ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

趣味(落語と本)の話と大好きなうどんを中心に、ごまめになってもいちょかみで幅広くお届け

巴の会~待望の鶴二さんの佐々木裁き・最高

2011-02-27 23:56:43 | 笑福亭鶴二

巴の会・・・・今回は、「佐々木裁き」、鶴二さんの四郎吉が楽しみ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

期待通りの極上の「佐々木裁き」、主人公四朗吉よりも、
佐々木信濃守が出色の出来。

ご自分が出した問いに対する、想定外の四朗吉の答えの度に、
一本取られたと、戸惑う佐々木信濃守の表情が卓越。

最高の感激・・・・・・の続編は後日でおます。


曲者揃いの巴の会(鶴二、瓶太、遊喬の三人プラス文鹿さんの四人ですが巴とは)


かっこいい・鶴二さんの一枚看板。

最初に、四人揃ってのご挨拶。
巴(三)でありながら、四人である由来を、瓶太さんが忙しい時に、
メンバー入りした文鹿さんを加え、今は巴の会として継続。
鶴二さんの、文化庁芸術祭優秀賞受賞されたことのご紹介を瓶太さんから・・・。

一、笑福亭喬介・・・・・・・・・・・・・・・・・「つる」

まず、首長鳥のオンが一羽「ツ~・・ツ」と飛んできて、浜辺の松の木へ「ル」と止まった。
何度も、何度も、くりかえすが、間違わなくて、正解言うのではないかと、ヒヤヒヤ。

ちゃんと間違えて、「ねえ」と確認しながら、にやりとする喬介さんに、ホッとする。
一緒に高座に上がってスリルを味わっているような、ドキドキ感一杯で
それでいて楽しい、不思議な喬介さんの「つる」で、アホの台詞、間違う台詞というのが
いかに難しいのかが、よう解りましたで。

二、笑福亭瓶太・・・・・・・・・・・・・・・・・「池田の猪買い」

瓶太さんの賑やかな猪買い。
笑福亭の匂いがありながら、冬の寒さというより、ご自分でも言っておられましたが
汗びっしょりで、夏の噺かいなと。私は、池田に着いてからのしんしんと雪の降る情景が
、この噺の中では一番好きなんですが。

「つる」の由来まで教えてくれた甚兵さんがでてくるぐらい
いつもながらサービス精神たっぷりのいたって、
ご陽気な瓶太さんの「池田の猪買い」でおました。


三、笑福亭鶴二・・・・・・・・・・・・・・・・・「佐々木裁き」

最高に、おもしろい。鶴二さんの「佐々木裁き」

四郎吉、生意気というより周りのおとなが普段喋っていることを悪気もなく喋っている。
それよりも、四郎吉の答えに、一本取られたと苦笑し、はたまた大人気なく憤ったりする
鶴二さんの佐々木信濃守、人柄の良さがでて最高
「座興、座興」と楽しむおおらかさ、ほんま、ええ、人ですな。

来月の、観音寺落語会は「親子茶屋」とか、ネタおろしではないが、
新たなる聴いたことのない噺の登場に嬉しくなりますな。


仲入り

四、桂文鹿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「利き酒」

題目をみると古典ようですが、実は創作落語。
酒を呑んで、銘柄を当てる「利き酒」
酒は濁りを嫌うので「キキザケ」とは読まず、「キキシュ」と読む。
さも、本当のようなことを挟みながら、噺がすすむ。

五つの中に、二つ、おんなじのがあるが、それは、どれとどれ。
うん蓄一杯の、酒談義、酒好きには堪えられない文鹿さんの「利き酒」でおました。


五、笑福亭遊喬・・・・・・・・・・・・・・・・・「鬼の面」

お母さんに似ているとお面屋のおっさんに貰うた、お多福の面。
旦那さんのイタズラで、鬼の面にすり替えられる。
それを知らない、子守のおせつ、母親に変があったのではと、お店を飛びだす。

奉公にでた子供を思う親の気持ち、親を心配する子供の気持ち。
思う気持ちは同じでも、「藪入り」が松竹新喜劇なら、この「鬼の面」は吉本的バタバタ劇ですな。

サゲは、「鬼が笑うてる」、「来年のハナシをしたからや」
せっかく、人情噺っぽくきたのに、サゲは肩透かしでおますな。

でも、あまり聴く機会のない噺、遊喬さん、ありがとさんでございます・・・。


巴の会~繁昌亭編
2011年2月27日(日)午後6:30開演
天満天神繁昌亭

一、笑福亭喬介・・・・・・・・・・・・・・・・・「つる」
二、笑福亭瓶太・・・・・・・・・・・・・・・・・「池田の猪買い」
三、笑福亭鶴二・・・・・・・・・・・・・・・・・「佐々木裁き」
仲入り
四、桂文鹿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「利き酒」
五、笑福亭遊喬・・・・・・・・・・・・・・・・・「鬼の面」

11-08-33

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旬の味わい~花園・辻亭

2011-02-26 13:59:50 | グルメ・スイーツ
今年も、落語仲間の辻さん宅で、牡蠣パーティ。

鶴二さんに、鉄瓶さん。そして落語仲間が四人もお伺いして、賑やかに、美味しい料理とお酒を頂く。


バジルソースの野菜スティックにはじまり、水菜のサラダ、若ごぼうの煮たのん。
そして、牡蠣の蒸したものを、塩ぽん酢で頂く、最高に美味。

タルタルソースで、牡蠣フライ。・・・・茶碗蒸しに、牡蠣ごはん、これがまた絶品。
ほんと、辻亭の牡蠣フルコースは、「もてなしの心」が詰まった最高の料理でおます。


黒木本店・尾鈴山蒸留所 芋焼酎 爆弾ハナタレ 44度

焼酎の最初にとれるしずくを集めた初垂れ「ハナタレ」、旨い44度。


滋賀のお酒とか、日頃なかなか呑めない、希少なるお酒がぞくぞく登場。


酒が案外弱いわたし用に準備して戴いた、養命酒、いや、ドンシモン・サングリア。
甘くて、ワインとジュースのあいのこ。でも度数は、4.5度のお酒。


お嬢様の踊り、「あやめ浴衣」だそうで、本格的、まるで祇園でおますな。

季節感たっぷりの、豊かな「旬の料理」に、辻ご夫妻の豊かなお心づかいに、感謝でおます。

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第560回・田辺寄席~桂こごろうの段

2011-02-22 23:43:23 | 田辺寄席

夜席はこごろうさん、「くやみ」と「高津の富」、どちらも初でおます。
楽しみですな。

開口〇番・・・「ゲ」現代落語論・・・・・・・文太

談志師匠が30代に書いた本ですが、何度も文太さん、読み返しているが
笑いの本質をついていると。

古典落語を究めていたが、林家三平さんの芸も認めていた。
正蔵の息子でありながら、落語が下手であったが、ある時化けるというか、
芸としての、変化がおとずれた・・・
究極の笑いとして、例をあげながら、笑いの本質を述べる。

プロとして、文太さんが認める談志師匠って、私たちの想像を超えて凄いんでしょうな。


一、桂佐ん吉・・・・・・・・・・・・・・・「始末の極意」

佐ん吉さん、紙を三回使う方法、10年扇子がもつ使い方、梅干しの食べ方から
「始末の極意」へ、本来もっとあれこれあったように思うが・・・
でも、見るたびに成長、語り口もしっかりで、頼もしおます。

最後に聞く「究極の始末の極意」とは、木にぶら下がって、どんどん指を外してゆき、
残った親指と人差し指でつくる輪っか・・すなわちお金を決して離すなと。

青菜でも、指で輪っかをつくり、お猪口で・・いや銭のあるだけと・・・
昔は、親指が親父、おやっさんで、小指が彼女、人差し指と中指を揃えて出せば煙草とか、
手で、言葉替りに使ったりしたもんですが、この頃はいたってみかけませんな。


二、桂こごろう・・・・・・・・・・・・・「くやみ」

こごろうさんのマクラ、いつもながら、おもしろおます。
王将で隣の客に餃子を盗られた話とか、新快速でのシートの倒しあいとか、
実話の様な、創った様な、ほん身近な出来事だけに、皆があるある大事典状態で
ひとつひとつが、小話の作品として完成しているのが素晴らしい。

噺は「くやみ」、「なんと申しあげてよいものか」と、葬式でのお悔やみのサンプルから
はじまり、炭団屋のおっさんの店の宣伝から、しっかりしたお女中のくやみ、
そして、嫁さんとの馴れ初めから日頃の仲の良いとこをとくとくと述べる男
でも途中で、ハタと葬式の場であるということを気づく。
こんな、ちょっとした表情に、こごろうさんの真価が見える。

熱中すると、周りが見えないということは、普段からよくあることですな。


三、桂文太・・・・・・・・・・・・・・・・・「運廻し」

蓮根、人参、大根。
天丼、かつ丼、他人丼。
本町、心斎橋、難波、新今宮、天下茶屋、・・・・・・・・林間田園都市。
プラス・・・通勤圏・・どうでおます。

「黒田節」まで、登場する文太さんの、運廻し。

農林水産大臣、自分自身で、参議院議員、不信任案。


四、桂九雀・・・・・・・・・・・・・・・・・「神隠し」

古古典と300年前の噺を、文献から落語作家の先生と掘り起した、「神隠し」。

お決まりの出来の悪い若旦那が、軟禁されている蔵から脱出。
ここらあたり「釜猫」とダブル。

一カ月ほど、家に帰って来ないが、稲荷さんのお札を替りに置いて、神隠しにあったと。
最後には、土佐の稲荷さん、宇賀御魂大新神、ご本人が登場・・・・・さて最後のサゲは。

実は、一週間の疲れもあったのか、・・・・思いだせず。頭の中が、神隠し状態でおます。あはは。


五、桂こごろう・・・・・・・・・・・・・「高津の富」

こんな楽しい、高津の富は初めて。

最初の、宿屋の主人に話す、賊に千両箱を83個渡したとか、漬物の重しかわりに使うとかの部分は
いたって正統派、米朝一門の匂いさえしたが、翌日の高津さんの、富くじの情景から一転。
戎っさんのお告げで、二等が当たる男の妄想部分は、大師匠の枝雀師匠を彷彿させる。

でも、随所に入るお客様目線の言葉に、こごろうさんの色がでる。

例えば、富くじを買わされて、虎の子の一分を取られてつぶやく、
「あまり主人が感心ばかりするので、調子に乗って言うてたら、虎の子の一分取られて
しもうた、それにしても因州鳥取の在の者と言いながら、大阪弁まる出し・・・
、気づいてくれてもええのに」とか、

親父が、貼りだしてある富くじの番号の端に書いてある落書きに気づく・・・
・・・・・「えべっさんのアホ」・・・・・
あの妄想男の余韻が、境内に漂う・・・うまいな。

当たっても、当たらなくても、富くじに夢を託す庶民の楽しさが、いっぱい詰まった
こごろうさんの、「高津の富」でおました。


第560回・田辺寄席~桂こごろうの段
2011年2月19日(土)午後6:10開演
桃ヶ池公園市民活動センター

開口〇番・・・「ゲ」現代落語論・・・・・・・文太
一、桂佐ん吉・・・・・・・・・・・・・・・「始末の極意」
二、桂こごろう・・・・・・・・・・・・・「くやみ」
三、桂文太・・・・・・・・・・・・・・・・・「運廻し」
仲入り
四、桂九雀・・・・・・・・・・・・・・・・・「神隠し」
五、桂こごろう・・・・・・・・・・・・・「高津の富」

11-07-28



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第559回・田辺寄席~笑福亭遊喬の段

2011-02-19 23:30:50 | 田辺寄席



今年最初の田辺寄席・・遊喬さんの段なれば、出かけなければ。


開口0番・・「ク」熊野詣・・・・・・・・・・文太

「熊野詣り」という噺は、熊野の観光アピールの為にと依頼があり、
師匠文枝が創られたた唯一の落語。
亡くなられる最後の演目もこの「熊野詣」

大阪の八軒家から、熊野まで長い道中なので、どうするかと、文太さんも一緒に考え
ヤタガラスに乗って一足飛びににとアイデアをだすと、熊野市から
実際に見てくださいと、師匠はヘリコプターに乗って上空から見られたと・・・。
(注、ヤタガラスは熊野で神武天皇の道案内をしたとか、
今ではサッカーの日本代表のシンボルだが)

今や、演じる人もいないので、一門で選ばれて、文太さんが継いで、
このまえ、新宮と田辺とかで公演し、好評であったとか・・・。

丁度、今日、落語仲間のT氏から頂いたのが、天満橋の永田屋昆布本店が発刊している
「八軒家の今昔」に、熊野参詣道として、九十九王子と熊野への道が紹介されている。

今や世界遺産、熊野詣でとか、行ってみる価値はありますな。


一、笑福亭喬介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「狸賽」

狸と狐は、仲が悪いと覚えておいてください・・・と短いマクラで即「狸賽」へ。
でも、今日の喬介さん、なぜかかみかみ。老舗、田辺寄席のプレッシャーか。

終盤の、あたり続ける主人公に周りの者が、サイコロの目を言うなで
「ターチャン、両目やで」というところで、「2やでー」・・・あれぇ
「あぁ・・聞かなかったことにしてや・・・」と、こんな喬介さん、とってもかわいい。

言い間違いなんて、ささいなこと、おもしろければ、全て良しでおます。
落語は、生きもの、ライブ感で、違った楽しみがありますな。


二、笑福亭遊喬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「二人癖」

マクラで、奥さんのこと、娘さんのこと、仲の良さが子供が挟んで
遊喬家の、ほのぼの感が伝わってくる。

「たまらん」、「一杯のめる」が口癖の二人が、癖を直そうと賭けをする。
その1000円を取る為に、あの手この手で仕掛ける。

私の、口癖は何なのか・・・。
結構、このブログでも、語り口、くせありますな。


三、桂文太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「崇徳院」

「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の、われても末にあわんとぞおもう」
百人一首の、崇徳院さんの句。崇徳天皇も、一度、熊野参詣されている。

恋煩い、携帯電話があり、いつでも会えて、ひっつくのも早いが別れるのも早い
今の若い男女には、まったく死語なのか。


四、笑福亭鶴志・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「千早ふる」

最高。・・・・・落語のおもしろさ。生の愉しさ。
あそこで聴いた、あの噺と、一期一会が印象に残る。

鶴志さんの「千早ふる」、相撲の八百長事件はでてくる。
落語協会の分裂騒動とか。落語の修行の苦しさとか。

どんどん、膨らみ、30分強の長講。

最後の、「とは」の部分だけでも、
「とは」、トーナツのト・・とドレミの歌が。
隣の家の家政婦が見たで、人の口には、「戸は」立てられないと。
竜田川が助けてあげて、「永久(トワ)」の愛を誓うと。

最後の、千早の本名やったの「とは」まででも、5分は楽しませてくれる。

こんな、落語を聴くと、演出も含めての、落語のもつ、自由な幅の広さ、
おもしろさに、はまりますな。


五、笑福亭遊喬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「尻餅」

普通は、「尻餅」、見台なしで演るのですが、今日は、見台をつけて初めて演ります。
松之助師匠は、演られていますが・・・春団冶師匠は、すべて見台なし。
「田辺寄席なので、あえて、気ぃ、つこうてますねんで・・・」と。

女房のお尻を出しているのが、見台に隠れて見えない分、
お色気が薄れて、良いのか悪いのか、シャイな遊喬さんらしい、選択と理解したが。

まあ、艶笑噺にならぬ様、「田辺寄席なので、あえて、気ぃ、つこうてますねんで・・・」と、
最初のマクラの言葉に戻る・・・単に、深読みしすぎか。

松喬師匠、直伝の一席でおました。


第559回・田辺寄席~笑福亭遊喬の段
2011年2月19日(土)午後1:40開演

開口0番・・「ク」熊野詣・・・・・・・・・・・・文太
一、笑福亭喬介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「狸賽」
二、笑福亭遊喬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「二人癖」
三、桂文太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「崇徳院」
仲入り
四、笑福亭鶴志・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「千早ふる」
五、笑福亭遊喬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「尻餅」

11-06-23


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内田樹は考えるヒントをくれる~ひとりでは生きられないのも芸のうち

2011-02-10 05:30:10 | 本の少し
ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋

☆☆☆

さすが、今売れっ子の内田樹さんの本。

気軽に読めると思いきや、仕事にも通じる事柄に、電車の中でもしばしば
ひとつひとつの投げかけに本を閉じて考える・・・・・なかなか進めない。

世の中の普段あたりまえと思って過ごしている事柄を、論理的におかしいと諭してくれる。

私たちの社会のさまざまなシステムを機能不全に陥らせているのは、「ちゃんと仕事をしてくれる人がどこかにいるはずだ」という無根拠な楽観です。当事者意識のない人たちの制度改善努力は「文句をつけること」に限定される・・・と。なぜか、思い当たる耳の痛いまえがきで始まる。

労働については、今の若者への提言として、「労働は義務である。」と、現に、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」と憲法27条に明記してある。「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の決まりなのだと、「条件が揃っていれば働いてもいい」という贅沢は許されないない。
なぜなら、人間は労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されないからだと。

現在、豊かな才能に恵まれた子どもは今もたくさん生まれている。
けれども、その才能を「みんなのために使う」ことのたいせつさは誰も教えない。「あなたの才能は、あなただけに利益をもたらすように排他的に使用しなさい」とこどもたちは教えられている。
だから、子供に向かって「他人のことはいいから、自分の利益だけ配慮しろ」と教えたのは、それまでの日本のような「お節介社会」にはまちがいなく有効な生存戦略だったが・・・。
その結果、親族制度の空洞化、終身雇用制の崩壊、未婚化、少子化などはすべてこの「お節介社会」の解体=自己決定・自己責任システムをめざした社会的趨勢でもある。

そこで考えられるのが、本の題である「ひとりでは生きられないのも芸のうち」である。自分にあった集団、そしてそれはどのような機能をもち、どれだけのサイズが適正なのかは、答えは述べられていない・・・これさえも自分で判断するしかない。

まだまだ、考える事柄は山ほど次から次に出てくるが、仕事にはじまり、結婚のこと、家族のこと、と普段の自分の考え、いきざまを、今一度整理するには最適の本・・・是非、時間と心の余裕のあるときに読まれることをお勧めします。


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繁昌亭も欲しい~新宿末広亭のネタ帳

2011-02-06 23:05:51 | 本の少し
新宿末広亭のネタ帳
長井 好弘
アスペクト

☆☆

2001年から7年間の新宿末広亭の「ネタ帳」をデータを長井好弘氏が整理。

そこから見えてきたモノは。

繁昌亭のデータ公開がないのであくまで憶測だが、
上方とは大いに違うようである。

多いベスト30は
1位・子ほめ、2・替り目、3・たらちね、4・真田小僧、5・初天神、6・桃太郎、7・親子酒8・手紙無筆。9・長短、10・転失気、11・粗忽の釘、12・時そば、13・強情灸、14・不精床15・金明竹、16・寿限無、17・権助魚、18・紙入れ、19・狸札、20・やかん、21・宮戸川22・道具屋、23・家見舞、23・牛ほめ、25・小言念仏、26・看板のピン、27・つる、28・鰻屋29・道灌、30・饅頭怖い・・・・・・・と続くが
、替り目とか、紙入れ、宮戸川など
トリネタっぽいのが、多く演じられているのには、びっくり。

そして、一位の子ほめを三遊亭遊三、三遊亭金遊、五街道雲助など真打クラスが
多く演じているのが、おもしろい、繁昌亭とは違った寄席の歴史を感じますな。

トリネタのベスト20は、
1位・井戸の茶碗、2・寝床。3・火焔太鼓、4・妾、。5・子は鎹、6・お見立て、7・悋気の火の玉、8・抜け雀、9・らくだ、10・死神、11・青菜、12・鰻の幇間、13・長屋の花見、14・片棒、15・明鳥、16・替り目、17・ちりとてちん、18・親子酒、19・中沢家の人々、20・宿屋の富・・・。
青菜、ちりとてちんが、トリネタとは、上方では無いですな。

協会で同じ噺でも、演目が違うのも、「替り目」と「代り目」、「鰻屋」と「素人鰻」、「短命」と「長命」
文冶師匠は「道具屋」を「道具や」、小遊三師匠は「持参金」を「金は廻る」と、上方でもこだわりの噺家さんはおられるのだろうか、そう言えば、ざこばさんこの頃、「子は鎹」から「子別れ」と書かれているときがありますが、意図的なもんなんだろうか。


そして、この本の一番読み応えのあるのは、第5章の「噺家、寄席のネタを語る」。
各師匠たちのネタへの思い、寄席への思い、落語への思い、いかに十八番をつくりあげてきたかが良く解る。十八番を見れば、その噺家さんの落語へのスタンスと歴史が垣間見れますな。

でも、こういう本を見ると、つくづく繁昌亭のネタ帳の開示本、欲しいですな。
やまだりよこさん、お手数ながら頼みまっせ。



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内容は濃い~落語の聴き方楽しみ方

2011-02-04 02:20:42 | 本の少し
落語の聴き方 楽しみ方 (ちくまプリマー新書)
松本 尚久
筑摩書房

☆☆

このちくまプリマー新書は、初めての新書というコンセプトで、
中高校生対象と思えるが、前の「多読術」と云い、中年でも目から鱗のような
、手にとった本は、案外はまってしまう。


この本も、落語とは何かを考えつつ、その聴き方楽しみ方を探る落語論。
人は落語をきいてなぜ笑うのか、落語における時間の流れ方、
落語はドラマを排除すること、登場人物がみな無名であること、などから、
落語という芸の特異性に迫る
・・・・・・・とあるが、硬い様な柔らかい様な、おもしろい落語論である。

能とか浄瑠璃が「歴史」に物語にモチーフを求めたのに、落語は新しく、
現在的でなければならない、その為、落語では、口編に新しいと書いた「噺」の
文字が使われる。聴き手はストーリーの中の出来事が現在的だからこそ、
それを生々しく実感することができると・・・。

又、講談と落語を比較して、よく、「地の語り」を中心に進められるのが講談で、
「会話」を中心に進められるのが落語という説明がありが、間違いではないが、
本質的な両者の違いは、それが過去のものであるか、
現在的なものであるかです、と。
語り手が「本」、つまり「過去」に書かれたはなしを読むのが「講談」で
「本」にはまだ書かれてない「現在」のはなしを語っているのが落語であると、

口伝えでの稽古が基本であり、案外「地の語り」で展開する落語とか、
合間で「地の語り」とか挟み込む演者が好きになれない理由が解った気がする。

マクラは何のためにあるのでしょうかと。
落語では、落語家が作品世界にたいして創造主的な役割を
引き受けなければなりません。しかし、義太夫の太夫や講談師のように
作品を保証するよりどころ=本をもたない落語家は、
観客にしては信用が置きにくく、自分がどんな人物か解ってもらう
小さな信用が、「マクラ」の役割と・・演者も初めてではなく、演じる演目も解って
心の準備が出来ている時は、無くても良いが、新人などのマクラのない落語
では、落語の世界に馴染むのに時間がかかっている理由がよく解る。

上方落語は、東京落語比べて「笑い」を主眼においていす、と。
上方の社会に落語を「笑い」の領域にとどめておくべき必然があったのでしょう。
「寄席」と「座敷」と普及したところの違い以上に、上方落語に人情ばなしの
伝承がないのと、上方落語に与太郎が出てこないことは同じ根に
つながっていると。

人情ばなしでは、流れている時間が、現実世界の時間に近く、
人間の心理の動きが微細に表現されるので、演技の時間は必然して長くなると。
東京の噺家さんの演じる「芝浜」、「柳田格之進」などが長くなるのは
いたしかたがないことなのか。

最後に、落語に描かれた風俗などは今後ますます失われていく、
そして好むと好まざるとにかかわらず、落語の中の世界と、
わたしたちの暮らす世界とは遠のいていくに違いありません。
しかし、これからの落語家さんは、みずからの位置とはなしの距離を
・その遠さを・・厳密に定め、それを示さなければなりませんと・・・
(決して、貨幣単位を変えたり、すっくり現代に置きかえたりのことではない)

それが現在の落語の「芸」であり、現在の落語家は、すぐれた現代人でなければと。

落語に関するする本として、初めて手にするには、真面目過ぎるぐらいで、
口調は柔らかいが、中身はいたって硬く、内容の濃い本である。


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愛情が詰まっている~べんとうの時間

2011-02-01 05:12:28 | 本の少し
おべんとうの時間
阿部 了(写真),阿部 直美(文)
木楽舎

☆☆☆☆

阿部了・直美夫妻が綴る、ANA機内誌「翼の王国」の人気NO1エッセイ。
なぜかしら、ふしぎに、心あたたまる本である。

おべんとうの時間・・・・一人4ページ、
まずは、お弁当のもちぬしの全身写真と、大写しの主役、おべんとう。
次の見開きには、それを食べているところと、そしてべんとうにまつわるお話しが、
おべんとう同様にシンプルな構成だが、おべんとうの蓋をとるのが楽しみなように、
ページをめくるのにワクワクする。

人様のお弁当、それも、運動会とか遠足とかのハレの日のお弁当ではなく、
毎日、毎日の昼の食事として食べている、いたって飾気のない普段のおべんとうである。

仲間といっしょにおしゃべりしながら食べるお弁当。
仕事の合間に一人で食べるお弁当もあるが、
そこには、作り手の妻や母の想いが、そばにある。

ある損保の営業さんは、・・・「中身のことは何も言いません。うん、それはもう
言わないことにしている。もし嫌なことを言われたら、作らないよね、
やっぱり、弁当ってふたりして食べるものだと思うんです。
作る人と作ってもらう人のふたり。作ってくれる人の気持ちは伝わるから
ありがたいなぁと思います。そしたら、何も言えないです。」

愛妻弁当は、つまり愛情弁当なんですな。

39人、39個の、おべんとうが紹介されてます。

わたくしめも、今度の休みには、妻に愛情をこめておべんとうをつくり、
近くの公園にでも行って二人いっしょに、ゆっくり40番めを食べたくなりましたな。

11-09


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