところに力を入れて
  痛みつけるぐらいの気持ちで前に進め。絶対、ゴールはくるけん。」と叱咤激励したんだとか。
 さすが長淵を愛する男。男前なのです。

・なのに、そんな映画化できそうな感動エピソードを教えてくれた直後に
 「でもね、田中君の名前が全然、思いだせんくてねー。」とあっけらかんと言い放つ山田さん。
 さすがです。いい話なのに。

・遅れてやってきた広島さん(仮名)には「おう!ふなっしー。」と声をかけられました。
 100キロウォークの際、黄色いウェアを来ていた私はそんなあだ名で呼ばれてたっけ。
 よく覚えてましたね!と感嘆する私。

・そろそろお酒がまわって来て、何をしても何を聞いても、何を話しても楽しくなってきています。

・100キロのほとんどを共に歩き、共にゴールした(そして、時にふてくされたり
 やさぐれたりしていた私のおもりをしてくれていた)あやちゃん(仮名)とも乾杯!
 本当にっ!!ひとりだったら、絶対にゴールできなかったよ!!ありがとうっ!
 と熱を込めてお伝えしたところ、素直なあやちゃんは「私もですよー。」と
 にこやかに答えてくれました。ええ子や・・・とほろり。

・「まあまあ、ふなっしーもここにお座り。」と呼び寄せてくれた広島さん(仮名)。
 ラスト10キロを共に歩いた中なのです。第3チェックポイントでへばっていた私たちを
 ひっぱってくれた恩人です。いっちばんきつかった(って、どこもきつかったので
 「一番」なんて決められないのだけれど。)ところを支え合った同志なのです。
 「でも、俺を踏み台にしてゴールしていったけんねー。」と責められました。えへ。否定はしません。

・そんな広島さんたちとの思い出話がふと落ち着いた瞬間、飛び込んできた
 「俺、夜は強いんですよ。」という下村さん(仮名)の声に「なんて話をしてるんだ!」
 と興奮する広島さん。・・・確かにインパクトある自慢でした。

・今年は残念ながらゴールできなかった幼馴染に「来年は絶対に一緒に歩こう!」と
 力強く誘うムードメーカー山田さん(仮名)。
 「俺とゴールするか、キャップとゴールするか、「山田(仮名)」か「安田(仮名)」か選んで!」
 と迫られる幼馴染。・・・ちょっとうらやましい状況だぞ。

・最後の最後にみんなで一言ずつご挨拶。
 今年は残念ながら参加できなかったまるちゃんの素直な心根がにじみ出ていた挨拶と
 すごくすごくかわいらしい涙にハートを打ち抜かれました。

・それに比べて私のあいさつと来たら・・・・。
 心が荒みきってるとしかオモエナイ。
 もっと素直に生きなきゃな、と壮大な反省をしたのでした。
 ホントにね、「100キロ歩いた私、本当にお疲れ様。」なんて挨拶してる場合じゃないよ。
 もっと周囲の方々に感謝をして生きるがいいよ。

・と、反省したものの。
 きっとこの天邪鬼ぶりは生涯、治ることはないのです。皆様に慣れてもらおうっと。

・というわけで、お疲れ様でした。楽しかった!
 まだまだ話し足りなーい!!・・・けれど、私の喉は限界なのです。
 この頃には、完全に変声期のオトコノコ、もしくは夜明けのおっさんみたいな声になってました。

・あ!!これだけは書き留めておかないと!!
 後ろのテーブルに座っていたとても親切な殿方に
 「全然、30代に見えない!20代だと思ってたよ!」と驚かれたのです。
 ふっふふーん♪と大喜びしました。

・でもって、田中君から「え?嘘やん!目尻の皺とか結構すごいのに!?」
 と本気で驚かれました。真面目に否定されました。くっそう。

・年明け1月18日に来年の練習開始です。楽しみだー!
 ・・・でも、まだ来年の100キロウォークに出場するのかどうか、分かりません。
 と、言い張りましたが、なんとなく出ている気がしないでもない。
 だって私のぽんこつな記憶力が辛かった記憶をどんどん忘れてくれてるんだもん。

・と、思いましたが。
 でも、来年のことを言うと鬼が笑うので、来年のことは来年になってから考えるのです。