のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

斜陽/太宰治

2002年08月29日 02時18分30秒 | 読書歴
■斜陽/太宰治

本日、太宰治さんの「斜陽」をやっと読了。
本が好きだと言っている割には日本近代文学にほとんど
手をつけてなくて、最近、ようやくぼちぼちと制覇しだしている。

斜陽は終戦後の没落貴族一家のお話。
没落してしまった一家は家を引き払い、田舎へと引っ越す。
しかし、母は「最期の貴族として」結核で死に、
弟もまた「貴族にも庶民にもなれず」に自殺を選ぶ。
そして主人公・かず子は「私生児と、その母」として
子供と共に生き抜くことを決意する。

読んでいて人間の生き方について考えさせられた。
弟・直治が自分の母親を評して
「爵位があるから貴族ではない。
 天爵というものがあるのだ。」という。その言葉に強く共鳴した。

人間には確かに天爵というものがあると思う。
それは、その人が持つ「品位」と深く関係しているのだろう。
それならば、私も品のある人間でいたい。
どんなにお行儀が悪い作法をしていても優雅なお母様。
誰からも愛され、慕われるお母様。そのような人物でいたい。
彼女は優雅ではかなげではあるが、決して弱いわけではない。
本当の強さを知っているのではないか。
彼女は、人生に絶望している直治を決して見捨てない。
薬中毒になっている彼をひたすら愛し続ける。
少々、甘えたところがあるかずこの弱さも受け入れ
「あなたは少女みたいなところがあるのね。」
と笑って、彼女を認める。人間の弱さも醜さも
すべてを受け入れることができる人は本当に強い人であり、
本当に美しい人なのだ。
だから、彼女は天使のように優雅に死んでいく。
そのような彼女の強さ、美しさを私も手に入れたい。

終盤の直治の遺書に
「人間には生きる権利があるのと同様に、死ぬる権利もあるはずです。」
という言葉がある。私はあえて、この言葉を否定したい。
人間には死ぬる権利などないのだ。
どんなにつらくてもどんなにもがいていても人は生きなければならない。
いや、弱くてどうしようもない人間ほど「生きる義務」があるのだと思う。
そう、どんな人間も生きなければならない。
それが生まれてくる意味なのだと思う。それが人間なんだと思う。
明日、生まれてくる子供たちのために。
明日という一日のために。

「斜陽」
たとえ日が落ちてしまってもまた明日になれば、日は昇るのである。
私は落ちていく太陽を見ながら
明日、昇ってくるであろう太陽を想うことができる人でありたい。

早寝早起きが生活の基本です

2002年08月29日 02時13分26秒 | 日常生活
今朝、携帯の音で目が覚めた。

朦朧とした意識で「もしもし」と答えると、
母が浮かれた声で「もしもしー。今、何してるの?」とたずねてきた。

「寝てた。。。」と正直に答えると
「もう、朝よ。起きなさい。」という慈悲深い母親の声。
5分ぐらい話して電話を切ると携帯の画面に
「4:30」という時刻表示が。。。

確か、話の内容は
「かおちゃん(妹)が起きてくれないからさびしくて。
 大学生になったとたんに、朝、起きるのが遅くなって困るわ。」
だったような・・・・。

母よ。妹がおきてくれないのも当たり前だ・・・。
さびしいときは電話をかけてきてもいいから
せめて、5時半以降にしてくれ。。。

何か腑に落ちないものを感じた早朝。
さびしがりやの天然母親を持つと時々、苦労する・・・・。

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ようやっと、今のスタンスと変わらない文章に出逢えました。
しかし、文体が今と全く違う!
いやー。人は日々、変わりゆく生き物ですな。