女友達3人で不定期開催しているロイホ会に参加しました。
仕事や家族に関する愚痴を吐き出したり、抱えている悩み事に真面目に回答し合ったり、どうしよう?どうしよう?とおろおろしていることを笑い飛ばしてもらったりして元気をもらう会です。
それぞれ定番のメニューを食べながら近況を報告し合い、一息ついたところで、ひとりから
「ねえ、みんなって何にぐっとくる?」
という問題提起がされました。
ぐっとくる・・・?ってどゆこと?
趣味は何かってこと?好きなものは何かってこと?
「たとえばね、私の上司はサーフィンが好きで海が好きでボードもしてマラソンもして、トライアスロンもして、それが全部好きで、いっろいろ楽しそうに話してくれるっちゃん。でも、私、その話を聞いても『・・・・はい。』みたいな感じで今ひとつぐっとこんと。聞いてもテンションがあがらん。
かといって、私がそんなふうにテンションあげて話したいことがあるかっていうと、それもないと。
じゃあ、『好きだなぁ。』とか『幸せだなぁ』って感じること、思うことってなんだろうって考えたら、仕事以外思いつかんくって。みんな何しとうときに『幸せだなぁ』って思うと?」
・・・むむむ。
またえらく難しい問題提起が出たものです。
「幸せだなぁ」って感じるもの?
・・・わかんない。
と答え終わりもしないうちに
「『わからない』はだめ!ちゃんと考えて!」
とにべもなく却下されました。
ふむ・・・・。
でもなー。
本を読むことはとても好きだけど、幸せをかみしめながら読んでいるわけではないしなー。なんかちょっと違う気がするのです。
テレビもすごく好きだけど(特にドラマは。でも最近はドキュメント番組も好き。録画の割合は数年前まで10:0ぐらいだったけれど、ここ最近はほぼほぼ1:1です。)これまた幸せをかみしめながら見ているかというと、ちょっと違うような。わざわざ録画してまで見ようというぐらい興味を持っている番組なので、前のめりで見ていますが、それについて熱く語れるかというと、ちょっと違うような。(でも、見終わったドラマについては、毎回熱く語っている気はする。やっぱり好きなんだろうな。)
映画も好きだけど、最近は全然映画館に行けていないし。(映画は断然、映画館で見たい派です。映画への集中力がまったく違うので、後々の印象の残り方も違ってくる気がします。)
サーフィンとかボードとか論外だし。
(もう私の世界の外にあるものだと思ってます。)
美味しいものを食べるのは好きだけれど、お店を開拓してまで、という熱意はないし。(なんならお店の名前も場所もちっとも覚えられないし。)
裁縫とか編み物とか「ごめんなさい!女子に生まれてはいるんだけどね。」と謝りたくなるレベルだし。
絵画とか美術とか「好き」か「嫌い」か「わからない・・・」しか語れないレベルだし。
・・・なんてうすっぺらい人生を歩んでいるんだ、私ってば。
と、思いました。つくづくと。
でも、めげずにいっろいろ、ホントにいっっっろいろと考えさまよった結果、(仕事の時もこれぐらいの粘りを発揮できたら、何かが違うだろうに・・・と思わないでもありません。私、根本的にがんばるところ、力を入れて取り組むところを間違え続けの人生を送ってるなー。)たどりついたのが「景色」。
・・・地味。
でも!
ここ最近の私がテンションあがった出来事を列挙して考えてみるとすべて風景なのです。
たとえば
・ひたすらに雨が続いた後の抜けるような快晴の青空、だったり
・輝くような色合いで咲き誇っていた満開の紫陽花、だったり
・夜と朝の狭間の時間で徐々にお日様が広がり始めているニュアンスカラーの夜空、だったり
・完全に明るくなった東の空で広がる真っ赤な朝焼け、だったり
・田舎道でふいに見えるカーブの美しい線路、だったり
・こちらとあちらがとても近く柵がすぐ向こうに見える線路、だったり
・線路わきに広がる彼岸花の大群、だったり
・歴史を感じる(でも、特に歴史的価値はまったくない)街中の風情ある木造の小さな小さな家、だったり
・町内をまわる小倉祇園太鼓の山車を取り囲むいろんな年代の人たち(歩くのもやっとのおじいさんやまだまだよちよち歩きのちびっこ、この町内のことなら何でも知ってますよ!という風情のお母さん)だったり
そういうふとした風景を見つけた時にふわぁっと幸せを感じたような。思わず笑顔こぼれたような。
でも、それを写真におさめられる芸術的センスはない。し、それを写真に留めておきたいかというと、そういう欲望がそもそもない。
そのときどきのその風景は好きだけど、その風景を写真に収めて、自分で見たいときに見る、ということには価値を置いていない気がします。長続きしないもの(いずれ消えてなくなるもの)がもっとも美しい時に立ち会えた時、偶然遭遇できたときに幸せを感じるんじゃないかなー。
誰かとそれについて語り合いたいかというと、そうでもない。けれど、大切な人と「こういう風景、いいよねぇ。綺麗だよねぇ。」と共有できると、さらに幸せな気持ちになります。語り合いたい欲求はないけれど、大好きな風景を見つけたとき、隣にはいてほしい。(気がします。)
と、そういうことをがっつり考えた時間が非常におもしろかったです。
また、その考え抜いた結果が人それぞれまったく異なるんだなってことも興味深かったな。
違うんだよね、人それぞれ。という至極当たり前のことを再認識できた刺激的なテーマでした。
ちなみに。
「線路のある風景が好き。」と伝えたところ、「あんた、基本的におたく気質やもんね。」と言われましたが、オタクだなんてとんでもない!と思うわけです。
オタクというのは、好きなことを極めている人、究められるだけの能力がある方々なのです。そんな方々と肩を並べるだなんて、恐れ多い!
私はどの分野においても(好きなものに対してですら)根気というものがないため、究めることはできません。ふんわりと好きなだけ、でも執着心は意外と強い、という厄介な体質の持ち主なのです。
覚悟しておいてください。婚約者さん。
仕事や家族に関する愚痴を吐き出したり、抱えている悩み事に真面目に回答し合ったり、どうしよう?どうしよう?とおろおろしていることを笑い飛ばしてもらったりして元気をもらう会です。
それぞれ定番のメニューを食べながら近況を報告し合い、一息ついたところで、ひとりから
「ねえ、みんなって何にぐっとくる?」
という問題提起がされました。
ぐっとくる・・・?ってどゆこと?
趣味は何かってこと?好きなものは何かってこと?
「たとえばね、私の上司はサーフィンが好きで海が好きでボードもしてマラソンもして、トライアスロンもして、それが全部好きで、いっろいろ楽しそうに話してくれるっちゃん。でも、私、その話を聞いても『・・・・はい。』みたいな感じで今ひとつぐっとこんと。聞いてもテンションがあがらん。
かといって、私がそんなふうにテンションあげて話したいことがあるかっていうと、それもないと。
じゃあ、『好きだなぁ。』とか『幸せだなぁ』って感じること、思うことってなんだろうって考えたら、仕事以外思いつかんくって。みんな何しとうときに『幸せだなぁ』って思うと?」
・・・むむむ。
またえらく難しい問題提起が出たものです。
「幸せだなぁ」って感じるもの?
・・・わかんない。
と答え終わりもしないうちに
「『わからない』はだめ!ちゃんと考えて!」
とにべもなく却下されました。
ふむ・・・・。
でもなー。
本を読むことはとても好きだけど、幸せをかみしめながら読んでいるわけではないしなー。なんかちょっと違う気がするのです。
テレビもすごく好きだけど(特にドラマは。でも最近はドキュメント番組も好き。録画の割合は数年前まで10:0ぐらいだったけれど、ここ最近はほぼほぼ1:1です。)これまた幸せをかみしめながら見ているかというと、ちょっと違うような。わざわざ録画してまで見ようというぐらい興味を持っている番組なので、前のめりで見ていますが、それについて熱く語れるかというと、ちょっと違うような。(でも、見終わったドラマについては、毎回熱く語っている気はする。やっぱり好きなんだろうな。)
映画も好きだけど、最近は全然映画館に行けていないし。(映画は断然、映画館で見たい派です。映画への集中力がまったく違うので、後々の印象の残り方も違ってくる気がします。)
サーフィンとかボードとか論外だし。
(もう私の世界の外にあるものだと思ってます。)
美味しいものを食べるのは好きだけれど、お店を開拓してまで、という熱意はないし。(なんならお店の名前も場所もちっとも覚えられないし。)
裁縫とか編み物とか「ごめんなさい!女子に生まれてはいるんだけどね。」と謝りたくなるレベルだし。
絵画とか美術とか「好き」か「嫌い」か「わからない・・・」しか語れないレベルだし。
・・・なんてうすっぺらい人生を歩んでいるんだ、私ってば。
と、思いました。つくづくと。
でも、めげずにいっろいろ、ホントにいっっっろいろと考えさまよった結果、(仕事の時もこれぐらいの粘りを発揮できたら、何かが違うだろうに・・・と思わないでもありません。私、根本的にがんばるところ、力を入れて取り組むところを間違え続けの人生を送ってるなー。)たどりついたのが「景色」。
・・・地味。
でも!
ここ最近の私がテンションあがった出来事を列挙して考えてみるとすべて風景なのです。
たとえば
・ひたすらに雨が続いた後の抜けるような快晴の青空、だったり
・輝くような色合いで咲き誇っていた満開の紫陽花、だったり
・夜と朝の狭間の時間で徐々にお日様が広がり始めているニュアンスカラーの夜空、だったり
・完全に明るくなった東の空で広がる真っ赤な朝焼け、だったり
・田舎道でふいに見えるカーブの美しい線路、だったり
・こちらとあちらがとても近く柵がすぐ向こうに見える線路、だったり
・線路わきに広がる彼岸花の大群、だったり
・歴史を感じる(でも、特に歴史的価値はまったくない)街中の風情ある木造の小さな小さな家、だったり
・町内をまわる小倉祇園太鼓の山車を取り囲むいろんな年代の人たち(歩くのもやっとのおじいさんやまだまだよちよち歩きのちびっこ、この町内のことなら何でも知ってますよ!という風情のお母さん)だったり
そういうふとした風景を見つけた時にふわぁっと幸せを感じたような。思わず笑顔こぼれたような。
でも、それを写真におさめられる芸術的センスはない。し、それを写真に留めておきたいかというと、そういう欲望がそもそもない。
そのときどきのその風景は好きだけど、その風景を写真に収めて、自分で見たいときに見る、ということには価値を置いていない気がします。長続きしないもの(いずれ消えてなくなるもの)がもっとも美しい時に立ち会えた時、偶然遭遇できたときに幸せを感じるんじゃないかなー。
誰かとそれについて語り合いたいかというと、そうでもない。けれど、大切な人と「こういう風景、いいよねぇ。綺麗だよねぇ。」と共有できると、さらに幸せな気持ちになります。語り合いたい欲求はないけれど、大好きな風景を見つけたとき、隣にはいてほしい。(気がします。)
と、そういうことをがっつり考えた時間が非常におもしろかったです。
また、その考え抜いた結果が人それぞれまったく異なるんだなってことも興味深かったな。
違うんだよね、人それぞれ。という至極当たり前のことを再認識できた刺激的なテーマでした。
ちなみに。
「線路のある風景が好き。」と伝えたところ、「あんた、基本的におたく気質やもんね。」と言われましたが、オタクだなんてとんでもない!と思うわけです。
オタクというのは、好きなことを極めている人、究められるだけの能力がある方々なのです。そんな方々と肩を並べるだなんて、恐れ多い!
私はどの分野においても(好きなものに対してですら)根気というものがないため、究めることはできません。ふんわりと好きなだけ、でも執着心は意外と強い、という厄介な体質の持ち主なのです。
覚悟しておいてください。婚約者さん。