名古屋鉄道のパノラマカーーとして親しまれた列車、7000系パノラマカー白帯車が2009年までに廃車になります。
これは16日津島線と尾西線を記念運行したそのときに集まったフアンなどの様子を伝える記事です。
1961年、運転席を二階にして、最前列まで客席を設け、前面展望台、連続窓、ミュージックホーン,デジタル速度計の表示んなど当時としては画期的な列車でした。
その年、鉄道友の会ブルーリボン賞を2位の六倍の得票をして獲得したことでも分かります。
今見ても決して見劣りのする車両デザインではありません!
岐阜と豊橋の間、何回このパノラマカー電車に乗ったか一数しれずです。
昔は同じところを走る国鉄より、だいぶん安くて速くて20分ごとに特急がありました。(特急料金もいらなかったです。)
一番前のパノラマ席は、それは素敵で最初のうちはマニアがいるようでした。
面白いことに当時の国鉄と並行して走るところが、名鉄の一番スピードの出るところでしたので、国鉄をぐんぐん追い抜いて走るのは快感でした。
名古屋出身の芥川賞作家の、諏訪哲史さんも、名鉄に勤め車掌をしたことがある経験談を、
毎週金曜日のコラムに書いてらっしゃいました。
車掌の勤務中に起こる困りごと、、、おてあらい!
パノラマカーの車掌席は一番後ろの車両のまん前で仕切りがありません。いやでも皆が注目する場所です。
それは抱腹絶倒する苦労話でした。
私の同級生の某有名国立に入ったこが車掌をしていて驚いたことがあります。
どんな地位の人でも、新人時代は必ず車掌を経験しなくてはならない決りだということをこのコラムでしりました。
私は就職してもこの電車に乗って勤務先まで出かけました。
何が嫌かって、通称アベックシートといって、二人がけでふわふわのデラックスなのはいいのですが、
痴漢が多いのです。
窓際のほうに座っている私のほうに、迫ってくるのやら、脚を擦り付けてくるのやら、新聞を読む振りをしてひじを胸に触るのやら、
こういういやらしいに比べれば「お茶でもというのなんか」可愛い物だとおもいました。
ですから乗り込むときは女の人の横に座るようにしたものです。
パノラマカーのミュージックホーンは、毎年3月の中京競馬の「名鉄杯」のファンファーレでそれがしのべます。
パノラマカーも展示されています。
赤い恋人ーーー私の青春時代と重なります。、、、さよならをいいたくて、、、
美しい雄姿をどうぞ!